万葉の民よ、「沈黙を破れ!」
三大和歌集のところだった。
それを見ていて、あっ!と思った。
これからの時代、万葉集で行けばいいなと・・・
どういうことか?
万葉集・古今和歌集・新古今和歌集・・・
この3つは、明らかに歌風が違う。
しかも、この3つの流れは、
よく言えば人間が洗練されていく過程だが、
悪く言えば、人間の「情」を
技法や客観で隠していく過程でもある。
つまり、
万葉集は、
素朴で直感的
真実の姿や感情を重視する歌が多く収録されていて、
天皇から農民、読み人知らずまで
色々な身分の人が読んでいる・・・
それが約500年かけて
和歌は天皇や貴族など身分の高い人の特権のようになった。
古今和歌集では、
理知的、技巧的となり、直情を避けるようになる。
新古今ではさらにそれが進み、
象徴的であり、幽玄的となる。
つまり、ざっくり言えば、
「もっとはっきり言ったらいいのに」となっていくわけだ。
わかりやすく分析されている人もいる。
➡令和和歌所
心 > 詞 (直情的)
心 < 詞 (理知的)
心 = 詞 (バランス)
月食のサインは、どんな人も
「見抜いた事柄を
堂々と発信していく・大胆な人」
まさに万葉集だ。
私たちは今、文字通り
口にマスクを掛けられ
心にマスクをさせられ
いつも間にか「情」を隠すような日常となった。
ここ数十年、専門家でなければ黙っているのがいいと
諭され続けてきた。
エビデンスはなんだ?と
問い詰めれれて
素人は、身近で目の前で起きている確かな感情や事象より
専門家が言う一般論に封じられている。

このピラミッドの一番下の人たちが
私たちの上位で生活の一挙手一投足に口を出す。
「ほんとう」はそこにはないだろう。
人間の生命の源である「感情」でしか、
世は動かない。
そういえば、「令和」の語源も万葉集からだったではないか!
以前令和の深意を分析したが、

その時も
「自分という軸」
「幽から顕へ」
「支配から共生へ」
の文字が見えていた。
令和に入って三年・・・
今こそ心を取り戻すときだ。
嫌なものは嫌・・・
いいものはいい・・・
素直さで生きればいいのだ。
万葉の民が、令和の息吹を顕現する入り口に入った模様だ。
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