町名主の緩やかさ ~宙結び随想~
よく口を出しすぎのような気がする。
そして、出させすぎのような気がします。
教育はこう・・・
医療はこう・・・
命・財産を守るのはこう・・・
働き方はこう・・・
老後の暮らしはこう・・・
休みの取り方はこう・・・
水光熱の作り方・売り方・使い方はこう・・・
死なないためにはこう・・・
お金の貯め方・使い方はこう・・・
政府と大企業が仲良くなりすぎるとこうなるかもしれません。

(宙結び当日の朝、みずみずしい昼顔)
また、「国民」といわれる私たちもよくご要望を出す・・・
選挙がいちばんの課題である彼らは「ご要望」
いや「ご欲望」を聞こうと施策と呼ばれる解決策を出す。
今の時代、皆がそれぞれの立場で事細かな御欲望を出すので、
出されたそれぞれの関係の整合性が成り立たず
政治家の方たちはさぞかしご苦心のことと思う(苦笑)

(石釜ピザ)
○○なしでは生きていけない・・・
withoutの世界は、身体的にか弱な人間は確かに存在するかもしれない。
水や空気・・・エネルギー・・・
政府や世界のお金持ちはそれらさえもお金を増やす道具にしつつある。
でもそれは、本来政府を介さなくとも自然から
直接わたしたちが恩恵をあずかることが出来る優しい精霊たちである。
か弱い人間だからこそ、自然界はwithを提案しているのに・・・
人と自然、人とエネルギー、人と人・・・すべてがwith&withなのに・・・
人の世界では、わざわざwithoutの世界になっているのは
本当に彼ら(政府や世界のお金持ち)だけの責任なのだろうか・・・。

(キヒゴンくん)
平成12年に首相官邸HPにて発表された「教育改革国民会議報告-教育を変える17の提案-」というものがある。
(今日も載っているところを見ると訂正する様子はないようです)
そこにあるしつけ3原則というものがある・・・
子供本人、家庭、地域社会、学校、その全てがこの三原則で教育を立て直せというのだ。
「甘えるな」
「他人に迷惑をかけるな」
「生かされて生きることを自覚せよ 」

(工房kiriさん)
一つひとつ突っ込みどころ満載だが、
ご提唱者にひとつだけ言いたいです。
「毎日あなたの汚いパンツを洗っているのは誰でしょう???」
以下、割愛します(笑)
もう笑い話では済まされない。
私たちは一体いつから政府にここまで言われる(言わせている)ようになってしまったのか・・・
【ちなみに「宙言」でも話しましたが、悲しいことにこれが生まれる経緯は「三重県」とまんざら無関係ではありませんので、超暇な人はよろしければ調べてみてください。AddCafeに来ていただければお話もいたします(笑)】

(ピヨさんち)
現在、外環境の改善とか進歩とかは、
「不安」があるから生じる一種の負の原動力だと思います。
お金に対する不安
健康に関する不安
人間関係に関する不安・・・
いい悪いではなく、
そうせざるをえない部分も確かにあります。

しかし本来、人は自分から沸き起こる「不安」を
自分を変えるための素晴らしい正(生)の
原動力に変えることができるはずなのに
特に最近ここ20年ぐらいは、
「外環境、条件、システム=社会」を変えるほうに
多大なエネルギーを使っている気がします。

(手作り工房ha-to❤さん)
では、「不安」「恐れ」は、どこからくるのか・・・
自分が作った「自己イメージ」が壊れたり、
社会が作った「自己イメージ」が壊れそうなときに起こる心の現象です。
ですから「社会」はその不安がつくり上げた虚像といってもいいかもしれません。
自分たちが作ったものだから壊すことも作り直すことも出来るはずです。
社会は自分たちの鏡と言われる由縁はここです。

その社会のシステムを唯一絶対の解決者だと思い続け期待することは、
まるで猫が自分の尻尾を追いかけてぐるぐると回るがごとく
(追いかけているものも自分で、追いかけられているのも自分ですから)
永久に解決の見出せない袋小路に入るようなものです
そしてやがて、とても行きづらい窮屈な世界を結果的に
作ってしまうのではないかと思います。

生き方もいっぱいある・・・
休み方もいっぱいある・・・
傷ついた心や体を治す方法もいっぱいある・・・
こうあらねばという自我のイメージを緩める・・・

(なないろさん)
政府と庶民の関係はもっと緩やかでいいのではないか・・・
日頃、政府はいるか、あるかわからない感覚で過ごす。
いざとなったら、なにやらすっと手を差し伸べられていた・・・
庶民はいつも「かっかっ」と笑っている・・・
騒がしい昨今のご時勢・・・
政府と庶民、いのちの所在がどちらにあるのかわからなくなる昨今・・・
ついついそういうゆるい夢をみてしまいます(笑)

(ya-flowさん)
本来は、身近な自然や人々と話し合って折り合いをつけて
バランスよくなんとなく解決するゆるい事象さえも
今はすぐに政府に直結している(私たち自らがさせてしまう)ように見えます。
最近時代劇をよく見るのでこういった例えも浮かびます。
大岡越前や遠山の金さんの「お白州」の出番まで行かなくとも
「大家と店子は親子も同じ!」「町名主の三方良しの裁定」
・・・こういう江戸システムに見習うことも必要かと・・・

先日、ある知り合いの方が
「期待しないって大切だね」とお店に来られた。
カフェが不定休ということで、
今まではせっかく来たのになんで開いてないの!
と思っていたが、
今日は「あー、開いている」って嬉しくなっちゃった・・・と

不定休というやり方はカフェの
一般的な常識から考えて非常識にうつるかと思います。
しかし、心身ともに「常識」という自己イメージを
出来るだけ緩やかにしているスタンスなので
自然体の自分たちをそのまま受け入れてもらえたと
ちょっとにんまりいたしました(笑)

ご報告:福光募金1727円でした。
ご協力ご賛同誠にありがとうございました。
「期待」というのは「不安」の裏返しです。
自分の不安をきっと埋めてくれる・・・
こうあるべきよという真綿の規制です。
ですから、そういうものは自分にも人にも
あまり持たないほうがより自然体でいられます。

お互いとお互いがどう存在しようと緩やかに認め合う・・・
withoutの世界が「お金」になって来て久しくなった昨今・・・
そういったゆるさは本当に特に大事です。
怒ったり、笑ったり、楽しんだり、哀しんだりすることが
政府と直結せざるを得ないっていうのは本当に窮屈です。
「いのちあるものがいのちあるように生きる」

宙結びをはじめ、sora-piyoの活動の場は
もちろん町名主ではありませんが(笑)
人の喜怒哀楽を等身大の自分から発せられる場であれば
幸いかと思います。

(Wさん撮影:抜けた床を修理する図・笑)
これからもぽちぽちやってまいります。≪宙結び次回は10/17(土)≫
姉妹市?の笑市が10/4(日)にありますが、
またまたご出店様が少なく少々困っております。
こういった思いでいつものんびり開催しておりますので
よろしければ、ドタ参、心よりお待ちしております。

応援、お願いしてもよろしいでしょうか・・・。

はい!
返信ありがとうございました!
みかさん・・・
現場に30年もいらっしゃる方に、何とも僭越な意見を読んでいただき恐縮です。
そうですね・・・。現場にいらっしゃる方たちの違和感はそのままきっと私たち庶民の違和感なのでしょうね。何か大きな巨大なシステムの中で窮屈になっているのは日本全体なんだと改めて感じました。貴重なコメント本当にありがとうございます。
私は、自分と半径30Mぐらい(笑)は自然体でいられるように生きている庶民にすぎませんが、色々な場でできるだけのことをさせていただけたらと思います。
よく考えたら私も教育の世界で30年でした。生きる世界は違えども何か繋がっている感で暖かい気持ちになりました。
ご来市、コメント本当にありがとうございました。
またお会いできたときにはゆっくりと現場のお話をお聞かせください。
今回のsoraさん随想を読んで、その政治の世界に30年身をおくものとして、最近の動きに違和感を感じてたことが何なのか、腑に落ちるおもいでした。
政治も国民もマスコミも企業もみんな元は一個人なのに、お互いを縛りすぎて窮屈さを感じていたんですよね、、、
もっとおおらかな世の中になるために、せめてできることは、私自身が自分を縛らずに生きていくことかと改めて感じています。