「死ぬときぐらい好きにさせてよ」 ~2016睦月・宙結びの申言(もうしごと)~
先日、宝島社が樹木希林さんを起用した
新聞広告が話題となった。

「人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。」
という言葉が添えられている。

私たちは毎日死に向かって生きている。
死を自由に、好きに・・・ということは
裏を返せば「生きるも好きに・・・」を求めることと同じである。

だから先の言葉の「死」を「生」に
「生」を「死」にかえても
希求する世界は同じである。
人は必ず生きるというのに。
長死にを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ生きにくい時代になったことでしょう。
生を疎むことなく、生を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は生きれば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。」

(みちのく未来基金ご報告:
先月60円、今月510円 ご協力ご賛同まことにありがとうございます)
生きているのに
長死のような世界で過ごさないように・・・
生きているうちに
「美しい塵芥」になるために・・・

「願い」から「行動」にしていく・・・

指針は、
「かつて、もしくは今現在自分が苦しんでいることを人にはしない・・・」


何を断ち切り
何を継続させ
何を生み出していくのか・・・

人事にならず・・・
かといって、おせっかいにならず・・・

ちょうど良い「優しさ」のなかで世界を創造する・・・


『生きるのも日常、死んでいくのも日常』


その日常に
「好きにさせてよ」がいっぱいあって
しかも、調和が取れている世界・・・


これからも積み上げる土台はやはり
「ぽちぽちと」「のんびりと」ということになります。
よろしければご一緒にいかがですか・・・
