旅の効用
人は、一万三千年前まで遊牧民でした。
だれの身体にもそのDNAが入っていると思います。
今はもちろん、わたしは
生活のため定住生活をしなければなりませんが、
それでも心は遊牧民的気質が強いと感じています。
私の旅の初体験は、京都でした。
高校一年生の冬のことでした。
黒電話で宿を取り、
いざそのホテルにいって
そのまま宿泊したのですが、
旅が終わり、家に帰ってくると、
そのホテルから電話がかかってきました。
「ご予約日に宿にお泊まりになっていませんが、
キャンセルでしたでしょうか?」
私としては???がいっぱいでしたが、
どうやら私は、そのホテルの別館の方に泊まってしまったようで、
本館の方から確認の電話でした😀
もちろん館ごとに受付カウンターは違いますが
当時は、こんな行き違いでもなぜか泊まれました。
のんびりした時代です。
そんなアクシデントも今ではいい思い出ですし、
雪がちらつく中、米原で食べた立ち食い蕎麦は
格別で心まで暖まりました。
不機嫌という病を治すには、
自分の安全領域から外に飛び出すことだ−
「旅の効用」ペール・アンデション

今あなたがどことなく不機嫌で、モヤモヤとしているなら、
それは旅不足かもしれません。
日帰りでもいい・・・
ゆっくり泊りの温泉旅でもいい・・・
この二年以上のコロナ茶番で
私たちは自由な移動を制限され、
心の奥を破壊されています。
疑心暗鬼となり
いつも不安で
どこか不機嫌でイライラする・・・
彼らDSの狙いがそこなのです。
変化がなければ心は消耗する。
だが新たな見方をするようになれば、新たな展望が開ける。
旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ、世間や家庭内の状況に対して注意深くなる。
今まで無関心だったことにも、不意に何かを感じるようになるのだ。
今まで見えていなかったことが不意に見えてくるのである。
美しい言葉に言い直すとすれば、
旅と遊牧民の生活様式こそイデオロギーだった。
旅は、前もって予見可能であってはならず、
ページを開いた瞬間の
本のようでなければならなかった。
旅人は、自分が今から何と出会うか、
誰と遭遇するかを知っていてはならなかった。
「旅の効用」ペール・アンデションより
旅を制限すれば、
我々は行き詰まる・・・
文字通り、息が詰まるのだ。
人間は「人・本・旅」でしか賢くなれない動物だと僕は思っている。
立命館アジア太平洋大学(APU)学長 出口治明
さあ、今度はどこに行こうか・・・
旅から帰ってきて
心はすぐに次の旅を始めている・・・
これもまた旅の醍醐味かと思う。
[スポンサーリンク]
鎌倉➡江の島➡浜松へ⑬
あくまでも私の感想です。
豊川稲荷に行って最初に感じたのは「違和感」・・・
稲荷と言うからには神社・・・
壁越しに境内を感じたのですが、
あれ!?神社ではない・・・
そう感じました。
山門があります。
だからここの原型はお寺です。
もちろん日本はかつて神仏習合ですから
神社とお寺が合わさっていても何ら不自然ではありません。
私が感じた違和感はそういうところではありません。
神様がだれで、どこにいるかわからないのです。
つまり、大元が不明かごまかされている感じです.

繰り返しますが
玄関口は、寺の象徴の山門です。
寺なのに稲荷・・・
いつの時代からか、
本当の仏がお隠れになった模様です。
境内には、大きな鳥居があります。

鳥居とは封印の証・・・
一種の呪詛です。
調べると豊川稲荷は、曹洞宗の寺院で正式には「妙厳寺」・・・
約580年前の室町時代(1441年)に創建されて以来、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公などの武将や、渡辺崋山など文人たちからの信仰を集めてきました。その鎮守『豊川吒枳尼真天(だきにしんてん)』(通称豊川稲荷)は江戸時代には庶民の間で商売繁盛や家内安全、福徳開運の善神として全国に信仰が広がり、現在も年間およそ五百万人もの参拝客が訪れます。
神社仏閣としては比較的新しいお寺です。
ご本尊は、ちゃんといらっしゃいます。
千手観音です。
ではなぜこちらのご本尊を正面に据えないのか?
神の眷属である狐がこんなに大きな存在となったのか?
詳しく書かれている方が見えました。
➡日本三大稲荷 豊川稲荷(愛知) ご本尊はどこ? 豊川稲荷の由来
由緒ですが、あくまでも逸話です。
創建者、東海義易禅師が6代目というのも遠いですし、
どちらにしても全体としてなんだかしっくりきません。
神々のすり替え・・・
私の違和感は、この方の素晴らしい記事でも解決しませんでした。
ウィキぺデアにあるように
「江戸幕府の朱印状には、すべて、
三河国宝飯郡豊川村妙厳寺寺領」となってるので
どう見てもここは元は寺でしょう・・・
千手観音が隠されたわけが、
神仏分離令で、仏の方が弾圧されたからか・・・
しかし、であるならば、
ウィキぺデアの記載の
それまで境内の参道に立ち並んでいた鳥居は撤去され、「豊川稲荷」「豊川大明神」の呼称も使われなくなった。以降は「豊川吒枳尼真天」と号するようになる(ただし、間もなく通称として「豊川稲荷」と呼ぶことは復活する)。 なお、現在地に鳥居が立ったのは戦後であるが、この鳥居は1930年(昭和5年)に敷地内に移転・保管されていた江戸時代末期の東海道にあった鳥居である。
で、なぜ神社の象徴の鳥居が当時撤去させられたのか・・・
つまり、なぜ稲荷が放たれたのか・・・

謎と違和感がある豊川稲荷です。
神仏は、民に祈られて初めて光を放つもの・・・
神仏人は一体だからです。
豊川稲荷を訪れる人のほとんどは
この千手観音の存在を知らないでしょう。
なぜこんな二階の目に見えないところに鎮座なさっているのか・・・
本尊千手観音は秘仏としてでもいいから
もっと前面に出すべきだと思うのですが
みなさんはどう思われますか?

[スポンサーリンク]
鎌倉➡江の島➡浜松へ⑫
はままつフラワーパークに行く予定でしたが、
朝一でなかったため、
駐車場に長蛇の車・・・(やっぱり)
こういう時私たちは
余程行きたいところ以外は
すぐに予定変更します(笑)
われわれのような年齢になると(笑)
わざわざ並んでまで行きたいところなのか
それともそうでないかで次の行動が変わります。
で、近くの弁天島へ・・・
やっぱりここも長蛇の車・・・
すぐさま、反対方向へハンドルを切ります(笑)
少しだけ戻って、
遠州灘沿いの国道一号線に出てみました・・・
このチョイスが大正解!
素晴らしい遠州灘の風景と出会いました。



結構な人が浜辺で遊んだり、釣り、サーフをしていましたが、
広すぎて全然込み合っている様子ではありません。
ちょうどお昼ごろでしたので旅の最後のお昼ごはん・・・
これも偶然出会ったのですが
潮見坂のしらす・・・

偶然-美味しい
偶然-絶景
旅の醍醐味はこういうところにあります。
よくGWは混んでるから
どこにも出かけないという方もみえますが、
それはちょっともったいないと思います。
私のこれまで経験では、
それをハンドルの切り方で回避することが
また旅の楽しみだったりしますし、
渋滞にハマったらハマったで
車内での楽しみをいくつか持って行くといいと思います。

生まれてはじめて海を見ながら
しらす丼をいただきましたが、それはもう格別でした。
日本はいろいろな意味で
本当に豊かな国なんだなと実感します。
実は今回、お土産でしらすを買ったり、
後から取り寄せたりして比べて食べてみたのですが、
今回の旅では、個人的に
ここ潮見坂のしらすが一番おいしかったです。
いつもは同じように見えるしらすですが、
季節やしらすの大きさと塩加減で全く違う味になるんですね。
そういうことを知ったのも新鮮でした。
これまであまりこだわらなかったしらすですが、
ちょっとこだわりができました(笑)
遠州灘を離れ、おまけです。
フラワーパークに行かなかった分時間が余りましたので
これまた一度は行きたかった
豊川稲荷へ向かいます。
[スポンサーリンク]
鎌倉➡江の島➡浜松へ⑪
いよいよ最終日・・・
浜松を楽しみます。
永禄11年(1568)、三河から東進し、今川領の制圧を開始した徳川家康。家康は、駿府に攻め込んできた武田信玄の侵攻に備え、遠州一帯を見渡せる三方ヶ原の丘に着目しました。天下を盗るためには、まず信玄を倒さなければならないと判断した家康は、元亀元年(1570)、岡崎城を長男の信康に譲り、三方原台地の東南端に浜松城を築城、駿遠経営の拠点としました。
浜松城公園HPより
ホテルの近くに浜松城がありました。
ホテルマンに浜松城の見どころを伺うと
「さくらの時期以外はぁ」と歯切れの悪いお返事が・・・(笑)
まあ、地元に人にとってはそんなものなのでしょう・・・
しかし、そうそうこの浜松城に来ることもないなと思った私たちは
やはり行ってみることにしました・・・
もちろん、天守閣の再建ですが
結構立派でしたよ。

町にお城があるというのは、
その町のシンボルとして、
また地元民の憩いの場所として
かなり重要だと私は思います。
住民に潜在的なバックボーンを植え付けます。
以前、23号線沿いの大きな建物(確かジャスコ)が壊され
その国道から津城の丑寅櫓が見えた時の心躍るあの感じがまさに
その瞬間だったのでしょう・・・
ところが今では、
その跡地に大きな市中銀行のビルが建ち
国道からのこの丑寅櫓が全く見えなくなりました。
「無粋」
「文化」を守る・見せるという「粋」なトップ経営者・財界人が
この街にはいないと気付かされました。
「文化」とは、常に神仏とともにあるものです。
祭り(伝統)も市(経済)もそうやって
神仏のお膝元で続いていくものです。
そうして人の心も懐も潤すからこそ発展していけるのです。
津には、日本の三大観音やハーバーなどがありますが、
本気で活性化しようとしているとは思えません。
城、湊、市場、相場・・・
これが街を作るための必要条件です。
津にはそのすべてがそろっているのに、
なんとも衰退の一途をたどっています。
<中部地方の門前町>
三条 - 新潟県三条市 - 本成寺・東本願寺三条別院
弥彦 - 新潟県弥彦村 - 弥彦神社
八尾 - 富山県富山市 - 聞名寺
門前 - 石川県輪島市 - 總持寺祖院
志比 - 福井県吉田郡永平寺町 - 永平寺
板垣 - 山梨県甲府市 - 甲斐善光寺
身延 - 山梨県南巨摩郡身延町 - 久遠寺
長野 - 長野県長野市 - 善光寺(長野善光寺)
座光寺 - 長野県飯田市 - 元善光寺
上条 - 静岡県富士宮市 - 大石寺
谷汲 - 岐阜県揖斐郡揖斐川町 - 華厳寺
大須 - 愛知県名古屋市中区 - 大須観音(日本三大観音)
荒子 - 愛知県名古屋市中川区 - 荒子観音
笠寺 - 愛知県名古屋市南区 - 笠寺観音
竜泉寺 - 愛知県名古屋市守山区 - 龍泉寺観音
甚目寺 - 愛知県あま市 - 甚目寺観音
妙興寺 - 愛知県一宮市 - 妙興寺
大樹寺 - 愛知県岡崎市 - 大樹寺
門谷 - 愛知県新城市 - 鳳来寺
大門 - 三重県津市 - 津観音(日本三大観音)
一身田 - 三重県津市 - 専修寺
大変残念ですが、
補助金と言う甘い汁欲しさに
やったふり感が満載と感じます。
そしてそれに群がる魑魅魍魎・・・
以前音読会で下の本を読んだことがありますが、
まさに商店街が廃れていく理由が
なんとその商店街内部(利権)にあったとは・・・
そう分かった本でした。

繰り返しますが、
全国の商店街の原型は、
神仏とともにある門前町や
それを支える国主の城下町であることが多いです。
「文化」というのは、
核になる寺社や伝統工芸がもちろんありますが、
そこに経済が生まれるからこそ何百年もかけて
「文化」が昇華されていくのです。
その「経済」を内輪だけの山分けに使っていたら
それは廃れていくに決まっています。
発展させない程度を保ち
国から補助金をもらい
やる気のない無駄遣いの相談役、
実績が生まれなくても責任を問われない高額コンサル・・・
彼ら魑魅魍魎と当事者たちで
ほど良いところでお手打ちとする。
結果は一目瞭然・・・

今我々が知っている戦国武将たちは、
もちろん発展させることが次の戦のたくわえになりますから
必死でなさってでしょうが、
その文化経済を栄えさせたという功労だけでも
敬うに値する人物たちです。

(家康像)
浜松は、津の人口の3倍ほど・・・

津にとってここがネックなのかもしれませんが、
室町末期、
海運業者仲間の慣習法を成文化した日本最古の海商法である
廻船式目には「津」が入っています。
<日本三津>
安濃津 - 伊勢国安濃郡(三重県津市)
博多津 - 筑前国那珂郡(福岡県福岡市)
堺津 - 摂津国住吉郡・和泉国大鳥郡(大阪府堺市)
海-みなと-寺社-門前-町
津もぜひ「日本三津」の誇りを取り戻し、
これらを結びなおしていただきたいなと思います。
[スポンサーリンク]
鎌倉➡江の島➡浜松へ⑩
ひたすら徒歩で降ります。
すでに午後二時を過ぎていましたので
ちょっと急ぎました。
夕食のお店の予約時間が決まっているので
今日の夕方には浜松に到着しなければなりません。
なぜ浜松を選んだか?
それは、居酒屋百名山の「60番 貴田乃瀬」に
行きたかったからです。
この本の書き手で呑み手の太田和彦さんは、
友人から
「主人は料理の鉄人、ただし頑固。
日本酒に詳しく
自ら料理に合わせて酒を運ぶ」
と聞いていたそうだ。
どのくらい頑固かと言うと、
それは料理について書かれているブログに表れている・・・
また、何年か前、とある製薬会社が、
お店と大将に無礼を働き、
出禁になっているというエピソードからもうかがえる。
なにやら敷居が高そうだが、
それでもそのお店に行きたかったのは、
〆鯖を食べたかったからです。
とはいっても、
実は私は光り物が少し苦手です。
あるお店で、〆鯖を頂いたときに、
体調が悪かったからなのか、
古い〆鯖だったからなのかわかりませんが、
当たってしまったのです・・・💧
それから光り物に手を出すのが、
苦手となりました。
しかし、ここの〆鯖は是非頂いてみたいと思いました。
この〆鯖は、ご主人がもっとも研究を重ねた品だそうです。
サクに冷凍をかけ、外側を凍らせて酢につけると
浸透圧で外側だけに酢が利き、中身は刺身のまま残る・・・「居酒屋百名山」より

本当に周り2ミリぐらいだけが〆られています。
そんな今まで出会ったことがないこの〆鯖を
ぜひ頂いてみたい・・・
そう思いました。
しかもその〆鯖に日本酒を合わせてくださる・・・

仕事には3種類あると思います。
①忠実にこなす仕事・・・
②できる仕事・・・
③「創造」としての仕事・・・
どれも手を抜いてはいけない大切な仕事です。
①の典型的な例は、掃除。お冷、おしぼりをお出しすること。
②は、飲食業なら手料理。
③は、どんな形でもいい、業種限らずその人にしかできないこと。
順に、
内側で見えないものから、
内側を基底に外側へ打ち出し、
お客様に表現していく仕事と言えばいいでしょうか・・・
「表現」ですから
評価は無意味ですし、
される必要がないのです。
②は①がなければ、がっかりしますし、
③も①②がなければ、貧弱になるか、そもそも生まれません。
また、どの仕事も「心」が伴わなければ、
お客さんにその不誠実さが伝わり、
不愉快な思いをさせます。
ご主人の〆鯖は、
この三つのすべての集大成だと思います。

だからこそ、
③は仕事でありながら
「芸術」にもなるのです。
普通に、
鯖を仕入れて、
〆鯖をつくる・・・
それだけでも十二分に美味しいし、
居酒屋として立派ですが、
それを芸術の域まで高めようとする・・・
唯一無二、
唯我独尊、
その存在感を
人
お店
お料理
まるごと感じたいと思いました。
行かせていただき・・・
思った通り、
心から行ってよかったお店でした。

圧巻・・・
敬意・・・
私がまだ一人でお店を切り盛りしていた頃、
①②止まりでした。
③の域までご自分の仕事を高める困難さと熱意・・・

(こちらも超絶品、自家製レーズンバター)
それをこちらのご主人は
30年近く継続されていらっしゃいます。
浜松や経由の旅のときは、
またこのお店に行かせていただきたいと思いました。
ちなみに、こんなに素晴らしいお店でも
客だからといって偉そうに料理ウンチク・嫌味を垂れ、
文句を言う人もいるようです。
「金を払うお客様のご要望は聞くものだ」とふんぞり返る前に、
自分が言っているのは、
ご要望ではなく、
ご欲望だと気づくべきです。
お店側は、基本お願いはできても
余程でない限りお客様には文句が言えません。
その潜在的立場に胡坐をかいて
無理難題を言うのは卑怯というものです。
お客様とお店は
「礼」「敬意」を基底とした対等な立場です。
[スポンサーリンク]