いのちの原理原則は口を出さないこと
国の人材を育てることでも
社会の人材を育てることでも
まして、会社の人材を育てることでもないと思います。
(これからというより
これまでもそうだったかもしれません)
これらを第一義にしてきたからこそ、
いまの世の中になってしまったのです。
いや、ひょっとすると「教育」という言葉すら破壊しないと
本当にいのちに向き合う世界は生み出せないような気がします。
単純に、考えてください。
これまでの教育が正しければ
政治家はもっとまともな人たちが集まったでしょうし、
世の中がこんな窮屈な世界になっていないでしょう。
私がこのブログを始めて10年になります。
ブログを始めたきっかけは手作り市「宙結び」ですが、
その市を始めた動機は
「いのちあるものがいのちあるように」
でした。
大人たちが作り上げ、信望しているこの世の中で
大人自身が青色吐息になっている・・・
若者にとっては、
この大人の世界をなぞらなければ
生きていけないという強迫観念が当時漂っていました。
きっと今も漂っていると思います。
そんな中、
一矢を報いるつもりで放った矢が「手作り市」でした。
一矢どころか
世の中を転覆させるつもりでした(笑)
私の力不足で、巨大な資本主義の壁に
風穴を開けることができなかったかもしれませんが、
それでも私はやってよかったと思っています。
あの場に集まってくださった方は
まぎれもなく笑顔でしたから・・・
しかも、私はいまでもその矢を放ち続けています。
「市」とは違う方法でこれからも放ち続けると思います。
闇権力は、学べば学ぶほど、
その壁はもう壁ではなく、山、否、
大陸だったことがわかります。
それでも、のんきにバカになって放つ矢は
決して無力ではないと確信しています。
私の周りには、子どもがいます。
親御さんもみえます。
そのお一人お一人に
矢をお渡しするのも私の役目と思っています。
放つ人もいるでしょうが、
放ち方がわからない人もいます。
はなからその矢に興味がない方もみえます。
それでもいいのです。
伝わる伝わらないの問題ではなく、
私がやるかやらないかの問題です。
誰の問題でもありません。
要は、私の問題です。
最近、本当にわかってきたことがあります。
以前はそうかもしれない!?のレベルでしたが、
最近は、偉大な原理原則だと思い始めています。
それは、
「いのちに口を出さない」
もともとあれこれと
勉強に関して指示を出す塾ではありませんでしたが、
彼らがやりたいことを
やりたいペースで
やりたい時間に
まあ、3つ目の「時間」は、システム上なかなか難しいですが、
それでも上2つは、うちの塾ではほぼ日常の風景です。
これこそが彼らのいのちが育つ環境だと思います。
そして、それこそが「尊厳」ということです。
もちろん、対話はあります。
指示命令ではなく、
少なくとも「・・・はどうかな」という助言、
もっと言えば、単なる「対話」・・・
後は、口出さずに見守る・・・
「そんなことをしたらサボりませんか?」
この問い自体が、勉強を苦役とみなしている証ですが(笑)
以前はそういった質問をされるお母さんが多かったですが、
最近は、そういったお母さんもほぼいません・・・
サボりたいのならサボればいいと思います。
「今日はやる気が出ないので振りかえてください」
これもうちのシステムで普通なことです。
そのかわり、
次の振り替えスケジュールを自分で組んで
私に依頼のLINEなり電話を、自分でする・・・
サボった自分を素直に認め、赦し、
その後のことを自分で決め、人に依頼する・・・
この流れが大事なのです。
私が口を出すときは、
それこそ「いのち」に関わると判断した時です。
ここでは詳しく書けませんが、
そういったとき、私は火が付いたように叱ります。
いのちあるものがいのちあるように・・・
この世の中、それ以外のことは
大したことではない気がいたします。
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tag : いのち
