夏、小満のころ⑦・・・個性
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
有名すぎるぐらい有名な
金子みすず [1903-1929] の詩です。
大学のダンスの先生はよくこの詩を取り上げていらっしゃいました。
話は少しとびますが
卒業して後、あるダンスの研修会の時です。
わたしは家庭教師の身でありながら
教員が集まるこの研修会に行っていました。
わたしが教員でない詳しい事情は後日に譲りますが
その研修会で「個性」について質問をした教諭がいらっしゃいました。
要約すると、
ダンスの授業の時に、周りのみんなと一緒に踊らず
授業を妨害するように、気を引くように
自分だけ勝手な行動をして その教員を困らせる児童がいる・・・
という内容でした。
その教諭は、
そういうのも個性として認めてあげたほうがいいでしょうか・・・
という質問でした・・・。
横で聞いていた私は、
「それは・・・」
心の中で言葉を紡ごうとすると・・・
先生は即答でこう言いました・・・
「そういうのは個性とは言いません」
その教諭にどういう理由を加えたのか
さっぱり覚えていませんが、
わたしが個性について今のようにしっかりと
柱ができたきっかけになったなった出来事でした。
わたしたち教育に携わる人間は
いつか生徒から問われるであろう
一見答えようのない問いを
自分なりに深く問答する癖がついています。
「なぜ勉強しなければいけないのか」
「なぜ人を殺してはいけないのか」
「人に迷惑はかけてはいけないのか」
「学校には行かなければいけないのか」
「個性とは何か」
そういった哲学のような問いを常に持ち
自分が納得するまで問答する癖がついています。
生徒に問われてもいいように
しっかりと腹に落とし込んでいくのです。
この出来事をきっかけに
私がたどり着いた「個性」とは・・・
目立ちたい、認められたいがゆえに
また、人より上(優越)に立ちたいがゆえに
あえて人と違うことをすることではなく・・・
人との同じことをしようとして・・・
何度もしようとして・・・
それでも思わずこぼれるように
その枠からはみ出てしまう何か・・・のこと
または、
まねてまねて真似しようとしても
どうしてもまねできない何か・・・
とわたしは定義しています。
だから輝くのです。
嫌味でなく、ごく自然に、輝くものなのです。
「わたしと小鳥とすずと」
人と違うことを特別にしようとして
かえって個性をつぶしている人がいます・・・
焦っているようにさえ見える人がいます。
本当に個性的な人は、
公(みんなと同じこと)と私(自分のオリジナル)の境目を聡明に自覚し
とても謙虚でありながら、隠そうとしても隠し切れない
こぼれるような光を放つ人のことをいうのです。
必要以上に はしゃぐことをやめましょう。
必要以上に 人とつながることをやめましょう。(ネットでもリアルでも)
必要以上に 何かを身に付けることをやめましょう。(資格や受認定でも)
そのことで あなたが人の目につき、
目立ったからといって、個性的になったわけではありません。
個性は、あなたが後から身につけたものの中にはありません。
自分は 自分にしかなれないのです。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 個性自分は自分にしかなれない
