父の遺言③
はじめて自分で何かをこさえた(つくった)!と記憶にあるのは
その辺にあった木の端材でつくったブルドーザーだった。
特に重機がすきというわけではなかったが
端材をさわっているうちに
これはブルドーザーになるなーと思ったに過ぎなかった。
できばえだって、今もしそこにあれば
なんだこんなものか・・・とがっかりするに違いない。
ただ、作り終えたときの充足感は
今でも心の奥にはっきりと残っている。
人が工夫して何かを作ることは
なんというか・・・
己という存在の肯定につながる
大切な何かであると今でも思う。
父のつけた紳士服のボタンは、
10年取れなかったという。


これは、少なくともいまから40年以上前に父がつけたボタンだ・・・
冬物のコートに付けられたそのボタンは
まったくもって堂々たるつきっぷりで・・・
「10年持つ」を軽く超えて、いまでもとれる気配は微塵にない。
ボタン、糸、布・・・
ひと針ひと針、穴をくぐったであろう針と
父の手の動きを感じさせるそのボタンは
もはや物を超えた畏怖の対象となる。
残された物は
手作業をした主の存在そのもので
父がまさに そこにいるようである。
父の遺言③
なんでも工夫できる
自分でやってみなさい
今年の夏も ソラノモリ体験を行う。

わたしのやることだから
父の手作業には到底及ばないが
手から生み出されるものは
決して物だけではなく
あなたたちの存在とその実感であることを
少しでも伝えられればいいなと思う。
今年も暑くなりそうだ・・・

父の蓮、咲く・・・
父の遺言② ~花と鳥~
父の遺言 ~2017年2月 宙結び随想~
父が亡くなった。
この一ヶ月も いろいろなイベントをさせているが
父はそんなわたしを気遣い
あえて イベントのない月曜日を選んでくれて 逝った。
さすがに その日は 涙をこらえるのに努力がいったが
いまは、少しずつ こころの整理もできて
こうして 父のことをブログに書けるようになった。
父は背広の職人だった。
「テーラー神辺」である。

わたしが 強者より弱者にまなざしが向くのは
父が 巨人ファンではなく 中日ファンだったからだろう。
わき目もふらず、強引に
大枚をはたいて選手を獲得する巨人のやり方を
父は こころから嫌っていた。
そんな父に わたしは似たのだと思う。
みっともないほど 大きな力にまかせ ことをすすめる団体に
物心ついたときから アンチになっていた。

巨人 大鵬 卵焼き・・・
卵焼きは大好きだ。
大鵬のことはよく知らない。
中日×巨人戦のナイターがある夜
わが家はとてもにぎやかだった。
ソフトボールでキャッチャーをしていたわたしは
父とともに 巨人のバッターをいかに打ち取るか
一球一球 球種とコースを組み立てた。
たいていの場合
父と意見が合ったから不思議だ。

いまでも行うイベントが
ささやかで小さくなっていくのは
きっと父のせいだ (父、苦笑)
父の遺言①
小さきものに目をむけよ

今月もご参加くださったみなさまがいてくださり
ご来市下さったみなさまがいてくださり
心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
宙結び随想といいながら
父への回想録なってしまいました。
また、遅れましたこと どうぞお許し下さい。

よろしければ、来月18日も是非お越し下さいませ。
父、母への想い 縫い裁つ人