夏、夏至のころ⑩・・・本質が流れていく社会
「二十四節気への手紙」を書く。
PCを開けるとすぐに飛び込んでくるのが
「マイニュース」と呼ばれるページ。
芸能
スポーツ
政治
健康
経済
金融
・・・
国内外を問わない、ありとあらゆるニュースサイトだ。
もちろん画面のカスタマイズもできるが
PCで検索をかけようと思えば
大なり小なり、その情報・広告のシャワーからは逃れられない。
ほとんどのものが、
わたしにとってはさほど重要には思えずスルーするが、
たまたま興味があるものひとつでも開こうものなら
湯水のような2次情報・広告が
立体的に押し寄せる。
あるものを調べようとサイトに入ると
四方八方で情報がリンクされている。
1ページ…2ページと探っていくうちに深みにはまり、
一体何を掘り下げたかったのか(本質)わけがわからなくなる。
本質の迷子・・・
よくある話だが、
貴重な24時間の目減りがこうして始まる。
そして、日々どうでもいい情報の波に翻弄されながら
徐々に、大切な本質から目を背けさせられていく。
本質とは何か・・・
朝、窓を開け
風を感じ・・・
においを感じ・・・
小鳥の鳴き声
雲の貌(かお)
遠くで聞こえる車がアスファルトを滑らす音
犬を散歩させる人々の挨拶の声
駐車場の木の葉を揺らす風のゆくえ
・・・
そうやってできるだけ遠くへ自分を伸ばし
一人称の感覚を通してやってくる
生きている証を受け取ること・・・
それが本質・・・
「興味ない!」
いまの子どもたちが何気なくよく口にする言葉・・・
一方、わたしたち昭和人は
「あんまり興味ないな~」・・・
「あんまり・・・~」というぼかしを使いながら
相手との距離の微妙さを表現した。
いまの子どもたちは
「興味ない」という太いマジックで
自分と他者の仕切りをはっきりと付ける。
一見冷たそうに思えるが、
これは、この情報・広告過多の中
彼らが自分を保つために必要な
防衛本能の言葉なのかもしれない。
なんといっても彼らは生まれた時から
ずっとネットがつながっているのだ。
しかし、まじめに気を付けないとついつい流れてしまう。
本来気づかねばならぬ「本質」までもが
どうでもいい情報・広告に隠れ、流れていってしまう。
私たち大人が気を配るのはそういうところなのだ。
本質に気づくため
毎日心掛けること・・・
たとえば、TVやネットで天気予報を見る前に
自分で空を見上げることだし、
今日の運勢を見る前に
自分の体調をからだに尋ねることだ・・・。
情報や広告とは
そういった本質に気づいてほしくないために
わたしたちに仕掛けられている装置(笑)だと気づこう。
いのちとは、一物全体・・・
つながっていること・・・
生きて生かされること・・・
分断された「生存」にしか焦点をあてさせない
情報・広告には気を付けよう。
情報・広告が、
わたしたちの本質としての「いのち」より
多弁になってはいけないのである。
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 心と身体
