冬、大雪のころ⑩・・・人は誰でも発達障害
「わたしが見えているものが、彼らには見えていず
彼らが見えているものはわたしが見えていない・・・
わたしが聞こえているものが、彼らには聞こえていず
彼らが聞こえているものはわたしが聞こえていない・・・」
これはなにも、発達障害の場合に限らない・・・
親子関係・・・
夫婦関係・・・
友人関係・・・
会社の上司と部下・・・
先生と生徒・・・
人間関係のあらゆる場面で起きうることだ。
つまり私たちはいつもどこか「発達障害」なのだ。
わかってもらえない・・・
だから、わだかまり・・・
決して、笑えない・・・
こういった3Wの世界は油断をすれば
すぐに自分の隣にやってくる。
受験期真っただ中の先生と生徒にも
よくこの3Wは発生する。
その生徒は、書道8段の腕前だ。
すごい!なかなかできるものではない・・・
それを内申の資格欄に書こうと先生に報告すると
「8段は8段でも大した8段でないときもあるから、
何でも書けると思うなよ・・・」と一方的に言い放たれた。
いつも騒がしく、書道という感じの生徒だから
きっと先生は、またいい加減なことを言っているなと思ったのかもしれない・・・
しかし、人には案外、「意外な事実」があるのを忘れてはいけない。
小学3.4年から中学3年まで
塾やクラブ・部活がしんどくても通い続けた書道を
バカにされたと思った生徒は反論する・・・
すると先生は、またまた悪しき決め台詞を言う・・・
「お前、やかましいなぁー、もう前期の推薦を通してやらんぞ!」
こういう恫喝・恐喝を言う先生の存在を
皆さんはあまり信じられないと思うでしょうが
残念なことに事実だ。
しかも、わりとベテランの先生に多い。
実はこういう脅しを受けた生徒を私は何人か知っている・・・
しかも、数人ではない・・・
ほぼ毎年、生徒から一人は聞くから
おそらく、ちょっとやんちゃで言ううことを聞かない生徒への
先生たちの常套文句かと思う。
「すごいやんか!」とか
「8段て、何年やってきたんや、すごいな」が
なぜ、いの一番に出ないのであろう・・・
生徒にしてみれば
わかってもらえない・・・
だから、わだかまりができ・・・
最後の脅しは、まったく笑えない・・・
なぜ、資格の効力以前に、その生徒が積み上げてきた時間のすごさや
それを認めてほしいと願う人の心を理解しようとしないのか・・・
内申に書ける資格なのかどうか云々は
一度賞状(認定証)を確認してからでも遅くないではないか・・・
「すごいな!何年やってきたん?
たぶん内申に書けると思うから一度賞状(認定証)を持ってきてくれる?
書道教室の資格もいろいろあるから先生も確認するわ・・・」
こういう言い方だってできたはずだ。
言葉一つで、受け止め方は全く違ってくる・・・
内申にとって価値がある云々の前に
まずは、その生徒のこれまでの人生での頑張りを
認めたり誉めたりするのが教育だ。
これは、生徒が価値あると思っていることを
先生(内申)には価値はないと言い放つ無神経さが生み出すわだかまりである。
その生徒は言う・・・
「どうせあの先生は、内申さえ出せば
私がへこへこすると思ってるんやに・・・
意地でももてったるわ(笑)」
完全にこころを読まれている・・・(笑)
毎年この時期になると、全国でこの内申絡みの悲惨な事件が起きる。
ひどい時は、生徒を自殺にまで追い込むことがある。
前述の先生は言ったらしい・・・
「先生も疲れているんや・・・」
それはわかる・・・
今の先生たちの多忙さを解決しない限り
この学校現場でのほとんどの問題は決して解決しないだろう・・・
それでもである・・・
やはり、客観的に理解しようと歩み寄るのは、
大人である先生側であるべきなのではないだろうか・・・
私ももちろんそうだが、
「先生」と呼ばれる職種は、自覚の有無にかかわらず
どう少なく見積もっても、相手からすれば「権力者」にすぎない。
その自責の念を常において、
下りている、下りていく「謙(へりくだ)りのこころ」を常に持たねばならない。
はてさて・・・
結局、この生徒の書道8段は、文科省認定で
履歴としてちゃんと書ける8段だった。
ああ・・・
その先生は、今からでも遅くない・・・
自分の早合点と暴言をきちんと詫びたほうがいい・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
