平成の後ろ影⑩・・・恩赦でGO!
日本中がお祝いモードで新元号を迎えています。
先日の大須観音でも
「祝・令和」の大きな垂れ幕が掲げられていました。
今日明日とお天気は雨予報。
雨降って地固まる・・・
私はそう思っています。
平成の時代はそれだけ
格差が広がり
庶民は増税で冷えあがり
潤いとゆとりがなくなった時代・・・
慈雨がふりそそぎ、
現在傷ついている人々の傷が癒され
やさしい時代を迎えられれば思います。
先日、興味深い記事を見つけました。
「恩赦」について・・・
➡新天皇即位に際して「恩赦」は必要? 若い世代と中高年では極端な意識差も
恩赦とは、古くから君主(天皇や王)の権限で
君主の代替わりに際して、前君主における
悪政とされるものを実質的に正すという機能でした。
有名なのは、江戸時代の徳川綱吉の生類憐みの令で、
捕らえられ流罪にあったり、財産を没収されたりした者の
刑を軽くしたり免除したりする制度です。
現代は、天皇は「象徴」という立場ですし、
国事行為のみを行い「国政に関する権能を有しない」とされていますから
政治に関して、悪政、誤政を論じる対象ではありません。
であるなら、対象となるのは、平成時代に歴任した行政の長たる
内閣総理大臣のもとくだされた政治決定でしょう。
その中で、「悪政・誤政」とされるものをあらためたり、
それによって大変なことになった事態を
「恩赦」というかたちでゆるめるのはどうかと思うのです。
ちなみに平成歴代の内閣総理大臣です。
(1989~2019)
竹下登(昭和62年11月6日~平成元年6月3日):自由民主党
宇野宗佑(平成元年6月3日~同年8月10日):自由民主党
海部俊樹(平成元年8月10日~平成3年11月5日):自由民主党
宮澤喜一(平成3年11月5日~平成5年8月9日):自由民主党
細川護熙(平成5年8月9日~平成6年4月28日):日本新党
羽田孜(平成6年4月28日~同年6月30日):新生党
村山富市(平成6年6月30日~平成8年1月11日):日本社会党
橋本龍太郎(平成8年1月11日~平成10年7月30日):自由民主党
小渕恵三(平成10年7月30日~平成12年4月5日):自由民主党
森喜朗(平成12年4月5日~平成13年4月26日):自由民主党
小泉純一郎(平成13年4月26日~平成18年9月26日):自由民主党
安倍晋三(平成18年9月26日~平成19年9月26日):自由民主党
福田康夫(平成19年9月26日~平成20年9月24日):自由民主党
麻生太郎(平成20年9月24日~平成21年9月16日):自由民主党
鳩山由紀夫(平成21年9月16日~平成22年6月8日):民主党
菅直人(平成22年6月8日~平成23年9月2日):民主党
野田佳彦(平成23年9月2日~平成24年12月26日):民主党
安倍晋三(2回目)(平成24年12月26日~現在):自由民主党
あらためて見ますと、思いつくことがいっぱいありますね。
①消費税
②原発
③人工災害(国土自然崩壊、国民疲弊)
④グローバリズム・規制緩和・民営化(≒弱者・小者疲弊)
⑤最低賃金は他の先進国の約7割(=大幅年収減)
⑤いのちと引き換えられるお金
恩赦の条件は、
①国家的な慶弔の機会であること
②君主(天皇)の仁慈によること
③国民が揃って慶弔を行うこと
ほぼ条件がそろっています。
そして私が大事と思う恩赦は
恩赦を受けたものが、
「ああ、ありがたいな~、次の時代は頑張ろう!」と
感謝と意欲がわくものがふさわしいと思うのです。
データが示す通り、平成、天下の悪政は、
多国籍大企業や世界の金融資本家にばかりお金が流れ、
国民(庶民)にお金を回さなかったこと・・・
シンプルです。
(実は昭和の終わり、1985年のプラザ合意からこの流れは来ています)
そして、原因の一つは、「消費税」と「法人税の減税」ですから・・・




どうでしょう・・・
まずは、
恩赦で、消費税廃止!・・・
そして、恩赦で、無条件に国民一人当たり5万円/月を一時支給!・・・
それをボーナス時期までの5~7月までの3か月続ける。
(一時ベーシックインカムの実験)
そして、高校、大学奨学金の減免や免除(奨学金徳政令)の実施・・・
政府は2%のインフレ率を目指しているといいますが
(わたしには、そう見えない)
それで、どのくらいインフレ率が上がるのかやってみればいい・・・
ちなみに、自国の通貨を自国で刷っているわけですから
ハイパーインフレにならずに調整できます。
1.自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない
2.全ての経済(及び政府)は、生産と需要について
実物的あるいは環境的な限界がある
3.政府の赤字は、その他の経済主体の黒字
(三橋貴明現代金融理論(MMT)より)
➡動画:教科書が嘘と分かった平成
国民の間には、犯罪者を減刑する
従来の恩赦のようなやり方に疑問を呈するものもある。
➡「犯罪者が減刑されなければならないのか?」 新天皇即位に際して「恩赦」は必要? 若い世代と中高年では極端な意識差も
その是非については私はよくわからない。
ただ、平成の30年に起きた庶民の苦しみは
子どもや親御さんを通して肌で感じてきた。
家のローンを払うために
家賃を払うために
税金を払うために
保険料を払うために
大学に行かせるために
塾に行かせるために
親の介護のために
子どもを育てるのも殴るのも
働く理由、学ばせる理由、社会に適応させる理由が
ほぼほぼお金(費用)の問題・・・
実に窮屈・・・
実に息苦しい・・・
せっかく生まれた新しい金融哲学も
再び古い資本主義に飲み込まれていく・・・
➡物々交換 地域通貨 シェアリングエコノミー 副業、兼業 クラウドファンディング 仮想通貨・・・
その原因の一つが、
「国の借金は税金で返す」
そういった古い経済学のもと、
間違った財政政策をとってきたからです。
さあ、平成は終わりです。
弱者が、さらなる弱者から奪い取る構図の今の金融資本主義・・・
(実は、国が庶民から奪っているだけ)
結局、大きなものが小さなものを壊していく流れは止められないのか・・・
平成からの宿題を 令和で解決していくには
まずはスタートダッシュとして
そのぐらい大胆な恩赦がいると思うのですが・・・
皆さんはいかがでしょうか・・・
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平成の後ろ影⑨・・・不寛容な社会
あとはレポート提出で認定の見込みが立ちそうです。
早朝、一時間ほど早く着いた私は、ぶらり大須観音へ・・・

偶然でしたが、28日ということもあって「骨董市」をしていました。

小道具から古布、古着物、
仏像や古本、古いラジオもありました・・・
骨董市ほど、偏好、物好きが現れる場もないかと思います。
ある場所に黒山の人だかりができていました。
しかも100%おやじだけの人だかりです。
私はおやじではありませんが(笑)
分け入って何を皆さん覗いているのか確かめました・・・
おそらく、無線の機材・・・
周波数を合わせて、それを受信できるか?を確かめているようでしたが
ただ、本当にそうなのかは全く分かりません・・・
覗いても商品が何か定かでない・・・(笑)
これこそ偏好です・・・
しかし、私はこの偏好の臨場感が好きです。
みんなそれぞれ、自分の興味あるものしか手に取りません。
そしておやじ率が高い・・・
その筋の人にしか
その商品の良さがわからない・・・
本当に面白いです。
実は、この偏好、こだわりは
発達障害の特徴です。
昔からそういう世界があって
そういう人たちが呼吸できる場があって
「暗黙の了解」で互いを認めあっていた・・・
平成はいつのころからか
窮屈で生きづらい世の中になっていった感じです。
不寛容といってもいいでしょう・・・
人と違っていること、自分と違っていること・・・
そういうことを許せなくなっている・・・
許せないだけでなく、怒りへと育ててしまう・・・
ところで、「怒り」が頂点を迎えるのはどういうときか・・・
みなさんはご存知でしょうか・・・
それは怒っている自分の声を聴いたとき・・・だそうです。
別に話さなくても、SNSで投稿した時も同じです。
ですから、不寛容、過剰批判社会は
SNSと二人三脚で広まったといえます。
では怒りがこみ上げてきたらどうするか・・・
それは、決して見せない日記を書いて、
最後は燃やしてしまうことだそうです。
怒りという記憶を操作し、上書き(浄化)することだそうです。
また川柳に変換することもいいでしょう。

つまり、どうしても怒りを言葉にしたり、投稿したければ、
サラリーマン川柳のように
第三者、神様の視点になって(笑)になって
ストーリーで伝えることが大切なのだそうです。
あと言葉の選択も重要です。
肯定的に伝える・・・
たとえば、「・・・やめろ」ではなく、「・・・しましょう」とかです。
これは発達障害への例ですが、わたしたちの日常やネットの世界でも
応用すれば使えるヒントがあります。
SNSの世界では、心無い「指示・命令・禁止」が
多すぎのような気がします。
この変換表など、いわゆる普通のお子さんやご家庭、友人、
高校受験の面接で自分の良さを発見するときなどにも使えます。

➡楽々かあさん公式HP 支援ツールのシェア
発信する私たち一人一人が語彙力を広げ
凸凹を寛容するように心を育てたいものです。
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平成の後ろ影⑧・・・看板と検定
どうしたら設置できるか、一週間考えました。

皆様のお力をお借りして、無事設置・・・
欅の一枚板の看板で、ご縁からか
母の実家の近くで作っていただきました。
当初、塾名に「支援」と入れたのは
発達障害を意識したわけではありませんでした。
純粋に私は学習者の「支援者」にすぎないから・・・
そういう思いでした。
流れでしょうか・・・
集まってくれる生徒の力になりたいと思っていたら
この検定が目に留まりました。

昨日一日目でした・・・
名古屋だけで60人ほどいらっしゃいました。
時代の必要性を感じました。
平成からの宿題を皆さん挑もうとされていました。
面白いのは、発達障害の家族の方、同僚にそう言う方がいる方、
そして、当事者の方もいらっしゃることです。
いわゆる当事者研究です。
「自分の取説を学んで、みんなに伝える」と笑っておられました。
少々本腰で学んでいます。
トータル13時間・・・
意外に苦痛でもなく一日目を終え、
充実した学びを楽しんでいます。
また、皆さんにもお伝えしたいと思います。
講座でお話を聞いていると
ああ、自分も含めて だれでもそれぞれ当てはまるかも・・・と
みんなちがって みんないい・・・
本当にそういう世の中が当たり前になるといいなと思います。
市場原理でなく
いのち原理の世の中・・・
「人間、みんな病気です」 古澤平作(こざわ へいさく)
スペクトラム(あいまいな境界をもちながら連続している)
なのだからほんとそうなのだ・・・
そして、第一線で臨床されている方の説得力のある言葉は
実に有意義なものだし、説得力が違う・・・
いまの生徒さんを想像しながら・・・
これからの生徒さんを想像しながら・・・
・・・久しぶりに真剣に学んでいます。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
tag : 看板発達障害コミュニケーション初級指導者検定
平成の後ろ影⑦・・・発達凸凹(発達障害)
「発達障害」といわれる子供たちと大人がどう向き合うか・・・があります。
「発達障害」の「障害」という言葉から
認識や許容がゆがんだ形で伝わっている場合もあって
この言葉は改めるべきだと思いますが
とりあえず今はこの言葉を使わせていただきます・・・
➡迷走する教育
ここでも書きましたが、147年もの間
社会や大企業の要請に応えるのを「教育」としてきた歴史がある中で
教育をもっと「個別のもの、一人一人のもの」として
頑張っていらっしゃる偉大な指導者もいらっしゃいます。
以前みなさんに応援していただいた「小さな挑戦」がありました。
➡小さな挑戦
それはまさにこの「発達障害」に関することでした。
正確に言えば「グレーゾーン」と診断を受けた生徒に関することです。
お陰様で、現時点では
結果的に、明るい方へ向かっているので
本当に良かったと思っていますが、
根本的に解決されたわけではないので
まだまだ挑戦は続くと思います。
彼本人や保護者の方のご了承をいただいて
この件について詳細を記載する許可をいただいていますが、
今日は概略を書かせていただきます。
彼は、当時 県立高校へ通う2年生でした。
日頃の様子から、
診断を勧めたのは学校の担任・・・
彼は書き写す力と作業と時間の管理が苦手という
グレーゾーンの結果がでました。
診断結果が出て、私はある意味安堵しました。
中一から彼を見ていた私は、診断はなかったものの、
そういう特徴があることは認識していましたので
高校へ行ってちゃんとできるだろうかと気になっていましたので・・・
「これで学校側が何らかの配慮をしてくださる・・・」
そう思ったからです。
かなり簡略化して言いますと、
結果は真逆でした・・・
その診断を担任や学校側は認識しているにもかかわらず
あまりにも、本当にあまりにも理不尽な宿題がでました。
保護者の方が学校側に軽減、もしくは内容変更を打診をしました。
宿題をやらないといっているわけではありません。
彼の得意な範囲での宿題にしてもらえないか・・・
せめて期間を延ばしてもらえないか・・・
そういうことです。
しかし、診断を勧めたにもかかわらず、
学校側は全くの無配慮・・・いえ
無配慮どころか、かえって厳しい言葉を浴びせる始末・・・
今回私は、塾人生始まって以来初めてことでしたが、
「教育委員会への相談」(訴え)を試みました。
もちろん保護者の方と一緒にです。
ここ数十年、理不尽な学校の対応は幾度か見ていますが、
ここまで試みたことは一度もありませんでした。
今回は・・・
・診断というか客観的な指標があるにもかかわらず
あまりにも無配慮で、威圧が度が過ぎていたこと・・・
・学校側の無理解と不勉強が目に余ったこと・・・
・今後中学生がこの高校を受験するといった場合、
決して勧められないと思ったこと・・・
わたしを駆り立てた理由は他もありますが、
とにかく単純に、生徒・保護者・学校・・・
どちらを見渡しても、今のままではいけない・・・
そう強く思ったからです。
現在、法律批准に伴って、文科省より
発達障害に関する支援拡大の要請が
各都道府県になされています。
➡文部科学省所管事業分野における障害を理由とする差別の解消の推進に関する対応指針の策定について
その中に「合理的配慮」というものあります。
「合理的配慮」とは、障害者が他の者との平等を基礎として
全ての人権及び基本的自由を享有し、
又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、
特定の場合において必要とされるものであり、
かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。
障害者の権利に関する条約 第二条 定義より
要は、学校側とよく話し合って
その生徒の状況に合わせた指導をしてくださいというものです。
これは、すでに確認していることですが
障害手帳の有無にかかわらず、
発達障害およびグレーゾーンの生徒すべてに当てはまるのです。
考えてみれば当たり前で
健常者であっても発達障害であっても
➡工夫と格闘は当たり前のことで、
ましてや今の障害の定義は
障害の「あるなし」ではなく
「強いか弱いか」という認識なのですから
すべての生徒に当てはまります。
必要な適当な変更及び調整は、
できるかぎり、当然のことをやっていくという感覚が大切です。
AIによって、人間とは何かを問われる時代ですが、
それと同じことが「発達障害」でも言えます。
「人間が育つとはどういうことなのか?」
「いのちとはなにか?」
そういう哲学を突き付けられているのが現代です。
イギリスではすでに「イン クルーシブ教育」といって
かなり進んでいるといわれていますが
日本はどうも内容も違い、後れを取っているようです。
当県、特に高等学校は特に遅れていると感じています。
これは、「もう義務教育ではないから・・・」という変な誤解があります。
繰り返しますが、
これは全くの認識不足で
義務教育だろうがなかろうが・・・
全日制だろうがなかろうが・・・
手帳の有無にかかわらず・・・
すべてにおいて合理的配慮がなされるというものです。

そういう意味で、前述の動画の
「すべての子供たちが同じ教室で学ぶ」大空小学校は
インクルーシブということになるのでしょう。
どちらが絶対的にいいのかは
正直私にはわかりません。
ただ言えるのは、県立高校へ通う2年生の彼に関することは
「おかしい」「理不尽」であったということです。
保護者の方にも学んでいただき
そして、ご理解をいただき
私も改めて法律等を学び、
各機関にも問い合わせるなどして
自分にできることをさせていただいた次第です。
「彼も もちろん頑張りますが、
学校も 勉強して教育の質を進展させてください」
そういう思いです。
発達障害やグレーゾーンの子どもにとって
その症状を無視され、威圧的に対処されることは
それはもう「絶望」でしかないのです。
かれも「学校を辞めたい」
「あの人たちと一緒の場所で呼吸したくない」
そう何度も私に吐露していました。
「弱いからだ」・・・
「社会に適応するのにそんなことではだめだ」・・・
そういう大人がまだいます。
全くのナンセンスです。
こういう問題の場合、当該の症状より
「二次障害」によって精神を病むことの方が問題となります。
生きることそのものへの放棄につながるからです。
現に問題は起きています。
➡自殺生徒は「学習障害」「能力異常に低い」教職員が発言
➡苦しみをわかってもらえない・・・ 発達障害
わたしたちは、生身の人間です。
「生きること」が受け入れられなかった人たちの絶望を
もっと想像するべきです。
教育現場が「市場原理」ではなく
「いのちの原理」で営まれなければいけない理由はそこにあります。
いのちあるものがいのちあるように・・・
そう願ってやみません。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
平成の後ろ影⑥・・・空き家、空き地
➡国土交通省 空き家等の現状について
現在は、7・8件に一軒が空き家(2013年)だが、
2033年頃には空き家数2,150万戸、なんと全住宅の3戸に1戸が空き家となる。
(民間予想)

空き家は4つの種類に分類され、中でも問題になっているのが
売りにも、貸しにも出しておらず、
定期的な利用がされていない状態の
「その他」に分類される空き家(2013年時点で318万戸)だそうです。
いわゆる高齢者が住んでいた一軒家だ。
高度経済成長期に
「いつかは夢のマイホーム!」で建てられた家々だ。
この空き家・・・血縁や相続にこだわらず、
今の若者、次の高齢者に無償もしくは超安価で
提供ということはできないのだろうか・・・
以前、「新・班田収授法」を提案した。
➡新・班田収授法
それにしても、
子供たちがしなければいけないことが
どこまで増えていくのだろう・・・
どこまで働かせたら気が済むのだろう・・・
いまでは、学校がブラック学習になっている・・・
まったく笑えない・・・
いまは、政治も教育も
倫理も文学、哲学も
すべて「経済学」に飲み込まれていく。
「お金」の顔色をうかがっているのだ。
つまりは、世界の金融資本家たちの顔色である。
山、川、海、森の木々・・・
日本はこんなに豊かな自然に囲まれているわけですから
今は惨憺たる第一次産業の復興と振興もあってしかるべきなのだが
グローバル、情報、世界をリードの文言が並ぶ・・・
市場では、見えないもの(株、土地、投資商品)の売り買いが主流だから
地に足がつけられない・・・
800万もの空き家を抱え
400万ヘクタール以上の耕作放置地を抱える国が
世界をリードも何もない・・・
ちょっとした妄想だが
0歳から2歳児が300万人ほどだから
希望者には、一人に1ヘクタール(100㎡)の土地と
一軒の家(2軒でもイケる)をプレゼントして
税金を緩和して、家族みんなで半農半Xをする
知恵と技能を身に付けたほうが、
健康にも等身大の経済にも良いのではと思う・・・
もちろん気楽なアイデアだとは承知しているが
これに、空き家も入れたら今の子供や若者、
若い世帯もしくは、次の高齢者が
家賃やローンに苦しむことはないのではないだろうか・・・
国には特別会計というものが400兆円ほどあるのだから
それから6兆円ほど出すだけで一件200万円の費用をあてられる。
9兆円なら300万円も出せる。
解体するなり、リフォームするなりしたらいい。
リフォームなら、その後低価格で貸し出したりするのもいい。
採算のとれず、健康を害し大規模に自然を破壊する
リニアに3兆円(今後は数十兆円になる)出すのなら
こういった人のいのちに関わる未来のあるものに
もっと支出すべきだと思う。
いまや大学生の「仕送り額に対する家賃の割合」は
75%を超えているデータもあるので
学生はかなり楽になるのではないだろうか・・・

更地になって土がむき出しになれば、
半農半Xでうまれる子供も「土」と戯れられるし
心身共に健康になってくだろう・・・
都会のヒートアイランドも少しは解消されるのでは・・・と思う。
少子高齢が、日本の最大の問題で、最大のチャンスなのだから
政府はそのぐらい思い切って衣食住の「住」に力を注ぐべきだ。
確かに、空き家バンクもわるくない・・・
でも都道府県ごとに分断され、
自力があるバンクならいいが
ちいさな市町村や過疎化が進む地方自治体には
他に優先してやることも多いだろう。
そのぐらい思い切ったワクワクする施策はできるのは、
やはり国だろう・・・
本当にお願いしたい。
最先端の技術を開発したり活用することも大切だが
衣食住に関しては、いまある資源をリユースすることが最優先かと思う。
世界でも類を見ない少子高齢の先進国ニッポン。
市場原理だけで「住」&「家賃」を設定するのではなく
「いのち原理」で設定・保護すべきだと思う。
こういうことでお手本を示すときだと思う。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
平成の後ろ影⑤・・・教科書が嘘と分かった平成
特に、理科と社会は顕著です。
例を挙げましう。
まずは台風の進路・・・
昨年ここで再三書いてきましたので
もうわかっていただいているとは思います。
➡高校「地学」が消える不思議
➡苦しい進路
理科でも社会でも、「日本は自然災害の多い国・・・」
ずっと言われていました。
もう違います。
気象庁は、なんでも異常気象で片づけますが、
「人工災害の多い国・・・」
そういうことです。
➡人間性なき科学(人工地震初級編)
そして、農作物の苗を直撃の寒波も人工で作るのは簡単です。
➡平成最後の寒気団 GW初日を直撃! 関東でも雪か
農作物をまともに作れない・・・
種は独占された海外の企業から買うしかない・・・
育った作物は台風で全滅・・・
輸入に頼るしかない・・・
TPPの基準で、高くかわされ、安く売られる・・・
➡メガFTA 農業分野に強い関心
アメリカさん、だったらなぜTPPを離脱したんですか?
といいたいですが・・・
国内の景気対策も
教科書の「政治経済」は嘘でした。
↓↓↓
1.景気調整政策
※考え方
・好景気:世の中の資金量が多い →資金量を減らす政策をとる
・不景気:世の中の資金量が少ない →資金量を増やす政策をとる
・政府・日本銀行がそれぞれ景気対策を行っている
①[財政政策]:政府が行う景気調整政策
・好景気のとき
→ 税:[増税]
→公共投資(公共事業への支出):[減らす]
・不景気のとき
→ 税:[減税]
→公共投資:[増やす]
②[金融政策]:日本銀行が行う景気調整政策
・公開市場操作
…一般の銀行との間で国債を売買し、資金の流通量を調節する
・好景気のとき:銀行に国債を[売る]
→銀行が貸し出せる資金が減る →世の中の資金量が減少
・不景気のとき:銀行から国債を[買う]
→銀行が貸し出せる資金が増える →世の中の資金量が増加
公共事業など、下がりっぱなしです。

✖「政府・日本銀行がそれぞれ景気対策を行っている 」
元凶の財務省の話が一言も出てこないのが教科書です。
財務省が不要な財政の健全化(黒字化)を目指すため、
実体経済にお金が流れてきていません。
「累進課税」という言葉も正しく説明されていません。
ちなみに、一般的には
「収入が多くなるほど税率が大きくなる仕組み」
となります。
しかし平成は、消費税の導入と税率のUPで
その逆が行われています。
なぜなら消費は所得の高低にかかわらず
すべての国民がするものですから、
実質として低所得の人への負担が高くなるからです。
国民の消費は、消費税が上がるたびに冷え込んでいます。
まさに弱い者いじめの税です。

それどころか、過去最高の収益の大企業には
法人税を下げて、輸出払い戻し税で優遇しています。
上がった消費税分が消えてしまうのは、
法人税の穴埋めをしてるからです。


まさに、取れないところから搾り取り、
取れるところへは票集めのために「優遇措置(エコ贔屓)」・・・
さかさまの国になっています。
すべての教科書を見ているわけではありませんが、
こういったグラフはとんと教科書で見たことがありません。
挙げれば本当にキリがないのですが、
そういった教科書で今の若者は勉強させられているのです。
おまけに、消費税は26%にする必要があると笑いながらのたまえる・・・


➡「消費税26%発言」止まらない財務省の増税インフレ
私の授業は、受験用(真実からは程遠い)と
真実用(本当に知ってほしいこと)と二つ話しますので
話し出すと倍以上時間がかかります。
大人のみなさんもぜひ学んでください。
≪三橋貴明×山本太郎 名動画≫
以前も挙げましたが、この3本を見れば、
新聞やTV、教科書がいかに浅いかがわかります。
政治家でさえ知らないので
日本はどんどん行き詰まり、迷走します。
GWの復習、宿題にどうぞ・・・
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genre : 心と身体
平成の後ろ影④・・・おひとりさま
良くも悪くもよく飛び交った。
要は「個」の需要や活動が日常当たり前になったということだ。
スーパーやコンビニに行けば、
ひとり分のちょこっとお総菜が置かれていて
市場が「おひとりさま」ニーズをきちんととらえているのがよくわかる。
「おひとりさま」という言葉を提唱したのは
ジャーナリストの故・岩下久美子さん。(1999年平成11年)
「一人でいられない人が多く、『個』が確立していない社会に疑問を抱き、
自分の虚しさを他人で埋めようとしない世界観」
とあるから、かなりポジティブでアグレッシブな提唱だ。
「おひとりさま」と聞いて
寂しいと思うか、凛としたものを感じるかは
人それぞれの境遇によって違うだろう。
ちょっと毛色の違う言葉で、
独り身の女性を「負け犬」と自虐したのは、
エッセイストの酒井順子さん。
配偶者がいて当たり前、子供がいて当たり前・・・
そういう昭和の型を達成できない人を指す。
ただ、それが壊されて、ポジティブに昇華されたのも平成だ。
ひとりカラオケ
ひとり焼き肉
ひとり映画
ひとり水族館
以前、会社の同僚に、
「神辺さんは、ひとりで喫茶店に入れてすごいですね。
私なんてどうしても無理で・・・」
そう言われたことがある。
皆さんはどんな「おひとりさま」なら「OK」でしょうか・・・
おもしろい調査があります。


➡「お1人様」主義者はどこまで1人でOKなのか
これを見る限り、かなりの領域で「おひとりさま」が許容されている。
さすがに、キャンプやBBQは少ないが・・・
余談になるが、私が中学のとき、部活でいじめにあって、
キャッチボールをする相手もいないぐらい
「ぼっち」になったときがあった。
そのとき、プールのコンクリート壁にボールをぶつけ、
あてる角度をかえて「おひとりさまノック」をしていたときがあった。
その時、たまたま通りかかった水泳部の顧問の先生が、
「かんべぇ、今日はひとりかぁ~」
そう、声をかけてくださった。
きっとその先生は、私に何が起きていたのかをご存じだったのだろう。
「はい!」 そう答えながら、私の目がにじみ、
跳ね返るボールをうまく処理できなかったのを
昨日のことのように覚えている。
そのとき、わたしは冷静にこうも考えていた。
「人間ひとりになっても、誰かが見ていてくれている」
あのとき、先生が言った「ひとり」は
たしかに「ひとり」だったけれども、どこか暖かみがあった。
「ひとりでもトレーニングしてがんばってるな!」
あえてそういってくれたような優しい響きがあった。
平成の「ぼっち」も、どこかで誰かと繋がっている安心感があるから
言える言葉なのかもしれない。
「ぼっち」でありながら、SNSはあるし、
繋がり、表現した自分を見てもらえる。
逆に、SNSで繋がりすぎるので「ぼっち」になることで
ホッとしているのかもしれない。
どちらにしても、平成のおひとりさまが、
人類史上はじめて、進化し、肯定的なニュアンスが増えたことは、
昭和人からするととても新鮮である。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体
平成の後ろ影③・・・迷走する教育
つまり、文科省の学習指導要領の方針の迷走です。
2002年(平成14年)4月から、
学校が完全週休2日制になりました。
学習内容も3割削減され、
円周率が3となった時代です。
いわゆるゆとり教育のスタートです。
そのとき6歳で小学校に入学した子は、
現在大学4年か就職1年目になります。
当時中学だった子どもたちは、すでに30歳になろうとしています。
ゆとり君とかゆとりさんなどと揶揄されています。
その反動で、2011年から「脱ゆとり」の政策に変わります。
さて令和最初の改定は2020年から・・・
まず、小学校が変わっていきます。
大改定の目玉は、プログラミング教育と道徳、
そして、4領域(「聞く」「話す」「読む」「書く」)を
まんべんなくこなせる英語教育だそうです。
ちなみに文科省は小学6年生に
どのくらいの英語力イメージしているかというと
・自己紹介に関する表現や発音、音声で語句を書き写す
・日本文化(行事や食べ物、味覚など)を表す表現や日本文化について伝えあい、書き写したりする
・好きなもの、スポーツなどの語順を考える。単語と単語のスペース気付く
・地域の良さを表す表現について伝えようとしたり、読んだり書いたりする
・過去の表現について(夏休みの思い出など)を話したり、書き写したりする
・小学校6年間の思い出について語句や基本的な表現を用いて書いたり伝えたりする
・オリンピック・パラリンピックについて話される内容を聞いて概要を捉える
・将来の夢を話す
・中学校の部活動や学校行事などについての表現や、他社に配慮しながら中学校生活について読んだり書いたりする
感覚として、現在の中2生(よくできる子)がやっていることを
小6がするということです。
英語をすることもプログラミング的思考を身に付けることも
否定はしません。
ただ、どうしてここまで英語教育に重点が置かれる改訂が行われるのか・・・
世の中の保護者の方は、そこを冷静に抑えつつ
子どもたちへの英語教育を考えてほしいのです。
わたしからみると、日本語学習の「国語」を二の次三の次にして
英語教育にここまで重点を置く政策を諸手を挙げて喜べません。
どうしてここまで英語教育に重点が置かれるのか・・・
それは、産業界からの要請です。
要は、「英語のできるやつを企業によこせ!」というわけです。
そして、その英語教育にはタブレットなどの
デジタル機材、通信インフラなどの導入に繋がりますので、
大企業同士、相性がよく連携しやすいということです。
何度も言いますが、私はそういった流れは止められないと思いますし、
別に反対というわけではありません。
ただ、明治に学制発布をされてから
「教育」は一貫して、社会・国家の要請(だけ)にこたえてきました。
国家が富国強兵であれば、個人もそのように・・・
戦争体制であれば、個人もそのように・・・
工業化、一律オートメーション化であれば、個人もそのように・・・
IT化、デジタル化であれば、個人もそのように・・・
その結果、現在の個人がどうなっているのか・・・
余談ですが、今の教育をそのまま加速すると
子供たちの「手」はなくなると思います。
第二の脳といわれる「手」です。
もちろん、物理的な「手」はなくなりませんが、
画面をスライドさせる一本の指だけの活動が多くなり
極端な話、脳の発達に影響が出ると思っています。
世の名門校(灘高校や麻布高校)は、
そういった危機をちゃんとわかっていて
「裁縫」や「水田稲作学習」の授業が取り入れられています。
話を戻します。
ちなみに英語が必要な職業は、世の中の1割といいます。
前述の小学6年生の英語到達目標をみて、
びっくりされた方もみえると思います。
しかも小学校5.6年生で学ぶ単語は600~700語です。
英語が必要な職業に就く1割のために、
残りの9割の子どもたちが
悲鳴を上げることになるのであれば、
それはおかしな話だと思います。
ただ、当たり前ですが、大企業界からの
「英語エリートが欲しい」の要望には応えられます。
私の予想ですが、いまの子どもを見ていて
これは悲鳴が上がること間違いなしです。
おそらく、授業数確保も大変で現場の先生も悲鳴が上がるでしょう・・・

英語教育はどう変わるの?文部科学省の発表をまとめてみたより
詰め込み教育は、みんなが同じスピードで、
同じ内容を、同じ量できるようにするためでした。
その結果、校内暴力・家庭内暴力の嵐が吹き荒れました。
よさそうに見えたゆとり教育も、実は、
エリート教育が目的だったことをご存知でしょうか。
教育課程審議会会長として、ゆとり教育に舵を切った三浦朱門は、
こう発言しています。(新・学習指導要領の答申の最高責任者として関わっている)
「つまり、できんものはできんままで結構。
戦後五十年、落ちこぼれの底辺をあげることにばかり注いできた労力を、
できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。
百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。
限りなくできない非才、無才には、
せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。
(中略)
国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、
すごいリーダーも出てくる。
日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。
それが“ゆとり教育”の本当の目的。
エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
いったい、こういう人たちは
人様の子どもを何だと思っているのでしょう・・・
この人の妻は、曽野綾子ですが、
「甘えるな
他人に迷惑をかけるな
生かされて生きることを自覚せよ」
のしつけ3原則で有名な
2000年の教育改革国民会議の委員をされている。
そして、その後のゆとり教育スタート・・・
三浦 朱門にインタビューした斎藤貴男はいう。
(斎)――それは三浦先生個人のお考えですか。それとも教課審としてのコンセンサス
だったのですか?
(三)「いくら会長でも、私だけの考えで審議会は回りませんよ。メンバーの意見は
みんな同じでした。経済同友会の小林陽太郎代表幹事も、東北大学の西澤潤一
名誉教授も……。教課審では江崎玲於奈さんのいうような遺伝子診断の話は
出なかったが、当然、そういうことになっていくでしょうね」
ちなみに、江崎玲於奈の発言は以下です。
「ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に
遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形に
なっていきますよ」
いかがでしょう・・・
現在行われようとしている「英語教育改革」も
同じ質のものではないでしょうか。
何度も言いますが、私は教育界が最新の技術と英知で
変わっていくことに何ら反対はありません。
ただその変化が、優生思想や一部の大企業・思想家の要請に
基づいて行われるとしたら、それは憤怒に値するものですし、
彼らの傲慢以外 何物でもないのでしょうか・・・
そう思うのです。
目の前の子どもや若者は、社会の期待に応えるためだけに
生きているわけではないのです。
1872年に学制が発布されて今年で147年・・・
確かに「功」もあるでしょう・・・
しかし、どんな「罪」をなしたかは歴史を見れば明らかです。
教育が迷走していくのは、
一個人のいのちと向き合わず
社会や国家、大企業の要請に沿おうとするからです。
平成を振り返って、やはり私が再認識すること・・・
ひとりひとりのいのちを見つめること・・・
その子が生き生きとする道を一緒に探すこと・・・
そして、試行錯誤しながらその入り口まで一緒に行くこと・・・
それを見送り、応援すること・・・
あらためて、声を大にして言いたい・・・
個人が社会のためにあるのではなく
社会が個人のためにある・・・
いのちあるものがいのちあるように・・・
たとえ町中の小さな塾であっても・・・
いやそういう塾だからこそなおさら
そういう「教育」ができるのではないか・・・
令和の時代、そう勇気を出してやっていこうと思います。
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genre : 心と身体
平成の後ろ影②・・・目に見える家電から見えないデジタルへ
白黒テレビ、電気冷蔵庫、洗濯機・・・
後に、3Cのクーラー、カー、カラーテレビ・・・
なるほど、人間の労働力、
特に女性の家事労働を軽減した画期的な家電がうまれ、
余暇時間を楽しくさせ、家庭に届く情報が増えた時代です・・・
平成の三種の神器を調べると
DVDレコーダー、薄型大型テレビ、デジタルカメラ・・・
しかし、もうこれはかなり古い感じがします。
いまやスマホやタブレットですべてを事足りる時代・・・
もう「家電」という表現も合わない感じです。
平成が終わろうとしている今、
デジタル機器×インターネット通信の世界が果てしなく広がろうとしています。
その産物であるAI・IOTの進化で
身のまわりのありとあらゆるモノがインターネットに接続され
通信回線を利用するデータ量が急増すると予想されているため
次世代通信インフラが5Gになるという。
2020年に実用化するらしい。
昭和と平成の違いは、目に見える家電から
目に見えない通信×デジタル機材といえるかもしれない。
確かに昔のテレビも不思議だった。
中はどうなっているんだろうと不思議に思い
町の電気屋さんがテレビの後ろを開けて修理するのを興味津々で見ていた。
しかし今では見えない世界がその比ではない。
目に見えない世界が深遠で膨大過ぎて
使えることは使えるが
いったい何が起きているのかわからない人も多い。
また、それをつかえるかどうかで生活ががらりと変わってしまう。
人が機械を使いこなすまでには時間がかかる。
使いこなせない人は、機械がもたらす特典を享受できず、
時代に取り残され、不便な生活を強いられることになる。
大学生活で親の仕送りを受け取るのに
初めてATMを使ったのを今でも覚えている。
キャッシュカードというものを初めて手にした時の緊張も覚えている。
銀行のATMが出始めた時、自分のお金を引き出すのに
四苦八苦したお年寄りは多かったのでは?と思う。
私はまだ若かったため、そんなに億劫ではなかったが、
あのときも、人間が機械を使うというよりは
機械が人間を教育する感じだった。
あれから、30年以上がたって
いまでは、機械が人間を教育する場面が実に多くなった。
私の母などはもうとうにその時代を追いかけるのをやめているが、
私だっていつまでこの技術革新についていけるのかわかったものではない(笑)
機械が人間を教育する・・・
強制度が高くなり、この度が過ぎれば、
機械を使いこなす習熟度で
人を支配することも出来てしまう。
昭和の時代、学歴で就職が決まった時のように
デジタル機器に対する習熟度で恩恵享受に差が生まれ
果ては貧富の差にまで発展するのだろう・・・
あたらしい技術はどんどん使えばいいと思っているし利用するべきだと
私自身も異論はない。
しかし、そのことで大きな格差が半強制的に生まれるのは
少し慎重になったほうがいいかもしれない。
仏教経済学(エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー)は
仏教徒の考える機械化には二種類があると述べている。
①人間の技能と能力を高める機械化
②人間の仕事を機械という奴隷に引渡し、
人間をその奴隷への奉仕者にしてしまう機械化
いまはまちがいなく②になっているだろう。
その技術がいのちを育むか
それとも窮屈にさせるのか・・・
学校などでタブレットなどを使ったデジタル教育が進むとか
GTECなど、新しい英語検定も導入されているいっぽうで、
いのちや健康に関する懸念は後回しにされている感じです。
日本では、電磁波の問題はほとんど出てきません。
なぜならそれはスポンサー事情によってマスコミでは超タブーだからです。
一方、5Gの強烈な電磁波によって健康被害が出るとして
環境先進国の欧米では保育所や小学校でWi-Fiのスイッチを
切ることが推奨される風潮になっていますし、デモまで起きています。
アメリカシリコンバレーの元技術者(ジェレミー・ジョンソン氏)さえも
警告を発しています。
「IT産業がここまで盛んではなかった時代、
僕はこんなに頭痛持ちではなかった」
「電磁波にまみれた普通の生活を営み続け、
健康を害した人たちを多く見てきた」
➡5G電波による健康被害「生殖機能低下、脳機能変化…」科学者らが懸念! 世界の電磁波規制に遅れる日本!
➡謎の鳥の死。5G導入地域で起きた恐怖の悲劇。5Gが引き起こす健康被害の可能性と日本への本格導入が進む前に知っておきたいこと
・・・・・
東京オリンピックに向けて
この国ではますますこの技術革新は加速するでしょう・・・
だから、悪いことはあまり流れてこないと思います。
便利さを享受する傍らで
健康を害しては元も子もありません。
いつの世も科学技術は諸刃の剣・・・
見えない技術の世界・・・
自分の健康は自分で守る・・・
平成は、そういったことを自ら意識をしないと
守れなくなった時代とも言えます。
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genre : 心と身体
平成の後ろ影①・・・大相撲
それが大相撲・・・

いわずと知れた、日本の国技であり、神事である。
思い起こせば、夕方小学校からかえってくると
店のTVからはいつも取り組みの呼び出しが聞こえていた。
父も母も相撲好きだった。
当時は、憎らしいほど強い北の湖や輪島、
初代貴乃花が土俵をにぎわせていた。
そのころの私は、父や母が相撲談義をしていても
ふ~ん・・・
という程度で特にファンでもなかった。
夕方6時近くに、結びの一番があり
「この相撲一番にて、本日の打ち止め~」と
独特のふし廻しが聞こえる。
そして、勝負のあとはよく座布団が舞った・・・
なぜ座布団を投げるのか?
そう、尋ねたのを今も覚えている。
名勝負になると母は決まって
「力が入る・・・」
そう漏らしていた。
私にはなぜ力が入るのかさっぱりわからなかったが、
思えばあの頃に日常の自然な風景に「大相撲」があった。
ただ、わたしは相撲よりソフトボールにのめり込んでいった。
しかし、年齢のせいかどうかはわからないが、
「相撲は美しい・・・」
そう思わせた力士がいた。
昭和人ならだれもが知っている「ウルフ」・・・千代の富士だ。
優勝記録を31に伸ばし
大鵬をいよいよ抜くか!というときに引退をした。
また、千代の富士の連勝記録が、
昭和63年九州場所で53で止まり、
双葉山の69連勝突破の夢は消えた。
翌朝の朝刊一面に
「千代の富士、連勝ストップ!!」の文字が踊ったのを
いまでも覚えている。
彼の引退を決めた大勝負をご存知だろうか...
最近まで何かとTVでお騒がせになっていた
二代目貴乃花との名勝負だ。
当時、貴乃花は「貴花田」
18歳9ヶ月...
新旧の劇的交代のシーンだった。
まさに、昭和から平成へのバトンパスだった。
この名勝負は、実は以前、
千代の富士が北の湖に引導を渡したときと同じだ。
視聴率も驚きだ。
千秋楽の大相撲中継視聴率は52.2%、
千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、
現在でも大相撲中継の最高記録となっているらしい。
そういえば、昭和から平成にかけて消えたものに
「お茶の間」という「間」がある。
家族が一家団欒を楽しみ、寛ぐ部屋のことだ。
録画もなかった時代、誰かが決めたチャンネルを
いい悪いに関わらず、家族全員が見ることになる。
だからお茶の間だ。
平成が進むと、個別のものが増えていった。
部屋、TV、車、電話・・・
すべてが個人に一台になろうとしていた。
そうやってお茶の間は消えた。
そして、もう一つ消えたものに
大相撲の美しさを挙げたい。
もちろん、単なる私の感覚なので
いまも大相撲ファンの方はお許しいただきたい。
いまの相撲の良し悪しを語るつもりは全くないが
わたしにとってあの頃の大相撲は外国人力士がいても
本当に美しいものだった。
千代の富士の土俵入りはいまでも惚れ惚れする。
還暦を迎えた土俵入りも
往時の隆盛をしのばせる。
昭和から平成の過渡期、
時代の流れと言えば仕方がないがいまから思えば、
何か大切なものが消えてしまった時代なのかもしれない。
さて、私事で恐縮ですが、
本日、AddCafe&学習支援塾Onenessは
11周年を迎えました。
ここまで来られましたのも
一重に皆様のお陰さまと心より御礼申し上げます。
これからもマイペースは変わりませんが
末長くお付き合いいただけますとありがたく存じます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
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genre : 心と身体
一年間書いてみました。
ぐるっとめぐって、穀雨に戻ってきた。
穀雨とは・・・
春季の最後の節気。
春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、雨で潤った田畑は種まきの好期を迎えます。この時季に、特に雨が多いというわけではありませんが、穀雨以降、降雨量が多くなり始めます。
「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉があるように、南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節です。
変わりやすい春の天気もこの頃から安定し、日差しも強まってきます。
昔から、この日を田植えの準備をする目安にしているようです。
穀雨が終わる頃に八十八夜を迎えます。
一年間毎日「二十四節気への手紙」としてブログを書き続けた・・・
特に節気と関係のない記事が多かったので恐縮だ(笑)
達成!!と思いきや、意外に冷静だ。
というのも、この記事のタイトルを「春、穀雨のころ・・・」と書きかけて
ふと手を止めた・・・
ああ、一年経ってる・・・
一年たったことを忘れ、
いつものように始めてしまったのだ(笑)
一年間連続でブログを書き続けたのは、
もちろん生まれてはじめて・・・
紙の日記はとんと続かないのにブログだと書ける・・・
それはやはり見ていただく方がいる・・・
いいね!も拍手も励みになる・・・
そういうことだと思う。
ただ、それだけでない何かを感じているが、
いまはうまく言えない。
ブログを書くようになって、
気がついたことがある。
それは、「ブログ」が会話と論文のはざま的な存在だということ・・・
論文ほど固くないが、それなりに裏をとったり筋を考える・・・
でも、あとから付け足したり訂正できる・・・
会話は、「人の噂も七十五日」で毒舌や直球を投げれるが、
ブログは、一旦冷まして冷静に書く・・・
以前、「青いインクで赤い感情を書く」を書いたが、
感情を書きなぐるのは私の性には合わない。
文はきっと「人をあらわす」と同時に
人を育てる・・・
乱暴な言葉を書けば、
乱暴な人間になり、
丁寧に書けば丁寧な人生になる。
いまもそう思う。
昨日、ふと石牟礼道子さんの随筆を読み返していた。
この方の文は本当に美しい。
ありありと水俣の、不知火の風景が目に浮かぶ・・・
体験したことがない人間に
体験を見せるのが随筆の醍醐味・・・
しかし、そんな陳腐な言葉も通用しないほどの
彼女の筆力はもうこの世の人とは思えない霊力さえ感じる。
私がこの一年、文によってどんな風に育ったのかは
自分ではなかなかわからないので
その判断は皆さんにお任せする。
ただ、一日一日をきちんと振り替えって
きれいに折り畳んで引き出しにいれるように、
日常のささやかな感情を
丁寧に見るようになったのは間違いない。
冬に3日間高熱を出して書くことがしんどかった以外
特にスランプもなく書けたのは、
きっと、書き手としてまだまだ大したことがないという証だろう。
さっそく、次のシリーズに行こうと思う。
ちょうど令和元年初日も近いし、
それに合わせてスタートしたいが、
それまでの10日ほどは
単発で平成を振り返っていこうかな・・・
そう思っています。
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genre : 心と身体
春、清明のころ⑭・・・やっぱりリニアはいらない
何度この言葉を書いているだろうか・・・
戦争も
ダムも
原発も
核融合科学研究所も
そして、リニアも・・・

どんな技術も、どんな施設も、どんなインフラも
その先はいのちの助けとなる・・・
そういう前提が必要だ。
でも国は違う。
戦争も
ダムも
原発も
核融合科学研究所も
そして、リニアも・・・
すべて、利権、つまり「金」のためだ。
わたしたちのいのちと環境ひきかえに
今日もどんどん工事は進んでいる。
環境への影響ははかりしれない。
現に今年度に入って、トンネル工事による陥没が出始めているようだ。
➡リニア山口工区の陥没 トンネル内崩落のほぼ真上
ちなみに、2027年完成予定の品川-名古屋間は「40分!」という。
しかし実際は、東京駅から
乗り換え、乗車待ちを入れれば1時間40分!
のぞみと同じだ。
また、リニアの工事は当初5兆5000億円と試算されていた。
しかし、南アルプスのトンネル工事など超難関工事が多くあって、
現在は、9兆円、12兆円と膨らんでいるらしい。
試算では、50兆円は行くかもしれないという。
それには、現在わかっているだけで3兆円の財政投融資が含まれる。
あの不透明な特別会計だ。
➡特別会計の謎(1)
➡特別会計の謎(2)
どうせ使うのなら、消費税の廃止や復興に使ってほしい・・
庶民の普通の感覚だ。
リニアの借金は、ダムのときと同様に
すべて我々現庶民と未来の世代への負の遺産となる。
永遠に消費税UPと原発建設の口実ともなろう・・・
本当にどうかしている。
実は今の新幹線700系でも時速400キロ以上は出せる。
にもかかわらず、平均210キロほどのノロノロ運転をしている。
のぞみでもリニアの代わりができてしまうことがばれてしまっては
リニア神話が崩れてしまうからだ。
虚偽と隠ぺいは国や大手企業の常套手段だが、
いったいいつまでこんなことを続けるんだろう・・・
駅周辺やリニアの線路近辺はさらに怖い。
リニアは、磁力の反発で車両を持ち上げ走らせる。
しかし、乗客を乗せて時速500キロで走らせるのには
桁違いの電力を使う。
そのエネルギーは消費は、新幹線の3倍、維持費も2倍以上・・・
そう、一番怖いのは電磁波だ。
国立環境研究所の資料によれば
安全基準の4万倍も発がん電磁波を被ばくするらしい・・・
「あらゆる人口電磁波は有害である」 電磁生態学 ロバート・ベッカー博士
電磁波には10種類の有害性が指摘されている。
①成長細胞の阻害
②発がん性がある
③がんの成長促進
④胎児の先天異常
⑤神経ホルモン阻害
⑥自殺など精神障害
⑦生理リズムが狂う
⑧ストレス反応
⑨免疫機能が衰弱
⑩学習能力の低下
こんな電車にだれが乗るのだろう・・・
また、これを知って新しく家を建てる人が
リニアのそばに家を建てるだろうか・・・
私なら建てない。
ということは、経済効果などあるわけがない。
人口減少も相まって、過疎の地域に
列車だけが高速で走っているという滑稽な風景が残るだけだ。
いのちより大切な金の論理=利権・・・
いまからでも工事をやめてほしい・・・
庶民からの切なる願いだ。
以前に書きましたが、
リンクの動画をもう一度ご覧ください。
‘悪夢の超特急’リニア中央新幹線~
名動画です。
↓↓↓
(動画内の全額JR東海9兆円は(誤)後に変更➡(正)記事の通り、5兆円がJR東海+現在わかっているだけで3兆円の財政投融資)
もうひとつ、追記・・・
➡枯渇、大井川に水は戻らない!
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tag : リニア
春、清明のころ⑬・・・興味ないけど、関係のあること
➡「がんばっても報われない社会が待っている」東大の入学式で語られたこと【全文】
昨今の女子学生と浪人生に対する
医学部不正差別入試に触れながら
上野千鶴子さんはこう述べた。
「がんばってもそれが公正に報われない社会が
あなたたちを待っています。」
何も医学部に限ったことではない。
世の中には確かにそういう面がある。
そしてこうも続けた。
「そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、
あなたがたの努力の成果ではなく、
環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」
「あなたたちのがんばりを、
どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。」
「恵まれた環境と恵まれた能力とを、
恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、
そういうひとびとを助けるために使ってください。」
パフォーマンスとしては控えめで穏やかな感じのするスピーチだったが
静かな澄んだ声で、しっかりと語られた素晴らしいスピーチだと思う。
40年前に、それまでなかった「女性学」を立ち上げ、
パイオニアとして、学問のベンチャーとして
第一線を走ってこられたこの方の動機は、
「あくなき好奇心と、社会の不公正に対する怒り」だったそうです。
さて、最近の子どもたちと接していて気になる言葉がある・・・
「興味ないし・・・」
けだるそうに、それでいて
極太の黒のマジックできっちりラインを引くその言葉は
ときどき私の心をキリっと痛めさせる。
自分を守るためなのか・・・
単なる拒絶なのか・・・
それはよくわからない。
確かに興味ないことはある。
その存在は否定しない。
わたしも、化粧品やアクセサリー、
ファッションや芸能界には全く興味がない。
ただ、興味ないそのことが、
わたしの、あなたのいのちと遠縁で繋がっている・・・
そういうことだってある。
例えば、野良猫が歩いている・・・
「わたし」とは関係のない猫だ。
仮に猫に興味がないとして、
心の中で「興味ないし・・・」とつぶやいてみる。
だが、本当にその猫は「関係のない」存在なのか?
本当に私とつながっていないのか・・・
それは誰にも分らない・・・
でも、いつか死ぬときが来て
走馬灯の中にその猫が現れて、
人間の言葉で 「・・・!」 と話して
ものすごく重要なメッセージだった・・・
そういう可能性はきっと「0」ではないだろう。
どうでもいいけど、どうでもよくないこと・・・
興味ないけど、関係あること・・・
そういうマジックでは引けない領域がある。
人は誰もが自分の人生のパイオニアであり、ベンチャーだ。
だから、「興味ないし・・・」と
極太の黒のマジックできっちりラインを引いたその向こう側に
自分とつながっている何かがあるかもしれない・・・
そう思うことは意外に重要だ。
この世は「空の世界」・・・
気づいていないだけですべてつながっている・・・
縦にも横にも、四方八方につながっている・・・
仏陀は2500年前にそれに気が付いて
後世の人類に「空」という言葉で残した。
どうでもいいけど、どうでもよくないこと
興味ないけど、関係のあること
そういうものがまさに「空」・・・
この「空」の存在を今の若者は
どんな時に感じるのだろう。
なにをしたらいいかわからない・・・・
好きなものがわからない・・・・
そういった五里霧中を晴らしてくれる人生のベンチャー領域は
その狭間にあるのではないか・・・
老婆心ながら少し気になる昨今である。
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春、清明のころ⑫・・・旅と和菓子屋
日本の和菓子の始まりは、垂仁天皇の命で田道間守が
不老不死の理想郷に赴き、10年の探索の末に
非時具香菓(ときじくのかくのみ、橘の実とされる)を持ち帰ったと記されており、
これによって果子(果物)は菓子の最初とされているらしい。
現在、田道間守は菓祖神とされている。
Wikiより
あちこちドライブに行ったり、旅に出た折り
時間がゆるせば、地元の和菓子屋に寄ることがある。
大型のお土産物屋にはない
大量生産されていない本当の地元菓子に出会えるからだ。
先日いった淡墨桜の帰り道、
山県市を通って、関市へ抜けた。
そばや助六でお蕎麦をいただいてから
商店街を走るとふと目に留まった和菓子屋があった。
どこの和菓子屋に入るかは、一瞬の直観である。
さっそくUターンをしてその和菓子屋へ・・・
➡関市 虎屋
さすが、円空の入定地・・・
この地ならではのお菓子があった。

そしてもうひとつ、桜餅・・・
桜餅はこの時期いろいろなところで見かけるが、
ここのはちょっと変わっていておいしかった。
和菓子は「餡」がいのちというが、
ここのこし餡は、本当に上品な味わいでびっくりした。


お店の人にとっては、わたしたちは一見さん・・・
それでも、常連さんのように丁寧にやさしく商品のことを教えてくれた・・・
一期一会・・・
茶道と必ずセットになる和菓子の世界・・・
そういったこともあってか、
旅先の和菓子屋で「ハズレ」に出会ったことがない。
虎屋さんのHPにこうある・・・
むかしむかし、あたらしい。
お菓子は昔から日々の営みの中で、様々な行事や節目に際し、
おもてなしやお祝い、また供養など、人々の思いを表現し、
心をつなげる存在として大切にされてきました。
それはもちろん、今も同じです。どれだけ時代が移り変わっても、
幸せを願う私たちの心は変わりません。
ただ、そういった慣習が徐々に簡素になり、
その気持ちの伝え方が変わってきていることも事実です。
古くからあるものを現代に対応しながら、
新しいものとして受け継いでいくとともに、
その心がより豊かになる、美味しくて、楽しいお菓子を、
関市虎屋はつくり続けていきたいと思っています。
このHPの通り、一期一会の私たちに
窮屈な思いをさせないお店の方の配慮に感服いたしました。
あと、最近行ったところでは犬山の「若松屋」・・・

桃のお菓子が有名です。
また、奈良に数店舗ある「天平庵」もおすすめです。

天平庵は、コーヒーやお茶が無料でいただける
イートインコーナーもあります。
和菓子と人、そして歴史・・・
そうそうたくさん行ったわけではありませんが、
そういったものに思いをはせながら和菓子をいただくのが
旅を数倍楽しくするささやかな私の方法です。
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春、清明のころ⑪・・・畑仕事開始
今年は頂いたスナップエンドウの苗を植えるところから始めました。
2012年に始まった畑仕事・・・
ホームセンターで買った安い鍬で掘り起こすところから始めました。
はじめは石がゴロゴロ、超粘土質・・・
いまでも水はけもわるく、台風などの大雨の時は
畝の下に水が溜まることもあります。
いまも粘土質は変わりませんが、
少しずつ土地も改良されて
春と夏の野菜は楽しめています。
ただ、冬採れる根菜類が育つような土になるには
まだまだ時間がかかりそうです。
粘土質の酸性が和らぐと聞いたことがありますので
冬にたまった火鉢の灰をまいたりしています。
江戸時代には、「灰屋」と呼ばれる職業があったほどで
「灰」を集める「灰買人」とよばれる労働者をたくさん雇って
家々の灰を集めて売ったそうです。
それを、農家、造り酒屋、和紙製造、染め物屋などに売ったそうです。
造り酒屋では、酸味のあるお酒を造るのに・・・
和紙製造では、樹皮を柔らかくするために・・・
染物屋では、色合い調整に・・・
そうやって灰は再利用されたのです。
江戸時代の循環力はすごいです。
畑仕事を始めて気が付いたことがたくさんあります。
何本か苗を植えると、一本は虫がついて枯れても
すぐ横の他の苗がなぜか元気にそのまま育つことがあります。
まるで、一本がみんなの身代わりになっているかのようです。
実はその理由は科学的に立証され始めていました。
一本が食べられ始めると、食べられ始めた植物は
他の苗にフェロモンで知らせるそうです。
それを受け取ったほかの苗は、
虫が嫌いな成分を自ら出し、防衛するというのです。
種の保存のために植物が考えた智慧なのでしょう。
他にも、一部の枝が虫に食われながらも立派に育つ者もいます。
それもどうやら科学的に立証されています。
それは、植物には自分が虫に食べられている音が聞こえるそうです。
その時も、虫の攻撃を撃退する自衛の化学物質(からし油)を
より多く生成するそうです。
➡植物には自分が食べられてる音が「聞こえる」
また、毎年格闘する雑草も山済みして
一年ほど置くと下からだんだん土に変わっていくことも発見しました。
自分としては、これはかなりの発見でした。
はじめは袋に入れてゴミに出していました。
夏の暑い盛りはこれが結構な重労働でしたので
それをしなくてよくなっただけでも助かります。
それからは、夏の雑草を脇に寄せてそのまま放置するようにしました。
すると次の年の春には、ほぼ目立たなくなるから楽です。
しかも下の方が栄養豊富な土になっていて再利用できます。
あと、畑に桜の木があるのですが、
その桜のお陰で水はけが少し良くなった気がします。
大量の水を吸ってくれているからでしょうか・・・
秋に落ちる葉が、土の循環もよくしています。
かなりずぼらな私の畑仕事ですが、
それでも畑をしていると、土や植物、微生物、
鳥や昆虫の知恵や自然界の循環が手に取るようにわかります。
ああ、こうやって生きているんだぁとか
こうやって巡っていくんだぁとかいう感じです。
それを一言で言うと、
「みんなつながっている」
ということです。
森羅万象生きとし生けるものすべてはつながっている・・・
私が見えないだけで、
あなたが気が付いていないだけで、
人類が忘れているだけで、
本当にすべてがちょうどいいようにつながっている。
それを拝聴、拝見できるのが、畑仕事なんです。
いい季節になってきました。
みなさんも土と戯れてはいかがですか・・・
そうすれば、自分のいのちが
どことどうつながっているのかが肌で感じられます。
生きているのではなく
生かされている・・・
そういうことが理屈抜きでからだに入ってきます。
ほんと、一人ぼっちの人は誰もいないんですねぇ~
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genre : 心と身体
春、清明のころ⑪・・・スベクヒャンと手白香皇女
韓国歴史長編ドラマ・・・
今回は「スベクヒャン」・・・
➡スベクヒャン
108話もあります(笑)
時代は、朝鮮の三国時代・・・高句麗・百済・新羅

もともと高句麗と百済は兄弟国でしたが
建国から500年以上も経つと
もうそういう状況ではなくなっています。
高句麗が、今にも百済を滅ぼそうという
西暦500年ぐらいのお話です。
主人公のスベクヒャンは百済:武寧王の隠し子として登場・・・
漢字で書くと「守白香」・・・
実はこの字の発音と同じ漢字が「手白香」・・・
古代史が好きな人はどこかで見たことがある漢字だと思います。
右下3番目と左下端一番目とをご覧ください。

➡歴代天皇系図(神代四)より
実はドラマ制作側は、
このスベクヒャンを日本の仁賢天皇の子どもで、
日本の継体天皇の妻という設定だと公表しました。
「守白香」と「手白香」は同一人物か?
もちろん賛否両論あってちょっとした騒動になったそうですが
別件で、純陁太子(じゅんだ たいし 513年)という百済:武寧王の子が
日本の和(倭?)氏(高野氏)の始祖と言われていますし、
『続日本紀』の皇太后:高野新笠の薨伝に こうあります。
「皇太后、姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女なり。
母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。
后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。
今上(桓武天皇)、早良親王、能登内親王を生めり。、、、
その百済の遠祖都慕王は、河伯の女、日精に感でて生める所なり。
皇太后は即ちその後なり。」
学校の歴史で、桓武天皇はお聞きになったことがあると思います。
つまり、桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫だということです。
そればかりか、
「百済武王ー翹岐王(日本書記は中大兄)-施基皇子―光仁(白壁王)-桓武」
の流れで、桓武天皇自体が百済王族の血統です。
話を元に戻しますが、
武寧王には子供がたくさんいたようですので
ドラマ「スベクヒャン」の設定は、遠からず近からずではないかと思います。
継体天皇の妻?となれば、
当然108話を見る気満々になっています(笑)
どちらにしても、日本と半島、大陸は
日本海を挟んで非常に関係が深いということです。
現代人は日本海を海とみていますが、
古代人は、対馬という中継地もありましたので
湖ぐらいの感覚で交易をしていたのでしょう。
ちなみに百済の武寧王は523年に亡くなりますが
棺は日本にしかない「高野槇」を使っているそうです。
つまりは、そういった間柄(交易関係)だったということになります。
初の百話越えのドラマ・・・
根気がいりそうですが、
背景にがぜん興味が湧いているので行けそうです。
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genre : 心と身体
春、清明のころ⑩・・・淡墨桜は語る
千代に其の名を栄盛へ止むる 継体天皇
みのしろと のこすさくらは うすずみよ
ちよにそのなを さかえとどむる

毎年どうしても足を運びたくなる桜がある。
それは、岐阜県本巣市根尾のある淡墨桜だ。
この桜は、わたしと父母、
それをつないでくれた産土様と
少なからずご縁を感じる桜だ。
それは、「真清探當證(ますみたんとうしょう)」という
岐阜県の根尾村に残されていた謎の本に由来します。
私はある時期、自分のルーツを辿って、直感と書物、
そして今の現状に思索をめぐらした時期がありました。
そんな時に出会った本です。
この古書は、現在の愛知県一宮市周辺を主な舞台に、
継体天皇の出自や根尾の淡墨桜の由来までが記された本です。
原本は残っておらず、昭和11年に書き写された写本が根尾村に残されていて
それを、田中豊という方が、根尾村文化財保護審議会の許可を得、
平成11年に、約9ヶ月をかけて復刻版を完成させたのです。
そこには、日本書紀の記述とは異なる内容がかかれてあり、
それは、私の故郷の氏神社である
旧葉栗郡木曽川町「籠守勝手神社」の伝承と合致しているというのです。

「日本書紀」では、第26代継体天皇は近江国で生まれ、
幼い時に父を亡くしたため、母の故郷である越前国で育てられ、
のちに大和朝廷に迎えられたとなっていますが、
系譜では、あまりにも唐突に継体天皇が現れ、
しかも、「迎えられた」というわりには、冷遇され
なかなか大和政権には受け入れられず
20年もかけて中央政権(大和)に入っていた天皇ですから
日本書紀の記述ははなはだ怪しいことになります。
ここでは詳しいことは延べませんが、
とにかく迫害された継体天皇がいよいよ大和へ上るときに
地元の人との別れを惜しんで手植えしたのが今の淡墨桜と言われています。
継体天皇にとって、
よほどこの根尾の生活が楽しかったのでしょう・・・
前述の和歌の「薄住」は、住んでいたこの地を
短い年月で去らねばならない寂しさを表し、
「淡墨」と掛けているのです。
そういうわけで、すべての真実を知るのが
樹齢1500年以上たったこの淡墨桜というわけです。
➡継体天皇とうすずみ桜―古代秘史『真清探当証』の謎 (伝承が語る古代史)
私が「継体天皇とうすずみ桜」を読んで5年になりますので
もちろん細部は忘れてしまっていますが、
それでもここに出てくる継体天皇とその父親である皇子、
その皇子と兄が隠れた籠守勝手神社、
真清田神社(祭神:天火明命(アメノホアカリ)はニギハヤヒノミコトの別名)
そういった尾張ゆかりの地のつながりを読んだ時、
感動のあまり身が震えたのを今も忘れません。
しかも継体天皇の奥さんは、
尾張目子媛といって尾張地方の姫です。
さて・・・
私の好きな絶景ポイントはここです。

遠くに能郷白山が雪を頂いて見えています。
この山は、毎年4月13日の例祭には
猿楽に近い能が奉納されていますが、
猿楽などの原初芸能に従事していた民が
当時、迫害されていたことも
この桜にさらなる哀愁を加えます。

(豊富に流れ込む雪解け水)
「迫害」と「服従」・・・
長い歴史の中でいったいどれほどの民が
その憂き目に遭ってきたことでしょうか・・・
先日の犬山でも思いをはせましたが、
➡城下町犬山(後)
私の古代史の旅は、どうやら勝者にはさほど興味がなく、
いつもこうした敗者の哀愁をたどってしまいます。

正史(日本書紀など)とは、単なる勝者のhistory(彼の歴史)・・・
敗者の伝記、歴史書は、焚書され改ざんされ
闇に葬られていきます。
今の政府と変わりません(苦笑)
歴史の光と影・・・
その場に足を運ぶことで見えてくるものがあります。
苔むした地面からひっそりとのびるシダの葉のように
この光と影のはざまから「お話」の方から浮き出てきてくれるのです。
そういうお話が、世の中にはまだまだ数多(あまた)在る・・・

ついつい毎年足が向かってしまうのは、
こうした歴史のはざまにうまれる一種の望郷の念を
肌で感じたいからかもしれません。
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春、清明のころ⑨・・・「~のせいで」と「~のおかげで」(2)
雲泥の差になります。
なぜか・・・
それは、前者が、因➡果
後者が、果➡因となるからです。
前者の「果」は、生きている本人からすると「果」だけのつもりで話していますが、
実は、次の「因」のレベルを下げてしまっていることに
気が付いていません。

どういうことか・・・
図Aがそうです。
「~のせいで」➡「こうなった」
一旦これで終わるのですが、
「こうなった」の周波数は、「~のせいで」より一段下がります。
階段で一段下がるようなものです。
なぜか・・・
すでに「果」が愚痴になっているからです。
つぎは、この愚痴が「因」になってしまいます。
この下がったステップがさらに「因」になりますから
つぎの「こうなった」もまた下がってしまいます。
それを何回も、何か月も続けていくと
図Dのように、カルマのリングになるのです。

ハツカネズミがランニングリングを走ってくるくる回すように
何度も何度も同じところを回ります。
ただそれは、上から見た図ですので、
横から見ると、螺旋階段をどんどん下がってることになります。
下向きのスパイラルでにっちもさっちもいかなくなります。
どこかで、「あきらめる」「ゆるす」「ほっておく」、
もしくは➡絶望名言で笑い飛ばさない限り、
このスパイラルは止まりません。
いっぽう、「~のおかげで」のほうは、
今ある状況を結果とあきらめて、
「おかげで・・・できるようになった」とプラスに接続します。
つまり次のステップの「因」のレベルが上がるのです。
図でいくとBになります。
「因」があがり、ふたたび「おかげ」精神でいけば
「果」はまた上がります。

こうなると、螺旋階段もAと違って上へと伸びていきます。
さて、二つを比べると図Cのようになります。

お気づきでしょうか・・・
Cの左が「せいで」、右が「おかげで」です。
スタートが同じ高さですが、
下がると上がるの違いは前述したとおりです。
しかし比べてみてください。
左と右とでは、はじめから2段の違いになります。
しかも右は、スタートであるカルマを昇華して
みごと上に上がっていますから(赤上向き矢印)
同じレベルのスタートだったにしても、ベクトルが違いますから
2者は、どんどん別の世界へ進み始めます。
これを長い年月繰り返していると
もう、価値観も、住む世界も変わります。
これが、「せいで」と「おかげ」の大きな違いです。
日常のたった一言の違いで、口癖の違いで、
2者はこれだけ変わってしまうのです。
さて、みなさんはどちらを選びますか・・・
いつまでも「~のせいで」にこだわりますか?
お気持ちはわかりますが、
どうせ「せいで」をいうなら、一段上がってから
「あの頃は、人のせい、物のせいにしてばっかだったのよね~」と
過去を笑い飛ばすために使ってください。
これからの時代、だれもが「~のおかげ」でのほうが
生きやすくなります。
はじめは、顔が引きつりながらの(笑)
「おかげ」でも大丈夫です。
そのうちそれが当たり前になります。
「おかげで」を口癖にして、見過ごしがちな
日常にあるたくさんの幸せを発見していきましょう。
「はじめに言葉ありき」です。
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春、清明のころ⑧・・・「~のせいで」と「~のおかげで」(1)
こちらも教えていただいた本・・・
ぱらぱらと本をめくった時、
目次のある言葉が目に入りました。
それは・・・
「せいで」という固体は、
すべて「おかげで」という気体に昇華できる
用語は違いますが、わたしの菩薩行(ご相談行)や
タロットアシャイングでよくお伝えする内容です。
ああ、やはりそうか・・・
模範解答をいただいた気持ちです。
もちろん、おのれ自身にも言い聞かせる言葉です。
この違いと原理を 仏教では、
「色即是空、空即是色」と表現しています。
「令和」の時代は幽から、顕の時代です。
しかもそれは、吾の十字の軸を中心に広がります。
「我」ではなく「吾」です。

詳しくは、令和の深意シリーズをご覧ください。
➡「令和」の深意(1)
➡「令和」の深意(2)
➡「令和」の深意(3)
その令和の時代を迎えるにあたって、
いつまでも「~のせいで」といっていたり、思っているとしたら
おそらく・・・
いえ、かなりの確率で生き詰まる=息が詰まることでしょう・・・
生きにくいということです。
最近の量子力学の発展で、
霊的常識に科学が追い付いてきています。
「この世のあらゆるものは、粒子であり、波動である」
このなぞにこれからの人類は挑み続けることでしょう・・・
しかし、その結果のすべてを待つわけにはいきません。
もう自分からやっていきましょう。
「せいで」という固体は、すべて「おかげで」という気体に昇華できる・・・とは、
今現在の心の置き所によって
悲惨だった過去がグレードアップすることです。
未来は言わずもがなです。
それを、癒しといったり、次元上昇といったり、
アップデートといったりしているだけです。
みなさんの中には、
過去は変えられないと思っている方もいらっしゃるでしょう。
実は、それは大きな間違いです。
過去は変わります。
バンバン変わります(笑)
さらに、今のあなたの過去だけでなく、
あなたの過去世(何十年、何百年も前のあなた)も変わります。
心の持ち方で、
経糸(たていと)と緯糸(よこいと)で紡がれた幽顕という布が
はたはた、さらさらとあっというまに紡ぎなおされていくのです。
この布に、「時間」はありません。
現在も過去も未来もパラレルに同時に存在します。
存在という言葉は少し固いですね。
「存在」というより、
ナノレベルの繊維で、綿状といった方がいいかもしれません。
私にはそう見えます。
幽が経糸、顕が緯糸・・・
地球の経線、緯線・・・
イメージはあんな感じでつくる世界(グリッド、網目状)です。
網目であり、布です。
地球儀では無数の四角形がつくられていますが、
実は本当はかごめです。

籠目というとすぐユダヤと反応する人がいますが、
そういうこととは全く違います。(機会があればまた・・・)
上からの三角形と、下からの三角形が合わさって籠目をつくる・・・
それがいま私たちが目にしている世界です。
六芒星、六角形です。
氷の結晶やハチの巣が六角形なのは
わたしたちに世界のつくられ方を教えてくれているからです。

令和の時代、その籠目をどう作り上げていくのかは、
自分にかかっているということです。
今のあなたが「~のせいで」が口癖なら
今すぐおやめになることをおすすめします。
心の声もチェックしてください。
次回は、「せいで」と「おかげ」のちがいを
拙いですが図で説明しようと思います。
つづく・・・
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genre : 心と身体
春、清明のころ⑦・・・絶望名言
無理しり虚をしれば
人生すべて明らめの道
永尾 雄二郎
どういうことか・・・
実はこの言葉をわかりやすく説明する
いいラジオ番組を教えていただきました。
「絶望名言」
今では本になっています。
花結びで教えていただき、これからも
みんなで触れていこうということになりました。
本という世界は、自分の好みで買いますから
日頃は、ついつい偏ります。
こうやって決して自分では選ばない本をご紹介いただき
ご一緒に鑑賞するのも、実に楽しいものです。
一昨日も少しだけ触れてみました。
はじめは恐る恐るです・・・(笑)
人間は闇に弱いですから・・・
それがそれが・・・
ちょっと不謹慎な言い方かもしれませんが、
笑えてくるのです。
かわいさ余って憎さ百倍なんて言い方がありますが、
その言葉をお借りすれば、
哀しさ余って、笑い百倍・・・でしょうか(笑)
みなさんも、あまりに困り果てた時、
それがあまりに深く大きすぎて
笑えてきてしまったことはないでしょうか・・・
わたしは、絶望まで行ったことはないと思いますが
それでもなんとなくこの「絶望名言」の存在意味が
なるほどと理解できるようになりました。
本の内容紹介を見ればさらに納得されます。
NHK〈ラジオ深夜便〉の人気コーナー、ついに書籍化!
病気、事故、災害、あるいは、失恋、挫折、そして孤独……
人生における受け入れがたい現実に直面した時、人は絶望します。
古今東西の文豪たちもまた、例外ではありません。
絶望に行き当たり、絶望を見つめ、
絶望の中で書き留められた珠玉の言葉たち。
本書では、そんな文豪たちの「絶望名言」から、
生きるためのヒントを探します。
[登場する文豪たち]
カフカ
ドストエフスキー
ゲーテ
太宰治
芥川龍之介
シェークスピア
[内容紹介]
『絶望名言』——おかしなタイトルですよね。
『希望名言』なら説明は不要ですが、
『絶望名言』だと
「なんでそんなものを?」
と思う人が多いかもしれません。
でも、失恋したときには
失恋ソングにひたりたくなる
ように、絶望したときには、
絶望の言葉のほうが、心にしみる
ことがあると思うんです。
私自身も、そういう体験をしました。
絶望したときに、救いとなったのは、
明るい言葉ではなく、
絶望の言葉でした。
(著者/本書「はじめに」より)
その中でもお勧めなのがカフカなのだそうで・・・
将来にむかって歩くことは、ぼくにはできません。
将来にむかってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
『フェリーツェへの手紙』
これを恋人に向けての手紙の中でいうんですから
❓❓❓ (笑) となります。
で、初めの言葉になるのです。
負をしりて分しり
無理しり虚をしれば
人生すべて明らめの道
永尾 雄二郎
図にするとこうなるらしい。

永尾: 「実数」(人間社会)という社会というものが成り立つためには、「虚数」がなければならずと。だから数学でいくと、実数があるということは、虚数があるということによって成り立っている。それがただ実数だけだと、現在でいうと、儲ければいいというような、そういう形ですね。なんといっても儲けるのが大事だと理屈をいう。この「正」の方は、ロケットを上げて、これがビジネスになればウンと儲かるよ、というような、なんか物事をすべてビジネスにプラスになるか、あるいは実になるかという、そういう形。しかしそれがダメだとは言わぬ。それはあってもいいですけども、それだけに奔ると上手くいかない。 (こころの時代より)
この世の中、プラス思考だけでは描けない何かがある・・・
そういうことです。
哀しさ余って、笑い百倍・・・
もとは、NHKラジオ深夜便から始まったこの番組・・・
是非音声でどうぞ・・・
➡絶望名言
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春、清明のころ⑥・・・AddCafe桜、満開

青空に映える桜と建物・・・
なんとその奥に、興ざめさせるケムトレイルを発見・・・
ケムトレイル・・・
みなさんはご存知でしょうか?
Chem-Trail, (ケム・トレイル) なる語は 2004年にエイミー・ワージントンが用い始め、「極秘プロジェクトに係わる航空機から散布された何トンもの微粒子状物質」で「アスベスト、バリウム塩、アルミニウム、放射性トリウムなどを含む有毒金属を含んで」おり「アメリカ国防総省、アメリカエネルギー省、国立研究機関、大学、民間の防衛産業、製薬会社などが係わっている巨大な組織」が推進し、「航空機から散布された何トンもの微粒子状物質は、大気を高電荷の導電性プラズマにし」「地震を引き起こす地殻操作兵器などのために、荷電した大気を人為的に操作するためのものであると主張しているが、具体的根拠や統計的数値や、「微粒子状物質が大気を高電荷の導電性プラズマにする」メカニズムと人為的操作で地震を引き起こす「人為的操作」の具体的技術は示していない。
Wikipediaより
もちろん賛否両論あると思いますが、
この際みなさんもいろいろとお調べになるといいと思います。
➡『ケムトレイルの正体と謎』ウイルス雲で人口削減計画!?
私自身は、
・この雲は、すぐに消えずに広がって太くなっていくこと
・最近の花粉症が異常なほど広まっていること
・花粉症の時期が春に限らなくなっていること
・日本全国インフルエンザにすぐにかかっていること
・ケムトレイルを発見した後に雨(暴風雨予想)が降りやすいこと
・天気予報が外れることが多くなってきたと感じていること
・発達障害の子供たちが増えていること
・地震学者たちがデータを改ざんしなければならないほど
自然の地震ではなくなってきていること
日常、子どもたちや天気・地震を調べると
私は、「ケムトレイル」と判断しています。
➡ケムトレイル
こちらはグーグル翻訳で
➡ケムトレイル:核戦争時代のエアロゾルと電磁兵器
知ったところでどうにかできるのか?
そういう方もみえますが、
私はそうは思いません。
仮に、私が思うとおりだとすると
次は毒を抜く方法を考えます。
個人的にできることを探し始めます。
➡ヨモギの効用
➡昆布
うちの塾は、一口大の昆布や梅干しを瓶に入れて
子どもたちがすぐに食べれるようにしています。
びわ茶はいつも入れています。
気が付く子は、なぜそれが置いてあるのかを尋ねます。
解説する私の話を聞いているだけでもいいのです。
そうやってかれらも、少しずつ知識を得ていきます。
学ぶことは一生ものです。
先日はなぜゴーンが逮捕され続けるのか?と
わざわざラインで聞いてくる子もいました。
先日の令和の資料もホワイトボードに貼っていますが、
詳しく聞いてくる子もいます。

そうやって、かれらもかれらなりに
自分を取り巻く世界とこれからについての
知識と防御を学んでいくのです。
私たち大人はどうでしょう・・・
妙なあきらめと受け入れで
うやむやにしていることはありませんか?
まずは学びましょう・・・
そして、多少足りないことがあったとしても話していきましょう・・・
そうやって自分たちの世界はつくるものですから・・・

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genre : 心と身体
春、清明のころ⑤・・・城下町犬山(後)
生類憐みの令を出して犬を保護した。
一方、犬畜生とか犬死など
「犬」の付く言葉でさげすんだり、揶揄するものも多い。
祭事のいけにえとなれば「類」(たぐい)の犬となる。
犬という字は、犬の形から取った象形文字と言われているが
わたしには「大」が人間、その手に松明を持っている形に見える。

犬は昔から猟犬として人間と親しい間柄でもある。
ともに野山に入り、鹿やイノシシを獲る。
つまり、犬は縄文人の友で、その象徴を表す言葉だ。
弥生に入り、稲作がメインになると
途端に犬は不要なものなった。
また、鉄づくりに必要な有用な資源である砂鉄探しの集団を
「犬」と呼んでいたらしい。
あのヤマトタケルの伝説も、
じつはその砂鉄探しではなかったかと言われている。
ヤマトタケルにかかわらず、歴史的に見て大遠征をする目的は、
必ずといっていいほど豊富な鉱山資源を求めて行われることがほとんどだ。
当然そこの土着の民と技術は武力によって抑えられ占領される。
「犬」という字が入る「犬山」も
おそらく縄文時代、弥生初期には産鉄民族の流れをくむのだろう。
そんな思いを巡らしながら、
犬山駅からゆっくりと歩き始めると最初に出会った車山が「熊」・・・

熊野町の車山だ。
「熊」は、スサノオノミコトの別名・・・
そこのからくりが、城下広場でトップを飾り、祭りが始まる。

車山の名前が 「住吉臺(だい)」・・・
ちなみに最後は鍛冶屋町の「壽老臺(じゅろうだい)」・・・
鍛冶屋町は、まんま・・・
老人(寿老)を持ってくることで民族の歴史の古さを物語っている。
熊野町のからくりでは、大社と太鼓橋を表現していた。
あれ?住吉大社では?と思った。
住吉大社は、神功皇后(じんぐうこうごう)がご祭神で有名だが
末社の大歳社が一番大事なお社だろう・・・
大歳=ニギハヤヒノミコトだからだ・・・

住吉大社のHPにも、その特別感が出ている。
「初辰まいりにて最後にお参りする神社で
収穫の神様をお祀りする大変歴史のある古社です。」
スサノオとニギハヤヒは親子・・・
日ノ本の礎を気づいた古代人だ。
現在、天孫系のほとんどの神社で
この二人の社は、末席に追いやられている。
千と千尋の神隠しだ・・・
➡生駒のよもぎと石切さん・・・②
犬山祭りは、「針綱神社」(はりつなじんじゃ)の祭礼だ。
祭神は、尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと) ・・・
???と思われる方がほとんどだろうが、おそらく
スサノオと産鉄民の神を隠すために考え出された「代名」であろう。
大己貴命の名もある。
大己貴命とは、大国主の別名。
この名前があるときは、国譲りがあった証拠となる。
国譲りとは聞こえがいいが、要は「征服」「服従」の歴史だ。
もともと、この針綱神社は、いまの犬山城天守閣に鎮座していた。
あたりまえだ。
自然信仰の縄文人は、鉱物をもたらす山が神様だからだ。
そして、犬は山行きの友・・・
「犬山」・・・そのままではないか・・・!
現在、神社は城下にある。
つまり、下ろされたわけだ。
桃太郎の物語で「鬼退治」がでてくるが、この鬼が「産鉄民族」だ。
犬山は、岡山と並んで桃太郎伝説の街だ。
この物語は、産鉄民が征服されるお話だ。
現に、明治村の南西には採石場跡があり、
黄鉄鉱・黄銅鉱などさまざまな鉱物がでたらしい。
なんと、1970年代までは盛んに採石がおこなわれ、
磁硫鉄鉱や珪灰石などのスカルン鉱物がでる有名な産地で、
坑道も残っているらしい・・・
まさに、産鉄民が征服され、有益な資源や技術が奪われた証であろう。
「熊」から「れっか」烈火をとれば、ただの「能」・・・
「能」とは、もともと物真似や滑稽芸でない芸能すべてを指す。
火を失った産鉄民は、鉄をつくることができず、
芸で身を助けたり、焼き物(犬山焼)へと回路を開き始める。
・・・(からくりもその一つだろう)
「芸」をなりわいとする民が、
昔は身分が低く、虐げられてきたのは
そういった征服・服従の歴史があったからに違いない。
そういう意味で、今もなお残るお祭りは、
古代民族からの壮大な遺言なのだ。
縄文、弥生、ヤマト、現代・・・
そういった民すべての祀り上げ・・・お祭り・・・
現在のわれわれの生活といのちは、
そういった民の息吹で生かされていることを忘れたくはない。

おまけ・・・こちらもメイン!
ちゃんと美味しいものも食べてきました。


田楽(でんがく)・・・
こちらも、もとは田植えなどの農耕に歌舞を奏した田の楽で、
のちに、職業として田楽法師・・・能の原型ともいわれます・・・
どこまでも歴史がつながる、今回の犬山旅でした・・・
マル!
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genre : 心と身体
春、清明のころ④・・・城下町犬山(中)
日本でからくりが盛んになるのは江戸時代だが、
すでに斉明天皇のときに、時を知らせるからくりが登場しています。
斉明天皇660年(斉明6年)5月、中大兄皇子(後の天智天皇)が
「初めて漏尅(トキノキサミ)を造る。民をして時を知らしむ」(『日本書紀』)
時とからくり・・・
実は、「時」は天文を顕し、
天文を制する者が、この世と人民を統治する・・・
そういう常識が古くからあります。
また からくりは、いまでいう AIやIOTになるので
最先端技術そのもの・・・
つまり、それをお披露目するということは、
自分たちが最先端の技術を持っていることを世に知らしめることになり
こんな技術を持っている「国」を攻め滅ぼすことはできないと
相手を牽制する役目も果たしているのではと思います。
これは、今の軍需産業と同じことだと思います。
それを、車山(だし)にのせ、山から神を降ろし、
鎮座してもらった後、まちまちを練りまわす意味は、
もう最強としか言いようがないのです。



神が降りた車山の上で、勝手に動く人形を見た当時の民衆は
神と人の融合(マジック)を見て、さぞかし感嘆したことでしょう・・・
同じからくりに、飛騨高山も有名で、
飛騨工「ひだのたくみ」(斐陀匠)といわれています。
平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、
桓武天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)が
からくり人形を作ったという説話が記載されています。
また、巻二十四第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)が絵師百済河成を驚かせるため、
四方に扉がある堂を作り、いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ
違う場所の扉が開く仕掛けを作った説話も記載されています。
まるで忍者屋敷です。
面白いのは、百済(朝鮮半島)出身の絵師に
からくりを見せたということです。
歴史を見れば、古代中国、紀元前2600年頃に
人類初の歯車を利用した方位を指し示す車が発明されています。
ある意味、元祖カーナビです。
(手引き書、指導書のことを指南書というのはここから来ていると思う)
また、紀元前後に中国ではすでに、
張衡によって水力渾天儀や水時計がつくられていますので
歯車などを使ったからくり技術を持った匠たちが
のちに日本(斐≒出雲)に流れ着き
(もしくは連れてこられ・・・)
その技術をわがものにせんとする時の為政者が
彼らを強制的に中央(大和地方)に移民させようとしたと思われます。
その強制的移民政策から逃れ、山深い飛騨(斐陀)までたどり着いたのが、
現在の飛騨匠民族なのではと思うのです。
つまり、絵師百済河成の逸話は、
中国、朝鮮半島、日本の文化技術の流れを
そのまま表す説話ということです。
以前にも書きましたが、
➡古代日本のアイデンティティ
日本のルーツと簡単に言いますが、そんな純粋なルーツはどこにもなく
先住諸民族を制圧しつつ成立したヤマト王朝という流れがあるのみです。
人も技術も服従させられた歴史と
それに反骨する民の気概が混ざり合った遺言として
いまの祭りが残されているのです。
「ヤマト魂」などといいますが、
何のことはない、「三国魂」(中国、朝鮮、日本)なのです。
(だから、越前三国という地名が今も残っているではありませんか・・・)
からくりを使った祭りが、なぜか中部地方に多いのは、
この地方の民の「服従と反骨」が繰り返しなされた証なのではないか・・・
岐阜県高山市の高山祭
美濃市の美濃まつり
愛知県犬山市の犬山祭
津島市の尾張津島秋まつり
半田市の亀崎潮干祭・・・
実に多いです。
現在のからくりは、祭りや浄瑠璃の舞台装置など
興行的要素(=民衆の楽しみ)の流れをくむものが多いが
おそらく もともとは、為政者を欺くため、
もしくは自分たちの民族の重要な秘宝や歴史書などを隠ぺいし、
のちのちまで保管したりするために発達したものではないかと思います。
どちらかというと表舞台というよりは
裏舞台(忍者屋敷など)が先行したのかもしれません・・・
からくり人形のあの細い目が
どこか不気味なほど涼しげなのは(笑)そのせいであろうか・・・

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春、清明のころ③・・・城下町犬山(前)
戦国時代(1537)に建てられた日本の城では珍しく、長く「私物」だった。
別名、白帝城。
明治24年(1891)、マグニチュード8.4の「濃尾大地震」によって
天守が半壊するとその資金不足のため、
同28年に修理を条件として県から旧藩主の成瀬家に譲与された。
その後、成瀬家と犬山町民が義援金を募り、無事修復されました。
昭和10年、国宝に指定され、(昭和27年規則改正にともない国宝に再指定)
全国唯一の個人所有の城として保存されてきましたが、
平成16年(2004)、「財団法人犬山城白帝文庫」の所有となって現在にいたる・・・
そういう珍しいし城です。
昨日はその城下町で、まつりが開催された。
「犬山祭」

そこに、花結びメンバーの方々と向かった。
こういう地方のお祭りは、
その地域の住民の心意気と
古代の氏族の風習が垣間見れて実に興味深い。
何百年とつづく祭りの流れはそのまま、
神がどこにいて、どうやって神降ろしがなされ
人々の生活に息づいているのか・・・
そういうことがわかって本当に楽しい。
このまつりは、実に385回も続いているのだ。
時代としては、江戸時代から始まったことになる。
愛知県は復元を含め、天守閣が残る城が実に多い。
この犬山城をはじめ、名古屋城、小牧城、岡崎城、清須城・・・
城と祭り・・・
その二つが現存するだけで実に絵になる・・・
三重も伊賀上野城があるが、
津市民としては、津城の復元を心から願いたい。
さて今回は、この犬山祭で感じたことを留めておきたい。

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tag : 犬山祭
春、晴明のころ②・・・言霊を育てる
思いがけずいい言葉に出会った。
人生の縦軸が「必然」、横軸が「偶然」・・・
こういう言葉集めが私はすきで、
何となく書き留めたり、
それを置き換える言葉を探したりして、自分なりに咀嚼を楽しむ。
要は、その言葉の四則計算をする。
= (ほぼ同じ言葉)
≒ (よく似た言葉)
≠ (似て非なる言葉)
⇔ (反対の言葉)
< (規模が大きな言葉)
> (規模が小さい言葉)
+ (ある言葉を加えると・・・)
- (ある言葉にない要素・・・)
× (かければ増幅する言葉)
÷ (その言葉との共通点、仲間)
などを探していくのだ・・・
そうすることで、語彙力が増すだけでなく
他人に様々なテーマを話すときに幅がうまれる。
ことばは消耗品だ。
幾度となく使い続けると
いつしかその威力がなくなり疲れ果てる。
人は何度も何度も同じ言葉を聞くと
聞き飽きるだけでなく、拒絶するようになる。
耳にたこができるだけでなく、シャッターが下りる。
つまり、聞く耳もたず、シャットアウトだ。
なぜか・・・
毎日使い、古くエネルギー切れした言葉は聞き飽きるだけでなく
その言葉を聞いている人間のエネルギーを奪い始めるからだ。
言葉が人間のエネルギーを奪う???
どういうことか・・・
それは至極簡単な原理で
水が高いところから低いところへと流れるように
エネルギーを持つ人間から、
エネルギーを失った言葉に流れていってしまうのだ。
それは、傍から見ていると、まるで奪われていくように見える。
「辟易とする・・・」
そういう状況だ。
一番いい例が、親が言う「勉強しなさい!」 だろう・・・
子どもに何度言っても勉強はしない。
むしろシャッターを下ろして世界を仕切る。
もしくは、「うるさい」と反抗的になる。
子どもたちは本能的に
言葉にエネルギーが奪われると知っていて
シャットアウト&排除するからだ。
人に何かを伝えるとき真新しさは大切だ。
では、その真新しさは、言葉の種類だろうか・・・
おそらくそうではない・・・
むしろ、日ごろ使っている平凡な言葉でも
組み合わせと置き換えを工夫することで
内容に新たな息吹を吹き込むことができる。
そのためには、冒頭の言葉集めと置き換えは重要な作業になる。
そうして生まれた言葉の世界観は、
聞きなれない難しい言葉よりも
新鮮な力強いエネルギーが放出しやすい。
つまり、人が言葉に足を止めたり、勇気づけられるのは、
使われる頻度ではなく、その言葉が舞台の俳優のように
入れ代わり立ち代わり、様々な装いで登場するときだ。
それは、言葉が紡ぎ出す世界観だ。
その時、仮に日常使われている簡単な言葉であっても
十分心に響くものになる。
ちなみに、人が文章を読んで面白いと感じるのは、次の3つらしい。
①新たな知識を得たとき
②予想や常識を覆されたとき
③別々の要素がつながったとき
「迷わず書ける記者式文章術」より・・・
これは、文だけでなく、
会話でも同じことが言えるのではないだろうか・・・
伝える内容が同じでも
言葉とその組み合わせがひとつで
ひとは、「おっ!」を目を見開く・・・
人に何かを伝える仕事の人は、日々こうして言葉を集めることで
賞味期限切れした言葉を日々アップデートしておく必要がある・・・
そして一番大切なこと・・・
その言葉と世界観にふさわしい人間になっていること・・・
言霊とはそうやって生まれ、育つのだろう。
自戒も含めて、記しておきたい。
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tag : 言霊
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春、清明のころ①・・・桃源郷
春分や冬至・夏至など、有名な節気を除いて
他の節気名で初めて知ったのは、この「清明」かもしれない。
響きも漢字も、一番好きな節気だ。
清明とは・・・
春先の清らかで生き生きとした様子を表した
「清浄明潔」という語を略したもの。
万物が若返り、清々しく明るく美しい季節です。
この頃は桜の花が咲きほこり、お花見のシーズン。
南の地方ではつばめが渡って来る頃。
雨が多い時季で、暖かくなった後に
小雨が降り続いて寒くなったりもします。
沖縄では「清明祭(シーミー)」といって、
墓前に親族が集まり、酒・茶・お重を供えた後、
皆でご馳走をいただく習慣があるそうです。
そんな節気のようです。
このころ新聞には各地の桜だよりが載る。

「桜だより」
きれいな言葉だ・・・
便りをいただけば返事を書かねばなるまい・・・
「どうぞお越しください」
「はい伺います」
ああ、ながめると、
あそこにも行ったな・・・
ここは行ってないな・・・
ここは満開か~
と やはりソワソワする(笑)
地元で桜がおわれば
「咲き始め」を狙って北上し、
何度も桜を楽しみたい気分になる。
今年のわたしは、令和元年と歩き始め元年・・・
老後ピンピンコロリを目標にするので
速く走れなくていいので、ゆっくり長く歩きたい。
小鳥のさえずりと桜に淡い青空・・・
そういう世界を桃源郷というのだろう・・・
桃源郷は、遠くを探しているうちは入れない。
人がいて
心があって
やさしいところ・・・
そういうものは日常のわずかな隙間に
あふれんばかりにある・・・
桃源郷は、場所ではなく
心の在り方そのものなのだ。
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春、春分のころ⑮・・・「令和」の深意(3)
外国政府に英語で説明する際、
「Beautiful Harmony=美しい調和」という趣旨だと伝えるよう
在外公館に指示したらしい・・・
➡令和は「Beautiful Harmony」外務省が英語の趣旨説明
おお・・・美しい!
いまだ、ネットやSNSでは賛否両論
飛び交わせる方もいる・・・
平成のときは、天皇崩御での改元だったため自粛ムードが濃かったが、
今回は、ネットやメディアの進化でその喧々諤々も広まるのがはやい。
どちらがいいと言うわけではないが、
時代が違うとこうも変わってくるのかと興味深い。
たとえば、こんな方もいる。
ある大学の教授が
「僕はまだ(元号を)選べる側の立場に、行ける可能性を持っている人間なんです。
このままここで令和の悪口を言ったらたぶん、その道から外れるんですよ…。」
と前置き(言い訳)しつつ
「令の字を漢和辞典で引くと、最初にいい意味は出てこない」
とTVで発言すると、すぐさまそれがTwitterで流れる。
それについてのコメントが、何十も付く・・・
すべてがそういうわけではないが、
同調コメントが圧倒的に多くなったりして結局偏っていく・・・
そして、人は見たいものしか見なくなり、
聞きたくないものは排除していく・・・
ものすごい勢いで、同調と排除が積み重なっていく。
どこか恐ろしく、不気味でもある。
この教授の意見のごもっともだ。
現にわたしも「令和」と聞いた瞬間はそうだった。
が、ふと思った。
「字」の良し悪しは、出てくる意味の順番で決まるのだろうか・・・と
(現代使われている意味で、頻度が多いものが最初に書かれやすいのでは・・・)
そういう素朴な疑問を持った。
この時代に、あの白川静翁がいらっしゃったらなんとおっしゃったのか・・・
「令」を「字統」でひくと、まず初めにこう出てくる・・・

「礼冠を着け、跪(ひざまず)いて神意を聞く人の形」
「古く令の意と、またその字の形のままで命の字に用いた」
つづいて、
「人を集めて五瑞(祝い事?)の節を頒(わか)ち、その政令を発する意」
「礼帽を着けて、謹み跪いて神意を聞く神官の形」
この説明の通り、令に口をつければ、「命」になる。
「令」=「命」なのだ。
「任命」など、「令」に近い使われ方だ。
「命」となると、「命令」より「いのち」の意味合いが日常的に強くなる。
このように調べる辞書によっては
「令」を決して悪い意味から始めない場合もある。
そして、教授の言う意味合いは、やっと最後に出てくる。
「また命令の意より官長の名や使役の義となり・・・」
むしろこの辞書によれば、最後の方になるものもある。
調べる辞書によってこんなに違うことを
声高に言う必要はないようにも思う。
ちなみに、SNSではこんなものも出ていた。
いろいろ調べてみたが、裏が取れなかったので申し訳ないが、
ヘブライ語「ふるまい」
— ผักชี coriander 香菜 (@NinjaGeisha) 2019年4月1日
REIWAはヘブライ語で「ふるまい」・・・
字統の「令」が「礼冠をつけ、跪(ひざまず)いて神意を聞く人の形」であることから
みんなに喜びを分かち合うようにご馳走するという意味合いよりは、
「ふるまい」=「立ち居振る舞い」「礼節」の方がしっくりか・・・
バベルの塔の逸話のように
もともと人間がひとつの言語しか持っていないとするなら
「音」すなわち意味となり、共通の意味、要素が残っていても不思議ではない。
全ての地は、同じ言葉と同じ言語を用いていた。東の方から移動した人々は、シンアル[4]の地の平原に至り、そこに住みついた。そして、「さあ、煉瓦を作ろう。火で焼こう」と言い合った。彼らは石の代わりに煉瓦を、漆喰の代わりにアスファルトを用いた。そして、言った、「さあ、我々の街と塔を作ろう。塔の先が天に届くほどの。あらゆる地に散って、消え去ることのないように、我々の為に名をあげよう」。主は、人の子らが作ろうとしていた街と塔とを見ようとしてお下りになり、そして仰せられた、「なるほど、彼らは一つの民で、同じ言葉を話している。この業は彼らの行いの始まりだが、おそらくこのこともやり遂げられないこともあるまい。それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように」。主はそこから全ての地に人を散らされたので。彼らは街づくりを取りやめた。その為に、この街はバベルと名付けられた。主がそこで、全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされたからである。
— 「創世記」11章1-9節
この逸話は、まるで今の人間世界のようだ。
「互いに相手の言葉を理解できなくなるように・・・」
いまのわたしたちは、便利になったネット、SNSのために
かえって不寛容になってやしないか・・・
令和が生まれて4日目・・・
そろそろ、生まれた言葉への礼節とふるまいを
素直に取り戻した方がいいと思う。
この世が、この日本が
バベルにならぬように・・・
今回は、候補だった残りの元号も公表してしまったせいもあるだろうが、
あまりにも長引くのはいかがなものかと思う。
例えるなら
生まれた子供に両親が心を込めて付けた名前を
おじいちゃんおばあちゃんや、おじさんおばさんが、
はたまた隣近所のおばさんまでが
いつまでもケチと文句を言っているような悲しさを覚える。
これは性差の偏見ではないことを前提に付け加えるが、
この喧々諤々が、男性の方に多い気がするのは気のせいだろうか・・・
女性は、太古の昔から、宿ったいのちをそれこそ体をはって育てる。
時には命懸けだ。文字通り、トツキトオカ・・・
そして、生まれいずるいのちを覚悟を決めて育てる・・・
そういうDNAが組み込まれているためか
いつまでも喧々諤々「いのち」に対して議論はしない。
そういう意味で、新しく生まれた元号に対して
すぐに、覚悟を決めて育て愛でることができるのは、女性の方かもしれない。
(もちろん男性も多くいらっしゃることをきちんと付記しておく)
さて、昨日の続き・・・
「れ」・・・44
「い」・・・5
「わ」・・・46
数霊的には、1・2・3 は「幽」の世界・・・
4 は「幽」から「顕」の世界・・・
5 は「結び」・・・
そして、6 は「調和」の世界・・・
「令和」は、44➡5➡46と連続のエネルギーを発します・・・
4を繰り返しながら4→5→6と流れる。

今日はそのことをお話しましょう。
魔法陣では、4-5-6でビンゴ!
一直線に並びます。
4は易では「巽」☴=思い 五行では木 風
5の「吾」をとおって
6は「乾」☰=排出 五行では金 天
「巽」は、二陽の下に陰が入り込んでいる象。
風が陽を吹き飛ばす卦です。
出入りが激しく、不安定なさまを顕します。
それが、「吾」を通って「乾」に至ります。
「乾」は全部陽の卦で、天と陽が万物を生み出す卦。
強く、高貴で、堅く、円く、活動的です。
未曽有の災害が多かった平成を乗り越えて
明るく強い時代になる・・・そんな感じでしょうか・・・
4の不安定を繰り返しながら
着実に 4➡5➡6 と流れますので
縦横、四方八方、力強く 自己増幅していきます。
しかも大切なことは、「吾」を通すことです・・・
つまり、わたしたちの言動、立ち居振る舞いによって
何を増幅させるかがかかっているということです。
令和、れいわ、REIWAが
「礼節」「立ち居振る舞い」を意味するのも興味深いです。
また、「令和」は数霊「95」・・・9➕5=「14」
今回の元号が248番目・・・「14」
→新元号、幸多かれ!
偶然ではありません。
よい時代になるか、悪い時代になるかは「吾」次第・・・
14のメッセージを思い出してください。
不変なるものにするか、相克なるか。
束ねるか、離反するか。
どの「明日」に持っていくのかはすべて「ここ」にあり
「永遠」に輝くか、「悪意」に堕ちるのかさえも。
そういう意味でも、「令和」を言祝ぎ
おのれの襟を正す時代なのでしょう・・・
人のせいではない、「吾」なのです。
また、4➡5➡6を五行で見ると
「木」➡「金」です。
木は金属で出来た斧や鋸で切り倒されます。
悪しきものは、切り倒されていいのですが、
良きものまで倒されてはいけません。
季節は「春」➡「秋」ですので、良き収穫を迎えるようにするには
繰り返しますが、中心の「吾々」の言動がかなめとなるのです。
決してあってはなりませんが、「金」は戦争をも意味しますから・・・
以上、ワンペーパーで書いた一部をざっと見てまいりましたが、
奇しくも、今日は4月4日、そして
元号が変わるこの2019年は、「政治(選挙)の年」に重なりました。
これは偶然か否や・・・
これが後々、大きな意味を持つかどうかも
「吾吾われわれ」にかかっているということでしょう・・・
4➡5➡6 は、 「幽」から「顕」の時代・・・
見えなかったものが見えてくる時代・・・
すばらしい「顕」が実るよう
私も努力していこうと思います。
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春、春分のころ⑭・・・「令和」の深意(2)
この世に生を受けた人間の大きな役割・・・
ことばは誰のものでもありませんし、
ましてや一個人のみに属するものでもありません。
ことばは天と地を結ぶいのちであり
あまねくこの世に広がるエネルギーです。
キリスト教では、それを十字架に託して
「父と子と精霊」といって
胸の前で十文字を切るのです。
仏教では卍です。(古代トルコにもヒンドゥーにもあります)
これら十文字は、止まっていません。
振動し、回転し、螺旋しています。
それが高速になれば、
梅、桜、菊の紋、太陽になります。
そういう意味でも「令和」に限らず、さまざまな言の葉を祝うことは
いかなる宗教的、政治的信条および所々のイディオロギーに関係なく
われら「霊止(ヒト)」の大いなる愉しみでもあり、役目でもあるのです。
そういう願いと祈りをもって書かせていただきます。
ネットやSNSでは、公人、私人にかかわらず
「好き嫌い」、「典拠」・・・など相変わらずいろいろな意見・発見がありますが、
それもまた「平成」のときとは全く違った社会現象・・・
それもまた、合わせてヨーソロー・・・興味深いものです。
天が産み落とした新たな言葉を
愉しみながら言祝ぎたいと思います。
このまとめやこれから私がお伝えする「令和の深意」は
いかなる宗教的、政治的信条および所々のイディオロギーとは
無関係ですので予めご了承ください。

さて、昨日は、読み方と書き方をお伝えいたしました。
なぜかをお話いたします。
発音は、「れいわ」と「い」の母音をはっきりと言われる方がよい・・・
書き方は「マ」ではなく、「令」とまっすぐ縦に伸ばした方がいい・・・
それは、「れい」の「い」の数霊が「5」だからです。
形霊は、五芒星です。
これは、火、進化、進化、垂直、縦を顕します。
つまり、渦を描きながら、縦方向へ放たれるエネルギーです。
上へは枝葉、下へは根・・・樹木の成長です。
からだでは「DNA」でしょう・・・
そういった意味で、「れい」の「い」はきちんと発音した方がいいですし、
書くときも縦画をきちんと意識した方がいいということです。
「令和」の時代を生き、そこに生活の拠点を置いているのなら
そのことばが発するエネルギーを享受させていただいた方が
自然に生きられるというということです。
流れに乗るというのはそういうことです。
あらがわず、素直になるということです。
さすれば、「直霊(なおい)」が喜ぶというものです。
実はこの「れいわ」・・・
五芒星の「い」だけでなく
六芒星も含まれる。
しかも、「れいわ」と流れる中で
4➡5➡6と連続のエネルギーを発します。
「れ」・・・44
「い」・・・5
「わ」・・・46
数霊的には、1・2・3 は「幽」の世界・・・
4 は「幽」から「顕」の世界・・・
5 は「結び」・・・
そして、6 は「調和」の世界・・・
この流れもとても重要ですが、
今日は、「5」を中心にお話いたします。
「れいわ」の真ん中に い=5 があります。
5は「吾」です。
「我」ではなく、「吾」です。
「我」から、我欲・我執を取った「吾」です。
そのわれが、「口」で何を発するのか・・・
「5=五」が口で放つエネルギーが「現実=吾」そのもの・・・
縦のエネルギーである 5
一桁の数字を横に並べれば真ん中に来る 5
つまり ここでも、十文字を描き、螺旋し始める・・・
その発したものが中心から四方八方へ飛び出し、現実をつくる。
つくった世界に顕れた人や因果が、「結び」「縁」・・・
良縁もあれば、悪縁もある・・・
「色即是空」の「空」=関係性です。
あたらしく生まれた元号は、
「あなたは日々何を言い、何を発しますか?」
そうわれわれ(吾・吾)に問うているのです。
ちなみに、
REIWA(RE-WA)はチベット語で ”希望”
LEIWAは、ラテン語で ”神からのギフト”
Lei-waはハワイ語で ”花冠の時代”
台湾語読みで "こんにちは"
Rの音がHになる語圏の発音 ”ヘイワ”
例:ポルトガル語で "ヘイワ"
やはり 日本はよい意味で多民族国家、ごちゃまぜの国・・・
➡古代日本のアイデンティティ
もう祝福しかありません(笑)
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