令和buzz52・・・その価値はいのちを育むか?
世間様はある範囲で一定の価値観でした。
常識という価値観が大手を振っていました。
ところが、平成は、ある意味
その常識を疑う時代でした。
それはインターネットという
技術革新が大きく影響していると思います。
価値観の多様化と言ってもいいでしょう。
ある価値観が発信されると
その価値観を持たない別の世界の人間が
すぐさま反応し、賛成反対を述べる。
いいときには「いいね」が付き、ひどいときには炎上する。
そして、互いが匿名がゆえに
八つ当たりの餌食になったり、
徹底的に排除・制裁の対象になったり、
自分の価値観を押し付ける服従を強いたり、
自分の多様性は認めてほしくて、
承認欲求が蔓延したが、
人の多様性を攻撃した時代でもありました。
つまり、多様性が暴走し野放しになった時代でもありました。
そういう意味で、
昭和のTVと新聞、雑誌しかなかった時代では考えられないほど、
常識という砦が崩されたわけです。
そして、令和はどうなっていくのか・・・
それは、他者との共存が確保される多様化でないと
生き残れないのでは・・・と思っています。
また、そういった多様化しか残らない気がします。
平成で育ってしまった
公然と他者を排除したり、
序列や服従をさせる多様化は
もう無理なのだろうということです。
しかも、その心のアップデートが
個人としてもとても重要だということです。
先日来、立て続けに質が同じ出来事に出くわしました。
それは、ざっというと
お金を稼いでいる人が一番偉いという価値観の家族に
2日連続で出会ったのでした。
例えば、お金を稼ぐお父さんが一番で、
次にパートに行っているお母さん、
そして最後が子供たち・・・
具体的に、扱いも変わるのです。
稼ぐお父さんは、稼いでいて偉いから
自分が食べたお茶碗をシンクに運ばなくてよくて、
子どもはまだ稼いでいないのでもっていかねばならない・・・
そんな感じです。
じゃあ、お父さんがリストラされたら
行動は逆転するのだろうか???
確かにお金は大切です。
でも、お金によって
序列が付くのは実に滑稽ですし、
滑稽だけでなく、その子供にとっては
今後、友達でも、会社でも、恋人同士でも
その序列が当たり前となってしまいます。
お金を介した主従関係で育った子供は
お金を出す会社が偉くて、もらう自分が下という
時にゆがんだ心根を持つようになります。
結果、お金、会社、自分という配置となり
ブラックに勤めてもやめられない・・・
逆に、ノルマをこなせない社員はダメ社員になります。
時に、そういった事態にもなります。
そもそもの話ですが、
子どもからすれば
働けるわけでもないわけですから
この序列が変わることはありません。
はじめからとてもアンフェアーな序列なわけです。
つまり、したいと思ってもできないできない「お金を稼ぐ」という基準で
上下をつけるのはとても卑怯なことです。
お金をもらおうがもらわまいが
これは、親切だからやろうとか
これは、お金をもらったってしない!という「凜」という心が
育ちようがありません。
うちの父はよく言っていました。
「お金を余分に出したって一緒に食事をしたい人がいるし
お金を出してもらったって行きたくない相手がいる・・・」
うちの家庭は決して裕福ではありませんでしたが、
「あなたはお金を稼いでいないのだから言うことを聞きなさい」とは
ただの一言も言われたことがありません。
この二日の出来事で
お金の多少で人の価値や上下が変わるような言動を
今でもされているご家庭があるかと思うと
実に、古く陳腐で、有害でさえ感じました。
つくづく、
価値観というのは多様でよいのだけれども
実に恐ろしいなと思いました。
なぜなら、そのご家庭の親子関係が
どちらもぎくしゃくしているからです。
序列をきちっと作っているにもかかわらず
上手くいっていないのです。
お金を介した主従関係は間違いなく
人と人との共存を阻害する価値で、
いますぐ捨て去るすべき、
もしくはアップデートだと思いました。
もともと、勤労と収入は、
序列と主従を強制するダシに使われるのではなくで
感謝によって、返し返されるものではなかっただろうか・・・
ただでさえ、世知辛い世の中だから
せめて家族ぐらい温かい共存の価値観でいてほしいものだ。
そういう意味で、令和の価値観は、
いのちを育むか?
そうでないか?
私はこの一本で十分ではないかと思います。
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