一年間書いてみました。
ぐるっとめぐって、穀雨に戻ってきた。
穀雨とは・・・
春季の最後の節気。
春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、雨で潤った田畑は種まきの好期を迎えます。この時季に、特に雨が多いというわけではありませんが、穀雨以降、降雨量が多くなり始めます。
「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉があるように、南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節です。
変わりやすい春の天気もこの頃から安定し、日差しも強まってきます。
昔から、この日を田植えの準備をする目安にしているようです。
穀雨が終わる頃に八十八夜を迎えます。
一年間毎日「二十四節気への手紙」としてブログを書き続けた・・・
特に節気と関係のない記事が多かったので恐縮だ(笑)
達成!!と思いきや、意外に冷静だ。
というのも、この記事のタイトルを「春、穀雨のころ・・・」と書きかけて
ふと手を止めた・・・
ああ、一年経ってる・・・
一年たったことを忘れ、
いつものように始めてしまったのだ(笑)
一年間連続でブログを書き続けたのは、
もちろん生まれてはじめて・・・
紙の日記はとんと続かないのにブログだと書ける・・・
それはやはり見ていただく方がいる・・・
いいね!も拍手も励みになる・・・
そういうことだと思う。
ただ、それだけでない何かを感じているが、
いまはうまく言えない。
ブログを書くようになって、
気がついたことがある。
それは、「ブログ」が会話と論文のはざま的な存在だということ・・・
論文ほど固くないが、それなりに裏をとったり筋を考える・・・
でも、あとから付け足したり訂正できる・・・
会話は、「人の噂も七十五日」で毒舌や直球を投げれるが、
ブログは、一旦冷まして冷静に書く・・・
以前、「青いインクで赤い感情を書く」を書いたが、
感情を書きなぐるのは私の性には合わない。
文はきっと「人をあらわす」と同時に
人を育てる・・・
乱暴な言葉を書けば、
乱暴な人間になり、
丁寧に書けば丁寧な人生になる。
いまもそう思う。
昨日、ふと石牟礼道子さんの随筆を読み返していた。
この方の文は本当に美しい。
ありありと水俣の、不知火の風景が目に浮かぶ・・・
体験したことがない人間に
体験を見せるのが随筆の醍醐味・・・
しかし、そんな陳腐な言葉も通用しないほどの
彼女の筆力はもうこの世の人とは思えない霊力さえ感じる。
私がこの一年、文によってどんな風に育ったのかは
自分ではなかなかわからないので
その判断は皆さんにお任せする。
ただ、一日一日をきちんと振り替えって
きれいに折り畳んで引き出しにいれるように、
日常のささやかな感情を
丁寧に見るようになったのは間違いない。
冬に3日間高熱を出して書くことがしんどかった以外
特にスランプもなく書けたのは、
きっと、書き手としてまだまだ大したことがないという証だろう。
さっそく、次のシリーズに行こうと思う。
ちょうど令和元年初日も近いし、
それに合わせてスタートしたいが、
それまでの10日ほどは
単発で平成を振り返っていこうかな・・・
そう思っています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
