夏、芒種のころ⑩・・・「人間みんな病気です」
いつものようにCafeで菩薩行(相談行)でのお話・・・
とある方(50代後半から60代前半?)が、
最近ついていないし、体調不良で
どうしたらいいのか・・・
という内容でご相談だった・・・
お話を伺うとどうやら配偶者との関係が良好でないらしい・・・
同伴された子供さん(40代?)にも気を遣われている様子・・・
配偶者とは、会話もなく、あまり好きではないようだ。
好きでもはない方と一緒にいる人は
大抵、自分の行動を守るための理由をいくつか用意されている。
「この年で一人では食べていけない」
「子供の(といっても40代)ために・・・」
「体調がよくないので、働けない」
などなど・・・
鬱々と話される・・・。
余談だが、
こういうことは事実でもあるし、言い訳でもある。
それがどちらなのかは重要ではない。
本質と違う議論になるからである。
しかし、その日私が会った時は
顔色もわるくなく、それほど体調も悪くなさそうだった。
「それでも今日はお顔の色もいいですし
お元気そうですが・・・」
とわたし・・・
すると意外な答えが返ってきた。
「ああ、今日は病院に行ってまして・・・
そうしたら先生が、あなたは○○だから、
鬱ですねっていわれて、ほっとしたんですぅ~」
は?ほっと?安心???(私の心の声)
鬱だと言われてこの人は喜んでる・・・なぜ?
そうか・・・
なるほど・・・
人は所属をしたがる性質がある。
それはグループ、団体はもちろん、
自分の今の状態を「(病名を)名付けられ」「帰属させられた」ときにも
「安心」が発生する生き物なんだ・・・
「家での役割を見つけられず」
「体調不良の原因(病名=帰属)がわからず」
それまでどこにも帰属しなかった自分が
不安でしかたがなかったんだ・・・
だからこの人は、「鬱」と診断され(病名をつけられ)喜んでいるんだ・・・
そういう経験のない私には理解しがたかったが
何となくそういうことなんだとわかった・・・
「病名っていう「帰属」がわかって
あなたは安心されたんですね・・・」
相手はきょとんとされていたが
ご自身が何かに帰属しないと安心できない・・・
そういうこころの状態であることを客観視するには
少し時間がかかりそうだった。
「家族」
「学校」
「会社」
「仲良しグループ」
「病気」
「健康」
「職業」
「親」
「子」
「自分が作った自分」
人は何かに帰属、所属しないと
「不安」が沸き起こる生き物なのかもしれない。
「帰属」「所属」をすることで一時こころの安定が図れ
それをきっかけに自分を見つめなおすことができれば
それはそれで素晴らしいことだろう。
だから、「帰属」や「所属」は決して悪いことではない。
しかし、それがないと、もしくはそれでないと
自分でいられないというのは少しバランスが悪い・・・
何が「自分」で
何が「自分」たらしめているのか・・・
しかも、
自分が作った「自分」からも自由でいられる・・・
そういう自然体の生き方ができるにはどうすればいいのか・・・
少し楽になる言葉がある。
「人間、みんな病気です」 古澤平作(こざわ へいさく)
※古澤 平作(こざわ へいさく、1897年7月16日 - 1968年10月5日)は、日本の医学者、精神科医。東北帝国大学助教授。日本に精神分析の技法を導入し日本独自の精神分析学を開拓し、力動的な臨床精神医学の基礎をつくることに貢献した。
「病気?わたしはちがう!」
と力まれた方も
「わたしは前述の女性のようには生きていない!」
と拒絶された方も、ご安心ください(笑)
ある意味 病気なのです。
つまり、前述の女性のように病名をつけられて安心するのも、
「健康だ!あの人とはちがう!」と力むのも、
あまり変わらないということだ。
わたしは
「神辺」という職業で
「神辺」という存在になりたいと思っている・・・
これもまた病気なのだ(笑)
人間、みんな病気・・・
おかげさまで生かされてます・・・
人間、こうやってまあるく生きるのが
なにより自然なのだろう。

theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
