令和誕生③・・・散歩、ときどき赤ちょうちん
自宅から津駅前の蕎麦屋さんまで歩いて行って
そこで「一杯」・・・というコースを楽しんだ。

なんせそこは14:00~17:00は
アルコールが半額なので(笑)
お財布に優しい赤ちょうちんだ。
今年は歩け歩け元年を意識しているからか
中々順調に経験を積んでいる。
先日も名古屋駅から大須観音まで歩いた。
何十年かぶりに歩く名古屋の街は、
かわらず消費的刺激と緑が多い街だった。
幼いころの買い物は、岐阜に近かったせいもあって
そちらを利用したが、名古屋の街は本当に久しぶりに歩いた。
田舎だろうが都会だろうが、
歩いていないと気がつかない小さな路地が必ずある。
その路地には確実に人の営みがひっそりと守られていて
その気配を垣間見るのがわたしは好きだ。
田舎と都会を比べて云々という人もいるが
そんなことは全くのナンセンス・・・
どこにだって いのちの営みはある。
そう、いつでもどこでも住めば都なのだ。
さて、一日一万歩がいいとよく言われるが
その是非はよくわからない。
私自身の体調に合わせて・・・と
こだわらないことにしているが
それでも一万歩を超えると何やら達成感があるから不思議だ。
一時間ほど歩いて蕎麦屋に到着・・・
16:45頃ついて無事半額に間に合った(笑)
一万歩は行かなかったが
5月の風薫は本当に気持ちよかった。
ご褒美に、もちろんビールをいただく・・・
車、バイク、自転車、徒歩・・・
使う交通手段によって、見る風景は違う。
目線、目の動線が違うのだ。
特に、車と徒歩は雲泥の違いである。
最近の子どもは、目が動かなくなったと先日の講習会で聴いた。
スマホやゲーム機の一点だけを見つめることが多いからだ。
目の動きが貧困になると、気づく力が衰える・・・
距離だけ見れば、松尾芭蕉の時代より、
現代の人は何百倍も移動しているという。
なのに芭蕉のような句や文が書けないのが現代人・・・
それは気づく力が退化しているからといえるかもしれない。
うまれた時から、車があって、スマホがあって、ゲーム機があって・・・
スマホでさえも、現在11歳以上はすべて生まれた時からあるらしい。
これからどんどん低年齢化して、必ず0歳となる。
幼稚園や保育園・小学校で歩きの遠足をよく見るが、
行列を作って、目的地へとわき目もふらず歩いていく姿は実にもったいない。
安全のことを考えてだろうが、
道草をして目を動かすこと・・・
それも大事なような気がする。
歩いているとなるほどと思うことがある。
それは、人が物事をとらえるのは
大いにスピードに影響しているということだ。
話すスピード
間の取り方
動作の緩急
目線の動かし方
そういったもので人の印象が変わってしまうのは
からだが好むスピードというものが人によって違うからなんだろうなー
スピードを得たわれわれは、何を得て何を失ったのか・・・
そんなことを考えながら帰りは、電車と歩き・・・
・・・ほろ酔いで帰途についたのでした・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
