夏、小満のころ⑩・・・Deep River
回を重ねるごとに、メンバーの生活環境も変わっていきました。
卒業生である私たちは、年齢的にどうしても
結婚や出産、転勤など・・・
人生の転換期を迎えることが多く、
少しずつメンバーの入れ替わりがありました。
途中からは三重大学ダンス部の大活躍もあり
現役の学生たちの人数が圧倒的に増え
小ホールを中ホールへと移しての活動になりました。
わたしがやめる14回目には
卒業生のほうが少なくなっていましたが、
そのさみしさより、現役の学生たちの輝きと活躍が
私にはものすごくうれしかったです。
若い人たちが成長し、舞台で輝く・・・
あのイサドラ・ダンカンの言うように
魂の発露としての舞踊を
わたしは目の当たりにしていました。
私自身、そのころも踊る楽しさはありましたが
そういった魂をまじかで共感しあえる喜びのほうが
圧倒的に大きかったです。
また、作品のよしあしは確かに大切ですが
人間が解き放つ魂の発露は、ひととひとの
「組み合わせ」によるものなんだとわかったのも
この14年間のできごとでした。
ある子と組むとぎこちない学生が
別の子と組むと驚くほどの輝きを見せる・・・
そういうことを数多く体験しました。
人は本当に一人では生きていない・・・
関係性の生命体なのだと悟りました。
「場」と「組み合わせ」・・・
いのちの発露は、ほぼこれに尽きることも悟りました。
舞台上で輝くいのちが
地上の生きとし生けるすべての生命体のように見え
「愛おしい」という言葉がぴったりでした。
さいごの14回目は、会社の時と同じで
まさかこのまま舞台から遠ざかることになるとは
露ともおもわず、ある作品をつくりました・・・
「ゆるしの夜明け」
遠藤周作の小説「深い河~ディープリバー~」からヒントを得ました。
5mの真っ白い布を5本・・・

その布は、
ときには、河になり・・・
ときには、美しい女性を包むサリーになり・・・
ときには、死者を包む布となり・・・
ときには、愛する我が子を包む産着となり・・・
清濁すべてを包み込むように流れる大河・・・
森羅万象、すべての愛を象徴する「包む」から連想しています。

創作はすべてふっと降りてきたものを大切にしていますが、
あとから思えば、この作品はわたしの舞踊創作活動の
ひとつの大きな「おわり」と「はじまり」を
象徴していたんだなと思います。

日々起こる人間の感情・・・
そのすべての終着点は「ゆるし」だとおもいます。
それさえできれば、必ず次のステップに進み
新たな世界へと旅立つことができる・・・
わたしはそう信じています。
「踊ることは生きること」
これはよく大学の先生が言われていたことですが
先生と離れてから、いつしか私もこれをなぞるようにダンスをしてきました。
架空の世界であった舞台で わたしは
すべての終着点は「ゆるし」
ということを学んだのだと思います。
そして、いまの私は
「生きていること そのものを踊り」
にしようとしているのかもしれません。
架空の舞台ではない、本物の舞台・・・
ひとはそれを「人生」と名付けています。
日々の何気ない会話、所作、
生きる糧をいただくなりわい、
生きていることそのもの・・・
それらすべてを・・・
この地上という舞台で・・・
五本の足の指でしっかりとつかむように・・・
まさに踊るように生きていこうとしているんだなと思っています。

先日、これを書くために
押し入れの奥からとりだした「からだから14」のパンフレット・・・
冒頭のあいさつ文です。

「自分とは何者か・・・」
身体をまとった私という波動がどこにたどり着くのか・・・
ダンスをやめた今でも
それを探す旅はまだまだ楽しく続いています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
