境目がなくなるってそういうことじゃない
生身の自分のもう一人が生まれ
永遠に生き続ける・・・
それが可能になっている。
それのデジタル版と言えばいいのか・・・
デジタル版八百比丘尼と言えばいいのか・・・
あるYouTuberがそんなもう一人のAI自分を作ってほしいと
心躍らせて技術者に頼んでいる動画を見て
なんだかな―と思った。
そうなると、仮にその人を著述家Aさんとすると
Aさんが考えているのか
AIのAさんが考えているのか区別がつかない。
芸術家であれば、Aさんの作品なのか
AIのAさんの作品なのかもわからない。
以前クローン技術の羊のドリーちゃんの時も話題になった
「生」への倫理・・・
そして今回は、人のオリジナル性への倫理ということか・・・
平たく言えば、本人と機械の境目がなくなるということだ。
新たに生み出されたAIがオリジナルに成長するというよりは、
AIによるAさんからの「学び」「模倣」「コピペ」の果ての
本人同等、いや本人乗っ取りで、
デジタル版憑依だ。
「学び、模倣」と言えば聞こえはいいが、
私からすれば、憑依そのものだ。
人間は、AIの学びの素材としての価値だけが重宝され、
やがて、人間=材料という側面だけが重宝がられる・・・
フリーエネルギーが解放されれば話は別だが、
電気一つが途切れれば、
あっという間に使い物にならないAIということを
人類は忘れてはいけない。
冥王星×水瓶座のデジタルの発展・・・
その後やってくる冥王星×魚座の境目のない世界・・・
境目がないとはそういうことではないだろう・・・
何もないところからすべてを生み出しているこの肉体・・・
その価値は計り知れない・・・
もう一度言う。
何もないところからすべてを生み出している
風の時代は、
その「肉体」の本当の価値に気が付く時代でもある。
千島博士が生きていたら
一体どう言われるだろうか・・・
寒い夜空、電気が止まったその時、
人は火を起こす前に、AIにたずねるだろう・・・
「電気が消えたのですがどうしたらいいですか?」
もちろん、誰も答えはしない・・・
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theme : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
genre : 心と身体
