令和buzz275・・・努力いう名の闘いをやめる
皆さんはなんと思われますか?
努力は必要!
努力は大切!
努力は報われる!
そう思われるかもしれません。
では、闘いが身を滅ぼす・・・
これはイメージがわきやすいでしょう。
神秘家であり、教育者である
クリシュナムルティは、
努力と闘いは同じことだといっています。
ここには私たちに深い示唆を与える
哲学が含まれています。
闘いがいらないのはわかります。
でも、本当に努力はいらないのでしょうか・・・
わたしは、中学の時、確かに勉強が好きでした。
そして、努力もしたと思います。
しかしそれが、無駄であったとは思えません。
ソフトボールもかなり努力しました。
確かに肩を壊して、
続けることをやめざるを得ませんでしたが
それでもそのお陰で・・・がたくさんあります。
(肩を壊すほど努力をしたので、
身を滅ぼしたといってもいいかもしれませんが(笑))
努力には二種類あると思うのです。
喜びの努力・・・
闘いの努力・・・
クリシュナムルティは、
後者の努力から離れよと言っています。
それは、私たちを滅ぼす努力だからです。
さらにその努力は、かえって社会から評価を受けてしまい、
「もっと多くを」「もっと上を」とささやきます。
そこにはキリがないのです。
また、努力をしないでいい領域に達しようと
躍起になることも、喜びを失うことだといっています。
これも努力(闘い)に囚われているからです。
努力(闘い)から自由でいる領域は、
優越感や劣等感のない領域です。
➡劣等感、優越感の正体
何かであろう
何かになろう
自分の矛盾した欲望に橋を架けようと闘う行為・・・
それを努力(闘い)というのだと言います。
私はこのことを読んで、
「ああ、まるで月の欠損だな」と腑に落ちました。
今日の宙言はご要望通り
みなさんと月の欠損を深めたいと思います。
わたしたちのいのちに繋がる努力は、
きっと努力とは呼ばないのでしょう・・・
喜びなのでしょう・・・
一方、
挑んでも届かない欲望
挑まなくてもよい欲望
身を亡ぼす欲望
そういった欲望に
やみくもに努力することを闘いというのです。
学校でも会社でも、
まずこの月の欠損を
認めるところからはじめてはどうかと思うのです。
「ありのまま」と「あるべき」を埋めようとせず、
ただその子の事実を観察する・・・
欲するのではなく
ただ観察する・・・
この行為が、唯一
互いの心を安寧にする方法なのでしょう。
今日も学び、観察したいと思います。
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theme : ありのままの自分になるために。
genre : 心と身体
