われわれは「意識」(周波数)である
これからは、どこの高校を受けようが
この塾のメンバー、個人戦ではなく
チーム戦となります。
なぜか、それは同じ場を共有するいのちとして
ともに「創造」を体現するからです。
それは、独特の向上感、吸収感が生まれ
場がホログラム化します。
この世の表現をすれば、
「切磋琢磨」という
言葉通りの場が自然と生まれ始めるからです。
尻など叩かなくとも
彼らを自然に任せれば、
自ずと質問が増え
その質問が彼らの息吹に火をともします。
作文で出会ったこともないテーマを書くには、
「言葉」の持つエコーの力=拡散力をつかい
連想ゲームでたくさん広げ、
自分の知っている言葉まで落とし込む・・・
否定的な言葉を言う生徒には、
「周波数」の話をし、
「いま」の力と現実の創り方を感じてもらう・・・
どれもこれも、
彼らはあれよあれよと吸収していきます。
「意識があれば、創造が生まれ、
あるべき場所に、収まるるべき場所に返って行く。」=創造
実に気持ちがいいです。
受験という苦行の意味があるとすれば、
この苦行の中で輝く こういったかれらのいのちを
わたしも、彼ら自身も再確認できることです。
私たちは周波数です。
風の時代は、その周波数を
どういった状態に保つのかがキーになります。
風=振動=周波数=意識=心
この原理原則を知ってしまうと
もう子供の尻は叩けません。
そんなことをしてもまったくナンセンスだと気が付くのです。
尻を叩くというのは、(コントロール)
彼らを物質とみなしているからです。
物質は意識に勝てません。
だから彼らは、無視するのです。
言うことを聞かないのです。
しかも自分は意識だとわからせるために
時に、泣くという感情(周波数)で応えるのです。
私たちがすべきことはたくさんの対話です。
対話によって
その周波数を
確認し合い、
励まし、
時に諭し合い、
最終的に彼らの周波数がどこに行こうとしているか
観察する(見守る)のです。
観察➡承認➡問いかける➡待つ
この世的にいえば、
以前挙げた動画が
今日の話題に近いかと思います。
「意識」があるところしか現実は生まれない。
最近の親御さんは
この「意識」の存在をお忘れになることが多いです。
どの塾に行くのか?とか
何のテキストを使うのか?とか
どういった方法ならいいのか?とか
そういったいわゆるHOW TOばかりに気を取られ
子どもの「意識」を観察し、承認し、問いかけ、待つ・・・
を端おってしまわれます。
土の時代は終わりました。
土は「権威」「システム」「能力」の時代が終わるということです。
もっと平たく言えば、
「学力・学歴が未来への投資」という神話が崩れるということです。
まだまだ時代の過渡期で見えにくいですが、
子どもたちの意識を観察すれば、
もうそういったことに魅力を感じていない子供が大変多いです。
一方、
子どもたちの環境を眺めると
ICT導入とともに
タブレット授業への移行がさかんですが、
ある意味危険な流れになっていると思います。
それは、道具やシステムに依存し、
この「意識」のすごさから子どもたちを遠ざけることになるからです。
現実創造に
道具などいらないのです。
わたしは、意識です。
闇が恐れるのはこの一点です。
タブレットなどで情報処理に終始させ、
自分たちの意識(周波数)を使うことからどんどん遠ざけることを
闇が意図的にやっているとしか思えないのです。
だから気を付けないといけないのです。
われわれは、意識であり周波数である。
意識を持っているのではなく、
意識そのものなのです。
お分かりいただけるとありがたいです。
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