憧れの東北
みちのく・・・道の奥だからだ。
古代「道」は、「国」と同義。
それはよい意味で、現代にとって外国だからだ。
遺跡も古墳も多く残る東北・・・
それだけ豊かな資源、人々のまとまりがあったのだろう・・・
歴史的に、東北(蝦夷)が
はじめてマイペースを乱されてざわつくのは
ヤマト政権がつくられてから・・・
阿倍 比羅夫(あべ の ひらふ)を筆頭に
つづいて坂上田村麻呂の遠征と
前九年の役、後三年の役であろう・・・
というか、それよりも前もいろいろとあったが、
書物として記載が少ないため
なかなかわかりにくい。
この三つでさえも
砦がどこにあったのか
戦いがどこであったのか
諸説あるものもある・・・
ちなみに、「・・・の戦い」と「・・・の役」のちがいは
前者が、日本での戦い、後者が外国との戦い・・・
ということは、前九年の役、後三年の役の時代、
飛鳥奈良~京都の中央の政府が、
東北(蝦夷)を外国とみなしていたことになる。
江戸まで、あの広い東北を
ざっくりと出羽国、陸奥国としているところも
いかに中央集権から離れたところだったかがうかがえる。
また、この二つは、海の国、陸の国と分けられる。
それは、出羽国の国府が庄内平野の酒田、
陸奥国の国府が仙台平野の多賀城に置かれたことでもわかる。
ちなみに、この酒田と仙台の多賀城と山形の南は
中央軍が常に前線の砦を築き、攻防と懐柔を迫られた土地でもある。

今回、八戸の海に行かせていただいてわかったのが、
夏でも荒々しい海、霧に煙る沿岸部、冷たい風(やませ)が吹く陸奥国・・・
海流と風が動力だった古代人にとっては、
それが味方の時と そうでないときがあるわけなので
海の交通も大切だが、仙台からの陸を通っての交通も栄えていたのだろうな・・・

北前船という大海路があったのは日本海・・・
わたしたちは、日本海が荒い、太平洋は穏やか・・・
と単純に思いやすいが、実はそうでないことが今回の旅で身に染みた。
東北の沿岸部は長く、それぞれ特徴が違う。


左:秋田の海 右:八戸の海
今回、知識としての東北でなく、見聞としての東北は、
遠く古代から近代の歴史に思いをはせる貴重な経験として
まるで北前船のように、存分に味合わせていただいた。
わたしにとっては、憧れの外国「東北」なのである。

