2020年、私思考の振り返り① 「塾の当たり前をやめた」
いままでは、シャープペンでメモをしていたが、
ふとあるもので書きたくなった・・・
若い頃、どこかで書きおぼえがあり、
今では巷でこれで書いている人を
めったに見なくなったあの筆記用具・・・

そう、万年筆だ・・・
久しぶりすぎるので、
まずはお手頃な上記の万年筆を使うことに・・・
描き心地は、滑らかなボールペンや筆とも全く違う・・・
先端の金属部分のペン先が
極小の柳のように撓(しな)ることによって
少量のインクが塩梅よくにじみ出て
文字が書ける・・・
ペン先と紙がこすれるわずかな音が
リズムを作り、脳と心から自然と言葉を紡がれる・・・
そうそう、このころインスタグラムで
一日一言を書いている・・・
万年筆を上げ、
1か月間、筆で描いたり、万年筆で書いたり・・・
なにやら、2020年1月末に始めた
YouTubeのウォーミングアップをしているようだ。
1月当初、読み始めた本がこちら・・・

私はこれを読みながら
「塾の当たり前をやめた」
と置き換えて読んでいた。

塾の当たり前・・・
①予習型で進む
②宿題を出す
③塾用のワークで進める
④入校テストをする
⑤定期的にチェックテストをする
⑥実力でクラス分けをする
⑦学年、実力に基づいたクラス分けで時間割を決める
12年前、私が今の塾をやるにあたって
会社員として塾人をやっていたころの慣習をすべてやめた。
①③は徐々にやめていったが
その他はきっぱりとやめた。
止めたらどうなるのか、正直ドキドキだったが
今ではこれらをやめることで
はっきりと見えてくるものがあった。
それは、
私のほんとうのお役目・・・
そして、子どもたちのほんとうの姿・・・
いのちに近づく思いだ・・・
多くの発達障害やグレーゾーンの子どもたちとも
出会わせていただいている。
わたしがこの世の生を受けて、
生かされている理由・・・
私の自営など、
吹けば飛んでしまうような超零細塾だが、
これらが感に入る喜びは、何とも清々しいものなのだ。
いまでは、本当にやめてよかったと思う。
もちろん、それじゃ「塾」じゃないでしょう・・・と
お叱りを受けるかもしれない・・・
でも「お叱り」というものは、
入校時の説明やご見学時に
当方の塾スタイルを隠し、
出来ないことをやるといった時や
偽った時に生じると思っている。
ご先方は、一般的な塾のイメージが
主流とお考えなのが当たり前なので
この巷の塾のイメージに添ってもらえなかった場合、
それは裏切りとなり、お叱りとなるのは当然である。
だからわたしは、塾ご見学時に、
当塾のスタンスを包み隠さず説明していることにしている。
そして、たまたまそこにいる生徒たちにも、
この塾のメリットとデメリットを紹介してもらうようにしている・・・
とはいっても、
子どもたちは正直なので
デメリットを感じていればやめているわけだから
なかなかデメリットは言ってくれないが(苦笑)
それでも、私の方から
念を押して、
「尻を叩きません」
「子どものペースで勉強します」
「気分が乗らずに休みたいときは、
連絡下さればいつでも振り替えます」
「基本、宿題は出しません」
「バリバリ予習型の進学塾ではありません」
やらないのもはやらないし、
しないことはしない、ので
そんな塾でもよろしければお越しください・・・と
申し上げる。
オープンに話し、
自由に選んでもらう・・・
お互いにそれが一番いいし、
私がなぜそうしているかもわかってもらえる・・・
これからの塾、特に私塾をしようとなさる方は、
ご自身のスタイルはご自身で決めて
自信をもって公表されるといいと思う。
今までの世間一般的な塾ののスタイルを
踏襲してもいいし、しなくてもいい。
昨日、土星がみずがめ座に入った。
いよいよ風の時代のファンファーレが鳴った。

木星もすぐに控えている・・・
これからは世間に自分を合わせなくていい。
自分自身が世間の一つになればいい。
たとえ 小さな小さな一つの世間でも
きっと光り輝く小さな太陽のように認められる時代が来る・・・
この年になって本当にじんわりとわかってきたことがある・・・
この世のありとあらゆる生業は、
いのちを育むこと以外、意味がないのではないか・・・
そう感じているのです・・・
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