鎌倉➡江の島➡浜松へ⑧
噂の小町通をちゃんと散策しました(笑)
前日は夜も遅かったので
ほぼお店が閉まっていましたから。
今日は、朝の10時前・・・
当たり前ですが
昨日よりは多くのお店が開いていました。

私は旅に出ると
マンホールを撮る癖があって、


今回驚いたのが鎌倉のマンホールは
種類が豊富ということです。
こういうところにも
観光地の貫録を見ることができます。
はちみつアイスに
アップルパイを頬張りながら
おしゃれな界隈を1時間ほど楽しみました。


この鎌倉は、寺社も含めると
一日二日では周りつくせませんね。
大河ドラマの「鎌倉殿の13人」ゆかりの場所は
まだまだたくさんありますが
今回感じたかった「地形と頼朝」は
少しわかった気がいたします。
鎌倉はどこも坂ばかり・・・
小高い丘から海を眺めると
頼朝の考えが想像されます・・・
気の弱い頼朝は
常に疑心暗鬼で
何か起きそうな予感(大抵は外れているが)がすると
すぐに追討・斬首を命じたりしていましたが、
いざとなれば、
部下を残して、三浦半島を抜け
上総介広常から召し上げた房総地域を通って
蝦夷へ逃げる算段があったのかなーと
地形を感じながら楽しませていただきました。
小さい頃の不幸な流民生活が
彼を引きこもり癖&疑い癖にしたのか、
それとももともとそれがあったのかはわかりません。
半島に囲まれた、この釜=鎌のような地形の「鎌倉」を
永住地として選んだ頃の頼朝は
きっと誰も信じることができない性格が
固まっていたんだと思います。
もともと頼朝は大将の器ではなかったはず・・・
そこを誤った母性を振るった政子が庇い、
子や孫、血縁、一族をでっち上げた謀略で
ほぼ全滅させたました。
あれから約1000年・・・
にぎわう小町通とこの哀しい一族の対比・・・
「いざ鎌倉へ」という、まるで忠誠心の象徴のようなこの言葉は
頼朝の気の弱さと疑心暗鬼の裏返しだったのでしょう。
御家人はみんな、
領土と家族、領民が人質に取られているから仕方なく
嫌々来ることを知っていた・・・
だからこそ、
自分の時代をまるで戯曲のように盛り上げるしかなかった・・・
まだまだ見足りない名残惜しい鎌倉でしたが、
仕方ありません。
お昼前には、ここを後にしたのでした・・・

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