青いロードマップ「喜②孤児」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
次の道しるべは、「喜」の二番目「孤児」(8~14歳)・・・
神話では、
「土、人間」を語源とするアダム
「生命」を意味するエバ
その二人が禁断の実を食べた後、
自分たちが裸体であることに気が付き
イチジクの葉で腰にまとったとある。
まさに、人間という生命が
この地上に降りたとたんに悲劇が生まれるという比喩である。
前道しるべで身に付けたペルソナは、
まさに我々にとってイチジクの葉であろう・・・
もう純真無垢のままでいられなくなる時期が
この8歳から14歳の「孤児」に時代だ。
前段階で試した多くのペルソナの中で、自分の旅が
一番うまくいきそうだと思うペルソナを選ぶのもこの時期だ。
ただ、このペルソナは、今後の旅で諸刃の剣となる。
犠牲者的、傍観者的ペルソナはもちろん
時に、能動的積極的ペルソナも
旅の途中では通用しない相手がやってくる。
また、自分で決定したペルソナで、
自分自身を苦しめ、息苦しくさせることも起きる。
そして、「無条件」の世界で自他の区別のなかった時代とは違い
自らの居場所を確保するために身に付けたペルソナが、
自分と他者を区別する役目を果たすようになる。
優劣
比較
その大波がやってくる時代だ。
このペルソナは、
最後の「愚者」での本当のアガリにたどり着くまで
何度かの脱皮や破壊、再創造を繰り返していく。
最初に身に付けたペルソナのまま
「愚者」になり切れずに終わってしまう人生もある。
さて、この時代、見渡せば周りには、
それぞれのペルソナをつけた大人や子供たちがいる。
旅人は、それを彼らが生まれ持って備えた資質と勘違いする。
自分は彼らのようにうまくできない。
自分は、彼らのように下手ではない。
優劣
比較
まさに日々、大波だ。
でも、同じであってほしいという故郷の「無垢」のような感情もある。
旅人はここではじめて、違いと分離を感じ始める。
そして、その違いに対しての人生初の絶望と希望が生まれる。
兄と自分は違う
姉と自分は違う
友達と自分は違う
親と自分は違う
違っているけど
同じでもあってほしい・・・
その気持ちが孤独を生む。
だからこの時期は「孤児」なのだ。
実は、その違いが、
将来の自分を突き抜けさせる要素であったり
生業の成立に役立っているとはつゆともわからない。
またその違いが、
養育者である親や家族の成長にとってのギフトにもなっている。
ケース①
巷に見る複数の兄弟姉妹の性格がそれぞれ違うのは
それぞれが年長者とは違うペルソナを順次選んでいくからだ。
兄弟姉妹が下に行けば行くほど、ニッチで個性的なペルソナが好まれる。
3人兄弟の場合、長子は、親に認められるペルソナを、
2番目は、長子とは真反対のペルソナを、
そして3番目は、そのどれにも当てはまらない最も個性的なペルソナを選ぶ。
だから下の子は(私も下の子だが)、もっとも要領よくなるのだ。
ケース②
認めてもらうために
自分が身に付けたペルソナがうまく通用しない場合、
コントロールドラマが始まる。
➡#60 【風の時代の到来!】エネルギーバンパイアに気を付けろ!①
時に、犠牲者を装い
時に、被害者になりながら
認めてもらうために
自分が選んだペルソナにしがみつこうとする。
それがうまくいかなければ、
尋問者や脅迫者となって
「無垢」の時代のエネルギー不足を補おうとする。
この時期に多くのいじめが起きるのも
違っているけど
同じでもあってほしい・・・
そういった葛藤が生み出す一種の退行欲求だ。
しかし、この時期、
この不適合なペルソナと退行欲求に気が付くほど
旅慣れしていないのもこの時期だ。
問い
あなたはこの時期、
身に付けてしまった不適合なペルソナのために
犠牲者
傍観者
尋問者
傍観者
などの、
コントロールドラマを演じた経験はないだろうか。
そして、いまもそれを続けていないだろうか?
「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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