だから私たちは望む現実を創ることができる
最近、このことを知ってから
いままで、曖昧で、滞り、引っかかっていた思考の破片が
勢いよく流れていくのを感じています。
角田先生の本は確かに膨大な実験の結果ですので
私の認識の浅さや、ひょとすると読み間違いもあるやもしれません。
しかし、この流れの穏やかな勢いは、
わたしにそうそう見当違いになっていないことを
表してくれているように思えます。
1秒は偶然にも人間の標準的な心臓拍動の間隔に近い
『単位がわかると物理がわかる』 和田純夫、大上雅史、根本和昭より
何度でも言います・・・
時間は私たちがつかさどっているのです。
目の前の時計でも
セシウムでも
ましてや、灰色の男ではないのです。
※灰色の男
ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品『モモ』(Momo)の登場人物。ある日から、モモの街は、「時間貯蓄銀行」と称する人々から盗んだ時間によって生きる灰色の男たちによって人々の時間が盗まれてしまう。「時間貯蓄銀行」を名乗る灰色の男達は、「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と偽り、人々から時間を奪う。
ひょっとすると、月の欠損と同様に、
この重大な真実を隠すために
時計が生み出されたのかもしれません。
それが証拠に、歴史的に長年、為政者たちは
庶民には時計を作らすことも、持たせることを拒み続けました。
その時計が、昼夜問わず
私たちをコントロールし、
身体感覚を失わせ、
労働を強いるための道具だったからでしょう
大昔、おおよそ太陽の位置で感じていた時を
第二次世界大戦後、
天文学の発達とともに
より正確に計算できるようになりました。
それと同時に、時計そのものも進化していきました。
日時計
水時計
油時計
ゼンマイ時計
デジタル時計
電波時計
本来天文学と身体の領域だった時を
電波時計のように物理学(セシウム基準)に変えたあたりから
時が私たちの身体から離れました。
正確と言われるセシウム基準の時は
私たちの身体の時計とわずかながらのズレを持っているからです。
私たちが時を感じる自由を妨げているのが「時計」・・・
このずれているセシウム基準の時に
私たちの生活や身体を預けているのです。
一年の平均日数は、365.2425日(グレゴリオ暦)
このズレが、私たちをいのちから遠ざけている
正体なのではないか・・・
わたしにはそう思えるのです。
私たちの身体には、
ボンボン時計ぐらいがちょうどいいのかもしれません。
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