令和buzz328・・・マスク狂奏曲
こんな記事が・・・

まさにその通り・・・
この冬以降、
子どもたちはもちろん成人にも、
このマスクの害がじわじわと本格的に現れ始めるだろう・・・
➡フエイスマスクは不潔:研究ではフェイスマスクが低酸素血の凝固を引き起こす
今やマスクをしないとタクシーにさえ
乗車拒否をされてしまうらしい・・・
虚構の世界・・・
私たちは、ウイルスなんかと闘っていない。
何となく流れているだけだ・・・
大統領選挙にしろ
日本の政治にしろ
この日常にしろ
本当のものを見つけにくいこの世の中・・・
戦時中、あれだけ虚構に踊り
戦後、あれだけ後悔した民族なのに、
また同じ轍を踏むのか・・・
せめて自分の感受性ぐらい
本物になれるよう守り抜かないと
大変なことになりそうである・・・
こういったことを考えるとき
いつも思い出す詩がある・・・
「自分の感受性ぐらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子
詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収
「現代詩文庫」思潮社にも収録
この詩に対して、
作者はこう談話を残している・・・
(茨木のり子さん談 より抜粋)
それに、一億玉砕で、
みんな死ね死ねという時でしたね。
それに対して、おかしい んじゃないか、
死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが
一番の忠義になるんじ ゃないかという疑問は
子供心にあったんです。
ただ、それを押し込めてたわけですよね。
こんなこと考えるのは非国民だからって 。
そうして戦争が終わって初めて、
あのときの疑問は正しかったんだなってわかった わけなんです。
だから、今になっても、
自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。
そうし たときに、自分の感受性から
まちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、
人からそう思わされてまちがえたんだったら、
取り返しのつかないいやな思いをする っていう、
戦争時代からの思いがあって。
だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」 なんですけどね。
一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。
この作者のように、
現代の子どもたちが、
一億総マスク
一億総消毒
一億総「新しい生活様式」
を疑問に思い、感性ではおかしいと感じ
それでも口に出せないとするならば・・・
何十年後のどこかで
「自分の感覚ぐらい」
なんて詩が湧きおこるのかもしれない・・・
私も・・・
私自身の感受性ぐらい
一生かけて育てていきたい・・・
守り抜きたいと思う・・・
子どもたちの感受性さえ育てられなくて
何が教育者だ!
叱咤激励
戦時中同調圧力と似た空気・・・
感性で軟したいものだ・・・
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