冬、大雪のころ⑧・・・いまも生きる狩猟民族
ADHD≒狩猟民族(ハンター)説が載っていました。
どういうことでしょうか・・・
まずADHDは、
ドラえもんののび太やジャイアンに代表される特徴があります・・・
のび太は、気持ちがあちこち行き、不注意からよく叱られたり(多動性)
ジャイアンは、欲しいと思ったものは人のものでも取ってしまう・・・(衝動性)
ADHDの特徴は十人十色ですし、まとめる必要もありませんが
あえて一言で言えば「多動性」と「衝動性」なのです。
≪多動性≫
落ち着きがなく、体をもじもじする
椅子にじっと座っていることができない
余計に走り回ったり、落ち着かない感じになってしまう
静かに何かをして過ごすことが苦手である
じっとしていられない
しゃべりすぎる
≪衝動性≫
質問が終わる前に話し始めてしまう
順番を待つことができない
他人を妨害し、邪魔をする
実は、そんな特徴があるADHDは
もともと狩猟時代に名ハンターが持っていた特徴だというのです。
「なぜADHDのある人が成功するのか」という本を書いた
トム・ハートマンの説です。
筆者によると、狩猟のベテランは次のような特徴があり、
それは、ADHDの特徴が、よい環境で発揮された時と似ているという説です。
( )は、いま言われているADHDの特徴です。
・草原・森・密林で狩りを成功させるには、すぐに注意を散らし、絶えず周りに目を張らなくてはならない。(注意散漫)
・同時に多くの作業をこなし、複数の獲物を追いかけられなくてはならない。(多動性)
・危険を冒すことを恐れてはならない。狩猟社会に危険は必須である。(衝動性)
・ある動物を追いかけはじめてから別のチャンスに巡りあったら、すぐさま(衝動的に)コースを変更して新しい獲物を追うよう決断できなくてはならない。(多動性&衝動性)
こういう特徴を持った子供が
机にじっと座っていることはもちろん無理で
ひたすら漢字を書いたり
興味もなく、面白くもない話をじっと聞かされたりするのは
とても無理だということがよくわかります。
ちなみに、同じことを何度も繰り返すことができたり
同じところにじっとしていられたり
変化や刺激を好まず、かえっていやがるのは、
農耕民族の名残らしいです。
そして、どちらに優劣があるわけではありません。
私の場合、ADHDに近いグレーゾーンの子に出会うことが多いのですが
とにかくその子が見えている世界をよく観察したり
本人に確認したりします。
わたしたちには当たり前に見えるこの世界が彼らには
まるでネオン街のようにチカチカと見えていたり
止まっているはずの教室の置物や張り紙が動いているように見えたり
普通のボリュームで話す人の声が
とても暴力的に聞こえていたり・・・
そういった意味で、注意が散漫になっているときもあるからです。
私もまだまだ手探りですが
「できない」=「ダメ」
「落ち着きがない」「集中できない」=「いけない」ではなく、
何が妨げになってできないのかを知る努力をすることにしています。
たとえば、一枚のプリントをじっと見つめているだけで
やたらと消しゴムの粉を集めてみたり
紙をシュッシュッとなぞる作業に没頭し始めるときには
タイムキーパーのように10分でここまで
5分でここまでと区切ってその都度声を掛けます。
できればその声は、励ましや誉め言葉であるようにします。
(これがなかなか難しいのですが・・・)
また、漢字を正確に写せない子には
できるだけ大きな字でゆっくりと書いているのを見てもらいます。
余談ですが、そういう意味でも昔の習字・手習いの文化は素晴らしいと思います。
鉛筆やペンがまるで生き物のように足跡をつけていくイメージで
感情移入をしやすいように一画一画、擬態語・擬音語を混ぜながら書いていきます。
「テン」「テン」・・・「下からはねて」は 「さんずい辺」
「よこ たて よこ、まがって よこ よこ よこ」・・・
「上からズバッとつきぬけて・・」は 「車」
本人が書くときは横にいて、
物語のようにその声をかけ続けていきます。
最後の方は、少しずつ手放していきます。
書きやすい字と書きにくい字というのは
見えているパーツと見えていないパーツがあるということです。
わたしが見えているものが、彼らには見えていず
彼らが見えているものはわたしが見えていない・・・
わたしが聞こえているものが、彼らには聞こえていず
彼らが聞こえているものはわたしが聞こえていない・・・
これが大原則です。
その特徴も手探りで探すしかありません。
私の場合、普通にできてしまうこと、
そうでない子がワンフロア―に混じっていますので
私自身の観察と工夫がうまくいくときとそうでないときがあります。
要は、ADHDの問題は、ADHDが問題なのではなく
教える側の観察力と対応不足が問題ということです。
これからの塾や学校は
私も含めて指導者側の問題であること肝に銘じないといけません。
個人が社会のためにあるのではなく
社会が個人のためにあるのと同じように・・・
わたしたち周りの大人が価値観を変え
指導法や環境を工夫していかなければいけないということです。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
