鏡に映った私はわたしではないと見抜く力
鏡に映った自分を「自分」と認識します。
難しいことなんて考えなければ
それで終わりです。
でも本当にそうでしょうか・・・
鏡のちょっとした凸凹や縦横の比、傾斜、
またその時の自分の気分(量子)によって
実際の自分と多少のゆがみが出ているはずです。
古今東西、
古代から「鏡」が単にモノを映し出す道具としてではなく、
信仰や霊術の道具として使われていたのは
映し出すというその表層に
並々ならぬ霊力を感じていたからでしょう・・・
実は、霊覚を真剣に考える時、
この鏡の役目が人間の「脳」となります。
ですから、
健全な脳は健全な量子(霊)を引き寄せますし、
ゆがんだ脳は、ゆがんだ量子(霊)を引き寄せます。
脳はとてもいい加減です。
感情フィルター(深層心理)で
いくらでも先入観(虚像)が生まれます。
脳内お花畑系と言われるように、
全然ワクワクでもないのに
ふわふわしながらスピ系に入ると、
間違いなく邪道へと向かっていきます。
自分の脳の歪みが自分自身を邪道へと導くのです。
これは、心の奥底に
霊=怖い
人=許せない
人生=恐怖
という幼少期からの深層心理をぬぐい切れずに
不安の上に
「ワクワク」のごまかした上塗りをしただけのスピリチュアルですから
深層心理どおりの「邪道」が呼応するのです。
シュタイナー曰く、
この先入観(深層心理)を是正しつつ
霊覚を高めるのツールが
「思考」
「感情」
「意志」
です。
これは、
「真」
「美」
「善」
に、それぞれあてがわれます。
霊覚において
邪道に引っ張られないためには
何のことはない、
日常で、この「真」「美」「善」を磨けばいい
ということになります。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と見抜き
審神者になるかどうかは、
掃除をし、皿を洗い、庭の草を刈って汗をかく・・・
どこまでも「日常」を丁寧に生きるということなのです。
theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
