咲きたいから咲く桜・・・2016年卯月・笑市の申言(さるごと)
ご参加くださった皆様、
立ち寄っていただいた皆様、
いつも本当にありがとうございます。
いつか「しめすへん」がつくまでの笑市・申言(さるごと)です。







春夏秋冬・・・
日本の卒業式や入学式が、他のどの季節でもなく
春にあることは本当に奇跡だと思う。
(大昔、どこぞの国のように
9月に新学期にしようという噂が立ったが
春のままでいてくれて本当によかった。)
自然界の動きと人の動きがマッチして
なんとまあ、先人は素晴らしい季節を選んでくれたものだと感謝したい。
前途の幸と成長を願い見送る季節・・・
長年、勤め上げた仕事を退職、退官される方への感謝・・・
心機一転、自分自身のこれからに希望を秘める時期・・・
それらが日本の花、桜とともに在れるのは
本当に奇跡としか言いようがない・・・

2016年なってまもなく
ある新聞に出逢った。

これを読んだときある恩師の方のお顔が浮かんだ。
その方から私は「踊りとは何か」を教えてもらった。
「踊ることは生きること・・・」
この一言に全て集約されるのが「踊る」ことだった。
ある行為と生きることが同義となる・・・それが生きること

高校でも少しはアツい時を過ごしていたと自負していた自分だったが、
こんなにすごい大人がいるのかと目から鱗の強烈な言葉だった。

「生きることに目的はいらない」
過去記事より・・・生き切る練習、死にゆく練習
ただ、人は生きるように出来ているので生きる・・・
それで十分である。
今でも興に乗るとついつい踊ってしまう自分だが
「踊りたいから踊る」
それは、新聞の加島さんの言う「目的のない美しさ」である。
(あ、決して自分の踊りが美しいということではありませんので・笑)

「○○すること」と「生きること」
これが重なり同義になるということは
ただ「○○したい」から「する」ということなのだろう・・・
そこには宇宙的な美しさがある。
そこにいのちがあるからである。

(緑の募金:ご出店様より2000円 ご協力ご賛同誠にありがとうございます)
人はその美しさを求め、その美しさのためだけにいきたい・・・
そう願う生き物なのだろう・・・。
自分のいのちに目的を作らず
ただ生きたいから生きる・・・
キリンの首や象の鼻は、
高いところにある果物をとるために長くなったのではなく
長くなりたかったから伸ばしたんだし、
烏の体は闇にまみれるために黒くなったわけではなく
黒くなりたかったから黒くなったんだ・・・

「いのちはその人を生かそうとする」 加島氏

私たちはただその「いのち」の声に耳を傾けるだけでいい・・・。
「変な顔をしてはいけない。
ぼくたちはぼくたちのからだだって
考だって天の川だって汽車だって
たゝさう感じてゐるのなんだから」
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
黒い大きな帽子の男の場面です。
(推敲を重ねられたこの作品の最終原稿にはない場面です。)

「そう感じているから そうするだけ・・・」 賢治

咲きたいから咲く桜・・・
呼吸をするように自分の活動と
生きることがどこまでも重なるように・・・
これからもぽちぽちやってまいります。
よろしければご一緒にいかがでしょうか・・・
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