手作り鞄から見える世界
随分と前に、旅先で買った手作りの帆布鞄です。

私は基本、着るもの身に付けるものは「綿」が好きです。
この鞄は、自分が中学の時に使っていた指定鞄とよく似ているのですが、
確か1000円ほどで売っていたものを購入させていただきました。
布代だけでもこのぐらいしますよね。
手間をかけて作ったものをこうして安価でしか売れないのが
今の資本主義の弊害と限界です。
私の父の「テーラー」が斜陽を迎えた理由は、
技術が悪いわけではなく、
安い安易な背広が大量に輸入されたという
市場原理のためです。
資本主義だけで世の中が動くと
まず、文化・技術が壊れます。
小さな町の商店街が
シャッター街になるのも同じ原理です。
安いことは確かに消費者にとってありがたいことですが
長期的な視野と、文化・技術という視点では
片手間と言わざるを得ません・・・
伊勢神宮の遷宮もその技術の伝承という視点で
有意義なこととされていますが、
わたしにはどうしてもそうとは思えません。
壮大な、神社庁という合法的な
搾取型市場原理を隠れ蓑にしていることは
事実として見つめる必要があります。
だからこそ小さな神社が、合祀、合併の憂き目にあうのです。
本当に価値のある小さなものに
きちんとした潤いが届かないのは、
人間の手足・足先まで血流が届かない仕組みですから
いのち基準とは言えません。
今だけ、金だけ、自分だけ が
市場だけでなく、しれっと神仏を語る世界にまで
及んでいるのがいまの世の中です。
だから、山口県の四代正八幡宮の敷地を
宮司を差し置いてまで(死に至らしめて)原発会社に売却するという
狂気の沙汰が行われるのです。
➡原発と闘った宮司の死 ~原発は核燃料保管装置 + 神社本庁は用兵装置=核武装して戦争をする国
一つの鞄から見える闇の世界と資本論理・・・
戦後、高度経済成長から狂い始めた世界の異様さが
この鞄とその値段からうかがえるのです。
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