夏、小満のころ⑭・・・夜逃げの文化
これで、今夏 苗がどれだけ大きくなっても大丈夫・・・
準備万端である。
キュウリの不思議・・・
それは、支柱を大きくすると伸びるスピードが上がるのだ。
長めの支柱、ネットをかけると
「もう大きくなってもいいんだ」
と言わんばかりにスピードが上がる。
大きめの支柱やネットをかける前は
地味な伸び方しかしない。
畑の苗は、育てる主の足音を聞いて育つという。
支柱にさす「ザクッ」という音にも反応しているのかもしれない。
今日も小一時間、作業しているそばから
蔓が支柱にまき始める・・・
本当に不思議だ・・・
そんなキュウリとの対話を楽しみながら
わたしは昨日の貴重な経験を思い出していた。
久しぶりに足を運んだ居酒屋のカウンター・・・
一期一会・・・ある高校の先生二人と隣り合わせになった。
塾の教員と現役の先生が酒を交えて語り合う・・・
そんなことは人生そうそうあることではない。
初対面にもかかわらず、
思いがけず息が合い、2時間ほどあつく談笑・・・(笑)
わたしのすぐ隣の方が、もとアメフト部ということで
今をにぎわすあの話題になった。
たしかにあの反則行為はあり得ないらしい・・・
そして私見だがおそらく生徒の判断ではなく
コーチ、監督の指示、もしくはそういう気質が部内にあったのだろう・・・
そんなお話になった・・・
そして、次の話題も息があった・・・
「人のうわさも七十五日」
そうなりにくい窮屈な世の中・・・
あいかわらず昼のくだらない番組では
いまもぐだぐだと部外者が評価をし続けているらしい。
どんな事件も、当事者のように考え
自分の教訓にしていく・・・
そこまではとても大切な作業だ・・・
そして、自分の中の落としどころが見つかったら
当事者でない我々はあえて身を引くこと・・・
つまり、忘れないけど、忘れるふりをすること・・・
あの大学の関係者はごまんといる・・・
そういう「当事者でない関係者」ともいうべき方々への配慮を忘れないことだ。
最近はとにかくしつこい・・・
どうも原因があって「怒る」というより
「怒りたい」という感情が先にあって
それを消化するためにニュース、できごとを利用している・・・
そんな気がする。
まるで自分たちが
世の中の声を全部代弁しているかのような振る舞いである。
ちなみに私は頼んでいない(笑)
いうべき時に自分で言う。
本当に怒るべきときと
原因と結果をさかさまにした「怒る」は
ちゃんと区別しないといけない。
あの問題でも、
それが起きないために・・・
そんな世の中にしないために・・・
何ができるかを自分で考え、
伝える相手がいるならば
メッセージを発すればいい。
怒りは知性で処理すべきである。
昨今のTVを「怒りの娯楽化」と表現した人がいた。
言い得て妙である。
まるで自分が被害にあったかのように
周りへの強制的同調をうながし、怒りつづける・・・
要は、「知性」がないのである。
わたしたちが育った昭和・・・
バブルがはじける前は
身近なところで時々「夜逃げ」が起きた。
居酒屋ではそんな話にもなった。
わたしの近所でもそういう一家があったし
小学校でもある日突然いなくなった友達一家もいた。
あれは、かつての日本人が考えた究極の「セーフティネット」だと思う。
今はマイナンバーがあって、やりたくてもできないのではないかと思う。
「忘れてあげるやさしさ」
「なかったことにしてあげるやさしさ」
「自分たちの知らないところで やり直させてあげるやさしさ」
これも知性の一つであろう。
たしかバブルがはじけた直後に夜逃げのドラマもあった。

夜逃げの善悪は私にはわからない。
しかし、当時そういうことが許される風潮があったということだ。
昭和から平成への過渡期・・・
まだ世の中には「寛容」という言葉が生きていた・・・
忘れるふりをする寛容・・・
そんなことを、ほろ酔いの中
一期一会で楽しんだ夜だった。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
