旅の終わりは「千と千尋の神隠し」
➡千と千尋の神隠し:名ぜりふ1位は?
「千と千尋の神隠し」が先週の金曜日に
TVでやっていたからだろう。
わたしこれを旅の最終日の夜、
金沢で偶然見ていた。
ジブリ映画の中で、わたしが一番好きな映画かもしれない。
奥が深いからだ。
私の好きな名台詞は入っているのかなと
記事を読んだが残念なことに全く入っていなかった(笑)
「魔法で作ったんじゃ何にもならないからねぇ。」
このセリフが一番好きだ。
映画の中では、銭婆の登場シーン・・・
お守りの髪留めを
糸を紡ぐところから始めているシーンだ。
この世には魔法でかなえたいことが多いけれど
そういうものに限って魔法を使ってはいけないものが多い。
「おまえを助けてあげたいけど、
あたしにはどうすることも出来ないよ。
この世界の決まりだからね。」
そういって、銭婆は糸紡ぎを坊ネズミたちに手伝わせる。
この話で一貫していること・・・
それは自分の手足を使って事をなすこと・・・
その大切さを宮崎駿は説きたかったのではないか・・・
これは、ブラック労働がはびこる大企業の労働とは真反対にある。
偽の大量消費を促すための、大量生産ではなく
自分のなりわいを
自分の心を
自分の手足で育てること・・・
そういうことだ。
労働と心はセットなのだ。
人の痛みがわかるこころ・・・
思わず感謝で手を合わせるこころ・・・
誰かの役に立とうとささやかに動こうとするこころ・・・
その根底には、「労働」がある。
農業を芸術に高めようと呼びかけた賢治は
きっとそういうことを言いたかったのだと思う。

お店に何度も同じ相談で足を運ぶ人たちに足りないものがあるとすれば、
きっと、すぐに魔法に頼ろうとする安易なこころを捨てることだろうか…
「自分でやる」
「自分で決める」
「人のせいにしない」
ただそれだけで人生は好転する。
「おまえを助けてあげたいけど、
あたしにはどうすることも出来ないよ。
この世界の決まりだからね。」
あなたや私の神様はきっとそう言っておられる。
でもそれは冷たい突き放しではない。
むしろその逆で、あなたが生きてゆけると確信があるからだと思う。
「神様は、その人が乗り越えられない試練は与えない」
わたしたちは、自分の手足を使って
ただ、生きていさえすればいいと思う。
「芸術としての人生は老年期中に完成する」 宮沢賢治
中年から老年にかかる橋・・・
その袂まで来たわたし・・・
その時代に東北に行けたのは本当にありがたい。
東北の香りを連れてきた金沢の宿で
自分の人生、どこまで労働で育て、芸術にできるか・・・
そう思いながら「千と千尋」を見ていました。

