夏、小満のころ②・・・踊ること
わたしはダンスにのめりこみます。
部活としては、陸上の投てき(やり投げ、円盤)だったのですが
そちらは思うほど熱を注げなく・・・
大学1年の授業にあった「ダンス」で
人生に最も影響を及ぼした3人目の恩師に出会います。
(2人目は、実は中学の時の先生だが機会があればまたお話いたします。)
大学卒業単位的には、4年間も取らなくてもいいダンスを
のめりこんだがゆえに卒業までずっと取り続けました。
ダンス(踊り)は今までのスポーツ・・・
つまり、近代スポーツとは少し違いました。
いまの若い方はダンスと言えば
TVでよく知られている「ストリート系」や「ジャニーズ系」のダンスがメインになりますが、
もともとダンスは、世界的にも時代的にも様々な歴史があります。
大きな国単位ではなく、一つのマイノリティ(社会的少数者、地域)に
それぞれ独特の踊り、舞踊が存在します。
今思えば、そういった立場の小さい人々、
普通から外れている人々が原点だからこそ
惹かれたのかもしれません。
流浪の民「ロマニー」
白人差別を激しく受けた「黒人、ヒスパニック」
巫女がその原点であった「白拍子」・・・
そのどれもがマイノリティ(階級)として差別と迫害を受けた民たちですが
同時に、権力から離れたところで生きる自由性と
その陶酔性にあこがれさえ抱かせた人々でもあります。
「軽蔑」と「あこがれ」を同時に兼ね備えたもの
・・・それが舞踊です。
昭和から平成にかけての今でこそ
リズム、ストリート系のダンスがメインとなり、
かなり明るい市民権を得ていますが、
わたしがやり始めたころ(1982年ごろ)のダンスは、
まだまだどこか非社会的で、不良がやるもの(笑)・・・
=アンダーグラウンドというレッテルがなんとなくありました。
おとなたちが眉をひそめた理由は、
若者が、いまにも安定した社会階級を破壊するのでは・・・
そういう恐怖があったからだと思います。
それは、昭和の安保闘争時の映画「ウエストサイドストーリー」や
経済成長期の「サタデーナイトフィーバー」「フットルース」などの影響・・・
そして、「ディスコ」「ダンスホール」「クラブ」などでときおり
(いまの朝ドラのような明るいお立ち台シーンばかりでなく・・・)
風俗的な事件が起きたり、ドラック犯罪などの温床につながる場合があったからでしょう。
➡ディスコ
踊りには破壊的なエネルギーがあります。
平凡な日常の破壊です。
古代では、もともとダンスとは言わず、舞、舞踏、舞踊、踊りです。
子孫繁栄、五穀豊穣はもちろん
神を降ろし、神と人間をつなぐ呪術的、祈祷的要素があります。
そういう意味で「我」を忘れる行為、儀式です。
舞=陶酔です。
そういう意味で、わたしにとっては「踊り」は神秘です。
余談ですが、どの舞踊も音楽とセットで進化していきます。
その陶酔性と呪術性には、それぞれ独特の音楽(民族音楽)が栄えます。
➡ダンスの歴史

たとえば、夏の郡上踊りやねぶた祭、阿波踊りも
陶酔であり、激しい感情の発露としての舞であり、
神とともにまう舞踏です。

わたしがのめりこんだ「踊り」には
(もちろんリズム系もありましたが)
どちらかというとそういった呪術的、陶酔的で
それが根底にあるコンテンポラリー的表現のほうが多かったです。
画家が絵で、
詩人が文字で
音楽家が音楽で・・・
それぞれ自分の言いたいことを表現するのと同じように
踊りは、身体を使って伝えたい思いや世界を表現する・・・
ノンバーバル(非言語)なアートコミュニケーションといえます。
じつは、経験としてはこの「踊り」がいちばん長く
18歳から始めた踊りは、途中数年抜けますが
44歳で店を始めるまでつづきました。
次回は、そのエピソードに触れていこうと思います。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
