夏、立夏のころ⑮・・・同情と共感
「同情」ではなく、
「共感」してくれる人が多かった。
その存在が、わたしの心を成長させてくれた。
「同情」とは、自分と同じように一緒に愚痴ったり、泣いたり・・・
一見とてもやさしいように見える特徴がある。
しかし、それはお互いに傷のなめ合いで、
けっして成長を促すことはない。
最終的に、裏切りや猜疑心が生まれ、一緒に沈んでしまう。
よく小中学生のグループメンバーがころころと変わり、
あっちでも、こっちでも足の引っ張り合いが続く状態だ。
最近では、大学生でもあるようで
卒業生が悩みを打ち明けてきたことがある。
(これには驚いたが・・・)
「共感」とは、自分の気持ちを理解してくれたうえで
じゃあ、どうすれば前へ進めるのかを考えて助言、行動してくれることだ。
それは、時には厳しい声になることもあるが
決して同じ穴倉でうじうじすることはなくなる。
あの時のお坊さん先生や
キャプテンをやってみたらと促した親友のような存在だ。
部活以外にも
漫画「地球へ」をおしえてくれた卓球部の友達・・・
在日韓国人二世で、もう二度と日本へ帰ってこないと話した友達・・・
大学生の男性と付き合っていた友人・・・
どの子もわたしとは全く違う世界に生きていた。

(※「地球へ」は今読んでも奥が深い漫画。
当時、あの友人がそれを理解し、魅力を語ってくれたことに、
大人になったいまの私が驚いている。2007年にもTV放映されている。)
「ああ、こういう世界で生きている子もいるんだ」
それぞれが私に気づきをもたらしてくれた友人だった。
みんな、個性が豊かで、どこか大人びた中学生だった。
友達は、決して同じ世界にいる必要はない。
いつもべたべた一緒にいる必要もない。
お互いの世界観を共有した時に、
「えっ!」
「ほー」
「へぇ~」
という新鮮な気づきを通して
お互いが響きあうだけで
何となく心が安らぐ・・・
中学の時、仲間からはじきだされ、だれ一人部活に来ず、
一緒にキャッチボールするチームメイトもいなかったわたしに・・・
神様は、まったく別の世界で生きる友人を送ってくれた。
今思えば、幼いわたしに
意識の高い大人の会話をしてくれた友人たちだった。
「同情」と「共感」・・・
今の大人でも区別していない人がいるというのに
あのときのわたしに「共感」してくれる友人が多かったのは
実にありがたいことだ・・・
つらかったあの時代も
今思えば、宝物が一杯だったようだ。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
