樹下石上205・・・私物国家
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➡山本太郎“消費税ゼロ”でも税収増加の秘策は? 田原総一朗に明かす
田原さんも最近は、
生の動画を見ると大丈夫かなと思っていましたが
編集された記事ならなかなかいいです。
ただ、いまだにギリシャを例に挙げて
国が破綻する的なお話を振って見えるのは
ジャーナリストとしていかがなものかと思うが・・・
すでに85歳と、45歳の対談・・・
私が先日TRYした75歳の方も
➡TVとSNSの逆転
この記事を読んだら少しは認識を変えてくださるだろうか・・・
ほぼ同じ年の広瀬隆さん(76歳)・・・
気になった本があったので取り寄せてみた。
「私物国家」
私が、先の会社に勤めた2年目に書かれた古い本だ。
しかしちっとも古くない・・・
今もこの本の内容のまま
政界・財界・金融界が動いているからだ。
例の桜問題で、
安倍首相の国や税の「私物化」という言葉が
やたらと言われているが
実は、私たちを動かしてきた政界の政治家、官僚や
金融業界の銀行、証券会社、また
石油、土建、電力業界など主な産業分野がみな※閨閥だったということを
明らかにしている本だ・・・
※閨閥(けいばつ)とは、
外戚(妻方の親類)を中心に形成された血縁や婚姻に基づく親族関係、
又はそれから成す勢力、共同体、仲間などを指す。
婚姻は政略結婚も含み、政界、財界、官界さらには
王室、貴族に属す一族が自身や血族の影響力の保持および増大を目的に、
婚姻関係を用いて構築したネットワークを門閥(もんばつ)と呼ぶこともある。
➡※日本の閨閥
摂関政治を筆頭に、古来から皇室を中心にした政略結婚が広く行われている。
武家政権が成立してからは、武家同士、あるいは武家と公家との間に政略結婚は広く行われた。前者の場合、勢力の保持、増大が目的であり、後者では勢力の補完に主眼がおかれているといえる。江戸時代には武家と公家との間の婚姻が将軍家、有力大名家と天皇家、宮家、五摂家などの有力公家との間にさかんに行われ、それぞれの影響力の補完が行われた。
明治時代に入ると、華族制度が成立した。華族には公家華族、大名華族、勲功華族などあり、それぞれが格式や実力などに強み弱みがあったため、それぞれを補完するための通婚が行われた。華族は皇室の藩屏なので当然、天皇家、宮家を巻き込んだものとなった。また富国強兵、殖産興業の結果現れた資本家や高級官僚も、格式や政治力を得るために華族との通婚を望み、経済的、政策的な支援が期待できることから華族も資本家や高級官僚との婚姻による関係強化を望んだ
第二次世界大戦後、華族制度こそ廃止されたが、政・財・官の分野で有力な一族の間での通婚は、戦後も盛んに行われ、各々の影響力を保持・強化に努めるようになった。政治の分野では国会議員の世襲が常態化したため、政界の主導による財界、官界、さらには皇室との間の通婚で複雑な血縁関係が形成されるようになった。特に大蔵省では、「高輪会」と呼ばれる、若手官僚と政財官界の要人の令嬢との見合いパーティーが定期的に開催されていたという。省庁内部での閨閥形成もしばしば見られ、高級官僚が自省庁の若手有望株のキャリアに娘を嫁がせ、自身の影響力拡大を図る例がある。
近年では政界・財界・官界のみならず学界や芸能界の有力一族も閨閥を形成しており、学界・芸能界の一族と政界・財界・官界・旧皇族・旧華族と姻戚関係を結ぶケースもみられる。
やはり私たち庶民は
一度も主権を握ったことなどないのだ。
➡彼らはずっと権力を握ってきた
広瀬隆さんがすごいのは、
戦後70年代から90年にかけて起きている不正事件を
しらみつぶしに検証して作り上げた閨閥の系図を書いているところだ。


全図に至っては、

こんな感じのページが16ページにもわたっている。
綿密に調べられた本内の系図を見ると
本当に気持ちが悪くなるほどだ。
最近も、桜問題がらみで、中曽根元首相と安倍晋太郎が
ジャパンライフとのつながりを追及される古いビデオが流れていたが
あれなどはまさに氷山の一角なのだ。
政・経には、どこにもきれいな水など流れていないことがわかる。
市民からの寄付でしか政治活動をしていない
山本太朗さんがいかにすごいかわかる。
これだけお金にきれいな政治家はいないということだ。
広瀬隆さんがあとがきでいう・・・
「(ジャーナリズムの)軟弱さは、
人間の哲学に対する重大な問題を含んでいる。
このように怒りに感情を抑制することは、
現在のような社会悪の氾濫の中で、決して美徳ではない。
日本の政界には悪がはびこっている。
(中略)こうした大人が引きずる社会であれば、
子供たちがどうなるかは、
ほぼわれわれが予感する日程通りにに進むだろう。
文化人というものは、迷いを捨て、
感情を社会に伝達することが天職でなければならない。
日本を改革できるのは、政治家でも官僚でもなく、
マスメディアがまだ充分に発揮していない能力だと信じるからである。
すべてのジャーナリストに、義憤と情熱を忘れてほしくない。
私はまだこの国に希望を捨てたくない。」
1997年十月 広瀬隆
20年以上も前に書かれたこの本。
いまだにそのままの日本・・・
それでも、私もまだこの国に希望を捨てたくない。
