脳が活性化する音とは・・・~遠藤先生がいらっしゃる前に音のお勉強③~
前回までは・・・
音と生き方①
音と生き方②
さて質問です。
CDとレコードどちらがいい音でしょうか・・・?
CDはクリアーな音?
レコードはなんだか優しい音?
アナログ装置であるレコードはその他機器の品質に影響しますし、
聞く曲の種類にもよりますから一概にはいえませんが、
周波数ということで言うと
実はレコードの方が自然に近い音なのです。
聴こえる音(耳で聞く)と超高周波(からだ全体で聴く)が混ざり合っているのです。
CDにはない人に聞こえない周波数まで入っています。
下の周波数の図を見れば一目瞭然です。

人体に与えるリラックス効果もこちら・・・

リラックス時に出るαがレコードの方が多いです。
緊張時に出るβ波がCDの方が多いです。
知識の宝庫! 目がテンライブラリーより・・・
我々世代は、レコードもCDも両方の経験者で
イメージしやすいですが
レコードは確かに雑音が多いですし
盤や針の磨耗でかなり差がでました。
そして、はじめてCDを聴いたときのクリアーさや
聞くまでの手順の簡易さは実に感動でした。
ただ、周波数でお話しすると上記のようになるということです。








さて、うんちくもそろそろ終わりにしましょう(笑)
最後のテーマは、
「一体どんな音を聴くと心が安定し、脳が活性化するのか」
ということです。
答え:
可聴域音と超高周波の両方を聞くということ!
正確には、聴こえる音(耳で聞く)と超高周波(からだ全体で聴く)を同時に浴びること・・・です。
クリスタルボウルはそれにぴったりというわけです。
※参考:音は身体全体で感じている:大橋 力×中村桂子

超高周波を含む音を聴いているときは基幹脳の活性は高まり、
ナチュラルキラー細胞や免疫グロブリンなどの免疫活性が増大します。
そして、クロモグラニンAやアドレナリンなどストレス性ホルモンが減ることもわかっていますが
なんと!超高周波だけ聴いてもこうした効果はないそうです。
聴こえる音(耳で聞く)と超高周波(からだ全体で聴く)を
一緒に聴かないと活性化されないということです。
仕組みはちょっと難しいですが
図ものっけておきます。
お暇なときにじっくり見てください。

理由は、簡単です。
超高周波成分は、
快感によって人間の行動を制御する報酬系の回路と、
生命活動の根幹を担う自律神経・内分泌・免疫を司る生体制御系の回路を
並行して活性化させるからです。
聴こえる音(耳で聞く)と超高周波(からだ全体で聴く)・・・
この二つが重なるのが脳幹、視床など脳の深い部分。
超高周波を含む音を聴くと、こうした脳の深い領域が反応して、
心身の状態を適正化するとともに、
快感を発生させると考えられるわけです。
前述のレコードが優しい音・・・は
聴こえる音(耳で聞く)と超高周波(からだ全体で聴く)が
混じり合っているからです。
クリスタルボウルは、マイクやスピーカーを通さない「生音」です。
繰り返しますが、そこには、「可聴領域」だけでなく
「非可聴領域」と呼ばれる、耳に聞こえない超高周波の音が含まれています。
その音が、人間の間脳・中脳を中心とした脳の基幹脳ネットワークに作用を及ぼし、
心身を活性化させるわけです。
あ、もう一つだけ・・・
余談ですがクリスタルボウルには「倍音」がたくさん含まれています。
電子音のような「ピピピ」というシンプルな音ではなく、
「ビリビリ」と振動するような複雑な音のことです。
これもクリスタルボウルはからだに浴びるという感じとなり
心地よいヒーリングにつながるのです。
さてさて、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
要するに、クリスタルボウルはあっちの世界に行ってしまうほど
リラックスできるということです(笑)
ご清見ありがとうございました。








「遠藤園子さんのクリスタルボウル演奏会」

日時:6月12日(日) 14:00~ (1時間半ほど)
その後17:30~懇親会あり(津新町駅前「天ぷらのさか本」)
場所:AddCafe
会費:3000円
お申し込み締め切り 6/8
小さなお子様がいらっしゃっても大丈夫です。
メールフォームよりお申し込み下さいませ。
五感バランス「自力整体」体験会!

治癒力工房 宙 吉田さんによる
《五感バランス「自力整体」体験会》を開催いたします。
日時:6月25日(土)午前中 10時~11時 60分間
その後ランチ
場所:津市南丸之内13-20
料金:piyoさんランチ付き 2000円

(わたくしもsoraですが、よく間違えられます。もちろん別人です・笑)
自力整体って!?
創始者は、矢上裕さん・・・
この方です。

詳しくはこちらをどうぞ・・・矢上予防医学研究所
実はsoraもダンスのときに少しだけかじっていましたが、
今も腰痛が酷いときには ときど~き 本を見てやったりします。
とてもいいですよ。
どうしてか?
とてもゆったりで
ゆっくりで・・・
無理がない・・・
自分の内側(心)や食生活の見直し・・・
動く座禅・・・という感じでしょうか・・・
少し本から抜粋します。
「自分でやるからこそ根治する・・・
・・・すべてにおいて、他人任せの治療では、
そのときの痛みや苦しみをその場は
和らげることはできても、基本的体力は向上しないので、
症状はぶり返し、その結果慢性疾患や持病となってしまいます。
そんなことの繰り返しを断つ方法はないものかと考え、
つくりだしたのが「自力整体法」です。」

治療の時代から予防、未病との時代といわれて久しいですが、
寝たきりにならずにぴんぴんコロリで人生を終わりたい方に(笑)
この整体法は、本当におすすめです。
矢上さんご自身の履歴もそうですが
1953年生まれの矢上さんが今もなお
ご自身の身体でこの整体法を研究し続けていらっしゃることが
何よりも本物で素晴らしいと思います。
「ちぢみをほぐし、ゆがみを正し、ゆるみを引き締める」
自分のこれまでの身体の歴史・・・
酷使した体、サボった体(笑)
心の思い(重い)癖、食事の悪癖・・・
そういったことにも向き合うことのできる・・・
しかも不調な体がよくなっていく・・・
soraもお店を始めてから8年ほど
ホントまあよくサボってきました(笑)

各部位を治せば痛みは取れるという機械論的な考えではなく、
身体を全体(ホリスティック)的に捉えます。
また、体だけでなく、「食」「心を整える」などもあわせてホリスティックに捉えます。
もちろん年齢、からだの硬さ、運動ができるできないは関係ありません。
(soraもめちゃくちゃ身体は硬いです)
今回は一時間のプチレッスン・・・
慢性的な足腰、膝の痛みを抱えていらっしゃる方は
是非お気軽にお試しください。
まずはお試し・・・こちらの動画でどうぞ・・・

人には「違和感」というとても大切な能力がある。
それは、脳でもなく、ハートでもなく、
「ハラ」で感じるほんのわずかなズレを感じ取るチカラです。

「ハラ」はその人そのものを表す「在り方」と大きく関わっています。

(「自分をいかして生きる」西村佳哲著より)
一番下の「あり方・存在」から「考え方・価値観」が生まれ
「考え方・価値観」から「技術・知識」が工夫され
やっと表面の目に見える「成果としての仕事」が生まれる。
「成果としての仕事」は決してお金を介在とする「仕事」だけでなく
衣・食・住などにおける人の立ち居振る舞いや活動全てを表すといっていい。

西村さんの言葉をお借りすれば
仕事は人生と
生き方は働き方と
切っても切り離せない。

この「海に浮ぶ島の図」そのものが人の体の部位ともなる。
下から、
ハラ(あり方・存在)
心・ハート(考え方・価値観)
頭(技術・知識)
・・・そして、その全てを総動員させて生み出されるのが
海から出ている「仕事」(≒活動)ということになる。

自分を生かして生きるために
いちばんの土台となるこの「ハラ」のチカラはかかせません。
何かを見るとき・・・
何かを聞くとき・・・
行動に移すとき・・・
話をするとき・・・
賛同という一票を入れるか入れないか迷うとき・・・
下から順に、この違和感を確認する必要があります。

昨今は下の二つを飛び越えて
「技術・知識」に躍起になることが多い。
「技術・知識」には確かに身体を使うものも多いが
現代、重宝されやすいのが頭を使った「技術・知識」になってしまったということだ。
参考までに・・・第一次産業の衰退を観れば一目瞭然である。

いまは、「脳」中心の社会といってもいいかもしれません。
「脳」は確かに大切な部位ですが「ハラ」をおろそかにした
「脳」重視は、別の意味でも寒々しい感じがする。

「存在」そのものがただそこにあればいい・・・を飛ばして
「できるできない」「必要不必要」という観点でしか隣人を見ないからです。
悪く言えば、利用できるかできないかでしか森羅万象と関われないからです。

「存在」には「できるできない」「必要不必要」もありません。
そして、この「存在」は一見何もならないことをしているときに顕れます。
「そんなことをして何になるの?」
「もっと効率のいいやり方があるでしょ」
これは「技術・知識」に時間が掛け合わされたときに使う言葉です。
ただ、人は時々そういったことを言う反面
そういった一見無駄なことをせずにはいられない「ハラ」もあります。

ちょっと違う例えかもしれませんが
私にとっては、ただ草をむしるとき、ただ皿を洗うときに顕れる気がします。
草はいずれすぐに生えます。皿も次の食事の時にはすぐに汚れます。
だから効率よく除草剤をまいたり、食器洗い機を開発して使います。
でも、希望が持てるのは
人は、自分の手でわざわざそれらをする価値を100%捨てていないことです。
ひたすらdoingするのです。
この力みのないひたすらのdoingは、やがてbeingになります。
禅宗の修業にそういった作務があるのはきっとそういうことだと思います。
だから、なにをdoingし続けるかでどんなbeingになるかが決まりますので
皆さんお気をつけください(笑)

畑仕事をしていると
森羅万象すべてにこの海に浮ぶ島があるように思えます。
どのいのちもただひたすら四の五の言わずにdoingしています。
そして、それがそれぞれかけがえのないbeingになっている。
彼ら全てから「考え方・価値観」を聞き出すのは難しいですが(笑)
おそらくあると思います。
彼らが登場する神話や物語が古代より
無数に世界中に存在するからです。

じっと動かない植物や鉱物、昆虫たち・・・
人間に比べれば確かに限られた行動範囲かもしれません。
でもその限られた行動範囲の中でただひたすらに行われる無償のdoingは
人類にとってかけがえのない偉大なbeingになっている。

今の私のdoingは
どんなbeingをつくるのか・・・

豊富な選択肢がある中で、やたらと動いて欲しい物を手に入れ
人生でさえも、賢い間違えのない手段や方法を選ぶのが本当に豊かなことなのか・・・

ましてや今の時代
その選択肢さえ誰かに意図的に用意され
与えられたものであることが多く、
仮にその中で賢く選択したとしても
ただそれは与えられた問題集を
誰かが用意した模範解答で
答え合わせしているだけにすぎないのではないか・・・

つたなくとも自分で作った問題集で
自分の答えを導き出し、独断の(笑)解答集を作ることの方が
ずっと楽しくダイナミックではないのだろうか・・・

答え合わせをさせられる人生ではなく・・・
自然や周りの人々に感謝しながら・・・
風のように集まり・・・
陽だまりのように笑いあって・・・
そして「またね」と風のように去っていく・・・
何かを狙って集まるのではなく
その場限りの一期一会のような人生・・・

明文化したルールなどなくても労わりあい・・・
沈んでゆく夕日を、満ちようとする月を
「あー綺麗だね」と言葉のようで言葉でない・・・
互いの存在だけで確認できる力を持っていたいと思う。

そういったささやかな自分のdoingで
自分と人と自然のbeingを確認する人生でありたいと思う。

これからもぽちぽちdoing続けます。
よかったらご一緒にいかがですか・・・
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宙結び、ありがとうございました*(ノ^∀^)ノ*
今日は、宙結び♪(*´▽`*)
津市南丸之内13-20 AddCafeにて
10:00~15:00までやっています。
よろしければ是非お越し下さいませ。
ご参加いただく皆様です。
いつもありがとうございます。
チュルミンさんがご参加です!








※塚ちゃんの野菜は、まだまだ気候が寒かったので来月までお待ち下さいませ。
音と生き方 ~遠藤先生がいらっしゃる前に音のお勉強②~
変わるというのが前回のお話でした。
人は、音に関しては本当に気をつけたほうがいいと思います。
音によって、つまり周波数によって
人は安らぎを感じたり
イライラを感じたり、
心地よいと見せかけて洗脳することもできるツールだからです。
人の脳はそれほど騙されやすく
危なっかしさを持っているのです。
筑波病という出来事があったことをご存知でしょうか・・・。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
少しお話させてください。
筑波病とは・・・
「茨城県筑波研究学園都市の周辺で昭和58年から61年にかけて
日本人の平均の二倍以上もの高い自殺率が見られた。
この自殺の多発と音が、どうも関係があたようです。
1988年、当時筑波大学応用生物科学系講師だった大橋力さんが
コンクリートの住宅では高い周波数の音が遮断され、
人間の生理に望ましくない影響を与えるという実験データを発表。
さらに91年10月、人の耳には聞こえないとされていた20キロヘルツ以上の超高周波が、
人の脳にα波※を出させる働きがあることを証明するデータを発表。」
※α波が脳波に出ていると、
頭を使わないで休ませた状態となります。
この例を見ても
人がどんな周波数に囲まれるかは
生死を分けるといってもいいと思います。
余談ですが、
ご存知、AddCafeではBGMを流していません。
8年前お店を始めたばかりのときに
試しにかけてみたのですがどうも違和感がありました。
ですから、当初から無BGMで結果的に
鳥のさえずり、風のそよぎ・・・自然の音を聴いてきました。
ですから先日行った大型ショッピングセンターでは頭が痛くなりました(笑)
どうしてこんなに音(全て電子音)が多いのかと・・・
しかもそれがコンクリートの建物に反響する・・・
わたしは、一時筑波病になったのかもしれません(笑)
そして、鳥のさえずりや風のそよぎがあるにもかかわらず
今の若者が常にイヤホンで電子音を聞いて歩いているのは
ある意味とても危険ということです。
前回鳥のさえずりのお話をしましたが
実は鳥に限らず自然界は実に多様な音を放っています。

(音は身体全体で感じている:大橋 力×中村桂子より)
グラフで、周波数の幅を見れば一目瞭然です。
また、自然の音には1/fの揺らぎがあります。
1/fの揺らぎとは、規則正しい音とランダムで規則性がない音との中間の音で、
人に快適感やヒーリング効果を与えると主張されています。

耳というのは目よりも複雑な構造をしています。
耳には、外耳・中耳・内耳と三つの部屋があります。
そのそれぞれの部屋で受け止める周波数が違います。
振動の高さ強さなどの特性に応じて情報がきれいに分けられて感じていくのです。
しかも耳で感じられない周波数(音)は
胸部(全皮膚といってもいい)で感じます。
1/fの揺らぎがそうです。
「この「1/f ゆらぎ」の特徴は、振幅が小さいほど振動数が多く、
振幅が大きいほど振動数が少ないというもので、
星の瞬きからそよ風、心臓の鼓動や脳のα波に至るまで、
心地よく感ぜられる自然現象に多く見られるという。」
佐治晴夫
1/fの揺らぎが心地よいのは
耳からではなく皮膚からしみわたる波動だからでしょうか・・・。

(耳と比べると、目は意外と単純な構造です。)
クリスタルボウルは非常に純粋な正弦波形※を描きながら響きますが、
実際の計測では600m先まで音が到達するといわれています。
このような純粋な波形(超音波)は物体をも通過して拡散していきます。

※正弦波形

筑波病という事例を考えると
自然界とクリスタルボウルがかもし出す可聴帯圏外(超音波)は
電子音に囲まれた現代人にとっては、いのちの源ということになります。
つづく・・・








「遠藤園子さんのクリスタルボウル演奏会」

日時:6月12日(日) 14:00~ (1時間半ほど)
その後17:30~懇親会あり(津新町駅前「天ぷらのさか本」)
場所:AddCafe
会費:3000円
お申し込み締め切り 6/8
小さなお子様がいらっしゃっても大丈夫です。
メールフォームよりお申し込み下さいませ。
音と生き方 ~遠藤先生がいらっしゃる前に音のお勉強~
「遠藤園子さんのクリスタルボウル演奏会」の詳細ご案内です。

日時:6月12日(日) 14:00~ (1時間半ほど)
その後17:30~懇親会あり(津新町駅前「天ぷらのさか本」)
場所:AddCafe
会費:3000円
お申し込み締め切り 6/8
小さなお子様がいらっしゃっても大丈夫です。
メールフォームよりお申し込み下さいませ。








いつもは感覚的なご案内に終始しておりますが、
今回はちょっとアカデミックに(笑)
クリスタルボウルという波動の素晴らしさをご紹介したいと思います。
といってもあくまでもこれまでのわたしの悟感ですので
どうぞご容赦ください。








わたしは、日頃から人はどんな音も耳にしているかで
生き方が、しいていえば人生が変わると思っています。
音=周波数ですから、
正確には自分がどんな周波数に囲まれているのかが
人生を決定するといってもいいと思います。
わたしたちは、どんな人生を歩むのかとよく言われますが
それはきっと正確ではないでしょう。
どんな周波数を選び、囲まれ、実はそちらに流れていってるか・・・
選んでいるように見えて実は主体的に流れていっているのです。
それはこうとも言えます。
わたしたちは、外の音=外で作られた音を聴いているのではなく、
自らが存在する「時間・行為・思念」によって
音を生み出し、聴いているからです。
同じときに同じ場所にいても
聞えている音が違う、もしくは聞える人とそうでない人がいた
という経験をした人はいると思います。
これは、人が生み出す音=周波数が違うからです。
これは、安部浩之さんの理論で詳しく学ぶとこが出来ますが
「観音」という言葉は「音を観る」と書きます。
人は観たいものしか観ていません。
つまり自分の作った世界しか観ていないのです。
同じように、音も自分が作った世界(時間・行為・思念)を
聴いている(観ている)に過ぎないということです。
だから何を聴いているかという問いは、
自分が何を生み出しているかということになるのです。
これほど「音=周波数」は生きていくうえで大切なのです。

また、「観」(觀)には「隹(ふるとり)」の字形が含まれています。
それは元来「観る」という行為は、
鳥のさえずりを聴く(占いの意あり)ということです。
皆さんは最近鳥のさえずりを愛でたことがありますか?
鳥の鳴き声は、5,000Hzぐらいです。
人間は、300Hzから4000Hzの周波数を声として発し、
聞くことの出来る音(可聴音)はそれより幅広く、20Hzから20000Hzの周波数です。
古代の人々は、鳥の鳴き声は人間が出せる音の領域を超えていたので
「聞く」というよりは「観る」という領域だとわかっていたのかもしれません。
元来、鳥は「霊的存在」の代表でした。(霊鳥)

人間にとって素晴らしい周波数を出すものを
「花鳥風月」
「雪月花」
といって、古くから人は無意識に愛でていたのかもしれません。
つづく・・・
2010年、遠藤園子さんと初めて出逢った演奏会の動画を
大岡英介さんが上げてくださっていましたので是非どうぞ・・・

教育界で「個性」といわれて久しい。
しかし、昨今の「個性」は
どうも弱々しく、時には何か履き違えているらしい。

先日ある方のFBでモンスターボランティアの記事がシェアされていた。
阪神淡路や東北でも問題となったらしい。
現地を訪れる一部の人が就活のネタ作りなのか
汚れた仕事はせず、被災者そっちのけで唄を歌ったり、
被災者そっちのけで盛り上がって帰っていく・・・
「自称ボランティア」が少なくないらしい。
被災地に対して「働いたのに食事ぐらいでないのか」とぼやく人もいるらしい。
驚くべき独り善がりさである。



個性とは、人と同じようにする場面が望ましい場合では
さりげなく同じようにすることも出来、
人のまねをすることも出来るが、
真似ても真似てもあふれはみだしてしまう何か・・・

そういうやむにやまれぬ「内なる存在」そのものが
ふとした瞬間に顕在化してしまうものなのだろうと思う。
その顕在化した瞬間に「表現」ということになる。
だから、実は日常の全てが表現でありArtなのである。

単に人と違うことで目立とうとすることが個性ではない。

若い先生が、子どもを叱れないのは
「目立とうとする個性」と
「思わずあふれ出てしまう個性」との区別が付かなくて
戸惑ってしまうからなのだ。



わたしたちの内なる心の旅は個性獲得が最終ゴールでない気がする。
個性≒「自己実現」と把握されることもあるが、
その自己実現を唱えたマズローも晩年には
自己実現の先にもう一つ世界があることを知っていた。

※http://serendipity-japan.com/maslow-hierarchy-1061.htmlよりお借りいたしました。
(この図もこんなに単純に区切られるわけではない。
例えば、息をすることで存在を確認することは出来るし、
前述の例のように自分の存在を誇示するために「表現」「活動」を利用する場合もある)
この日の打ち上げ(星結び)で
福地先生が言われていました。
「最近の子はお手本を見てかけない。真似れない」と・・・


真似るということは「見る」ということである。
真似れないということは「見れない」「見ていない」ということになる。
徹底的に見る側になるということは学ぶにあたってとても大切な能力になる。
なぜなら、最終的に自分の心も見れるようにからである。

(Lilylanternさん、前回のパフォーマンス)
アーティストのLilyさんもお子さんの Bonchanが絵をかくときに
「よく見なさい」と何度も何度も言うらしい( Bonchan談)。
「見る」は「観る」につながり、内観へと発展する・・・。
「観る」ことが出来れば、前述の「独り善がりな行為」も
いかに個性からも自己実現からも程遠いことがわかってくる。
そして、内観できる人の個性は強い。


また、真似るということは「添う」ということです。
人と親しく交わることを
「人には添うてみよ,馬には乗ってみよ」というが
「見る」「添う」ということは、
人とのコミュニケーションの「いろは」のいの原則なのだろう。
四の五の言わずに「真似ること」=「添う」ことで見えるものがあると先人は教える。






そして、それを繰り返しているとどうしても添えないこと添いたくないことがでてくる。
それこそが、個性である。
江戸中期茶人の川上不白が
それを「守・破・離」と考案している。
守…ひたすら教えを守り、学ぶ
破…教えの言葉から抜け出し、真意を会得する
離…型に一切とらわれず、自在の境地に入ること

人の個性が力強いものになるには
この3つ、どれもが必要なのだ。
特に小学生や若いときは必要のような気がする。

真似ること、添うこと・・・
逆説的だが、それは真に自分を自由にするために必要なものだと思う。




「職への憧れ、希望というものは
一種切羽詰った状況からうまれるんだと・・・
callingされるんだと・・・
彼らにそう伝えました。
そういう意味で熊本を見てください・・・
関わろうとしてください・・・
そう彼らに伝えました。
彼らは彼らなりに耳をそばだてて必死にくらいつくように
わかろうと努力するように聞いてくれてた。
他人事を自分事にひきつけた瞬間、それは「職」になるんだと・・・
あそこで懸命に生きようとする人たちを自分事と思った瞬間、
何か自分に出来ることはないかと思った瞬間、
「仕事」というかけらが心に生まれるんだと・・・
憧れという上昇気流に乗せるもの、それが仕事・・・
熊本を自分のこととしてみる・・・」
(soraの日記より・・・)
これもひとつの「添う」である。



ご協力いただいた皆様、
本当にありがとうございました。
100年後も笑いあえる世を・・・
これからもぽちぽちやっていきます。
よろしければご一緒に・・・
笑市&書・アートパフォーマンス、ありがとうございました*(ノ^∀^)ノ*
3回にわたってご報告してます ~4月のタロットアシャイング~
思うまま出てくるままかいていたら
思いもかけず長い旅になりました。
sora-piyo自身が驚きと発見の連続でした。
ケルト十字の神秘・・・
タロットが見せるいのちを思う優しさ・・・
タロットはやはり叡智であり、旅なのです。
詳しくは、こちらのブログでご紹介しております。
↓↓↓
タロットの声 ~グレーでいいのだと~
4月のタロットアシャイング ~いじめと勇気~
4月のタロットアシャイング ~タロットがみせる優しさと叡智~
「人生は愚者の旅・・・」
自分軸、子どもとの関係にお悩みの方は
お時間があるときにゆっくりとお楽しみください。