令和buzz341・・・独学の火

800ページ弱の大作である。
最初から「やり方」を気にするようでは見込みがない
「勉強しろ」と口先では言う大人は少なくないが、そういう大人が誰かを勉強させることに成功しないのは、そう口にする当人が「勉強なんてできれば避けて通りたい」と思っているからだ
ハウツーを押し付ける勉強本に対して・・・
つまり、一方では「あなたのやり方は間違っている!」と脅し付け、もう一方では「○○だけすればいい」と安易な道へそそのかす
「どのように学ぶか」よりも「何を学ぶか」が大事だし、
「何を学ぶか」よりも「学び続けるか否か」の方が重大だという話だ
どれもこれも今すぐにでも
子供たちに伝えたい言葉ばかりだ・・・
時に最初のこの言葉・・・
最初から「やり方」を気にするようでは見込みがない
成績が思うようにならない生徒は必ずこの質問をします。
もちろんやり方を説明しますが、
それをやり切る生徒は1%もいません(苦笑)
まさに学び続けるか否か?
そここそが重要で
やり続ける!
やり続けたい情熱!
これが先になければ、すべて元の木阿弥・・・
万物を構成する四つの元素
火地風水・・・
マドモアゼル愛さんによれば、
はじめの「火」が全ての始まりだそうです。
つまり、何かをやろう、やり続けよう・・・
それが全ての始まり・・・
だからこそ、こう言えるのです。
最初から「やり方」を気にするようでは見込みがない
わたしは、占星学のように
普遍的定理を発見しているわけではありませんが、
体験上、まさに
やろうとしなければ、何も生み出せない
やり続けなければ、世界に影響を及ぼすことはできない
これは嫌というほどわかっています・・・
独学者に必要な支援は、<脳科学に基づく学習法>といった神経神話や生存バイアスに満ちた<独学で成功した>著名人や学歴エリートの自慢話ではないはずだ
そういう類の本を何冊読もうとも
そういった高尚なセミナーをいくらかけて臨もうとも
結局は自分の中の「火」を発見できなければ
いい話を聞いたなーで終わりなのだ。
学ぶことで人は変わる。
変わるためにこそ人は学ぶ。
誰にでもある、変わりたいと言いつつ学ばない怠惰・・・
この性ゆえの歯がゆさ・・・
でもそれをあきらめずに何度も立ち上がれば
一隅を照らす光になれるのかもしれない・・・
さあ、
今日も頑張りましょう・・・
tag : 独学
令和buzz340・・・昔話後編~塾人が親御さんを叱る時~
しかし、何らかの事情で
そのプライドが保てなくなったとき
人をコントロールしてまで守ろうとする人がいます。
いえ、自分のプライドとそのコントロールが
全く関係ないことだと気が付いていないのが
厄介なところです。
「見栄」です。
親御さんが、この見栄で子供をコントロールし始める時
状況は本当に醜いことになっていきます。
親御さんと本人の進路希望が違うことは
本当によくあることです。
しかし、たいていの場合、
親御さんが折れる形(納得)で
子どもの意向に沿って行きます。
このお母さんは、まったく逆でした。
子どもの第一志望校(公立)が固まれば固まるほど
自分の面子が立つ私立にこだわりました。
しかも、最後の最後にこう言いました。
「(この私立に)受からなければ私は引っ越しします!」
「まじめにお考えですか?」
「はい!耐えられないので」
唖然としました・・・
子どもが今一生懸命に第一志望校に向けて
必死に努力しているにもかかわらず、
この期に及んで自分の体裁と見栄を優先し、
しかも、落ちたら恥ずかしいので
引っ越しする・・・とな・・・!
「お母さんそれは違います!」
「子どもさんが今一番苦しいときにそのセリフはいけません」
「お母さんの面子のために
子供さんは生きているわけではありません」
正確な言葉尻は忘れましたが、
こういった言葉で真剣に叱りました・・・
親御さんに・・・です。
「先生はうちの田舎の空気を知らないんです!」
涙をにじませて怒り始める親御さん・・・
どこまでも自分可愛さが爆発していました。
(いやいや・・・)
(知っていても同じこと言います・・・!)
それは、本来なら
お母さん自身が乗り越えなければならない
心の未熟さでした。
その未熟さが、醜いほど膨れ上がり
子どもの人生さえ道連れにしようとしていた瞬間でした。
今ならもう少し、上手にお話しできたかもしれません。
しかし、当時あの言葉が
私にとっての精一杯の誠意でした。
柔道
剣道
茶道
華道
・・・・・
受験にも「道」があります。
なにがなんでもある高校に入ることだけが・・・
しかも、子供さんの意向を無視して
自分の面子、見栄を優先させる受験・・・
それは道に反することです。
道を外れようとしていたそのお母さんとは、
ある種の物別れになった苦い経験でした・・・
その一か月後、
この生徒さんは見事第一志望校(公立)に受かりました。
あれから15年ほどたっているでしょうか・・・
もう30歳ほどかな・・・
彼女は今どうされているでしょうか・・・
幸せをお祈りしています・・・
追記・・・
本日の動画です。
「観察は愛」
このお母さんも、
自身のご両親を観察し見つめなおすことで
もっと楽になったのかもしれません。
よろしければご覧ください・・・
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tag : 高校受験
令和buzz339・・・昔話前編 ~塾人が親御さんを叱る時~
親御さんに意見したり、
ましてや親御さんを叱るということに
気が引ける場合が多いでしょう。
私の場合、
意見をすることは比較的できた方ですが、
どうしても親御さんを叱らなければいけないときに、
きちんと叱った経験をしたのは、
やっと35を超えた頃でした。
今日はその昔語りをしたいと思います。
そのお母さんは、いつもお会いすると、
どこかおどおどと自信なさげだったのですが、
不気味なほど内面の奥の奥に
何か奇妙な乱暴なものを感じる・・・
そんな違和感を覚えていました。
通りいっぺんの成績のお話をするときは、
その乱暴さが出てこないのですが、
ある時とうとう
その乱暴さが出てしまう場面になってしまったのです。
20年ほど前のお話ですので
細かなところはあいまいかもしれませんが、
たしか、こんないきさつでした・・・
それが、子供さんの受験も近づき
いよいよ合否の現実味を帯びたお話をしたときでした。
その生徒さんは女の子で、
第一志望の公立の高校に行けるかどうかという
ギリギリの実力でした。
それは、直前の私立を受験しようというときの
二者面談でおきました。
その私立は、いわゆる名が通っている高校で、
もちろんコースは複数ありましたが、
その高校名を出せば、
いわゆる「面子」がたつという高校でした。
この「面子」という言葉は、
お母さん自身が何度かさりげなく触れた言葉でした。
私は、受験に関してこういう言葉は、
本当に警戒する言葉です。
しかし、話がそれ以上膨らまなかったので
そのままで流しておきました。
ただ、お母さんの期待とは裏腹に
その高校はギリギリ・・・というより
かなり厳しい状況でした・・・
場合によっては、公立一本になりかねない状況でした。
お母さんは、どちらかというと
生徒さんが第一志望にしている公立高校は気に入らず、
その、名の通った私立の方がよさそうでしたが、
本人はその公立でやりたいことがあって
決して初心を曲げませんでした・・・
お母さんがなぜ生徒の第一志望校が
気に入らなかったのか・・・
それは、お母さんが中学だったころ、
その高校は、決して評判がよくなく
いわゆる「面子」が立つものではなかったからです。
時代が移り、その高校の実態は大きく変化していました。
実に面倒見の良い、就職率も高い
まじめな高校の変わっていたのですが、
お母さんのイメージは、ご自身の中学校時、
大昔のままでした・・・
そんな状況下で、ちょうど今頃の時期の面談で
お母さんはある言葉を発したのです。
つづく・・・
tag : 高校受験
令和buzz338・・・学力とは安心感のこと
今の本は、10万部売れたらベストセラーですが
昔の本は、50万部、100万部でした。
この本もそうです。
当時の帯には65万部突破と書いてあります。

先日もこの本について書きましたが、
改めて読んでみると本当に凄い本です。
子ども、
特に小学校の低学年ごろの子どもたちは
家庭の空気がそのまま学力の土台となります。
まずは、親御さんが学び好きか?
子どもは親が好きなものを
好きになる傾向があります。
親御さんが歴史が嫌いなのに
歴史が好きになる子供さんにはならないのは
自然な道理です。
親御さんが本も読まずに、
単語で命令口調で話すのが常であれば、
子どもが論理的に考えるようにならないのも
自然の道理です。
そして、何よりも、親御さんが落ち着いているのか・・・
近づいて安心できる空気を作っているのか・・・
これはもっと大切なことと言えましょう・・
この本にも書かれていますが、
ちいさな子どもさんが勉強しようという気になるのは
いったいどんな時か?
それは・・・
「親がそばにいてくれて、優しくしてくれる時」
異論がある人は少ないと思います。
明治の学生発布以来、
子どもたちの教育の目的は
「富国強兵」の一端を担うこととされてきました。
立身出世・・・
実に胡散臭いのですが、
システムごとそうしてしまったわけですから
ご家庭が躍起になってしまうお気持ちも
わからないわけではありません。
意外に思う人もいるかもしれませんが、
令和になった今でさえ、
国の教育の目的は、
富国強兵
立身出世(させる)なのです。
ゆとり教育も個性化教育も
一部のエリートをあぶり出すための詭弁にすぎません。
教科書は、一般的生徒には
3割しかわからなくていい設定されているようです。
以前ブログにも書きましたが
➡迷走する教育
教育課程審議会会長として、ゆとり教育に舵を切った三浦朱門は、
こう発言しています。
【新・学習指導要領の答申(ゆとり教育時代)の最高責任者として関わっている】
「つまり、できんものはできんままで結構。
戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、
できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。
百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。
限りなくできない非才、無才には、
せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
(中略)
国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、
すごいリーダーも出てくる。
日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。
それが“ゆとり教育”の本当の目的。
エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
(ゆとり教育の目的は、エリート教育だったより)
これがなによりの証拠です。
国は、ひとりひとりの豊かさや幸せなど
ちっとも考えていないのです。
学力と収入をがっちりリンクさせ
数少ないパイを奪い合えというのです。
政府は、
自分たちの意に添う知識人だけを優遇し
富国に役立つ大学に助成金を増やし、
そこで学ぼうとする若者だけに授業料を免除したり
給付型の奨学金をあてがうのです。
今の状態では、教育は
生産性だけを求める資本主義教育です。
わたしは、これを教育と呼びません。
わたしは、教育を文化と考えています。
私の父が歴史好きだったため
私も好きになりました。
チャップリンの映画から
TVの落語から、弱い者への寛容という世界を知りました。
母が聖書を読んでいたため、
「汝」などという難しく古典的な言葉にも触れました。
だから、就学前の小さなお子さんには
学力ではなく、愛情のある教養がたっぷりと必要なのです。
早急な結果だけの学力ではなく
※涵養が必要なのです。
※涵養:水が大地に染み込むように無理をせずゆっくりと養って育てることです。
リビングでたっぷりの愛情がある
たっぷりの会話がなされ、
人として語彙力が豊かになる時間の使い方・・・
要は、親御さんのさりげない根気が
子どもの根気となり、教養となるのです。
それこそが、まさに見えない学力というわけです。
もちろん、政府の要請通りの教育をしたいという
ご家庭があってもいいでしょう・・・
どちらにしても教育とは、
その子の20年後、30年後に答えが出るものなのです。
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令和buzz337・・・百済と新羅
今はメインで「階伯」と「善徳(そんどく)女王」を見ている。
何が面白いかというと、
それぞれ、百済と新羅のお話なので、
日本の古代に思いをはせることができる・・・
「仏教伝来が6C百済から・・・」
という歴史はご存知の方も多いが、
この百済と新羅、高句麗、伽耶、そして倭(日本)・・・

(伊那谷は、古代から「風の谷」だった。より)
この5国は、まぎれもなく兄弟・・・
政治の仕組み、宗教、国王の名前・・・
日本が古代において
卑弥呼をはじめ女帝の歴史が多かったのは、
新羅の善徳女王の影響で当たり前からだろうし、

(女性天皇より)
武烈、文武など
日本と韓国の共通の国王名があるのも
納得できる・・・
学校で習う日本の歴史の不十分さは、
特にこの古代に多いのだが、
古事記や日本書紀の編纂目的を考えると
本当の祖先や韓国からの難民王族に触れない日本の歴史は、
本当に不自然極まりない。
かの坂口安吾も分析している。
「つまり 天皇 家 の 祖神 の 最初 の 定着 地点 たる タカマガ 原 が 日本 の どこ に 当る か。 それ を 考える 前 に、 すでに それ 以前 に 日本 の 各地 に 多く の 扶余 族 だの 新羅 人 だ のの 移住 が あっ た という こと、 及び 当時 は まだ 日本 という 国 の 確立 が なかっ た から 彼ら は 日本人 でも なけれ ば 扶余 人 でも なく、 恐らく 単に 族長 に 統率 さ れ た 部落 民 として 各地 に テンデンバラバラ に 生活 し て おっ た こと を 考え て おく 必要 が ある。
高句麗 と 百済 と 新羅 の 勢力 争い は、 日本 の 中央 政権 の 勢力 争い にも 関係 が あっ たろ う と 思わ れる。 なぜなら、 日本 諸国 の 豪族 は 概ね 朝鮮 経由 の 人 たち で あっ た と 目す べき 根拠 が 多く、 日本 諸国 の 古墳 の 出土 品等 から そう 考え られる ので ある が、 古墳 の 分布 は 全国 的 で あり、 それら に 横 の ツナ ガリ が あっ た で あろ う。 そして コマ 系、 クダラ 系、 シラギ 系 その他 何 系 という よう に、 日本 に 於 ても 政争 があっ て フシギ では ない。 むしろ、 長らく かかる 政争 が あっ て、 やがて 次第に 統一的 な 中央 政権 の 確立 を 見 た もの と 思わ れる。」
坂口 安吾. 安吾の新日本地理 10 高麗神社の祭の笛――武蔵野の巻――
戦後、天皇万歳の呪縛から解放された知識人が
自由闊達に天皇家の祖先を語る件は、
本当に胸のすく思いがする・・・
かえって今の方が重苦しい空気なのは
私たちの不勉強と学校での隠蔽、
マスコミの洗脳によるものが大きいだろう。
古代、ちいさな日本海を挟んだ5国が
時には兄弟、時には骨肉の争い、
時には狐狸の化かしあい・・・
そんな国々が、互いに無縁なはずもなかろう・・・
お正月も近い。
なぜしめ縄なのか
なぜ鳥居は横棒が二ホンなのか
なぜ神社参拝なのか
なぜ、安倍氏や菅氏、麻生氏が
汚職、欺瞞、いのちと金の搾取の罪にまぎれても
一向につかまらない原因がこの古代にある。
私たちはもっと興味を持っていい・・・
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令和buzz336・・・あと10日ほどピークアウトします!?
因果関係どころか、
相関関係さえないものをいじろうとする・・・
どうしてこうもセンスがないのでしょうか・・・
どうせ時短なら、学校や会社の会議など
もっとみんなが行くのを嫌がる場所を
時短にすれば、受け入れられるのに・・・
コロナ第三波!
大変大変と心配されている方、
ご安心ください。
コロナは、30-40日以内に「自然に終焉」し、
時短やロックダウンをしてもしなくても
発生から70日間続いた後に収束しますので・・・
➡研究:COVID-19感染はロックダウンに関係なく70日で沈静化
➡パンデミックは今後30-40日以内に「自然に終焉」する : イスラエルの著名な数学者が、新型コロナの感染は「ロックダウンをしてもしなくても」どちらも発生から70日間続いた後に収束するという理論を発表
世界には頭のいい方が冷静に分析してくれています・・・
ということは、このグラフから推測すると

そろそろピークアウトしそうですよね。
12月の終わりか、
お正月ごろには収束を迎えているでしょう。
どちらかと言えば、
ウイルスは、どちらかが流行ると
どちらかが収まる性質がありますので
コロナ第三波が終息した後、
高齢者のインフルエンザと
餅の喉のつまり事故の方を気をつけてあげてください。
そちらの方が、よほど数が多いですから・・・

今回のことで、ある程度自然に任せることの大切さ、
政府が手を加えると余計ややこしくなるという事実、
そういったことが学べたといういい経験にしないといけませんね。
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theme : コロナウィルス関連
genre : 心と身体
tag : コロナ
令和buzz335・・・まだ知らないとヤバいです!
#GoToよりも指定感染症を見直して
— フェラリもん (@autolucemodena) November 23, 2020
コロナは日本においては
インフルエンザ以下
567🧠に、このエビデンスを見せたら
みんな、逃げていなくなった。🤣 pic.twitter.com/QXrn4xOw5R
マスコミはいったいいつまで
コロナの感染者数を報道し続けるのでしょうか?
遺伝子検査であるPCRは
病原体検査であるとは言えません。
ちなみに、マスコミはいつの間にか
陽性者数を感染者数と言っています。
これも誤魔化しです。
陽性者と感染者とは違います!
しかもその陽性判定も擬陽性が多く出て
科学的根拠になりません。
➡PCR検査は無意味
福岡市の市長は、GoToとコロナに
相関関係がないことをグラフで示していました。
➡Go Toトラベルと福岡市の感染者数に相関関係はみられませんでした。
一方、政府のコメンテーターは「あるだろう」というあいまいな表現・・・
➡分科会経済専門家・小林慶一郎氏 GoToと感染増の関連「何らかの関係はあると思う。あるんだけれど」
どちらが説得力があるのかは小学生でもわかります。
昨日もたまたま出先で流れていたTVで
コロナの感染者数を深刻ぶって報道した直後
冬キャンプのススメなんて言う特集を組んでいました。
政府のコロナ分科会が提唱する
控えなければならない5つの場面・・・

特に、②④・・・
テント内って密ではないんでしょうか?(笑)
キャンプでの調理・会食って、長時間ですねぇ(笑)
わたしは、かつて笑市で、
薪ストーブのまっきー君で遊んだ時期がありましたから
冬キャンプの良さはわかっているつもりです。


だから冬キャンプ特集は合点がいきます。
しかしそれを、コロナの感染者数深刻!の後に報道する
自己矛盾と偽善に、自ら気が付かないのでしょうか・・・
そしてもっと醜いのがこの人たち・・・
「人の移動というのは、(感染拡大に)かなり効いているのではないか」
あくまでも憶測の語尾・・・
しかも、何の信ぴょう性もないPCRをセットとは・・・
せめて、医師会であれば、福岡市市長のように
科学的なグラフを持ってきてほしかったですね。
➡GoToトラベル一時中断を求める 東京都医師会 尾﨑治夫会長
政府の政策が、「GoTo PCR」でなかったので
拗ねているのでしょうか・・・(苦笑)
ここまできて、さすがにみなさんも
お気づきになってらっしゃるのではないでしょうか?
コロナは、単に病理的な現象ではなく
何か政治的な意図があるということを・・・
だからこそ、この3連休、
観光地への人出が増えたのではないでしょうか・・・
嘘には、力がありません。バレます。
ましてや、I know の水瓶座の時代です・・・
私たちはもう知ってしまうのです。
わかってくるのです。
マスコミを含めた、彼らにもう力を与えるのはやめましょう・・・
自分でちゃんと知りましょう!
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theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済
tag : コロナ
令和buzz334・・・発達障害グレーゾーンへの理解
WHOによる精神遅延(知的障害)が
IQ70-85以下とされていました。
今現在は、IQ69以下とされています。
この引き上げが、今現在の本人やそのご家庭にとって
学校生活、社会生活での生きにくさにつながっています。
いわゆるグレーゾーンと言われる子たちです。
これは、学校側の予算、施設、スタッフ人員の問題で
引き揚げられたのではないかと思われます。
今ではこのゾーンの子どもたちは、
14%ほどいるといわれ(35人のクラスなら5人はいる)
支援を受けられず、支援外となる場合がほとんどです。
これが、
第二次(周りの理解・支援を得られす、障害が進むこと)
第三次(非行化して、矯正施設でも理解をされない)
第四次(社会に出てからも理解されず、偏見もあり、仕事が続けられない)
の障害を生み出す引き金となっています。
私の塾の経験でも、今の学校現場では、
このゾーンの子たちへの理解と支援が
本当に不十分と感じています。
(もちろん理解されている方も見えますが
個々の先生同士が連携がなされていないことが
何よりの問題のように思えます)
普通学級の先生はもちろん、
通級指導教室、特別支援の先生が
勉強不足、支援の工夫がないことがほとんどです。
そして、こういったマンパワー的にもそうですが、
予算、スペースなどのシステムの弊害が拍車をかけ、
不必要に本人やご家族を傷つけている場合も
本当に多いです。
もちろん、システムはすぐには変わりません。
しかし、私たち周りの大人が
今日からでもできることがあります。
それは、まずはこの知的障害のラインが
大人の事情(予算、施設、人員など)によって
変えられた歴史があるということ・・・
それを知ってほしいのです。
たったこれだけでも、
私たちの彼らへの認識が
「サボっている」のではないことに気が付きます。
「理解」
本人やご家族にとって
これほど心強いものはありません。
この本ですが、読みやすい漫画になっています。
良かったら、手に取って見てみてください。
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令和buzz333・・・見えない学力

私は約30年ほど前に
この本に出会いました。
子どもの学力獲得の過程、
そして奥深さと繊細さ・・・
そういったことを体系的な文章として
きちんと学んだ本でした。
そしてこの本・・・

こちらは、比較的新しい本です。
非行の原因となるのは、
「見る力」「聞く力」の弱さ
「目標を立てることが苦手」
「等身大の自分がわからない」
そういった認知力の低さだと著者は言います。
対人関係がうまくいかないのも
そういった隠れた知的障害のため・・・
この言葉を読んだとき、
わたしは、前出の「見えない学力」という言葉を
思い出していました。
とかく世の親御さんは、
見える学力である、点数、成績に目くじらを立てることが
圧倒的に多いです。
しかし、その「見える学力」を支える「見えない学力」の段階で
躓いている子供は、14%ほどいるといいます。
35人のクラスなら5人ほどがそういう事態で
苦しんでいるのです。
私の経験では、
学校で配られるプリントの端と端をきちんとそろえて
2つに折り曲げるということができなかったり、
何度伝えても、塾の時間が覚えられなかったりする生徒も
この認知力の弱さを表していると感じています。
ではそういったみえない学力は、
どこでどう育つのでしょうか・・・
たった一つの答えはではありませんが、
私は「食事の時間」が重要な機会だと思っています。
また、食事の時間には、
見えない学力の更に土台となる
認めてもらった安心感
共有できた喜び
わかってもらったことによる活力
そういったものも育まれます。
今日の動画はそんなこんなのお話をさせていただきました。
よろしければご覧ください・・・
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令和buzz332・・・本物の中庸になるために
自己肯定感について語り合った。
自分に自信がない・・・
ひとりでいられる人がうらやましい・・・
そういう人になりたい・・・
人の好き嫌いがはっきりとしていることはいいことなのか・・・
そう彼女らは言った。
私はこんな話をした。
自分を信頼すること、
自分がいいと思うこと、
嫌と思うことに自信を持つこと・・・
自分の中の価値観の振り子を十分に振らせること・・・
思う存分振らせること・・・
若いときはそうでなければ、
年をとった時に本当の中庸に出会えない。
嫌いなものを嫌いと言い
好きなものを好きと言い
それを言う自分を信用すること・・・
アイデンティティはそうでないと育たない。
自分自身を作り上げていく時
平均点などいりません。
突出して有る何か
突出して無い何か
それがあるからこそその人はその人になれるのです。
やがて年をとっていくと
そこまでとがらなくても
自然と自分を出せるし
その自分を周りも認めてくれる・・・
余談だが、おやじのくしゃみは
なぜああも不快になるほど大きいのか?
それは、単にデリカシーがないか、
それでしか自己表現と突出の仕方を
知らないからではないだろうか?
(ただし、のどの筋力の衰退説はあるが・・・)
若い人たちは自分の嗜好や好みに自信を持っていい。
人に合わせる必要など一ミリもいらない。
無理に媚びたって
エネルギーが奪われるだけで
何にもいいことなんて起きない・・・
わかってもらえないときもあろう。
おかしいといわれることもあろう。
それでも一気に突き抜ければいい・・・
あんなに気にしていた人の目は
やがて結果として、
同じその目から羨望を受けることになる・・・
(もちろんそれを狙うわけではない)
思想家のラルフ・ウォルドー・エマーソンは言う。
「自分を信頼すること。
それこそが成功の秘訣である。」
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令和buzz331・・・人類のイヤイヤ期に乗れ!
驚くほど皆さんから賛同を得る記事はある。
その一つは、こちら・・・
➡令和buzz306・・・「人生は幸せになるようにプログラムされている」 という幻想を捨てよ!
いつの間にか94ものいいね!を頂いている。
ありがたいことです。
超無名の私の記事をこれだけの方が読まれるということは
間違いなく内容に、琴線に触れる何かがあるのでしょう・・・
私は、これから人類は「拒絶」をうまく
育てなければならない時代がやって来ると思います。
「拒絶」という行為が、
人間の尊厳に重要な役割を果たすということです。
喧嘩をしろということではありません。
やんわりと軟しながら拒絶するのです。
遠慮させていただくのです。
昨日も書いたように、為政者は今後ますます我々を
監視、束縛してくるでしょう。
デジタル庁に力を入れる菅政権がその現れです。
私たちをデジタル台帳の中に閉じ込め管理することで
いつでも略奪、操作できる工作をしていくと思います。
管理監視というのは、見えないところでするのが
常套手段です。
だからデジタルなのです。
ワクチン、医療もそうです。
灰色の男は、善良な顔で
さも親切そうにやって来るのです。
私たちの周りには、知らず知らずのうちに
身動きが取れないほどの
「プログラム」が組まれており
これからますます、深く広くなるでしょう・・・
自ら進んでそこに入り込む人もいれば
敏感に匂いをかぎ分けてできるだけ避けようとする人もいます。
私は間違いなく後者のつもりでいますが、
意外にもはまり込んでしまっているものもあるやもしれません。
それほど、彼ら為政者の網の目は
巧妙でわかりにくいものなのです。
だからこそ
「人生は幸せになるようにプログラムされている」
という幻想を捨てよ!
という加藤諦三さんは正しいのです。
月の欠損、
政治的統制、
教育的統制、
デジタル、医療による管理、統制・・・
私たちは「イヤイヤ」を実行する水瓶の時代に突入します。
枠(価値観)を押し付けようとするシステムも人も遠ざけ
その枠を超えていく時代です。
人がさも大事そうに与えてくる価値観は
例え親御さんであっても、超えていきましょう。
人間のイヤイヤ期は、
1歳半を過ぎるころに現れるそうです。
出来ることが増えてきて、「自分でやりたい」という気持ちが
少しずつ出てきます。
それを言葉で上手く表現することはできないので、
そのもどかしさからイライラしたり、
泣いたりすることが目立ち始めます。
私たち人類もそうです。
為政者の網の目を潜り抜け、自分の価値観で
できることを増やさなければならないのです。
それを言葉にし、古い価値観を拒絶し
また周りの仲間に理解してもらえるよう広めるのです。
赤ちゃんの場合、イヤイヤ期への対応が
そのまま我々にも有効です。
①やりたいことをとことんやらせる➡やる
月の欠損など、自分に向かないことはさっさと切り捨て
やりたいと思うことをとことんやってみる。
違うと思えば、また別のことをすればいい。
何がしたいのかという自問自答をやめない。
②別のものに興味をそらす➡興味をもつ
今までの価値観(お金、地位、名誉、役職、システム)
そういったものから目を背け
ほぼ、自分の気の合う環境、仲間だけとの付き合いに絞る。
自分の価値観が受け入れられると信じて
ささやかでもいいので広めるのです。
240年間続いた山羊座の支配から
抜け出ることは容易ではないでしょう。
人によっては恐怖さえ感じることと思います。
しかし本当にそうでしょうか?
やりもしないで得体のしれないものに
おびえていないでしょうか・・・
自分の感情とは何か?
その感情を周りに表現するとどうなるのか?
相手(世間)はどう思うのか?
自分がやっていることはそんなにおかしいのか?
従う以外に方法はないのか?
そういう葛藤を超えなければ、
本当の個性、本当の自分のいのちには出会えません。
山羊座の時代につくられた
組織・システム・・・例えば、銀行、病院、(大)企業、政府、学校・・・
すべてが張りぼてだったのです。
インチキだったのです。
いのちを育てる場所ではなかったからです。
人類のイヤイヤ期、
私は、トコトン楽しみたいと思っています。
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令和buzz330・・・スウェーデン気質
➡スウェーデン、独自の緩やかなコロナ対策
やはり私はここから来ている(笑)
日本の奈良末~平安時代、
北欧一帯は、バイキングが海を闊歩していた。
そう言えば、小学校の低学年の時に
「小さなバイキングビッケ」というアニメがやっていた。
この当時、北欧などという言葉も知らず
バイキングという半不定住の世界に
ものすごくあこがれの気持ちで見ていたのを今も覚えている。
若い頃、新幹線や航空の旅を選ばず、
船旅を好んだのもこの影響かもしれない。
昔版はこちら・・・
そして、この10月に
新・「小さなバイキングビッケ」が公開されたらしい。
日本でもかつて海で暮らす不定住者がいた。
家船の民だ・・・
1960年代ぐらいまでは、瀬戸内海、
意外なところでは東京湾にもいた。
➡水上生活者
これは私の想像だが、
この人たちが衰退したきっかけは
たしかに、船の老朽化や陸地の経済的に豊かに
なったこともあるだろうが
取り締まりが強化されたことも大きいだろう・・・
なぜ取り締まるのか・・・
それは治安という聞こえのいい言葉の裏で
「監視、統治、税制度の徹底」が狙いだったのであろう。
不定住では、人数の把握ができず
一人残らず徴税の対象にするという
統治ができないからだろう。
為政者はとにかく、監視、統治をしたがる。
それは、為政者たちを潤す人が
一人でも多い方がいいからである。
海に暮らし、土地を持たなければ
固定資産税、住民税もあいまいにされる。
今もそうだが、彼らの言う義務は
「合法的略奪」である。
そもそも、国民の三大義務である
1.教育を受けさせる義務
2.勤労の義務
3.納税の義務
が、すべてお金のことに関するものになっていることは特筆すべきであろう。
国会議員は、特権の方が大きく

義務はよ~く探さなければ出てこないし、
三大○○、五大○○などというスローガンにもなっていない。
1.憲法尊重擁護の義務
2.会議または委員会に出席する義務
3.議場の秩序
4.当選後に資産公開が義務
5.全体の奉仕者
4などは、私たちと真反対過ぎて笑える。
また、4以外は、いちサラリーマンに例えれば、
1.就業規則を守る義務
2.出勤の義務
3.会社の信用・信頼を損ねない義務
5.会社のために働かなければならない義務
となって、笑えるほど普通のことだ。
4は私たちから吸い上げた利益だから
一種贖罪(ガス抜き)の気持ちに過ぎないのだろう・・・
そもそも彼らが私たちに課す義務は、
私たちにとって不利なお金の仕組みを根底にしているところで
すでにおかしい。
私たちは、権利と義務はセットだとか
納税の義務が当たり前のように言われるが
決してそうではない・・・
何度も書くが、
自国通貨を自国で発行し、流通させる我が国は、
財政確保としての税は、全く必要はない。
税の本当の目的は、以下の3つでよい・・・

「安全を得るために自由を放棄する者は、
最後にその両方を失う。」
ベンジャミン・フランクリン
この言葉を、スウェーデン人は、
バイキング時代より魂で受け継いでいるのだろう。
残念で哀しいことだが、
日本の民は忘れてしまったようだ。
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theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 政治・経済
令和buzz329・・・ざっくりと!
少し片づけようと、打たれていた支柱を片付けていた・・・
野生のように太く伸び切った雑草と
青いまま硬くなったトマトを素手でかき分け
引き抜きながら作業をしていると、
「痛っ!」
左手の人差し指を
すっぱりと横一文字に切ってしまった。
雑草の強さはここにある・・・
意外にも深手・・・
ふわっと玉のようにふくれた血が盛り上がったかと思うと
鮮血がぽたぽたと落ちていく。
すぐさま舐めて消毒・・・
それでも滴る鮮血・・・
これはいかんな・・・
少し小走りに台所へ・・・
軽く洗うと水が血に染まった・・・
ティシュで抑え、もう片方の手で
あれをつかむ・・・
そう、びわエキスの瓶だ。
こういう時のびわエキスは最強だ。
テッシュにたっぷりとびわエキスを含ませ
しばらく抑え続ける。
何度かテッシュを変えていくうちに
血がほとんどでなくなる。
その間わずか数分・・・
本当に凄いびわエキスだ・・・
この動画を撮った油断が今回の怪我になったのか(笑)
いざという時に必要なものが
あらかじめ用意されている安心感・・・
昨日の午後早く怪我を負って、
花結び中(音読会中)は気にならないぐらいに
傷口はふさがっっていた。
夜は、漬けられているびわの葉っぱを巻いて寝た。
やれやれ・・・今日は、ばんそうこ一枚で行けそうだ。

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令和buzz328・・・マスク狂奏曲
こんな記事が・・・

まさにその通り・・・
この冬以降、
子どもたちはもちろん成人にも、
このマスクの害がじわじわと本格的に現れ始めるだろう・・・
➡フエイスマスクは不潔:研究ではフェイスマスクが低酸素血の凝固を引き起こす
今やマスクをしないとタクシーにさえ
乗車拒否をされてしまうらしい・・・
虚構の世界・・・
私たちは、ウイルスなんかと闘っていない。
何となく流れているだけだ・・・
大統領選挙にしろ
日本の政治にしろ
この日常にしろ
本当のものを見つけにくいこの世の中・・・
戦時中、あれだけ虚構に踊り
戦後、あれだけ後悔した民族なのに、
また同じ轍を踏むのか・・・
せめて自分の感受性ぐらい
本物になれるよう守り抜かないと
大変なことになりそうである・・・
こういったことを考えるとき
いつも思い出す詩がある・・・
「自分の感受性ぐらい」
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子
詩集「自分の感受性ぐらい」(1977刊)所収
「現代詩文庫」思潮社にも収録
この詩に対して、
作者はこう談話を残している・・・
(茨木のり子さん談 より抜粋)
それに、一億玉砕で、
みんな死ね死ねという時でしたね。
それに対して、おかしい んじゃないか、
死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが
一番の忠義になるんじ ゃないかという疑問は
子供心にあったんです。
ただ、それを押し込めてたわけですよね。
こんなこと考えるのは非国民だからって 。
そうして戦争が終わって初めて、
あのときの疑問は正しかったんだなってわかった わけなんです。
だから、今になっても、
自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。
そうし たときに、自分の感受性から
まちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、
人からそう思わされてまちがえたんだったら、
取り返しのつかないいやな思いをする っていう、
戦争時代からの思いがあって。
だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」 なんですけどね。
一篇の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです。
この作者のように、
現代の子どもたちが、
一億総マスク
一億総消毒
一億総「新しい生活様式」
を疑問に思い、感性ではおかしいと感じ
それでも口に出せないとするならば・・・
何十年後のどこかで
「自分の感覚ぐらい」
なんて詩が湧きおこるのかもしれない・・・
私も・・・
私自身の感受性ぐらい
一生かけて育てていきたい・・・
守り抜きたいと思う・・・
子どもたちの感受性さえ育てられなくて
何が教育者だ!
叱咤激励
戦時中同調圧力と似た空気・・・
感性で軟したいものだ・・・
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tag : マスク
令和buzz327・・・子供の観察力
自分で書いておいて何だが、
まさにそれを証明する絵に出会った。

この絵は誰が描いたのか?
勘の鋭い方はお気づきかと思うが、
そう、これは私自身が
小学校4年生の時に描いた絵なのだ。

裏には「49.5.24」と捺印されているので
昭和49年5月24日、当時私は9歳・・・
テーラーを営んでいた父の作業の様子を描いたものだ。

先日実家へ帰った折、
母が、これは捨てられなかった・・・
そう言って見せてくれた。
この絵を見せられた私は、
もう号泣でしかなかった・・・
下に名札の紙が付けられ
5重丸をいただいているので
おそらくそれなりの評価を受けて
貼り出されたものだったのだろう・・・
しかし、私が号泣したわけは、
そういった評価とか、
上手に描けているものだったとか
そういうことではない。
自分でいうのもおこがましいが、
自分の観察力の細かさに
当時、父を誇りに思い、
まぎれもなく愛していたことが
この絵から伝わったからだ。
そういった
愛のある観察ができる子どもに育ててくれた父に、母に、
とめどなく感謝があふれ出たからだ。
そして、まぎれもなく自分は愛されていたと
心から思えたからだ。
今こうして、47年ぶりに出会ったこの絵・・・
自分が描いた絵でありながら
もうそういった所属などどうでもよい。
そんなことがふきとぶぐらいのメッセージを
私に残してくれる。
曲がりなりにも、「教育」という世界に身を置く私に
この絵が気づかせてくれるもの・・・
それは・・・
「子どもの観察力を甘く見るな」
観察をされないものは、
子どもであっても大人であっても
やはり愛ではないのだ。
子どもは大人をちゃんと観察している・・・
大人はちゃんと観察しているのか!
監視ではない、観察なのだ・・・
まなざしとは、
観察とは、
愛そのものなのだ・・・
※観察:仏語。智慧によって対象を正しく見極めること。
令和buzz326・・・医療・薬からできるだけ遠ざかるために
みなさんの参考になればと思って上げております。
すでに、ブログで上げている内容です。
➡できるだけ医療から遠ざかる・・・姫川薬石・ニニギ石・びわエキス・びわ茶・かりんはちみつ漬け・・・
➡ホットストーンセラピー
➡半年間、姫川薬石と過ごして・・・
朝晩冷え込み始めたこの時期、
動画でも広まるといいなと思いまして
収録しました。
よろしければご覧ください・・・
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令和buzz325・・・システムからはみ出せ!
良くも悪くもシステムに合わせることができた人種だ。
小学校では、手の指の先までピンと伸ばすラジオ体操を
炎天下の中、一日中練習させられても
それが当たり前だと思っていた。
小学校の朝の朝礼は、
1300人の生徒が校庭にきれいに並び壮観だった。
ときどき倒れる生徒がいたが、
朝礼台の先生は、それにかまうことなく
普通に話を続けていた。
全体主義である。
運動会の行進も、
体育祭の行進も、
あの1964年の東京オリンピックを真似て
指先まで伸ばしてトラックを一周し、
朝礼台の前では、台に乗る先生に
ナチスドイツのような敬礼をしたものだ。
今思えば行き過ぎたことといえるかもしれない。
しかし、当時はそれが美しく、当たり前だと思っていた。
伝統、規律、忍耐、忠誠心・・・
それを形で表す。
どれをとってもさすが・・・土の時代!
でもその時代のしっぽがとうとう見えてきました。
終わりが近いのだ。
最近特に感じる。
いま、うちに来ている生徒たちを見ても、
システムで指導できる生徒は一人もいない。
ひとりひとり、本当にバラバラで
かけがえのない存在・・・
いや、私たちの時代でもきっとそうだったのだろう・・・
たまたま、何かに駆り立てられるように
システム内に入れただけだ。
これからは絶対に面白い時代になる・・・
それは、民がシステムに入らなくなるからだ。
その兆しを今日見た気がする・・・
バラバラの美。
誰にも合わすことなく
個々バラバラにテスト勉強をする彼らは、
誰の邪魔もしないし
誰もバラバラを責めはしない。
遠慮なくはみ出よう!
遠慮なく異なろう!
風の時代・・・
それは私たちの時代だ。
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令和buzz324・・・堂々巡りの相談者
ごめんこうむりたい方は、ここでスルーしてください。
ご相談者の中で、
よく言いたいことが堂々巡りの方がいる。
そういう方は決まって、
決めてからの行動が遅い。
正確に言えば、
決めたように見えて決めていないのだ。
「決」という字に
「切る」「別れる」という意味があるが、
決めるとは、何かを断ち切り、別れることなのだ。
だから何かを切り捨てて、
もう二度と会わないことを「決める」というのだから、
行動がなされ、何かを置き去りにしなければ、
決めたことにはならない・・・
だから私は、
人生とは選択肢を捨てていく旅というのだ。
ご相談内容が a で、
その解決方法と原理原則を A とする。
a で聞かれたので Aとお伝えすると
今度は b と言われる。
b の原理原則(解決方法)は、B なのでそれをお伝えすると、
今度は c と言われる・・・
もちろんその原理原則(解決方法)は C なので伝える・・・
b も c も、 a から派生しているので
原理原則(解決方法) は A となる。
つまり、最終的には、 最初の a(A) に戻る・・・
当たり前だ。
すべての根源はAだからだ。
もう堂々巡りで困ってしまう・・・
そのうち、こちらのイライラが伝わるのか、
「どうせわかってもらえませんから」とすね始める・・・
いやいや、今この場は互いがわかりあうためのものではなく
a に対しての A を知りたかったのではないのだろうか・・・
私はあなたの旧友でもなければ、恋人でもない。
分かり合うためなら他を当たってほしいものだ。
そういう方は、結局
「見なければいけない自分の心の本当の問題」
を見たくなくって、
関係はあるかもしれないが、
本質からは程遠い
b やら c やらに逃げていく。
ご自身は逃げていることに気が付かないし、
かえって b や c に気が付く自分は
すごいと内心思っているから余計厄介だ。
おそらく、程よい慰めと
頑張っている自分へのささやかな賞賛が
欲しいのだけかもしれない。
菩薩行と自分では言い聞かせているが
この相談が1時間以上続くとこちらの身が持たない(笑)
まだまだ、宮沢賢治にあやかれそうにはない・・・
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tag : 堂々巡り
令和buzz323・・・食事は、見えない学力を育む
親子二代の女性とその子供さん(お孫さん)二人、
計4人の家族に出会った。
ああ、
その母親を見て、思わず私はため息が出ていた。
一時間以上はあったその食事の時間、
その母親は、片時もスマホから目を離さず、
せわしそうに、画面をスライドさせていた。
子供(孫)とお婆ちゃんには、
辛うじて会話があるようだったが、
母親は、自分が食べようとする
お目当ての料理に手を伸ばすとき以外は、
すべてスマホの画面を見ていた・・・
時に、左隣の子供は言うことを聞かないと、
店の取り皿(プラスチック製)で叩かれていた。
もう一人の子供は、
公の場としては、少し声のボリュームが大きかった。
その子は日頃、話を聞いてもらえないのだろう。
子供は、日頃、親や周りの大人が話を聞いてくれないと、
声のボリュームが大きくなりがちになる。
それでも聞いてくれない場合は、
乱暴な態度で気を引こうとする・・・
子供は、言った通りにはならない、
やった通りになる・・・
その子たちは、言うことを聞かなければ、
殴られることを普通だと勘違いし、
自分の感じたことや意見を人に話そうとする希望を諦め、
理不尽な服従と無気力な敗北感を受け入れ始める。
そうやって子供たちの心は委縮し続ける・・・
そして、わかってもらえなければ、
言葉ではなく、人を殴ってもいいと言うことを学んでしまっている。
だから、小学校の高学年、思春期になって、
思い通りにいかなければ、
男の子の場合、言葉より先に、
友達を殴るし、親も殴る・・・
言葉での関係の作り方を知らないので、
そういう破壊的、暴力的手段しか選べなくなるのだ・・・
女の子の場合は、
この歪んだ服従関係を唯一の人間関係だと錯覚し、
男性から暴力を受けることを容認し、
恐怖政治による上下関係でしか
身をおけない悲惨な交際状態になることもある。
これが虐待の根源となる。
ああ、
お節介と思いつつ、
この子供たちの先行きについて
どうしても考えざるを得なかった。
もちろん絶対に上記のような結末になるとは言えない、
言えないが・・・
「これおいしいね」
「この材料は・・・なんだろう」
「今日○○があってね」
こういった親子の雑談のなかで、
子供は教養の種をもらい受ける。
そのときは、ふーんですむことが、
思春期、青年期、大人になったとき、
意外な形で目を吹き、
見えない学力となって
見える学力の土台となる。
この親も、子供だったとき、
目の前のその親(祖母)に
そういった教養の種をもらえなかったことが、
想像できるし、それが、悲劇の始まりだろうが、
この子供たちが
小学校の高学年になったとき、
思春期を迎えたとき、
何でも話してほしい
大切なことだから聞きなさいといっても、
きっと口を開かないし、
耳を傾けてくれることはないだろう。
学力の根幹である言語、
特に語彙力の豊富さとその使用度合いは、
まちがいなく
親御さんたちが好む見える学力の根幹となる。
何よりも受けついだ教養の種が
確実に子供たちの
自己承認・自己肯定感、
そして、生きる希望になる。
点数や成績という見える学力を気にする前に、
こういった食事の時の何気ない会話と所作を
めちゃくちゃ大切にするべきだ。
特に幼少期は、それがいのちと言っていい。
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令和buzz322・・・PG12?
うちの塾でも、
「泣いた」
「2回見た!」
と話題沸騰中だ。
わたしと言えば、
生徒が先生にも見てもらいたいと
はじめの3巻ほどわざわざ持ってきてくれたが
1巻の途中で挫折した(笑)
で、昨日、ずっと疑問だったことを
今の生徒のお兄さん(元生徒)に聞いてみた。
疑問とは・・・
同じ話のはずなのに
本の漫画があり
アニメがあり
なのに、なぜまた映画に行きたくなるのか?
人間の心理として興味があったのだ・・・
答えはわかった・・・
それは、映像の綺麗さと音響の効果だという・・・
なるほどと納得した・・・
しかもアニメは、この無限列車の前で終わっているらしく、
そこもポイントらしい・・・
で、その鬼滅の刃が「PG12」なるものに指定されているらしい・・・
このPG12とはなにか・・・
「刺激的で小学生の観覧には不適切な内容も一部含まれている。一般的に幼児・小学校低学年の観覧には不向きで、高学年の場合でも成長過程、知識、成熟度には個人差がみられることから親又は保護者の助言・指導に期待する区分である」
この文をまじめに読み、
まじめに実行するならば、
「親又は保護者は助言・指導」をした方がいいようだ。
それにしても一体何を助言するのか?
しかも それを「期待する」?
この腑抜けた文章をいったいどう捉えたらいいのか・・・
おそらく鬼をやっつけるシーンの
グロテスクさを和らげる助言!?や
いのちの大切さを助言!?
ということかしら???
しかも、学校の運動会で
柱(鬼を退治する側)のきめポーズや
鬼の首を取った振りになっているのが
よくないとかのご意見もあるらしい・・・
もともと、4歳から6歳ぐらいまでは
他人の視点に立ったり、
自分の視点以外で物事を見たりする力が成長途中らしいので
(つまり、なり切ってしまう)
映画の中で起きていることと
自分の世界との混同が起きるからなのだろう。
それが「コワい!」となり、
トラウマになる・・・
そういうことなのだろう・・・
もちろん個人差もあり、
家庭内の価値観にもよる・・・
幼い心への配慮という点ではもちろん必要だが、
それは、こういったPG12指定(10/5)が起きる前に既に
本人や家庭で行われているのではないだろうか・・・
「専門家のアドバイスは、脳の活動を停止させる」 中野信子
これは、専門家の意見がお門違いだったとしても起きる現象らしい。
つまり、専門家の意見が正しかろうが間違っていようが
意思決定をつかさどる脳が活動を停止してしまうのだ。
昨日偶然この箇所を読んだ私としては
実に複雑な気持ちになる・・・
今回の政府お抱えの
コロナの専門家の意見(半強制)など最たるもので
他にも、政府が学問や文化に口を出して久しいが、
ここでも子供たちの価値判断に
細々と基準を設けて枠を引く最近の風潮には
もう閉口しかない・・・
「過ぎたるは及ばざるが如し」
いいことわざがあるではないか・・・
漫画や映画など、
子どもが好きと言っているものに
大人は程よく距離を持つことが大切だと思う・・・
そして、われわれの尊厳でもある
「意思決定」は手放さない方がいいだろう・・・
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
冨岡 義勇(とみおか ぎゆう)さんもそういってますよ。
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令和buzz321・・・観察=愛
年の瀬も見据える晩秋といったところでしょうか・・・
最近の知的好奇心と言えば、
ホロスコープ➡加藤諦三さん➡中野信子さん
このサイクルをぐるぐるとめぐっております。
つくづく思うのは、
人間洞察を長年と続けている人は
まるで深い井戸を掘った後
深部で水が流れ合わさるように
ひとつの普遍性を私たちにもたらします。
この世の法則・・・
何事も観察から始まる・・・
見ることで具現化・物質化し
いのちが吹き込まれるが
やがては滅んでいく過程を経る・・・
観察し、いのちを吹き込んだ瞬間
死への旅が始まる・・・
なんのこっちゃ!?
と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、
今の私の境地はそんな感じです。
観察者は、その死の発見者であり
予言者なのです。
非常に抽象的ですみません。
私たち人類の最大の親切、愛は
発見すること、観察することになるのではないか・・・
ホロスコープ➡加藤諦三さん➡中野信子さん
この三者の循環で感じているところです。

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令和buzz320・・・表層と本質
最近では、ホロスコープも活用しながら
アドバイスできるようになってきました。
自己紹介
⇓
お悩みの概要をお聞きする
ここまでで、お聞きしながら
表層のお悩みの奥にある背景(本質)を探ります。
おそらくここが一番重要な旅です。
旅と表現するのは、
関係する人物の幼少期
潜在意識
こじれた本質
派生した出来事、問題・・・
そういったものをできる限り丁寧に見させていただくからです。
こちらからすれば、まさに旅・・・
さかのぼりの旅です。
悩みのほとんどは、
この意識されていない本質(無意識)にあります。
ほとんどの方が、この本質が見えていないために
悩みという霧に包まれています。
その本質を意識層にのっけるまでに
時間がかかるのです。
⇓
そうしつつ、タロットもスプレッドしていきます。
このタロットでも、さらに
無意識に潜む本質が顔を出してきます。
⇓
次に必要ならホロスコープも観ます
この流れを踏むと、
短くても1.5時間ほど・・・
普通で2時間・・・
長くなれば、
3時間、4時間とかかる時もあります。
ひとりの方が長年はまり込んでいる
無意識の無意識・・・
本質から目を背ける癖・・・
そういったものを紐解くのは
それぐらい時間がかかるということです。
この時間をもってしても、
再び意識を無意識の海に埋めてしまえば、
元の木阿弥・・・
それぐらい無意識を意識にのせることは
習慣化しないと身につかないものなのです。
ひょっとするとこの表層を本質と見誤らせる装置が
月や海王星を通して人類に仕掛けられているのでは!?
とも思えるのです。
タロットやホロスコープは「占い」というジャンルになっています。
いえ、もっと言えば、
「占い」という下位のジャンルにわざわざ落とされた歴史があります。
昨日の方が言われていました。
ホロスコープを作っても読めない・・・
万人が、このホロスコープやタロットの読みができれば
こんなに楽なことはありません。
なぜなら自分の無意識のサインが
余すところなく表れているからです。
そうすれば、だれもが
余分なものにエネルギーや資源を使うことなく
スムーズに人生が運ばれていくからです。
時の為政者は、タロットやホロスコープの真実を
「占い」という下位のジャンルに陥れることで
馴染みやすくする代わりに、
「当たる」「当たらない」で一喜一憂する玩具として
支配する民に与えたのでしょう。
「お前たちは、これぐらいで楽しんでいればいい・・・」
違うのです・・・
わたしたちは、解放された知識をもっと深いところで活用し
無意識を意識層に載せる練習をした方がいいのです。
そういった意味で、
タロット、ホロスコープは、神が庶民に与え、
為政者から身を守るために贈られた素晴らしい道具なのです。
もちろん私もまだ使い始めたばかりですが・・・
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theme : ありのままの自分になるために。
genre : 心と身体
令和buzz319・・・水瓶を持つ人が男性なわけ
イエスの
「市内にはいったら、
水瓶を持っている男に出会うであろう。
その人がはいる家までついて行って・・・」
という言葉の「男性」のもう一つの意味に気が付きました。
男性-女性
陽-陰
太陽-月
自分の太陽に従いなさい・・・
そういうことなんですね。
わたしはキリスト教徒ではありませんが、
この水瓶座の男についていくシーンは、
結構好きで、7年前の宙言でも上げています。

先日、月の欠損、水瓶座を考えていた時
このことを思い出したときは
小躍りするほどうれしかったです。
この過越の食事会は有名な最後の晩餐です。

イエス・キリストは、弟子のユダが
ユダヤ当局に自分を売りつける計画を知っていながら
もくろんでいたユダともに落ち着いて食事をするのです。

わたしはキリスト教徒ではありませんので
ここでキリスト教を熱弁する立場ではありませんが、
「市内にはいったら、
水瓶を持っている男に出会うであろう。
その人がはいる家までついて行って・・・」
という言葉には、以下のサインがあると思います。
① 月ではなく太陽を獲得しなさい
② 権威についていかず、
心安らぐ人や少人数のグループに属しなさい
③ 常識にとらわれず、個性を獲得していきなさい
④ 思い通りにいかないことや裏切りにあっても
平然とわが道行きなさい
⑤ 目に見えないエネルギーを大切にしなさい
⑥ 自分から奴隷になることをやめなさい
⑦ あなたはあなたになりなさい
(いのちに従いなさい)
そういったことが、
これからの時代大切になるということでしょう・・・
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theme : ありのままの自分になるために。
genre : 心と身体
令和buzz318・・・水瓶を持つ男についていきなさい
令和buzz317・・・加藤諦三さん
わたしの先日、ある生徒さんにプレゼントさせていただいた。
自分の心の声を聴くことは、皆 意外に難しい・・・
しかし、ひとたびこの声が聞こえるようになると
人はもう後戻りしない・・・
少しずつだが、確実に太陽の獲得への道を進むことになる。
その声は、自分のホロスコープの
土星と月の欠損に大きく関係している。
その土星と月が
いったいどの星座に、どのハウスにあるのか・・・
それを知るだけで大いに助けとなるはずだ。
占星術界では、相変わらず月星座を自分の内なる特性として
「願いごとをかなえるために使いなさい」的なトーンで
宣伝している方も見えるが、
それはそれで自由なのだが、
せめてそれにちなんだ自分の商品を売ることは
おやめになった方がいいだろう・・・
と思うが、まあこれも大きなお節介かもしれない・・・
すべての悩みは、
「自分が自分自身でなくなったから」
加藤諦三さんはおっしゃる・・・
30近くも離れた私ごときが言うのもおこがましいが、
わたしもそれがわかってしまったのだ。
以前、例のホワイトボードにも
「あなたはあなたにしかなれません」
そう書いて置いた・・・
これがわかると、塾で生徒たちへの助言が断然違ってくる・・・
上に上がる? それによって自分になっていくのなら頑張れ!
○○をやめたい? 自分自身になるために削りたいのか?
AとBとどちらに進むべきか? どちらが自分になれる?
もう万能となる・・・
「自分になれるか?」という問いさえあれば、
もう人の目や、常識や、親御さんの反対意見など
気にならない・・・
自分以外のものを選択しないだけで
こんなにも気持ちが楽になるのか?
それを知ることができるでしょう・・・
幸せ体質になる鉄板と言っていい・・・
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theme : ありのままの自分になるために。
genre : 心と身体
令和buzz316・・・PRSへの静かな抵抗
2020年の振り返りは、
まちがいなく「コロナ」一色で終わるだろう。
そして、ある意味、人類史上もっとも、
コミュニケーションが厳選された年になるだろう。
コロナ別れやコロナ離婚に象徴されるように、
本当のお付き合い以外は淘汰された形になっている・・・
昨年、最小だった出生数も
きっと2020年は過去最低を更新するだろう・・・
社会保障費が!などと
お決まりのことを言いたいのではない。
自国通貨を時刻で作っている我が国は、
普通に考えれば、出生数と社会保障費など
まったく関係ないと言っていい。
要は、このコロナで、つぎつぎに嘘がばれたのだ。
本当のシステム、
本当の感情、
本当の関係しか
残っていきませんよということが
わかってしまったという点では、
いままでにない「革命」が起きてしまったということになる。
先日見た、ドラマ「洞窟おじさん」(実話)は実に興味深かった。
山で猪をとったり、
川で鰻や魚を捕ったりする洞窟おじさんだが、
国の経済成長と共に、
ダム開発、高速道路開発や漁業権の問題で、
このおじさんの生業がどんどん潰されていく。
いのちとはほど遠い、無駄で巨大なシステムを
人類がいったいどれだけ作ってきたのかが、
洞窟おじさんを通して手に取るようにわかる。
たった一人が山で暮らすこと、
川で暮らすことを認めさせず、
システムのなかに入らなければ、
生きていけなくさせること、
なにもさせてもらえない状態にしていく・・・
これを別名「奴隷化」という。
文字通り、その奴隷化から、
痛快に逃げ回るおじさんは
私にとってはヒーローだ。
ふと、手作り市をやっていた頃の窮屈さを思い出していた。
個人が公園を借りて市を開催することが駄目だったり、
やたらと管理してます感満載の書類の多かったり、
石鹸を加工し、デコパージュにして販売することが
著作権やら薬事法やらで、不可能になるという窮屈さだったり、
あげればきりがないが、
洞窟おじさんが、ホームグランドをどんどん追いやられていく様と
まさに、根は同じだった。
戦後、そういったシステムが、
後から後から追い足しされることで、
もう何を守りたくて、何をしたいのかわからないような事態・・・
このコロナの「新しい生活様式」など、
その歴史があるのに、まだ付け加えますか!
そんな感じである・・・
先日も、隣県に出掛けたり、
ホームセンターで買い物にいったりしたが、
誰もが無思考に、無抵抗に、
消毒やマスクをしている様は、
私には、実に奇妙に映る・・・
科学的根拠がなにもなく、
反ってからだに悪いこの新しい生活様式を
拒絶する市民権はもう二度と獲得できないのだろうか・・・
年のために言っておくが、
私が特別とか、戦っているとかそんなことではない。
ものの見事に、
大人から子供までほぼ100%従っているその様が
「異様と思わないことが異様だな」と素直に思うだけだ。
PRS をご存じだろうか?
これは、支配層が我々を奴隷化する手順だ。
P・・・Problem(プロブレム)、問題創作
R・・・Reaction(リアクション)、民衆の反応
S・・・Solution(ソリューション)、解決策提示
どうでしょう?
ものの見事にはまっていませんか?
何がか?
今の世の中が、です。
P:コロナをつくり、撒く
R:恐怖、自粛、粛清、服従
S:新しい生活様式、ワクチン
まさに自作自演・・・
最後のSに従わなければ
職さえ奪われる状況がすでにある・・・
このPRSを知れば、世界で何が起きているのか見抜くことができます。
私たちにの心の洞窟おじさんを絶滅させてはいけない。
海の向こうの大きな国では、日本同様
大ぴらに不正選挙が勃発しています。
建国より、もともとあそこは「国」ではなく
支配層(DS)の実験国ですからそうなるんでしょうが、
もう世も末です。
私たちはいったいいつまで「無口」に従うのでしょうか・・・
I know・・・
この威力を私たちはもっと信じるべきです。
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theme : ありのままの自分になるために。
genre : 心と身体
令和buzz315・・・コメント劇場の悲劇
ある出来事が起こることで
改めて鉄板を再確認することがある。
先週はそのことが起きたのでお話させていただく。
少々辛めの記事ですので、
きつい方はスルーしてください。
・・・・・
私自身、ブログで始まり、
FB、インスタグラム、ツイッター、YouTube・・・など
さまざまなSNSを活用している。
また、誰かの講演会場での質疑応答など、
人々が交流する場をそれなりに見てきて思うこと・・・
それは、共通の場で
言葉をのっける技術が上手な人と
そうでない人の差が激しい・・・ということだ。
もちろん、
コメントにしろ質疑にしろ
何を言うか、どこで切るのかは
本当にその人の自由だし、
それを個性と広く言う人もいるが、
わたしは少しカタい見方をしてしまう。
それは、
コメントという名のエネルギーバンパイアや
マウント取りが多いのに辟易とする場面を見るからだ。
例えば、一例・・・
わたし、SNS投稿➡コメントが来る➡お礼と他愛ない追記
当然ここまでは、互いが共通のものに
少なくとも好意を示していることがわかる。
しかし、その後の相手からのコメントで、
エネルギーバンパイアが始まる・・・
「でもね」的・・・で続く内容・・・
冒頭の共通認識(話題)から
わざわざ外れたコメント(内容)、
時に真反対な内容を付け加え
わたしの方が広い視野で見ています感を出す・・・
心の声:(ホンマはどっちやねん!?)
このあたりから、
「ああ、めんどくさい」感が私に沸き起こる・・・
要はこの人は、自分の投稿をダシに、
自分主張を飲ませたいだけ、もしくはひけらかしたいだけ・・・
ただ、
鏡の法則があるので、
わたしの波動に見合う人のコメントだから
自業自得と反省し、
渋々次のコメントを打つ・・・
「そういう見方もありますね」的な感じ・・・で譲歩的に無理やり・・・
そもそも、このブログだろうが、他のSNSだろうが
その日その時の感情の一片をお披露目したに過ぎないし、
欲目にいっても、その時点での普遍性に過ぎないのだから
あとからいくらでも変わってしまう。
人間に永遠の一貫性などないし、
別の視点が存在することなど百も承知で投稿しているのだから
こういった、肯定的揚げ足取りは実に疲れる・・・
私など自分の投稿なのに
早々と引き揚げたくなるので
できるだけ短い文面で、
「わかってください」感で
重い手取りで、キーボードをたたく・・・
で、その方がどう来なさるか・・・?
スルー・・・!!
いいね!という、こちらからすれば
唯一の既読サインさえないスルー・・・(笑)
そんなものです。
自分の排泄物さえ出し切れば
あとは、一期一会の関係に始末をつけず、
先方は、ほぼ反対の意見を表明したにもかかわらず、
その後どういった展開になっているのか、気にも留めず、
そのまま立ち去られる・・・
こりゃ、コミュニケーションじゃないわな(苦笑)
そういったコメント人種がときどきいらっしゃる・・・
講演会の質疑もそうだ・・・
挙手をし、あてられたら最後、
自己紹介と自分の主張が永遠に続き
一体いつになったらその質疑とやらが出てくるのか、
一生懸命聞いているのだが、根負けして眠くなる・・・
もちろん私も気をつけねばならないし
気を付けていても、この評価だけは相手が決めることなので
偉そうには書けないが、
初対面であること
共通の場であること
一期一会であること
コメントをする動機(本当の自分の狙い)にチェックがない方には
それらを慮る「何か」がないので
とっ散らかったざわざわ感だけを残して
THE END・・・
まさに、SNSの悲劇であろう・・・
せっかくのつながりの場が、
かえって疎外感となるこのジレンマ・・・
ブラックな喜劇だ。
私が人様の投稿に、
めったにコメントしないのはこの理由からだ・・・
というわけで今日は、辛口な記事になってしまいました。
どうぞお許しくださいませ・・・
ちなみに、
私が受け取らせていただくほとんどのコメントは
心温まる言葉ばかりで感謝しかございません・・・
ということだけは追記させていただく。
ただ、この記事に関しては
コメントはご遠慮いたします(笑)
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theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : コメント
令和buzz314・・・ちょろ松焼き
ただ、日曜日が休みで
しかも19時~営業だったのでなかなかたどり着けず・・・
しかぁ~し、
先日やっと伺うことができました。
松阪、愛宕 「ちょろ松ふみ」さん・・・
名物はもちろん、ちょろ松焼き・・・

松阪市民のソールフードでしょうか・・・
創業が54年ぐらい前らしいです。
はぁ~、本当に凄い!
津新町の「たこ」さんといい
こちらの「ちょろ松ふみ」さんといい、
長いことされている飲み屋のおかみさんというのは
実にコミュニケーション能力が高いです。
お客さんとの距離感、
あしらい方、
さばき方、
どれをとっても一流です。
50年、60年と続くこういったお店は、
わたしのようなひよっこには
学ぶことが多いお店です。
人間関係というのは
言葉関係と言い換えても過言ではありません。
ちょっとした言葉の交わし方で
笑顔になったり不機嫌になったりするものです。
随分と前ですが、
大手チェーン店の飲食店に行ったとき、食事も終わりがけ・・・
お盆にのっているはずの小鉢が無かったことに気が付きました。
この終わりがけというのが良くなかったのでしょう・・・
店員さん(学生アルバイト)に「ありませんでした」とお伝えしたところ
無言で立ち去られ、慌てて厨房に帰っていきました。
それだけでも驚きですが、
次に戻ってきたときには
「どうしたいですか?」との回答・・・
これには腰を抜かしました・・・
おそらく、厨房で先輩職員から
「どうしたいのか聞いてきなさい」と言われたのでしょう・・・
で、そのままの言葉を遣った・・・(笑)
幼少期から、どんな会話に囲まれて育つのか・・・
できるだけ立場のバラエティーが豊富な場が理想です。
年上-年下
年寄り-若者
店側-お客側
気を遣う側-気を遣われる側
・・・・・
このバラエティーは、とても重要です。
おそらくその学生アルバイトさんは、
自分サイドの言葉と
相手サイドの言葉の遣い分けを
どこからも学んでこなかったのでしょう・・・
イタイ・・・
そういった言葉のチョイスでした。
学力も大切かもしれませんが、
ちょっとした断り方
お礼の返し方
嫌味を言う人への交わし方
そういった、潤滑油と防御の学び場が
何よりも重要だと思います。
若者よ、スマホから目を離し、街に出よう!
ちょろ松焼き、おススメです!
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令和buzz313・・・風の色濃く
来年より、年賀状じまいとさせていただきます。
理由はいろいろありますが、
一番の理由は、「形骸化」したこと・・・
世の中が、とか
他の皆さんが、とか
そういうことを言いたいのではなく
年賀状という仕組みとしきたりが
私の心の中で形骸化したということです。
そして、形骸化したものをやめたくなった・・・
ただ、そういうことです。
社会人としていかがなものか・・・
そういった類のご批判は甘んじてお受けする・・・
ただ、私の人生において、年賀状のお役目は
現時点では一区切りさせていただきたい・・・
このブログをお読みの方々には
何卒、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
さて、今日も一冊本をご紹介いたします。

ペルソナとは、
他者に対峙する時に現れる自己の外的側面・・・
要は、世の中で自分が演じている役である。
さてさて困ったものだ・・・
こんな自由に生かされている私でも
何らかの役を演じながら世の中で生きている・・・
もともと私自身できるだけ
シンプルに生きられたらという願望があるだけに、
この本はさらに
ある意味ヤバい!ということになる。
月の欠損に引導を渡すことは、
これまで生きてきた自分の心の逃避を見つめることになる。
人はそれを闇という時がある。
その闇を愛でよと作者の中野信子さんは言う・・・
以前からこの方の文体は、私の肌に会い
すっすっと入ってくる。
新しい風の時代を迎えるにあたり、
今後、ますますそれぞれの「ペルソナ」が
崩れていくことでしょう。
「闇を見つめることは
心のワクチンのようなものだ」
中野氏は言う・・・
本当のワクチンはごめんだが、
「見つめる」という処方箋はわたしもその通りだと思う・・・
今回の本は、中野氏の自叙伝でありながら
読む私たちに大きな波紋をもたらすであろう・・・
月の欠損といい・・・
この本といい・・・
ディープ・ステートの力が弱まるアメリカ大統領選といい・・・
月の闇に隠れた灰色の男たちが
どんどんと居づらくなる世の中になってきている感じがする・・・
風の色がますます濃くなる晩秋です。
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theme : ありのままの自分になるために。
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tag : 風の時代