青いロードマップ「怒①恋人」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
「怒」の時代は、
もう自分一人の世界ではいられない時代です。
冒険の時代であり、
心、志の時代です。
年齢的には、
22歳から42歳のステージです。
自分と目の前のあなた、あなたたちの世界となります。
その最初が、「恋人」の時代です。
恋人というキーワードは、
狭く異性という意味もありますが、
もっと広い範疇のことです。
はじめて、
自分以外の家族、友人、異性などの
他者が旅の同伴者となっていきます。
同伴者が生まれたという意味で
第一の結合の時代ともいえます。
その人たちを必要とするのか、
または、やがて必要性が消えていくのか・・・
その可否そのものが、冒険です。
家を離れた旅人が、
自分の居場所、居心地のいい場所を求めて
他所へと足を踏み入れる冒険ということです。
文字通り、家からの旅立ちで
結婚にたどり着き、子どもを授かる人も多いでしょう。
そこがこの恋人の時代を
「第一の結合の時代」と名付けた理由です。
しかし、第一とは、第二を味わって初めて振り返ったとき
「ああ、あの場所が第一だったな」と思えるだけで、
渦中の旅人は、この恋人の時代が唯一無二の結合だと
浅く勘違いする場所でもあるかもしれません。
また、一人の対象でも、
第一、第二と結合が進化していく場合もあります。
それが、幼い愛から、成熟した愛への移行です。
そういう意味で、目の前の恋人たちは、
あなたを強くし、旅をさらに力強いものにするための
協力者ですし、だったのです。
ケース①
「無垢」で無条件の承認を得られなかった旅人は、
中高校生で一人でいることから逃げようとします。
また、
「孤児」でちゃんと一人を味わわなかったツケにより
ここにきて異性に依存してしまいます。
異性を「無条件の担当だった親」の代替にしたいわけです。
鏡の法則によって、相手も同じ境遇であることが多いため、
はじめの結婚がいわゆる決別・・・
つまり、一人でいる「孤高」を強制的に通過するために
決別を迎えることになる場合が多いです。
しかし、無垢・孤児・戦士の儀礼を通過しなかったが故、
ある意味自然なことかもしれません。
問い
この時代で付き合ってきた恋人たち(家族、友人、異性)は
あなたにどんな気付きをもたらしましたか?
それは、これまでのあなたの旅に有用でしたか?
それとも、捨て去ったことでかえって旅が軽やかになりましたか?
「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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tag : 青いロードマップ
青いロードマップ「喜③戦士」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
次の道しるべは、「喜」三番目の「戦士」(15~21歳)・・・
違うけれども同じでいてほしいの「孤児」の時代との決別だ。
いよいよ、この違いで葛藤し、勝負を挑む時だ。
この勝負は、のちに訪れる5番目の「探究者」よりも
単純で、青く、1本槍であるが、
人生の旅で二度と味わえない貴重な輝きを持つ。
だから、時に人に勝つことが勝利だと
勘違いする時期でもある。
また、無垢から引き継いだ
「無条件、一体である」というエネルギーの満ち具合によって
この戦いの深意に気が付くかどうかが分かれる。
これまで身に付けた知性、情報、コミュニケーション力をフルに使って
違いとの葛藤を、プラスのエネルギーに変えよという神からの深意である。
プラスのエネルギーとは、
「違い」を超えた先に見える融合である。
その融合は、43~63歳の「哀」の時代という遠いところにあるが、
その芽は、この戦士の時代にある。
違いを超えて自分への承認ができるかどうかが
この時期にかかっている。
無垢の時代を十分引き継いだ旅人は、十分戦えるし
次の「怒の時代」の他者との関係へと発展させられる。
それが不十分だった旅人は、ここでは戦えず
自分の低さまで人を引っ張り込もうとする。
友人という仮面をかぶった嫉妬
恋人という仮面をかぶった退行
親という仮面をかぶった独裁者
つまり、
味方が敵になるし
敵が味方になる不安定な時代でもある。
それを見抜くものと
見抜けないものの差が表れるのもこの時期だ。
この不安定さは、
他者との違いを、敵・味方という二元論でしか見れないがゆえに
両極に振り子が触れるからだ。
これを、意識の狭さという。
そして、最後は、
これまでの最大の味方だった親さえも
ある意味敵とみなし超えていく時期でもある。
(いわゆる反抗期)
つまり、喜の時代での味方の代表が、親であるが
戦士の時代になるとそれ自体も超えていこうとする。
また超えなければ、
次の怒の時代は苦しいものとなる。
では、
「無垢」「孤児」「戦士」・・・
この3つの道標をなぜ「喜」と呼ぶのか?
それは、
この世に生をいただいた本能的喜び、
無条件の寛容と承認の中で、船出できた喜び、
人と自分の違いの葛藤を乗り越え
それをギフトと捉える喜び、
すべてシンプルに
自分対自分の世界を味わい尽くす
喜びの時代だからである。
なぜなら、
次の時代(怒)では
もう自分一人ではいられなくなるからだ。
生まれた時に受けた無条件の寛容・承認をバックに、
今度は自分自身への無条件の承認を創ることができるか?
これがこの時期の大切な役割である。
ケース①
彼は、環境が変わるたびに、
また、ある種の挑戦を成し遂げようとするとき、
必ずいじめっ子(年齢無関係)が現れる。
その度に、なんで自分はいつもこうやって
一人ぼっちにさせられるんだと絶望を抱くが、
それは、本来超えなければならなかった父親の化身であった。
父親を自分とは違うものと認識できず(させてもらえず)
乗り越えることから逃げ続けた結果、
父親がいじめっ子という代替人物として現れたに過ぎなかった。
子どもは、どんなに未熟であっても
時に親と闘う戦士を経験しなければならない。
この宇宙の法則を知った彼は
一人でいることは、孤独とは関係ないことに気が付く。
彼は今、一人を楽しみ
勇気をもって「孤児」からやり直そうとしている。
ケース②
彼は、朝起きられない。
起きようとしても難しいのだ。
学校も会社も起きられないという内的障害が付きまとう。
ところがある日、会社の社長と直接話ができる幸運に見舞われる。
話を聞いてもらえたのだ。
彼の心のとげだった、直属のモラハラ上司の話をすることができた。
社長は、すぐさま、君は悪くない。
私がバックについてやる。
と、力強い言葉を放つ。
実の親からさえも もらえなかったこの言葉は
一瞬にして彼の心を信じられないぐらい晴れやかなものにした。
どんなに素晴らしい言葉も
どんなに素晴らしい趣味も
このとげを抜くことができなかったのに・・・
第二の父親的存在(権威ある存在)である社長から
「君を認める」
「君を全面的にバックアップする」という言葉で
彼ははじめて「無垢」の時代の無条件の承認を味わうことになった。
(ちなみに彼は母子家庭である)
それほど無垢の時代の欠乏は、
何年も何十年も
その人を土から這い上がらせようとしないのだ。
(つまり、起きられない)
問い
あなたはちゃんとした反抗期を経験しているか?
人の成功に心からの祝福を送れるか?
「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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tag : 青いロードマップ
青いロードマップ「喜②孤児」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
次の道しるべは、「喜」の二番目「孤児」(8~14歳)・・・
神話では、
「土、人間」を語源とするアダム
「生命」を意味するエバ
その二人が禁断の実を食べた後、
自分たちが裸体であることに気が付き
イチジクの葉で腰にまとったとある。
まさに、人間という生命が
この地上に降りたとたんに悲劇が生まれるという比喩である。
前道しるべで身に付けたペルソナは、
まさに我々にとってイチジクの葉であろう・・・
もう純真無垢のままでいられなくなる時期が
この8歳から14歳の「孤児」に時代だ。
前段階で試した多くのペルソナの中で、自分の旅が
一番うまくいきそうだと思うペルソナを選ぶのもこの時期だ。
ただ、このペルソナは、今後の旅で諸刃の剣となる。
犠牲者的、傍観者的ペルソナはもちろん
時に、能動的積極的ペルソナも
旅の途中では通用しない相手がやってくる。
また、自分で決定したペルソナで、
自分自身を苦しめ、息苦しくさせることも起きる。
そして、「無条件」の世界で自他の区別のなかった時代とは違い
自らの居場所を確保するために身に付けたペルソナが、
自分と他者を区別する役目を果たすようになる。
優劣
比較
その大波がやってくる時代だ。
このペルソナは、
最後の「愚者」での本当のアガリにたどり着くまで
何度かの脱皮や破壊、再創造を繰り返していく。
最初に身に付けたペルソナのまま
「愚者」になり切れずに終わってしまう人生もある。
さて、この時代、見渡せば周りには、
それぞれのペルソナをつけた大人や子供たちがいる。
旅人は、それを彼らが生まれ持って備えた資質と勘違いする。
自分は彼らのようにうまくできない。
自分は、彼らのように下手ではない。
優劣
比較
まさに日々、大波だ。
でも、同じであってほしいという故郷の「無垢」のような感情もある。
旅人はここではじめて、違いと分離を感じ始める。
そして、その違いに対しての人生初の絶望と希望が生まれる。
兄と自分は違う
姉と自分は違う
友達と自分は違う
親と自分は違う
違っているけど
同じでもあってほしい・・・
その気持ちが孤独を生む。
だからこの時期は「孤児」なのだ。
実は、その違いが、
将来の自分を突き抜けさせる要素であったり
生業の成立に役立っているとはつゆともわからない。
またその違いが、
養育者である親や家族の成長にとってのギフトにもなっている。
ケース①
巷に見る複数の兄弟姉妹の性格がそれぞれ違うのは
それぞれが年長者とは違うペルソナを順次選んでいくからだ。
兄弟姉妹が下に行けば行くほど、ニッチで個性的なペルソナが好まれる。
3人兄弟の場合、長子は、親に認められるペルソナを、
2番目は、長子とは真反対のペルソナを、
そして3番目は、そのどれにも当てはまらない最も個性的なペルソナを選ぶ。
だから下の子は(私も下の子だが)、もっとも要領よくなるのだ。
ケース②
認めてもらうために
自分が身に付けたペルソナがうまく通用しない場合、
コントロールドラマが始まる。
➡#60 【風の時代の到来!】エネルギーバンパイアに気を付けろ!①
時に、犠牲者を装い
時に、被害者になりながら
認めてもらうために
自分が選んだペルソナにしがみつこうとする。
それがうまくいかなければ、
尋問者や脅迫者となって
「無垢」の時代のエネルギー不足を補おうとする。
この時期に多くのいじめが起きるのも
違っているけど
同じでもあってほしい・・・
そういった葛藤が生み出す一種の退行欲求だ。
しかし、この時期、
この不適合なペルソナと退行欲求に気が付くほど
旅慣れしていないのもこの時期だ。
問い
あなたはこの時期、
身に付けてしまった不適合なペルソナのために
犠牲者
傍観者
尋問者
傍観者
などの、
コントロールドラマを演じた経験はないだろうか。
そして、いまもそれを続けていないだろうか?
「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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青いロードマップ「喜①無垢」
※青いロードマップの概略はこちら➡人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論
まず一番最初の道しるべは
「喜」の一番目、「無垢」です。
これから始まる人生の旅で、
もっとも重要な0歳~7歳のエリアです。
私たちの人生を一言で言ってしまえば、
与えられたものを、与えつくしてあの世に還る・・・
そういうことです。
ですから人生の一番初めは、
とにかく与えられなければならないのです。
しかもそれは無条件にです。
あなたは優れているから
この世での命を与えられたわけではないでしょう。
今後の人生で偉業を成し遂げるから
いのちを与えられたわけではないはずです。
ここでのエリアでは、
「無条件」という言葉がキーワードです。
無条件のいのち
無条件の愛
無条件の承認
無条件の被世話
・・・
この無条件のギフトは、
別に親からだけではありません。
おじいちゃんやおばあちゃん、
近所のおじちゃんおばちゃん・・・
昨今の虐待事件は、
この段階ですでに旅が困難を迎えていることになります。
だから、三つ子の魂百までなのです。
これら、たっぷりの「無条件」をいただいて
この世の旅では、あることが存在しているという希望を持ちます。
それは、「安心と信頼、楽観」です。
無条件に愛情をもって抱きかかえられ育てられる・・・
おなかがすいたら、時間など関係なく
思いっきり泣いて満たしてもらえるし、
おむつが濡れて不快になって大声で泣けば、
必ず誰かが助けてくれる・・・
この、安心と信頼、楽観がこのエリアで体感できるかどうか・・・
まずは、これが一番の根底です。
そして、その満足具合で、
その後の人生で、どんな立ち位置をとればいいのかを学んでいきます。
それを「ペルソナ」(役柄・仮面)と言います。
このペルソナの大きな目的は、
家族内に、(そしてその後の社会に)
自分の居場所を確保するためです。
目の前の家族に適応し、認めてもらうためのペルソナ
褒めてもらい、その場所にいていいと承認されるためのペルソナ
幼児期でありながら、このエリアでの旅人は
自らの生命を守るために必死になって
ある立ち位置と仮面を作り上げていくといってもいいでしょう・・・
ケース①
小さな子供が親が決めてきた早期英才教育を
はじめは嬉々と、だんだんと苦痛だけど頑張ってしまう傾向になるのは、
自分の嬉々と、親の嬉々に区別が付いていないために起きます。
承認を得るために、親が喜ぶことを選ぶ場合があるためか、
後のその区別に気がつき始めるからです。
ケース②
私事ですが、この時期の私は、
丹毒で危うく命を落としそうだったのですが
母親の献身的な通院と看護と、
ベテラン医師によって一命をとりとめています。
おそらく十分の愛情を注がれたと思います。
ただ、おおちゃくだった兄がいたため、
ほったらかしだったようで、歩行器に入れられた私は
父母の仕事をじっと見ていたようです。
私自身も、歩行器付属の目の前の
そろばんの玉のようなものを触っていた記憶があります。
静かでおとなしく、観察好きと言われましたが、
もともと静かでおとなしく、観察好きの性分なのか
おとなしい方が、母親の負担が軽くなると
そういうペルソナを獲得し始めていたのか
それは私にはわかりません。
他にも、電車ストップ事件や
保育園は一人で行きましょうエピソードが
わたしのペルソナを作ったことは間違いないと思います。
問い
皆さんもこの時期の出来事の棚卸そしてください。
可能な方は父母への聞き取りを行ってください。
無意識に身に付けたペルソナがわかります。
「天下の事、万変と雖も吾が之に応ずる所以は喜怒哀楽の四者を出でず」 王陽明
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tag : 青いロードマップ
青いロードマップ
細かく一つずつ解説していきます。
来週の動画にも上げるつもりですが、
興味ある方は予習のつもりでお読みください。
あらかじめお断りしておきますが、
この思索は、ホロスコープ同様、
まだまだ不十分なところが一杯です。
これからも名称、説明等、
もっとしっくりくり言葉があれば、
どんどん改定していきます。
あくまでも、現地点での内容です。
そのあたりは、どうぞご了承ください。
この人生「喜怒哀楽✖7年周期」論は、
それぞれが人生の7年ごとに出会う道しるべと思ってください。
その道しるべで、各道祖神に問われるわけです。
「旅は楽しいですか?」と・・・
今まさに、そのスパーンを歩まれている人はもちろん、
もうすでに歩まれた方は、
自分がどの道祖神に出会ったときに十分だったか?
また、振り返るとここでの成長はちょっと足りなかったかな・・・とか
そういった視点で確認されるといいと思います。
人生は魂の成長の旅です。
ただ、足りなかった人は、
それがダメだったわけではなく、
そのダメを認めることです。
現象と幸・不幸は無関係です。
大事なことは
その現象からあなたが何を学ぶのか?
そこが一番大切です。
これを気づきと言います。
現象は、気づき、認めることで和らぎます。
時にそれが強さと呼ばれます。
それからもう一つ・・・
実は私はニヤついているのです(笑)
なぜか?
それは、
最近始めたホロスコープ、
いつもやっているタロット、
加藤諦三先生の本、
そしてこの人生「喜怒哀楽✖7年周期」論・・・
すべてに、ある共通点があることも気が付き始めています。
つまり、私たちの人生の旅は、
本当の自分になるためだけに用意されていて
やはり、なにか青いロードマップがあり、
そして、自然体になればなるほど
すべてあるべきところに収まっていく・・・
そうなっている・・・!
そういうことです。
力んだり
声高に自分を主張したり
何か特別なことをしなくても
誰かに承認してもらえなくても
ちゃんとそうできている・・・
安心していていい・・・
そういうことです。
なるようにしかならない・・・
そういうことです。
人生を狂わされたとか
人生をダメにされたという人がいますが
それは、まったくの見当違いです。
この世は自動詞だけ・・・
実は、自分で自分の邪魔をしたのです。
それを道に迷うというのです。
さて、明日からこの人生の青いロードマップを
楽しんで検証していきましょう。

今、何歳でも構いません。
「今」からすべてを変えられるのです。
過去であれば、過去の事実は変えられなくとも、
解釈は変えられます。
未来であれば、どういった心構えを持てば
自分が自分になっていけるのかがわかります。
よろしければ、この長い旅にお付き合いください・・・
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tag : 青いロードマップ
【人生は旅】 あなたという旅人は上手く歩めていますか?
それは、人生「喜怒哀楽」の流れで旅が進んでいる・・・
人生80年とすれば、1スパーンが20年・・・
あくまでも仮説でしたが、
まんざら間違っていないことに気が付きました。
そして、いまから20年ほど前にある記事に出会ってから、
やはりこの仮説はあたっているとほぼ確信しました。
それが、神田昌典さんがある雑誌で書いていた
「7年周期」で人生が進んでいくという記事です。
7年が3つ集まれば、21年・・・
私の喜怒哀楽論とほぼ同じスパーンになります。

この記事は、
キャロル・S・ピアソンさんという人の理論を色付けしていました。
ただ、海外の文化や言葉(翻訳)を取り入れていますので、
わたしとしては少し違和感のある個所もありました。
今回の動画は、私の感覚に合うように言葉を変えた個所もあります。
そんなこんなで、今回は
人生「喜怒哀楽」論✖「7年周期」論というスタンスで
お話させていただいています。
自分の魂の一部、無意識が
そのスパーンのどこを旅しているのか?
それを知ることは、
人生で迷子になる確率が下がるということでもあります。
あと、自分の旅路の積み残しもわかると思いますので
ぜひ参考にしていただけたらと思います。
来週は、その理論とスパーン事で
もっと具体的に掘り下げて解説しようと思っています。
実はこれは、
占星術でいう「ハウス7年時代論」と重なる部分があります。
そういう意味でも、私としては納得しています。
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tag : 人生は旅
幸、不幸の紙一重
幸、不幸とは、実は決定的な関連性がない。
悪いことが起きても、
その悪いことばかりを悲観してしまう人もいれば、
大難は小難、小難は無難・・・
といって、難の中の幸運を探すことができる人もいる・・・
また、その悪いことが起きたことで、
こんなことがわかったねと、
これからの人生の教訓にする人もいる・・・
こういう人は、幸せというものがわかっている人だ。
幸せというのは、要は立ち位置のことだ。
その立ち位置は自分が決めている。
事実ではない。
つまり、幸、不幸は
その人の捉え方ひとつで紙一重なのだ。
幸、不幸と事実とを常に関連付けたい人は、
やたらとこう言う。
○○がもらえて幸せ・・・
○○になったから幸せ・・・
〇〇には、単なる物だけでなく、
お金だったり地位だったりすることもある
そういう人は、幸せには原因(事実)が必要と考える。
自分の幸せを「事実」に依存している人だ。
こういった幸せは実に危うい。
○○がもらえて
○○になった
・・・それが叶わなかったときは、不安定になるからだ。
そしてかなわなかったことに悲観する・・・
余談だが、そういった悲観をすぐにSNSに挙げる人がいる。
そういう人は、自分の悲観が、本当は事実に対する悲観ではなく
自分の心の奥底の、自分自身への悲観ということに気が付いていない。
「〇〇に△△されたから悲しい」といってSNSで上げている人もよく見かける。
でもその人は、本当は「その人が嫌い」とはっきりと言いたいところを
○○されたから悲しいとか、
スピ系解釈として、○○を教えてくれるために
私の前に現れたと言ってごまかす。
この「悲しい」と「偽の感謝」は、
言葉を巧みに置き換えられた「大嫌い」だ。
シンプルに大嫌いでいいのに、
大嫌いと言っては自分がよく思われないから
悲しいと言ったり、同情を誘うことで、
コントロールドラマの犠牲者となり
本当の毒気を隠そうとする。
悲観主義は、巧妙に偽装された攻撃性である。 アドラー
その欺瞞や不安定さは、実は自分の心の欺瞞と不安定さで、
自分の存在自体の欺瞞と不安定さだ・・・
その不安の正体は、小さいころ
自分にとって重要だった他者との人間関係における
未解決の課題がことあるごとに顕れる亡霊のようなものだ。
それは、時に
戦い(反抗期)を避けたことだったかもしれないし
自己主張(未熟をさらけ出す勇気)だったかもしれないし
大切な何かを守るための学び(智慧を体現する勇気からの逃避)
だったかもしれない。
それを、親が、環境が、させてくれなかったと言い訳しても
誰よりも自分の心の奥底が知っている・・・
それは、本当は自分に勇気がなかっただけだと・・・
最近読み倒している本がある・・・
以前も上げたこの本・・・
ある人には、鋭すぎて読めない本かもしれない。
ある人は、わかるわかると上っ面を歩くかもしれない。
ある人は、それがどうしたと毒つくかもしれない。

この本を一言でいえば、
自分の無意識に光を当てなさいということだ。
それほど自分の無意識の解明は難しいのだ。
勇気ある人は一度は読んでほしい。
誰もが持つ無意識の闇が日向に出て
痛くても少しずつ消霧する本だ。
この勇気がある人は、きっともう大丈夫だと思う。
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tag : アドラー
ささやかだが重要なこと
自分が握ること・・・
これはつまり、自分がどう生きたいのかということだ。
子どもは、幼少期から無数の好き嫌いを経験し
自分に気が付き、自分になっていく。
私はよく親御さんに忌憚のない意見を述べさせていただくが、
それはいつも子供の味方をしているというわけではない。
子どもが明らかに何かをごまかしているとき
時には火が付いたように、
時には、穏やかに諭すように、
遠慮なく叱らせていただく。
そのごまかしの内容とは何か?
それは、そんなことをしたら、
あなたがあなたでなくなってしまうと判断した時だ。
一例はこうだ。
叱られたくないがためについてしまう嘘を重ねる子供には、
つまり、困難を避けて逃げる子供には、
「叱られるときはちゃんと叱られなさい」
と伝えている。
叱られると覚悟を決めて大人の前に立つ子供は
さぞかしドキドキするだろう。
でも、勇気をもってその心構えが身につく子は、
ちょっとした壁にぶち当たっても
必ず向き合ってそれを乗り越える勇気が育っている。
落ち込んだ時も、必ず立ち上がる。
また、遅刻をしたり、寝坊をしたときに
「遅れました」と事実だけ言う子供にはこう伝える。
「それは事実だけを言っているだけ。
遅れてすみません、と自分の感情をきちんと伝えるといいよ」
感情を伝えれば、相手に伝わり、理解を得られる。
相手に伝えよう、理解を得ようとする力が身につく子は、
人からの協力を得られやすくなる。
また、
「ありがとうごさいます。」
「昨日は、ありがとうございました。」
「先日はありがとうございました。」
「いつもありがとうございます。」
わたしたちには、「あなたのことを大切に思っていますよ」
というメッセージを送る言葉がたくさんあります。
大切に思うというのは、
時間軸の節目節目に思い出す心配りのことだ。
何気ない、彼らとのやり取りで
そんな力を身に付けてほしいなと思って
彼らとの塾生活を楽しんでいる。
そういったささやかだが重要な力が身につく先に、
自分の好き嫌いの主導権を
自分が握れる世界
が待っているのだ。
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tag : 自分軸
いのちをよく見る、信じる
本当に十人十色だ。
楽しさと難しさと書いたのは、
学校の指導、評価基準が今のままで、
社会のシステムに添おうとするならば、難しいと感じるし、
それがなければ、もしくは、代替・軽減されれば
彼らは本当に優しくて、個性豊かで
逆にこちらが癒され、助けられる、と言う意味で楽しい・・・
そういうことだ。
みんなちがって、みんないい・・・
教科書の金子みすずは言うけれど、
いのち基準の仕組みでない現代社会では、
いわゆる、学校に適合して
いわゆる普通に通えている子に比べると、
よく見てあげる項目も、
加減の仕方も、
叱る種類も濃度も、
本当に、手探りなのだ。
たとえば、何かができないとする・・・
そのできなかった理由が、
本当に能力的にできないのか(知覚の問題も含む)
優先順位がおかしいだけなのか
やれるけど軽い嘘をついているのか
嘘をついていることに自覚があるのか
こちらからの問いかけに言葉が紡げないだけなのか
漢字の偏(つくり)だけしか見えていないのか
活字の縦棒(横棒)しか見えていないのか
文字が揺れたり、チカチカしていないか
マス目が見えていないのか
時間感覚がないのか、
空間感覚がないのか、
数の論理が苦手なのか
もともとその言葉が彼らの中にないのか、
反応でついつい乱暴となって(逆にこもって)しまっているのか、
叱られると言う恐怖から逃れるだけの
行動になってるため混乱しているのか、
・・・・・
できない理由や原因が
幾重にも細かな層に別れている感じだ。
その細かな層を自覚してもらい、
それをうまくするにはどうすればいいのかを、
本人に一つ一つ確認しながら、
了承を得た上で、次の事(目標)を決める・・・
しかも、頻繁で神経質はよくない・・・
できれば笑いが出るぐらいがちょうどいい・・・
その目標は、今の現代社会を基準に考えれば、
実にささやかで小さい。
そんなことはできて当たり前だ!
そんなことができたぐらいで何になるのか?
そう言う親御さんも多い。
でもちょっと待ってほしい・・・
それができなければ、
その上に彼らが何かを積み上げることは難しいのだ。
積み上げられないばかりか
二次凸凹になることもある・・・
たとえば、朝、時間通りに起きて
学校に行く・・・
そんなことさえ、本当に困難な子供もいるのだ。
怠け!?
甘え!?
そう言うのは簡単だろう・・・
確かにそういう日もあるだろう・・・
でもそれを言ってもなんの解決にもならない、
一歩も前には進まないのが、
この発達凸凹、グレーゾーンの子供たちなのだ。
なぜ起きれないのか?
なぜ気力がわかないのか?
身体的、肉体的な視野も大切だ。
食生活は大丈夫か?
体内時計の喪失?
精神的な、もうずっと前の奥の奥の引っ掛かりが
大きくなっている場合もある。
わたしが、あらゆる専門的分野を学んだ上で
彼らに接していては間に合わないのだ。
独学、観察、実践、独学、観察、実践・・・
この繰り返ししかない・・・
そして一番大切な心構え・・・
それは、簡単に諦めない・・・
これである・・・
でもこれは、発達凸凹、グレーゾーンに限らず
どの子にも言えることではないだろうか・・・
精神科に任せる?
自衛隊に入隊させる?
ちょっと待ってほしい・・・
そういった、乱暴な外注に「育ち」を丸投げしたしたツケは、
本当に計り知れないと思う・・・
彼らの時計、
彼らの感覚をよく観察する・・・
いのちをよく見る
・・・そしていのちを信じる。
これが一番大切なことだと思う。
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tag : 発達凸凹
いのちを育て、未来を描け・・・
➡東京、大阪、兵庫に緊急事態=3度目発令へ、22日にも決定―政府
それでもオリンピックはやるという・・・
もう完全にこの国は泥船だ。
為政者たちは、
だれも責任を取りたくない、やめたくない、
非難を浴びたくない・・・
出入国在留管理庁によれば、
いまだに152か国を上陸拒否対象地域に指定している・・・
➡新型コロナウイルス感染症の拡大防止に係る上陸拒否について 令和3年3月18日現在
誰がどう見たってやれるわけがない。
この国は
私たちに対して何のビジョンもないまま
暴走列車と化している・・・
ここまでくると本当に
自分を自分らしく生きるという
軸だけは失わず生きる・・・
なんか、それだけで十分に思えてきます。
実は本日、AddCafeと学習支援塾Onenessは
お陰様で、本当にお陰様で
13周年を迎えることとなりました。
皆様本当にありがとうございます。
ふと気になって開店した日のホロスコープを見てみました。
なんとこのお店は、
満月の日(月齢14.67)に初日を迎えていたのです。
これは、あの日までに
私が「こうありたい」と願っていたことが
叶ったととらえていいのでしょうか・・・
いまでもそうですが、
私は寺社でお詣りするときは
二つのことしか宣言しません。
それは
「いつもありがとうございます」
と
「神様の仕事の一部をさせてください」
この二つです。
2つ目は、2006年ごろから常に付け加えていました。
今の私が、この2つ目ができているかどうかは
自分では判断できませんが、
今も、神様だったらどうするだろう?というのが
いつも私の心にあります。
自分の戒めにもしています。
13年前のあの日、
太陽が、牡牛座の1度・・・
サビアンでは、
「清らかな山の小川、運命の変化、激動の人生、予想外の成功」
そして、
私の太陽が乙女座の9度・・・
サビアンでは、
「未来派の絵を描く男性、独創性、個性、人気、チャンス、成功」
(予想外だったことは「十年をちこち」をごらんください)
そして、木ぃじいちゃんからの使命、
いのちを育てよ・・・
「神様からお借りしている場所だから、
いのちを育て、未来を描け・・・」
これからもこのキーワードを胸に
謙虚に、大胆に歩んでまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
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tag : 13周年
あえて努力論
「自分になるための努力」
だけだと思う。
その目的を達成するために
遊びがあったり
勉強があったり
仕事があったり
恋人がいたり
友人がいたり
家族がいたり
・・・・・
するだけだと思う。
苦悩するというのは、
その本当の自分にまだ出会えていないからで
本当の自分に出会ってしまえば、
もう後戻りはしない。
しないというより、もうできない。
本当に自分に出会ってしまえば、
集まる友人も
恋人も
遊びも仕事も
家族との出会い直しも
快適で、互助的で、本当の責任あるつながりとなる。
何度も同じ苦悩に悩まされている人は、
本当の自分に出会えていないのだ。
他者が決めた
「成功と失敗」軸でしか考えられないと
ますます
本当の自分も
本当の幸せも逃げて行ってしまう。
自分は一生懸命追いかけているのに
逃げて行ってしまうのだ。
追いかければ追いかけるほどつかめないという真理は
そういうことだと思う。
卑屈になったり
いじけてみたり
人に意地悪をしてみたり
逆に偉そうにしてみたり
ひそかに優越感に浸ってみたりして
自分を優位に立たせようとするが
ことごとく失敗に終わる・・・
自分が自分であろうとする努力をしない、
もしくは、周りの大人や親がそれを許さないとき、
いわゆる「成績」など、本当にどうでもいいのだ。
周りの大人が成績に血眼になっているとき
子どもの中ではとても重大な何かが起きているのだ。
そのどうでもいい成績だけに価値を置いて
成功と失敗を長年子どもに刷り込むと
青年期、必ず大きなゆがみが生じる。
それは、不登校とか不出社とか
自己喪失による鬱とか、家庭内暴力とか・・・
本当にそういった形でしか出なくなってしまうのだ。
塾人の私が言うのも、お叱りを受けそうだが、
長年、塾人として、生徒とそのご家族を見てきて
本当にそう思うのだ。
いま、その類の問題を抱えて苦しんでおられる方が
耳を傾けてくださるとありがたいのだが・・・
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tag : 自分になる
テレフォン人生相談の効用
テレフォン人生相談のお話を伺う。
そして、そのお話を聞くタイミングが、
まさに今の私の生徒に対してのヒントになることが多く、
とてもありがたく重宝させていただいている・・・
先日もこちらのラジオ人生相談をお聞きした。
この回の名台詞は・・・
「好きには2種類ある・・・」
① 一つは、本能から好き・・・
だからちょっとやそっとじゃやめないし
人が見ていようがいまいが続けられる。
② もう一つは、認めてもらったから好き・・・
この場合は、ちょっと壁があると簡単に手放してしまう。
今の親御さん世代は、学歴社会を生きてきた方が多いので
子どもに対しても狙ってほめてしまうことがある。
その狙いとは、
もっと勉強してほしいとか
もっと成績を上げてほしいとか・・・
そういった狙いをもって子供をほめるので、
子どももついつい乗ってしまう・・・
お母さんが喜ぶから、
お父さんが喜ぶから、
そういった理由で始めた習い事
スポーツ、勉強・・・
あらゆるものは、
小学生の高学年や中学生ぐらいに矛盾を露呈する。
子どもとしては、自分基準で好きなものがわからなくなってしまい、
困難が起きるとすぐに何かほかの言い訳を作って
遠回しにやめようとする・・・
あそこの誰々が嫌いとか
あの先生が嫌いとか
ちょっとした友人とのごたごたが嫌だとか・・・
とにかく、
自分以外の何かを見つけて
やめる方向へ誘導しようとする。
本当は、好きじゃなくなったから、
嫌いだからやめます!
でいいのに、
自分を認めてくれた親たちの期待を裏切るようで
罪悪感が重しになって
本当のことが言えなくなる・・・
罪悪感とは、こうして他人の要望や期待に添いすぎた結果、
生まれる自己矛盾である・・・
この動画を聞いた私はさっそく夜の面談で活用できた。
相談の生徒はやはり、
二番目の「好き」で
幼少期から親の承認を得たいがために
いろいろと頑張ってきたにすぎなかった。
そこを認めたその子は
ぼーっと目が空を漂った・・・
そうだったのか・・・
そんな生き方をしていたのか・・・
目がそう呟いていた・・・
罪悪感
劣等感
そういった闇が解け始めた瞬間だった・・・
それにしても、最近本当に
こういった親子関係が多くなった。
実は親世代も、
二番目の好きで家庭や世の中を
渡ってきたことが多いからだ。
自己解放は、まず
自分の好き嫌いの主導権を自分が握ること・・・
つくづくそう思った・・・
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tag : テレフォン人生相談
だから私たちは望む現実を創ることができる
最近、このことを知ってから
いままで、曖昧で、滞り、引っかかっていた思考の破片が
勢いよく流れていくのを感じています。
角田先生の本は確かに膨大な実験の結果ですので
私の認識の浅さや、ひょとすると読み間違いもあるやもしれません。
しかし、この流れの穏やかな勢いは、
わたしにそうそう見当違いになっていないことを
表してくれているように思えます。
1秒は偶然にも人間の標準的な心臓拍動の間隔に近い
『単位がわかると物理がわかる』 和田純夫、大上雅史、根本和昭より
何度でも言います・・・
時間は私たちがつかさどっているのです。
目の前の時計でも
セシウムでも
ましてや、灰色の男ではないのです。
※灰色の男
ドイツの作家ミヒャエル・エンデによる児童文学作品『モモ』(Momo)の登場人物。ある日から、モモの街は、「時間貯蓄銀行」と称する人々から盗んだ時間によって生きる灰色の男たちによって人々の時間が盗まれてしまう。「時間貯蓄銀行」を名乗る灰色の男達は、「時間を貯蓄すれば命が倍になる」と偽り、人々から時間を奪う。
ひょっとすると、月の欠損と同様に、
この重大な真実を隠すために
時計が生み出されたのかもしれません。
それが証拠に、歴史的に長年、為政者たちは
庶民には時計を作らすことも、持たせることを拒み続けました。
その時計が、昼夜問わず
私たちをコントロールし、
身体感覚を失わせ、
労働を強いるための道具だったからでしょう
大昔、おおよそ太陽の位置で感じていた時を
第二次世界大戦後、
天文学の発達とともに
より正確に計算できるようになりました。
それと同時に、時計そのものも進化していきました。
日時計
水時計
油時計
ゼンマイ時計
デジタル時計
電波時計
本来天文学と身体の領域だった時を
電波時計のように物理学(セシウム基準)に変えたあたりから
時が私たちの身体から離れました。
正確と言われるセシウム基準の時は
私たちの身体の時計とわずかながらのズレを持っているからです。
私たちが時を感じる自由を妨げているのが「時計」・・・
このずれているセシウム基準の時に
私たちの生活や身体を預けているのです。
一年の平均日数は、365.2425日(グレゴリオ暦)
このズレが、私たちをいのちから遠ざけている
正体なのではないか・・・
わたしにはそう思えるのです。
私たちの身体には、
ボンボン時計ぐらいがちょうどいいのかもしれません。
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人生の報酬
昨日のような人生の「発見」があると、
それも長年付き合ってきた
疑問への思考、思索に対して「発見」は、
最大の報われ、つまり、報酬と感じます。
こういった原理原則の発見は、
お金と違って、減らないし、盗まれないし、消えたりしない。
そればかりか、どんどん使った方が、
応用、活用、拡大、共有ができる。
ひょっとして、自分や周りの人の誰かを
助けることができるかもしれない。
本当の富はきっとそういうものなのでしょう・・・
「1秒存在論」は、「1秒創造論」といってもいいです。
私たちの体の中に秒(時間)が存在し、
観察するたびに生み出される・・・
私たちは、時間の主人なのです。
未来の主人と言ってもいい。
こう考えると、最近また勉強をしているホロスコープも
その原理原則で働かせられるということです。
ホロスコープが私たちに「運命」だと言って、
主人の座に座るのではなく、
私たちがホロスコープの主人だということです。
わたしは、占星術の素人の癖に
大胆にも「ハウス7年時代論」というものが、
真実なのではないかと仮定している。
どんな理論なのかは、この動画を見ていただければありがたいが、
簡単に言うと、
一つのハウスは、人生の7年分を表すという理論だ。
もちろん寿命によっても違うが
それに気が付けば、寿命さえも作り出せるということになる。
死ぬ時期を自分が知っているというのはそういうことなのでしょう。
占星術では、
惑星(誰が)-星座=サイン(どのように)-どこで(ハウス)
となっています。
ここには「いつ」がありません。
唯一「いつ」をあらわすのが、
惑星と年齢の関係ですが、
これはあくまでもすべての人に当てはまる発達年齢領域です。
たとえば、水星は知性を表しますが、
それが、8~15歳で発達するということです。
ところが、その育った能力をいつ発揮するかは
人それぞれ違うと思うのです。
それがいつ発揮されるのかが「ハウス」なのではないかと
仮定しているわけです。
つまりハウスは、場所でもあり、時代でもあるということです。
発達した時期と、それを発揮できる時期は、ずれることが多いです。
私たちの人生でもそういうことはよくあります。
育てたもの、学んだものをすぐに発揮できるとは限りません。
それは一人一人違うはずです。
たとえば、
わたしは18歳から22歳まで教育に関する知識を育てましたが
その素地を発達させたのは
一般的にいわれる水星年齢領域である中学校期かもしれません。
確かに私はこの時期、素晴らしい先生に出会えましたし、
教える喜びも味わっています。
教え方があまり上手でない先生の授業の後は
自分だったらこうするのにな・・・と生意気にも考えた時期です。
しかしそれが発揮できるようになったのは
大学時代を経て、
4ハウス×7年=28歳ごろ からととらえるわけです。
発育=一般的な惑星の年齢層
開花、結実=ハウス7年時代論
そういうことです。
木に例えれば、
双葉から出た気がぐんぐん伸びて青々と茂るのが
一般的な惑星と年齢域の発達領域・・・
実際に花が咲き、実が付くのが、ハウス7年時代論・・・
育たなければ、実を味わうことも使うこともできません
・・・そんな感じです。
私たちが、時間をつかさどっているとするならば
育てるのも、味わうのもホロスコープにしもべになってもらって
私たちは観察する側に回るのです。
ひょっとすると、このハウス7年時代論は、
月の欠損と同じように
私たちが時間を司るということを
隠したいが故の秘密だったかもしれないとも思えるのです。
時間が私たちにものだとわかれば、
私たちの人生は
時間や環境の奴隷にならなくても済みますから・・・
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tag : ハウス7年時代論
1秒さえも自分が決めている
「地球の自転を基にして1秒は
平均太陽日の86400分の1」
それが、
1956年に、
「秒は、暦表時の1900年1月0日12時に対する太陽年の
1/31 556 925.9747倍である」
さらに、1967年に、
「セシウム133 原子の基底状態の
2つの超微細準位間の遷移に対応する
放射の 9 192 631 770周期の継続時間」
そのどれもが、わかったようなわからないような定義だ・・・
この体感できない1秒、
いや、
あえて体感させない1秒が
私たちにとっての灰色の男(モモ)だ
ところが、こういった物理的に決められた1秒よりも、
もっと原初的で、根源的で、先験的な1秒がある。
それは、わたしたちが、
聴覚・視覚・味覚・臭覚などの複雑な統合の時に
脳には正確な1秒が存在しているというのだ。
平たく言えば、その複雑な統合を
正確に1秒使って行っているというのだ。
われわれの中に
1秒が存在している・・・
これは、
「われわれは1秒を測っている」
というニュアンスと微妙に、しかも大きく違うことがわかる。
測っているのではなく
存在している・・・
このニュアンスがわからない人は、
すでに灰色の男に乗っ取られているかもしれない。
お気をつけあそばせ・・・
私たちは、自分で1秒を作り出す、決めている・・・
そう言い換えてもいいだろうか・・・
この「1秒存在論」(sora命名)を私は昨日知った。
それは、最近マドモアゼル愛さんの動画で出てくる
角田忠信氏の本でだ。

それを知って私は確信したのです。
やはり、この世は自動詞だけなんだと・・・
時間さえも 司るわれわれの脳・・・
私たちは、時間と空間情報を統合するために1秒を生み出す。
時間があって、
われわれは観察するのではなく
観察するから時間が生まれるのだ。
わたしたちは、
さかさまを生きるようにごまかされ、強いられているのだ。
わかっていただけるだろうか・・・
時間と空間情報を統合、すなわち観察するたびに
われわれは、時間を生み出しているのだ。
しかも、観察は、われわれが世界をどうみるか、ということだ。
今、悲観していれば、未来は悲観的なものになる。
楽観していれば、未来は楽観的になる。
人によって、会っている時間が長く感じたり
あっという間だったりするのは、
われわれが時間をつかさどっているからなのだ・・・
時間に追われている人は、
時計の時間に従っているだけで
自分の観察と統合を
物理的な時間にコントロールされてしまっている。
だから、子どもたちはありのまま見ればいいし、
乱暴な表現をすれば、ほっておけばいいのだ。
彼らの観察の邪魔をしてはいけないのだ。
わかった、やっと根拠を見つけた気持ちだ!
自分の脳、つまり、
原初的で、根源的で、先験的な1秒を存在させる人は
自動詞で生きていることになる。
子どもたちにそう促せばいいだけなのだ・・・
それでこそ、彼らは彼らの世界を作ることができるのだ。
未来を創ることができるのだ。
ああ、やっとわかった・・・
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認めてもらいたいがゆえに引き起こされる歪み
この清々しい達成感を持っている人は、
例えそれが失敗に終わっても、その達成感は色褪せない。
むしろもっと色々とチャレンジしたくなる。
そして、世界が広がり、視点も広がり
どんどん意識の拡大が起きる。
ところが、人に認めてもらったからやったという軸でしか
達成感を持てない人は、
他人軸だから、どこまでも自信が持てない。
自信の代わりに、劣等感や罪悪感が押し寄せてくる。
なので、視野がどんどん狭くなって、
チャレンジする気持ちが萎えてくる。
視点も意識も縮小する・・・
小さい時なら、周りの大人が
「すごいね」と言ってくれる機会が多いから
承認が「やりたい」の原動力になる時もあるが、
だんだんと青年期を超え、大人になれば、
そうそう自分に関心を持ってくれる人もいない。
だから、ちょっとした壁に当たるだけで
過去に帰っていってしまって、
あのときがこうだったから今こうなった
あの人が邪魔をしたからうまくいかなかったという
言い訳がたくさんでるようになる。
これは一種の退行欲求である。
これが依存心の正体である。
そして、意外なことだが、
依存心は、無意識の領域に憎しみがある。
自分が本能でやりたかったことを押さえつけられ、
それを認めてもらえなかった憎しみだ。
「やる」「やめる」「続ける」がすべて他人軸だったため
反動としての憎悪も深く見えにくい・・・
自分が本当にやりたかったこと、やめたかったことの代替案として
「あなたが気に入ることをやったのに(やめたのに)」
「あなたは、『私のためだからやりなさい(やめなさい)』といったのに」
全然うまくいかないじゃないか!
全然楽しくないじゃないか!
そういって潜在意識の中では憎悪がうごめいている・・・
だから、
人の目が気になったり、
ちょっとでも達成できそうにない困難にぶち当たると
逃避が始まる。
結果、うまくいかなくなる場面が増えるから
一番の動機だった承認がますます得られなくなる。
もともと、自分の本能からやりたいという動機ではなく、
他者からの承認が、「やる」「やめる」「続ける」の唯一の動機だったので
逃避はさらに深まる。
たいへん厄介なのは、憎悪を向けたい対象が、
一番自分を守ってもらえて、承認が欲しい親だったりすることが多いので
直接、憎悪を遂行できずに、
逃避という形で、代わりに表現することになる。
時に、対象を代替させ、
配偶者や友人、子どもへという形で出す人もいる。
これが、
家庭・学校・職場などのあらゆるいじめ
DV
虐待
の正体であり、被害者、加害者の両方の闇である。
解決策?
一人から二人になる前に、
また、親になる前に、
自分にこの心の闇がないか確かめることだ。
また、親になるのであれば
その子がうまくいこうが、いかまいが
ありのままを認めること・・・
そういうことではないだろうか・・・
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theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
言葉の威力
言葉の力はあまりにも強烈なので
足をすくわれるときもあると書いた。
➡それは本当に自分で感じているのか?
今日は全く逆の観点で言葉について語ろう。
言葉は、こんがらがった心や状況の糸を解くのに役立つときがある。
今起きている自分の周りの環境が
一体どうなっているのか訳が分からなくなったとき、
なんとなく無気力になってしまった正体を知りたいとき、
なんとなく罪悪感にさいなまれてしまったとき、
言葉の威力借りて、その解明ができるようになる時がある。
たとえば、
ある若い女性が恋人からDVを受けているのに
「私が悪いから・・・」と
コントロールドラマの「犠牲者」を演じているとしよう。
この女性は、コントロールドラマという言葉さえも知らないので
自分の潜在意識では、エネルギーを奪われないようにして
犠牲者という立ち位置を演じることに心血を注いでいるとは気が付かない。
文字通り、犠牲者になりたいのだ。
相手は、尋問者や脅迫者となって
自分からエネルギーを奪うことでしか威張れないし、
やっていけない。
本当にやっていけないのだ。
犠牲者あっての自分だからだ。
エネルギーは、そんなことから得られないのに、
偽の自分をずっと演じ続けてしまう。
もっといえば、潜在意識という言葉や概念を知らないため、
犠牲者で居心地よく振舞おうとする潜在意識が、
このドラマを終わらせようとしていないことに気が付かない。
コントロールドラマ
犠牲者
脅迫者
尋問者
潜在意識
顕在意識
このたった6つの言葉を知っているだけで
自分と相手を客観視できるようになる。
脅迫者と犠牲者は常にセットで存在し、
片方がそのドラマから離脱しなければ
永遠のコントロールドラマの輪から抜け出れないし
本当は互いにエネルギーを得るためにやりたくてやっているだけで、
潜在意識では、抜け出したくないのだ。
相手が消えることは、自分がエネルギーを得られなくなることだと
潜在意識ではちゃんと知っているからだ。
仮に、友人が恋人のDVに悩んでいると相談を受けたとしても
そのからくりを簡単に見抜けてしまう。
言葉はそう言う意味でとても強力な威力を発する・・・
私がよく上げるこの言葉もそうだ。
「安全を得るために自由を放棄する者は、
最後にその両方を失う。」
ベンジャミン・フランクリン
人情として当たり前だが、
安全だけを渇望する心は
時には、もっと大切な自由を奪われることにもなる・・・
そう肝に銘じることにもなる・・・
言葉は、諸刃の剣・・・
どちらにしても威力があるということだ。
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theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
はちぃ⤴!?
この動画だけ異様な数字を出している項目があります。
それが、
「視聴者あたりの平均視聴回数」
これは、
視聴者があなたのチャンネルの任意の動画を
視聴した平均回数(チャンネル分析)、
またはこの特定の動画を視聴した平均回数(動画分析)です。
もっとざっくり言うと、
一人の視聴者のリピート率です。
これは、1.4を切ると
愛されていない

私のチャンネルは、
28日間で1.9
90日間で2.3
(下がってるやん!)
なので、セーフ(笑)ということになります。
その、視聴者あたりの平均視聴回数が、
前回の動画では、なんと
8
はちぃ~⤴


そのかわり、
日ごろは40%ほどある平均再生率が
26.2%とがくーんと落ちていますが・・・
平均再生率は、
視聴ごとに動画全体の何パーセントが
見られているかの平均値を示しています。
実は、今回改めてアナリティクスを見て、
ビックリしたのが、
この平均再生率が100%であったり、
100%を超えている動画があります。
(28日間あたり)
100%を超えるってどういうことだ?と思って調べると、
途中でシークバー(動画下の赤いバー)を戻して
繰り返し見てくださったということらしいです。
他にも、ほぼ100%というのも何本かありました。
自分でいうのも変ですが、
これって本当にすごいことですよね。
こんな素人が作った拙い動画を
そうやって見てくださる方がいる・・・
ありがたいことです。
こうやってデータを見ていると
私自身、
あれ!?
これって何しゃべたんだっけ!?
と思う動画もあって、
自分自身が新鮮です。
そんなチャンネルですが、
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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花とお酒と
桜は、もちろん葉桜になっていましたが、
今度は藤だぁ~ということで、
岐阜竹鼻の竹鼻別院というところへ・・・

ここは、父が生前
母を単車の後ろに乗せて何度か行ったようで・・・
懐かしがっていました。
肝心の藤は、やっと開花したばかりで・・・

それでもお天気が良かったため、
それなりに気持ちのいいひと時を過ごせました。
母がふと、
「ここにはボタンとかあったような気がするけど・・・」
ただ、どこにもそのボタンは見当たりません・・・
仕方なく車に乗り込んで、
しばらく走ると、
「あ、ボタンや!」
母が叫びます・・・
流れよく、そのまま駐車場へ・・・
母の記憶のボタンは、竹鼻別院ではなく
どうやらこのお寺だったようです。


真如山本覚寺・・・



ちょうど見ごろを迎えていました。
藤は、GW前にはちょうど見ごろになっているんではないでしょうか・・・
そして、
帰宅の途中・・・
意外なロードを見つけました。
遠くからでもわかるピンクの帯・・・
ここは何度も通っているのに
今まで全く気が付きませんでした。
なんと、八重桜メインの散策道です。


自然の息吹とは、本当にすごいです。
この一面の桜を見て不機嫌になる人はいないでしょう・・・
みんな笑顔で通り抜けていきます。



父は、自分で鯉の池を掘ったり、
洋ランを育てるために温室を自分でこさえたりと
土と花に囲まれた生活を送っていました。
その中で、
何一つ「これをやれ」と押し付けられたものはありません。
しかし、私の記憶と身体がその感覚を覚えています。
親が子に残すもので、一番偉大だと思うものは、
目に見えない「価値観」のようなものだと思います。
それは、その子供が本当に窮地に立たされた時
大きな支えになるからです。
しかも、決して消えることはありません。
土や花を通した価値観・・・
それを、なんという言葉で切り取ればいいのか
今ははっきりとはわかりませんが、
間違いなく私の心の支えとなっています。
この日最後の終着点は、
近所の昭和の居酒屋へ・・・
ある日本酒が手に入ったと
大将からわざわざご連絡をいただきさっそく向かいました。
発芽玄米酒
聞きなれない日本酒です・・・
あの五人娘と同じ蔵元です。
「むすひ」(真ん中)・・・

この日本酒は
いろんな意味で本当にすごいです!
蔵元の寺田本家、先代23代目寺田啓佐氏が
「日本一まずいお酒」と紹介していたそうです。
詳しくはこちら➡生命あふれる酒 発芽玄米酒
個性は、日本一でしょう・・・
わたしはどうか・・・
じんわり元気の出るお酒・・・そう感じました。
おいしかったですよ・・・

花とお酒と・・・
お陰様で、
いい一日になりました・・・
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自分で考えて、自分で行動できる子供に育てるための4ステップ
減った職種から選ばなければならない今の子供たち・・・
3万5000種ほどありました。
今現在、その職種は増えたでしょうか?
減ったでしょうか?
2020年現在で、職種は、1万7000種といわれています。
約半分に減ったわけです。
なくなった職種には、
機関車のかま焚き
電話交換手
灯台守
渡し船の船頭
・・・・・
あげればきりがないですが、
この100年の間に多くの職種が消えました。
また、
全くなくならないにしても、
極端に減った仕事もあるでしょう。
私の父の職業だった、背広職人もその中のひとつです。
これは、機械化、技術進歩の結果、そうなったとも言えますが、
その機械化、技術進歩によって
より人間に近い職業から消えていったとも言えるでしょう・・・
機械は、あくまでの私たちが主体である場合に自然であって、
それが逆転するとき、人は人でいられなくさせられることが多いです。
いわゆる、人生を盗まれる結果となります。
ここでも何度も登場する発達障害グレーゾーンの彼が
最近になって、歩荷になりたいと言ってきました。
マラソンが得意で体力があり、
力仕事もさほど苦にならず、
自然が好き・・・
高校3年生の時に、なにげなく話題に出したところ、
いつもどこかで引っ掛かっていたらしく、
今再び、目指したくたったようです。
現代社会において、
こうやって極端に数の少ない職種につくには、
物理的にその職種に近づいた経験をたくさん積むしかありません。
特に、機械化が及ばないところはそうなります。
山に登り、
山について知り、
道具について学び、
同じ趣味の仲間を作り、
経験値の高い人から学び、
まさに手探り・・・
わたしも、その都度調べるしかありません。
幸い今はネット社会ですので、
そんな希少な仕事でも調べればたくさん出てきますが、
事前情報が多すぎて、
やってもいないのにやった気になったり、
調べに調べているうちに、
熱意が冷めて結局やらずじまいということも多いので、
そこは注意が必要だ・・・
逆説的だが、
機械化が進み、便利になった現代こそ、
とにかく、小さなことからでもいいので、
自分の身体を使って経験することが何よりも重要だ。
いわゆる身近な地上にはないが、
まぎれもなく人間に必要な職業・・・
教育関係者として思うのです。
それは、地上で有名な職業だけでなく、
そういったニッチな仕事にもアンテナを張ること・・・
そして、彼ら彼女たちの特性によく気がつき、
その入り口まではつれていける智恵を持っていること・・・
職業に彼らを合わせるのではなく、
彼らに合う職業をあらゆるところから掘り出してくること・・・
そして、
人生が盗まれる職業ではなく、
人生が豊かになる職業・・・
その欠片でもいいので、見つけられる手助けをすること・・・
いえ、もっといえば、創り出してしまうこと・・・
私たちにお役目があるとすれば、
そういったことではないでしょうか・・・
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tag : 職種
それは本当に自分で感じているのか?
「天高く馬肥ゆる秋」
そこではたと戸惑った。
あれ!?
①これは本当に自分が感じた感覚だろうか?
②それとも、この言葉を知っていたからそう見えたのか?
秋は、本当に空が高いのか?
馬は肥えているのか?
その検証を自分の感性でちゃんとしたのか?
どこか怠ってはしないか?
そう感じたのだ。
私は日ごろ、生徒たちに言葉の大切さを説き、
自分自身も言葉を大切に使おうと気を配っている。
言葉の効用と重要性も、この年なりにわかっているつもりだ。
しかし言葉の弊害はこういうところにある。
それは、人か作った言葉に
自分の感情を合わせてしまうことだ。
言葉への服従・・・
言葉による感性の放棄・・・
それは日常的に、ちょっとした会話でも起こりうるし、
世論などは、これを利用した洗脳だ。
コロナは大変、
マスクとソーシャルディスタンスが大切、
ワクチンは打った方がいい・・・
そういった四六時中言われていることに
自分たちの感情を合わせてしまう・・・
ましてや感性さえも預けてしまう。
子どもを見ていて思う。
人は基本考えたくないのだ。
ましてや自分で情報を集めて掘り下げたくもないし、
仮になったとしても、時間がない。
だからこそ、手っ取り早く
誰かが作った「言葉」と「価値」に乗っかりたいのだ。
やがて、検証と違和感を感じる感性がマヒし、
いずれは消滅さえする・・・
為政者はそれを利用して
大きな世論操作と洗脳を成功させていく・・・
国家や社会、世間、会社は
自分の感性で考え、行動する人物はやりにくいし、忌み嫌う。
だからこそ、世論操作を行いやりやすくするのだ。
リップマン(1889-1974)という人物がいる。
アメリカのジャーナリズム界の長老と呼ばれた人物だ。

彼は、第一次世界大戦の際に、当時のマスメディアを使って
厭戦(戦争を嫌う)ムードのアメリカ国民を
ものの見事に好戦ムードの変えた張本人だ。
リップマンは大衆をこう分析していたという。
大衆は自分が考えていないことでも、
あたかも自分が考えたかのように錯覚させられてしまう。
したがって、為政者による世論操作は
いとも簡単にできてしまう。
私もいとも簡単にやられていることも多いだろう。
私が見たあの秋の青い空は、
「自分で感じたことだけ言葉にしなさい!」
いまでもそう戒めている。
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theme : モノの見方、考え方。
genre : 心と身体
存在を証明されていないコロナ
なんと堤未果さんのアカウント(スタッフ?)から「いいね!」をいただいて
うれしびっくりでした。
「金と人事を見れば世界がわかる」 堤未果 https://t.co/rUg7bUNNSd
— Sora☀ (@sora_8538) April 7, 2021
昨日上げた本の作者、船瀬俊介さんのツイッターから・・・
— 船瀬俊介の船瀬塾 (@funasejuku) April 7, 2021
お金をもらっている人がワクチンを勧めます。
この方、ご自身は打たれてるのかどうか・・・
ここでもお金と人事です。
ファイザー社のコロナワクチンの添加物と副作用・・・
➡ファイザー添加物の副作用詳細
先日もある常連の方からお聞きしましたが、
すでに一回目を打った医療関係者のかたが、
上腕に打ったワクチンで
ひじから先が曲がらなくなったというのです。
そうでしょうね・・・
しかもそうなっても、言える空気ではなく黙っていて
誰かが同じ症状になって初めて
「あ、私も!」となっているようです。
従順になりすぎないでくださいね。
アメリカでは、こうなっている例もあります。
J&J製ワクチンを接種した米人男性の皮膚が真っ赤に腫れ表皮剥離の副反応——ドイツ政府はアストラゼネカ製ワクチンを60歳未満に投与することを制限 https://t.co/JuZqbeZTFw
— 船瀬俊介の船瀬塾 (@funasejuku) April 5, 2021
そんなに安全なら、国会議員さん全員打ってから
せめて1年ぐらいデータを取ってほしいものです。
ただ、有名人がワクチンを打つときに
マスコミを呼んでパフォーマンスをしますが、
注射器に細工がある場合もありますので
乗せられないようにしてくださいね。
🇮🇱💉打ってねーじゃん pic.twitter.com/rg4rWUrOxM
— 🇯🇵 🇩🇪 JK Trump Supporter Japan🇺🇸 (@TTrumpSJapan) March 8, 2021
そもそもです、コロナワクチンは存在証明されていません。
しかも各国がそれを認め始めています。
➡コロナはないと認めた各国機関①
➡コロナはないと認めた各国機関②
存在を証明できないものに
どうしてそれに対抗するワクチンが作れるのでしょうか・・・
そしてさらに、文科省もマスクの科学的がないと認めているのです。
敵もいないのに、
町中をこそこそ歩き、
自らも毒する防御グッズを作って
広めようとしている滑稽さです。
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「金と人事を見れば世界がわかる」 堤未果
それは、この動画を見たその方のお母さんが、
ふけとかゆみで悩まされるお父さん(旦那さん)に
このせっけんを勧めたところ、さっそく取り入れていただき
それから3か月ほどたった最近、
すっかりかゆみもふけもほぼなくなったというのです。
いまでは、おばあちゃんも
このせっけんで顔を洗っていらっしゃるようです。
本当に良かったぁ~
ふけは、頭皮の垢なんかじゃなく、
頭皮そのものが、有害なシャンプーによって
息絶えて剥がれ落ちているのです。
それを垢と勘違いして
トリートメントでごまかしたり、
さらにシャンプーでよりしっかり洗うという
悲劇を繰り返してしまうのです。
頭皮からは、経皮によって毒が体内に入りますし、
かゆみがひどくなります。
ひどい時は、その頭皮から二度と
頭髪が生えてこないということになります。
この動画は、もちろん私自身の体験を動画にしたものですが、
ちゃんと科学的なこの本を読んで投稿しています。

私は基本、自分が試したもので良かったものしか勧めませんし、
もちろん採用するしないは皆さん次第ですが、
生徒や、生徒のおじいちゃんおばあちゃんなど
実際体験された方にはお分かりいただけると思います。
こういうお話をすると、
「本当ですかぁ~!?」
と意地悪な雰囲気で追及される方が見えます。
わたしは、本当に気の毒だなーと思ってしまいます。
ご自身が、かゆみや腫れで苦しんでいるのに
一歩前へ出ようとしないわけです。
なぜなら、シャンプーやせっけんの許可を下ろすのが厚労省です。
この体に優しい石鹸を
ボディシャンプーや頭髪のシャンプーとして認可したら
大企業がどうなるかを想像してみてください。
その安全で安価な白い石鹸を、
身体にも使っていいと認可しない理由が「お金」であると
お分かりかと思います。
一歩前でない人たち・・・
皆と一緒のことをしていないと
安心でないと思い込んでいる人たち・・・
これは、医者通いを止めない人たちや
薬やワクチンにすがろうとする人たちと同じことです。
先日ある会合で、75歳ぐらいの男性が
65歳の女性に向かって
「ワクチンは打たなあかんぞぉ~!」と
吠えていらっしゃいました。
大げさでなく、本当に吠えていらっしゃるんです。
ちなみに、この女性は、打たないでおこうと言って
やんわりとかわそうとなさっていましたが、
(いままで、インフルエンザも打っていない)
そのセリフをあえて遮った男性の「吠え」でした。
私の心の声 (ああ、言っちゃったぁ~)
「そんなもん打たんと、どっこもいけへんぞ!」
「かかりつけの医者やったら、
副反応が出てもちゃんとやってくれるぞ」
これがその男性の打つ理由でした・・・
この人は、
インフルエンザワクチン被害を知らないのか?
薬害エイズを知らないのか?
子宮頸がんワクチン被害を知らないのか?
そもそも、今回のワクチンが
遺伝子組み換えワクチンということを知らないのか?
人類初のワクチンで、
誰もどうなるかがわからないとされるワクチンで、
しかも、未だご自身も打っていないのに
この「安全だ!自信」はどこから来るのか・・・
実は似たような流れを
ある居酒屋のよもやま話で聞こえた経験があります。
こうやって、巷で
ワクチンへの同調圧力が育っていくんだなと
ある種、大衆感情の恐ろしさを知りました。
そして、あの言葉を思い出しました。
「安全を得るために自由を放棄する者は、
最後にその両方を失う。」
ベンジャミン・フランクリン
ちなみに、ワクチンは任意です。
厚労省が広報で言っているのです。
➡世の中嘘だらけ
ワクチンがしれっと「安全だ!」と広報されるからくりはこちらです。
5分55秒からは、CMですのでスルーしてください。
ただ、今週の金曜日までの公開らしいので
この導入だけはご覧になる価値は大いにあります。
堤未果さんが紹介されていたワクチン動画は
削除の憂き目にもあっています。
➡ワクチン接種開始
つまり、この削除動画内容が真実だったという何よりの証拠です。
このジャーナリスト堤未果さんの旦那さんは
あの薬害エイズ当事者の川田龍平氏です。
そして、きちんとした調査のもと、本も書いています。


彼女がいつも言う、「金と人事を見れば世界がわかる」は、真実です。
➡堤未果HP
まさにその通りです。
せっけんもシャンプーも
薬もワクチンも・・・
皆、 根は同じです。
私たちのいのちは、
この金と人事によって最大の危機を迎えているのです。
もちろん信じるか信じないかは、
自由です。
ただ、
打つ、飲む自由があるように、
打たない、飲まない自由があるのが、
成熟した世界、国なのではないでしょうか・・・
長く生きられないと思っていた自分を変えたのは、薬害エイズ裁判の勝利と沢山の方々の支えでした。 薬害、公害、原発事故、根っこは全て同じです。目先の利益の為にいのちを切り捨てる構造を本気で変えなければなりません。 私、川田龍平は「子どもたちに同じ苦しみを味合わせたくない」という思いから、「いのちが最優先される社会の実現」に生涯をかけると決めました。どうか政治をあきらめないで下さい。子どもたちの未来とこの国を守るために、一緒に頑張りましょう!
参議院議員 川田龍平
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theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済
マッチ型線香「hibi」
彼らの一番の関心事は、やはりクラス替えでしょう。
中3にとっては、修学旅行もあるので
かなり重要な案件です。
私たちぐらいの年齢になると、
クラス替えのあの緊張感はもう遠い昔・・・(笑)
でもその気持ちは十分に察することができますね。
さて・・・
私が最近よく使うものに
この hibi というマッチ型の線香です。
もともとわたしは、香りにこだわりがあるほうではなく
時々しかお香を使わなかったのですが、
マッチ型という手軽さと灰の処理の簡易さから、
PC前に座ると、すぐにつける習慣になってしまいました。
伝統産業である 淡路島のお香と、播磨のマッチが
コラボした商品です。

マッチのように火をつけて、

しばらくすると消えるので
それを不燃性のマットに置くだけです。

10分ほどで消えるので
瞑想される方はそれ用にも便利です。
音 色 香り・・・
優劣はありませんが、
特に香りは一番細やかな周波数と聞いたことがあります。
その時、気持ちがいいものが
あなたにとって必要な周波数なのでしょうね・・・
気になる方はこちらをチェックしてみてください。
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いつも、ちょうどいいのです・・・
旅動画、淡墨桜版をつくってみました。
すべてが映像のみで
何の語りもありませんが、
風の音
鳥の声
川のせせらぎ
人々の穏やかな空気
そういったものが伝わればと思います。
11分少々ですが、よろしければご覧ください。
桜は、亡くなった人たちの依り代のような気がいたします。
わたしにはそう感じます。
だから人間の都合だけで、
例えば、
新しい道路を建設するときに邪魔だ、とか
落ち葉や毛虫に悩まされる、とか
そういった、人間だけの都合でバッサリ切ってしまうと
それはそれで何かが起きるのではと思っています。
迷信と言えば迷信ですませばいいのでしょうが、
わたしにはそうは思えません。
私が住む町でも、
あるお寺が、それはそれは見事な桜を
何本も一気に根元から切ってしまって
とても痛々しく思っていましたが、
先日そこを通った折、
花束が手向けられているのを見て
(事故でどなたかが亡くなった)
ああ、やっぱりと思ってしまいました。
私も含めて、人間というものは
自分の都合だけであまりにも自然を扱いすぎです。
今回の淡墨桜は、たまたま満開時に伺うことができましたが、
そうでないときが多いのが桜です。
桜がどんな状態でも、
その花を愛でることができた喜びを
桜と一緒に喜ぶ・・・
今年も見せてくれてありがとう・・・
そういう気持ちで桜と出会う・・・
それがいいのです。
人間、なんでも「満」を望みますが、
少し不足している方がちょうどいいのです。
ああ、あれが足りないな・・・頑張らないと・・・
ぐらいがちょうどいい・・・
自分に出会うすべてのものは
その時の自分にふさわしく、
ちょうどいいものしかやってこないのです。
そう思って過ごす人生は
潔く、気楽でいいです。
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顔を上げ花を愛でる
これは理屈ではないのです。
動植物、土は、私たちに惜しげもなく
無限のエネルギーを与えてくれます。
そこに身をゆだねるだけで私たちは元気になります。
なぜだかわかりませんが元気になります。
だから、人からエネルギーを奪わなくても
自然からエネルギーを充電できるのです。
コントロールドラマの悲劇は、
私たちが日常的に、動植物や土から離れた弊害です。
さて、今回のコントロールドラマの動画は最終話「脅迫者」です。
エネルギーバンパイアの中でも、一番根が深くパターンです。
なぜなら、これまでのすべてのエネルギーバンパイアを経ても
自分には味方がいない、エネルギーがないと思ってしまっているので
最終手段として「脅迫者」になってしまうからです。
ここまでくると、周りは「犠牲者」となって味方のふりをするか
早々と遠ざかります。
だから本人も改善しにくいエネルギーバンパイアです。
DVや虐待など深刻な場合は、
もう個人として直していくことが困難となり
社会的専門機関にゆだねるか
取り返しがつかなくなる場合が多いです。
今回の動画は、先日訪れた
岐阜県本巣市根尾の淡墨桜とともにお話しています。
(始めと終わり)
よろしければ、ご覧ください。
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theme : ありのままの自分になるために。
genre : 心と身体
tag : コントロールドラマエネルギーバンパイア脅迫者
手作り鞄から見える世界
随分と前に、旅先で買った手作りの帆布鞄です。

私は基本、着るもの身に付けるものは「綿」が好きです。
この鞄は、自分が中学の時に使っていた指定鞄とよく似ているのですが、
確か1000円ほどで売っていたものを購入させていただきました。
布代だけでもこのぐらいしますよね。
手間をかけて作ったものをこうして安価でしか売れないのが
今の資本主義の弊害と限界です。
私の父の「テーラー」が斜陽を迎えた理由は、
技術が悪いわけではなく、
安い安易な背広が大量に輸入されたという
市場原理のためです。
資本主義だけで世の中が動くと
まず、文化・技術が壊れます。
小さな町の商店街が
シャッター街になるのも同じ原理です。
安いことは確かに消費者にとってありがたいことですが
長期的な視野と、文化・技術という視点では
片手間と言わざるを得ません・・・
伊勢神宮の遷宮もその技術の伝承という視点で
有意義なこととされていますが、
わたしにはどうしてもそうとは思えません。
壮大な、神社庁という合法的な
搾取型市場原理を隠れ蓑にしていることは
事実として見つめる必要があります。
だからこそ小さな神社が、合祀、合併の憂き目にあうのです。
本当に価値のある小さなものに
きちんとした潤いが届かないのは、
人間の手足・足先まで血流が届かない仕組みですから
いのち基準とは言えません。
今だけ、金だけ、自分だけ が
市場だけでなく、しれっと神仏を語る世界にまで
及んでいるのがいまの世の中です。
だから、山口県の四代正八幡宮の敷地を
宮司を差し置いてまで(死に至らしめて)原発会社に売却するという
狂気の沙汰が行われるのです。
➡原発と闘った宮司の死 ~原発は核燃料保管装置 + 神社本庁は用兵装置=核武装して戦争をする国
一つの鞄から見える闇の世界と資本論理・・・
戦後、高度経済成長から狂い始めた世界の異様さが
この鞄とその値段からうかがえるのです。
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淡墨桜と墨俣
徹底的に桜を楽しむと決めていたので
昨日は、淡墨桜と墨俣の一夜城近辺の桜を見に行きました。

淡墨桜はもう4・5回行っているのですが、
何度行っても、何時間も滞在してしまう
素晴らしい「気」のところです。
絶景の場所があって、
遠く雪山が見える場所があるんです。

能郷白山です。
私はここが一番のお気に入りです。
あまり人も来ませんので
ベストスポットです。
ちなみに、ここに来るのは早朝に限ります。
最後は一車線道ですので
昼近くには、渋滞します。

遅くとも9時には到着されるといいでしょう・・・

そして帰りには、若い時に行ったきりの墨俣一夜城・・・
ここは、豊臣秀吉が信長に命じられて
美濃の稲葉山城を攻める拠点に3日ほど(諸説あり)で建てた城です。
ここではないもう少し上流で材料を集め
すぐに組み立てられるように加工し、
いまでいう、プレハブ形式で建てたのです。
ここの桜も見事です。

ちなみに城は、大垣城を模して造られているそうです。
三重にも桜の名所は多いですが、
どうしても故郷の桜に戻ってきてしまうのは
これ、本能というのでしょうか・・・
どちらも「さくら祭り」というものは中止になっていましたが、
人はたくさん集まっていました。
さくらの下に集まるなというほうが野暮だと思います。
どうせ集まってしまうのですから、
祭りは復活させましょうよ・・・ね。

一年分の桜を堪能できました。
また来年お会いしましょう!

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tag : 桜
モモと桜
多くの気づきをもたらし、
そして、いまだに読み解けない部分があり
読み振り返るたびに
新しい発見がある本を挙げてくださいと言えば、
断トツこの2つを挙げます。
「銀河鉄道の夜」

「モモ」

タイトルは知っていて、よく聞く本なのに
すべてを読んだことがない本の代表的なものかもしれません。
「安全を得るために自由を放棄する者は、
最後にその両方を失う。」
ベンジャミン・フランクリン
「モモ」の方はまさにこの言葉のことを言っています。
深読みすれば、
銀河鉄道の夜のカンパネルラもそうだと思います。
闇権力のベンジャミン・フランクリンの言葉に
もう一つ有名な言葉があります。
それは、
「時は金なり」
ビジネスマンがよく好んで使うのではないでしょうか・・・
一見、
まさにそうだと膝をたたく人も多いでしょうが、
これは、誰にとっての「時」か?によって
充実した人生
束縛された人生
の二つに分かれます。
私がいつも言う、この世はすべて自動詞・・・
この視点が欠けると、
私たちは「時は金なり」どころか
自分のいのちを縮めることにつながります。
どういうことかもう少しわかりやすく説明します。
例えば自動詞の方・・・
「私の時は金なり」
これは、自分の人生を無駄にしないで
人生は一度きり、と「時」を大切に生きることを意味します。
だから、休む時も大切になります。
自分のペースを守りつつ
頑張る時もあくまでも自動詞・・・
自分が頑張りたいから頑張る・・・
夢中になりたいから寝食を忘れて没頭する・・・
そういう「時」です。
ところが今の資本主義社会・・・
赤の他人が、自分に向かって「時は金なり」と言った瞬間、
時は自分のものではなくなります。
コントロールが入ります。
余分な時間を使わず、
あらゆる時を、生産性と利益(金)に換えよ!
そういう「時」になるのです。
そこでは、休むこと、さぼることをはご法度・・・
ましてや自分ペースではなく、
他者の利益のため、時計のペースで動かなければなりません。
近代は、「測定」の時代がスタートしました。
時計、ものさし、秤・・・
可視化と言えばスマートっぽいですが、
そういったもので、人間のあらゆる生活を測り(計り)はじめ
無駄なものを排除し始めた時代です。
他動詞としての「時は金なり」は
わたしたちから「時」の優しさを奪いました。
さすがは、闇権力の言葉です。
ほけーっと桜を見る・・・
友達と他愛もない話をする・・・
猫のしぐさを永遠に見つめる・・・
そういった時間は無駄なこととして
「時は金なり」とすれば、
われわれから、文化は消え
芸術は抜き去られ
いのちは干からび、死に体となってしまうことでしょう。
モモは、そんな時間泥棒から
皆の時間を取り返すファンタジーです。
でも、いまの社会、
ファンタジーと感心している場合ではありません。
私たちの周りにも、時間を盗んでくる
他動詞軍団、灰色の男はすぐそばにいるのです・・・
「後ろ向きに歩け!」
時間を取り戻しに行ったモモが危機に直面した時
亀のカシオペイアが言うセリフです。
このセリフが私たちを灰色の男たちの呪縛を解くカギでしょう・・・
皆さんはどう読み解きますか?
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