鬼は外福は内の蟹座
どうかご容赦願いたい・・・
占星術を学ぶと、
うちの父がつくづく蟹座だったなと感心する。
蟹座は、感情の星座だ。
だから、男女関わらず子どもを煩悩することを
「母性」と訳するが、
蟹座はそれをシンブルとしやすい。
しかし、煩悩は、仏教では三毒の一つだ。
だから石井ゆかりさんは
蟹座を「母性」と表現することを嫌っている。
ご自身も蟹座でいらっしゃるからか・・・
こうやって自由度を残すあたり、
石井ゆかりさんの懐の深さを感じられて安心する。
さて、話を戻そう・・・
蟹座が感情なのか、
感情が蟹座なのかと区別がつかないほど、
自分と他者を感情でつなぎ世界を作る。
いつのまにか、自己と他者と感情の融合物の世界を作る。
蟹座は、血がつながっていようがいまいが、
許した相手をまるで自分の一部のように迎え入れる。
だから、父のそばにはいつも何人かの人がいた。
(ところが気の合わない人は見向きもしなかった)
だから私の家には、
いったい「この人は誰だろう?」という人が
よくやって来ては、ご飯を食べていたり、
みんなで鶏のあみ焼きをして楽しんでいた。
父は下戸だったのに、
ときには、午前様まで飲んで居座る親戚もいた。
母は辟易としていた。
鶏のあみ焼きの時の風景は今もよく覚えている・・・
父は、背広の職人、
母は婦人服の仕立て屋、
家には常に、お客様の背広や婦人服がかかっていた。
それでもみんなでとりのあみ焼きとなると
ニオイが移らないようにと
仕事場のすべての服を隣の部屋に運んだ。
自分の最も守りたい職人のエリアを
どうぞどうぞと開けわたして、迎え入れていた。
わたしは、ニオイが移らないかな、
大丈夫かな、と幼心ながら気になった。
蟹座は、心を許した相手なら
そうやって自分の大切なエリアを
惜しげもなく明け渡す習性がある。
ところが、一方で
いくら血がつながっていても
内に入れないと決めた他者はとことん冷酷にはじく。
だから、父は陽気な一面と、
気難しい一面の両方を私に見せた。
これは蟹座の
誰を内にするか?
誰を外にするか?
が、はっきりと分かれていたゆえんだ。
幸いにも私は、内に入れてもらった人物になるが、
兄に対して父はときに、「外に出ていけ的」に厳しい面を見せた。
自己と他者を「感情」で結び付け融合し、
その世界にそぐわない相手には
冷徹なつまはじきをくらわす蟹座だから、
蟹座は甲羅がシンボルとなる。
城壁としての甲羅だ。
だか、この城壁は時に自らの感情によってぶち壊される。
そして再び構築される。
感情は、水だからいつでもいっぱいになれば
暴れて自らの甲羅を打ち破る。
蟹座の成長は、こうして
自らが自分を打ち破ることで成し遂げられる。
一生の間に何度、
この「守りと決壊」を繰り返すかわからない蟹座だが、
それを繰り返すたびに蟹のエリアはどんどん広くなり、
やがて一つの国となる。
その行き着く先が、
反対星座の山羊ではないだろうか・・・
お母さん、お父さんの職業が学校の先生の
家庭と台所と表現してもいい。
実は、反対星座の意味も少しずつ実感できるようになった。
明日のライブ配信ではこのことをお話しようかと思う。
ライブ配信3/11(土)8:00~小一時間
よろしければご参加ください。
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