夏、小暑のころ③・・・選択肢が多いと幸せか?
↓
「選択肢が広がること」
↓
「それが幸せにつながること」
この3つは本当につながるのでしょうか?
わたしはそう単純ではないと思います。
なぜか?
わたしたちの人生は
選択肢を増やす旅ではなく
むしろ絞っていく旅であるからです。
わたしにはそう思えます。
たとえば、仮に
人より上位の高校に行って
100通りの選択肢が生まれたとします。
次にさらに上位の大学に行って
100通りの選択肢が生まれたとします。
100通り×100通りですから
その人は10000通りの人生から選べることになります。
しかし、私たちは、その10000通りの人生を
すべて味わうわけにはいきません。
むしろ混乱するかもしれません。
一方、そうでなかった人は
仮に5通り10通りしか選べなかったとします。
ひょっとしたら1通りかもしれません。
しかし、一見少なそうに見える選択肢の中に
自分の存在を輝かせる選択肢が
ひとつでもあればそれでいいのではないでしょうか・・・
自分が輝く選択肢を見つけるのは
数が多いからできるわけではありません。
自分が何なのか?を知ってさえすれば
迷子にならず、満足の多い人生になっていきます。
大人になっても、
必要のない資格や認定証にこだわる大人がいます。
そういう人には、幼いころ大人に言われ続けた
上位学校へのコンプレックスと
人生の選択肢を広げようとする必死さがあるからかもしれません。
選択肢の幅が、自分の幸せや
自己存在の価値を広げると勘違いしている場合が多いです。
自分の考える葦をしっかり根づかせ
茎から幹に、太くしっかりと育て、
自分とは何か?
自分の存在は何に関われば輝くのか
そう知っている人は、焦ることもなく、
日々満足を積み重ねながら
自分の幹を太くしていきます。
その日その日の満足感、
感謝が人を強くしていくのです。
「あれもできる」「これもできる」を探す旅は
皮肉なことに「できない」ことにフォーカスしていきます。
そして余計に不安不満が積もります。
逆に、絞って捨てていく旅は、
満足、感謝の旅になります。
自分ができることと自分の全存在の整合性が
積み重ねられるからです。
絞ることは、限界ではなく
かえって可能性を広げるのです。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、
その道も広々としていて、そこから入る者が多い。
しかし、命に通じる門はなんと狭く、
その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」
新約聖書の言葉です。
この「狭き門」を、倍率の高い、競争率の高い
上位学校とととらえる とんちんかんな解説が
ネットにあるのは驚きです。
通説では、困難な道を選べという意味ですが
わたしには、この言葉は、
余分なものは捨てていけと
言っているように思えるのです。
つづく・・・
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体

わんからさん!
樹木を見ればちょうど枝葉が伸びる時期・・・
それを過ぎれば、必然的に選択肢を厳選していくのが人生・・・
手を出せば出すほど不安になる人は
無駄な選択肢が多いのでは・・・とも思います。
わんからさんはすでに達人!日々見習っています。