秋、霜降のころ⑦・・・桜
父が怒るとそれはもう家じゅうが凍る思いだった。
そんな父が、はじめて入院したのは
わたしが中2の終わり・・・
桜真っ盛りの春だった・・・
カブに乗っていた父が
軽トラックと接触し転倒・・・
頭を強打したのだった。
その病院は木曽川沿いの桜並木が豪快な通りに面していた。
わたしは自転車で父を見舞いに行った。
たまたま母が用事で病室をあけていた。
点滴と管でつながれた弱々しい父に
わたしは戸惑った。
それは、これまでのどんな父とも違った。
優しい声もかけることもできず
そばの丸椅子にちいさく座っていると、
父が何かもごもごと言い出す。
頭を打ち、顔にまひが残っていたため
口がうまく回らない。
うまく聞き取れなかったわたしに父はいらだったのか
突然、バリバリと点滴の管を引き抜き
のっそりと体を起こし、歩き始めたのだった・・・
どうやらトイレのようだ・・・
わたしはなすすべもなく、しばらく呆然としてしまったが
気持ちを返して看護婦さん(当時の呼び名)のところへ走った・・・
事情を説明しようとすると
のっしりよろよろと歩く父の姿が視界に入ってきた・・・
麻痺が残る手足でまともに歩けないのだが、
それでも一人の人間の尊厳を必死に示そうと
いらだちを見せながらも歩こうとする父・・・
「神辺さ~ん!だめですよ~」
小走りに静止に行く看護婦さんと
廊下の壁伝いで必死の形相の父・・・
その時の父の姿があまりにも哀しくて泣きたくて
今でも鮮明に覚えている・・・
やっとのことで病室に連れ戻され
事は収まり、母も戻ってきた。
事情を説明しようとしたが
わたしは涙を隠すのに必死だった。

帰りの自転車・・・
桜は満開の終わりを告げるように
はらはらと花びらを風に舞わせていた。
わたしは、これまで生きてきて
あんなに哀しい桜を味わったことがない。
自転車のペダルをこぎながら
中学を出て働こうかなと真剣に思ったものだ。
父と子
母と子
親子というのは、
いつか必ずいのちの重心が申し送られる日が来る。
わたしの場合、木曽川沿いのあの桜とともにやってきた。
あの日から、桜が特別な存在になった。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
