鎌倉➡江の島➡浜松へ⑨
江の島・・・
江の島は真上から見ると
きれいな銀杏の形をしています。
鶴岡八幡宮の銀杏と
江の島の銀杏・・・
偶然でしょうか・・・
江の島がこんなに狭いのに
こんなに人が多いとは驚きでした。

そして神社があります。

奥津宮:旧本宮。多紀理比賣命を祀る。
中津宮:旧上之宮。市寸島比賣命を祀る。
辺津宮:旧下之宮。田寸津比賣命を祀る。
あの福岡県の宗像大社、宗像三女神とよく似た構造をしています。
海➡山➡国土
人が人口を増やし、文明を発達させるとき、
ムラ(邑)からクニ(国)へと、
また、自由より欲望を選び始めて
「所有」を意識し始めたとき、
それが歴史だとするならば、
この神社や宗像大社は
間違いなく伊勢神宮などの天津系よりも
ずっと古い神社ということになります。
国津系の神社よりも前という表現でいいのかわかりませんが
「宗教」は、それよりも前は「祈り」でした。
それは宗教ではなく「信仰」です。
とにかく、いま私たちがありがたく拝んでいるのは
神ではなく、
国が作った体制、システムに頭を下げて拝んでいるだけです。
だから、「お願い」ばかりするのです。
お願いは、「上下関係」が前提です。
祈りから思わず頭を垂れるのではなく、
体制、システムに頭を垂れているのです。
長い年月で私たちはいつの間にか
卑屈に、あざとくお願いする体質に変わっていきました。
「他者に頭を下げさせて
それで己の地位を確認しなければ
安心できない者のことなど
私は知らない。
それよりも、人に頭を下げる度に
壊れていくものの方が問題だと
私は思う。」
これはアニメ十二国記の言葉です。
昨日は、この壊れた人が2名ご相談でした。
私はフルスロットルで叱りました。
霊視を依頼され、
「後ろに守ってくれるご先祖様がいるなら
お墓参りに行かなくちゃと思って・・・」
こういった言葉が思わず出てくるこの方の体質・・・
なんというあざとさ!
なんという身勝手さ!
なんという欲深さ!
霊視する気も失せました。
ちなみに
遠く山奥の不便なところにあるお墓かと思いきや
単なる交通手段の問題であって、
自宅と同じ平野にあるお墓です。
今の人たちがいかに信仰ではなく、
ご都合主義で、しかもおこぼれ欲しさに
体系、システムに頭を下げているかよくわかる出来事です。
自らの内面を振り返り、内省するのではなく
すぐ外に「お願い」や「おこぼれ」や「ご利益」を求める・・・
安直で浅ましいのです。
人は、真実に相手に感謝し
心から尊敬の念を感じたときには
自然に頭が下がるものだ。
他者に対しては
礼をもって接する。
そんなことは当たり前だし、
するもしないも
本人の品性の問題で
それ以上のことではないだろうと
いっているんだ。
同じく十二国記の言葉です。
何かもらえるから頭を下げる・・・
昨日のご両人からはそんな「気」が漂い、
辟易としてしまいました。
己という領土を治める
唯一無二の君主に...
そのためにまず、他者の前で
毅然と頭を上げることからはじめてほしい。
「十二国記」
転ぼうが傷つこうが、
毅然と頭を上げることができる人であってこそ、
初めて首を垂れることに深い意味が生まれるのです。
話をもとに戻します。
人でごった返す仲見世を抜けて
エスカレーターで上へ上へと上がっていきます。
もちろん徒歩でも登れますが
ここは無理せず、楽させていただきました(笑)

(中津宮、祭神 市寸島比賣命)
登りながら三神にご挨拶をします。
そしていよいよ江の島のシンボル
シーキャンドルに上ります・・・




緑も海も空も・・・
本当に美しい・・・
残念ながら今日も富士山は見えませんでしたが、
今回はそういう旅なのでしょう・・・
旅も神も頭でわかってはいけません。
わかるわけがありません。
ハラで感じる・・・
この体験こそ
生きているということなのです。
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