奇祭・ごんぼ祭り ~的に隠された秘話~

奇祭のごんぼ祭りは
おそらく伊勢神宮系の祭事とは全く別系列の祭りである。
岡山県の美作国一ノ宮「中山神社」より
1000年以上も前に神様を勧進されてできたこの神社は
おそらく産鉄民の神を崇める民の祭りである。
「中山」は「なかやま」ではなく、「ちゅうざん」と読むこともある。
「ちゅう」とは、鉄の鋳(ちゅう)造の「ちゅう」であろう。
奇祭というのは、
後からやってきた(征服した)
天津系の渡来人がそう言ったに過ぎないわけで
ご祭神が、金山彦命であるこの神社の民からすれば
奇祭どころか、あたりまえのど真ん中ストレートの祭事であろう。

産鉄にはとにかく人数がいる。
村ぐるみの技能集団である。
もののけ姫にも出て来る「タタラ族」である。
だからこその子孫繁栄なのである。

足でふいごを踏み
灼熱の炎の傍での作業・・・
膝を痛め、片足を引きずるものも多かったのであろう・・・
業火のせいで いつも皮膚が暗褐色にただれていたとも想像できる。
火の様子を釜口からのぞくので片目もやられてしまう。
もののけ姫にもそうやってからだを痛めたであろう人々が出て来る。
そうした人々の形相を
まちの人々が妖怪として忌み嫌ったため
「一つ目小僧」などが生まれる。


柳田國男の『一目小僧その他』もまとめている。
・鍛冶の神。
・一つ目小僧は、山の神の零落した姿。
・山の神へと捧げられた人々は、片足、片目にされた。
・鍛冶職人には、片足、片目の人達が多い。
・伝承にある一つ目は、普通の顔の状態で、片方の目が潰れている。
・顔の真ん中に一つ目となったのは、後になってから。
・傘お化けは、片足の一つ目小僧が、笠をかぶったり、傘をさしている姿から来ている。
等
ちなみにこの「御弓神事」は
かつて「蟇目祭」(ひきめ)と呼ばれていた。
「蟇」はヒキガエルの「蟇」である。
ヒキガエルのあの暗褐色のイボイボ皮膚は
まるで焼け爛れた産鉄民の皮膚そのものではないか・・・

また宮崎駿氏が言うように
当時どこにも行く当てのないハンセン病の患者が
山深い産鉄場で働いていたかもしれない。

もう一つ・・・
ごんぼ祭りの御弓神事の的は、
やはり、「鬼」の字の変形であった。
最初の一角目の「ノ」がない。
つまり角がない鬼である。

もともと住んでいた産鉄民を征服し
悪者の「鬼」にしたてあげ、
産鉄民から奪った鉄の矢じりで退散させ
角を奪う=降伏・従順させたこと表している。
鳴釜神事で有名な
吉備津神社の鬼「温羅(うら)」の秘話もそう・・・
青森県 弘前 鬼神社(鬼の字は上の点がない)もそうである。


私にとって「鬼」とは・・・
こんなイメージです。
↓

もしくは、征服された側の智慧かもしれない。
「鬼」とよばれた先祖をわざわざ角を取った漢字に変えて
征服者には、いかにも鬼を退治してますよとパフォーマンスをし、
その実は、きちんと鬼である先祖をお祭りしているという隠れ蓑に
この字を使ったのかもしれない・・・
隠れキリシタンならぬ
隠れ鬼(ご先祖様)信者!

「鬼は外 福は内」の節分を
「鬼は内 福は内」と
両方「内」にしている地方が今も残るのはそのためである。
物部神社など産鉄民にゆかりのある弓矢の神事には
よくこの「鬼」の字が的になる。
もともとは、角のない「鬼」の字ではなかったろうか・・・

わたしが、山深い神社を訪ねるときに
こころの奥がずんと痛むのは
そうした虐げられた弱者たちの痕跡を
神社の建物や祭事に見るからである。
神社がパワースポットとしてのみ
浮かれ、崇められるのは
少々片手落ちの気がする。
縄文、弥生(新しい縄文)、大和王権・・・
その三つ巴の秘話が、山深い神社にはある。


(同じ三つ巴でも 色も三つの玉の位置もちがいます)
2014年大晦日備忘録② 再び石切さんへ

この日は、日曜日ということもあってお百度参りの人が本当に多かったです。

この方々全員がお百度さん!
また、朔旦冬至が近かったこともあって
珍しい光景にも出会えました。
夕日の太陽がこの穴にすっぽり入り拝むことができました。

地面に座り祭事でもしたくなる情景でした。
そして、お参りをすませ・・・
今回の目的は、こちら・・・(笑)
この商店街です。日曜日ですので本当ににぎわっていました。

こういった昔ながらの参道は本当にわくわくします。
前回レポートしたように、美味しいものはもちろん!


(ここの明石焼きは本当に美味しかったです。)
占い横丁でもあります。




この日は、日曜日でほぼ全店開いていました。

ゆっくりと坂を上り、お腹満腹になって、また坂を下りました。


坂を上るときに、とても温厚そうで品のいい、
かといって冷たそうでなく・・・恵比須顔のおばあちゃん(占い師)が目にとまりました。
一人の女性を鑑定中でした。
この日は、占いをやってもらう気で行きましたので、
帰りにこのおばあちゃんが空いていたら観て貰おうと思っていました。
さてさて帰り道・・・? ・・・? ・・・?
空いていらっしゃいました!
30年ぶりぐらいの占いです。
結果はここで詳しくは書けませんが(笑)
人生の大先輩から心温まる助言をいただいた・・・という感じです。
こころに残った言葉に・・・
「50才からが本当の人生・・・いいことも悪いことも、それまでの集大成がすべてでてきます。」
「38歳から48歳の10年間であなたの価値観と人生がガラッと変わりましたね」(独立する)
「2年ほど前から、あなたの社会的な顔が変わりましたね」(宙結び、100笑、笑市、宙の言の葉、花結びをはじめる)
本物と偽物を見分けるコツのひとつに
「法外な料金を求める」
「人を不安がらせ、怖がらせる」
「必要以上に身なりがキラキラしている」などが上げられますが
このおばあちゃんはそのどれにもあたらず、(一件1000円)
あまりの暖かさに涙がこぼれ、励まされました。
横で聞いていたpiyoさんも思わず後から観て貰っていました。

人を観るというのは、結果的に人を元気にさせなければ意味がない・・・
菩薩行第二時期の自分にとっては、
鉄槌のような鉄則を改めて教えていただきました。
「私は今は恩返しのつもりでやっているの」
今年78になるおばあちゃんは「占いの華陽」に日・月といらっしゃるそうですが
「私はもう78だから、明日の約束はできないの」と粋なことも言われていました。
あっぱれ

2014年大晦日備忘録① 神の目???
何ものにも追われずにつらつらと自分の気に入ったことを
書き綴るのは本当にありがたく楽しいことです。
先日読んだ本の中で面白いことが書かれていました。
作者は、物理学者でもあり、合気道家でもあります。
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神の目になれる???
そういった面白いことややってみるに限ります(笑)

こうやって、両耳に金属の鉛筆キャップをはめるのです(笑)
耳の穴の上のほうにさすと書いてありましたので
忠実にこのバカなことをやってみます。
レレレのおじさんになった気分になります。

本を読むときの集中力が増す・・・
いわゆる速読なるものができると書いてありました。
授業中もやってましたが、子どもたちはあまり動揺していません(笑)
いつも変わったことばかり言う(やる)人なので、
いい意味で気にしていませんでした(笑)
神の目ですから、そうそう生徒を叱るわけにもいきません(笑)
本を読むときやPCに向かうときに
これをやりはじめて2週間ほどたちますが、
確かに集中力が増す・・・気がします。
あとは、周りの空気がまろやかになる・・・気がします。
あくまでも個人の感想ですのでご容赦を・・・
そしてこの本に書いてあった「サムハラ神社」にも行きました。
「サムハラ」は文字変換ができない難しい字です。


これで「サムハラ」と読みます。
ここの神社は、岡山県に奥の院があります。
霊験あらたかな神社で、サムハラさんのお陰で
助かった人たちがそのエピソードを看板(数枚)にして掲げてありました。

この神社は、お守りで指輪もあるのですが(今は売り切れ中でした)
それにまつわるお話もありました。

ここに到着する前にナビがおかしな動きをしました。
自分のナビだけかなと思ったのですが、後で調べると
他の方もナビが狂うという現象があったようで
地場的にも興味をそそられます。

本の作者は、ここで祝詞を奉納されたようですが、
私は諳んじれる祝詞が「いろは」「ひふみ」しかありませんので
それを心を込めて唱えさせていただきました。

心地よい風が上空で応えてくださいます。

街のど真ん中のそれほど大きくない神社ですが、
丁寧に清められた素晴らしい神社でした。

場所は違いますが、西行の歌を思い出します。
何事のおはしますをば しらねども かたじけなさに 涙こぼるる
つづく・・・

生駒のよもぎと石切さん・・・③

まずは参道・・・
石鳥居の右側が参道です。
こちらは、平日夕方行ったので
閉まっているお店が多かったのですが、
とにかく占いの館が多いのです。

ブルーが占いの館です(笑)
近鉄石切駅から、歩けばずらっと並んでいることになります。
ネット情報によると、「豊八」という屋号が多いとか・・・
「豊」・・・古代九州王国?→三河・尾張・大和・・・
「八」・・・八雲の出雲?
渡来人の融合の証かもしれません・・・。
だから、出雲のおそばも食べれます!

今回は、夕方でお店もしまっていたこともあって、
鳥居からカーブを曲がってちょっと足を伸ばしただけなので、
次は全部通りたいと思います(笑)
そして、お百度参り・・・
行ったのは平日でした。
なのに、お百度さんをされている方が本当に沢山いらっしゃいます。
足元だけ写させていただきました。

この方々全員がお百度さんをされているのです!
見ているこちらまで、この方たちの願いを祈らずにはおれません。

お百度石がみんなに触れられつるつるでした。

なにやらあまりのありがたさにご朱印を頂いてからもう一度お参りをさせていただきました。
ご朱印を頂いた建物には、こんな写真が!

解説には・・・

鶴と亀(天津神系?と国津神系?)が統べった・・・後ろの正面だぁれ・・・の鶴亀でしょうか・・・
天津神系と国津神系はウィキペディアによると・・・こうなります。
・天津神は高天原にいる、または高天原から天降った神の総称、それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている。ただし、高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。
・日本神話において、国譲りに表されるように、ニニギを筆頭とする天津神に対する移管を国津神が受け入れたと描かれている。ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。国津神については、記紀に取り入れられる際に変容し、本来の伝承が残っていないものも多い。日本書紀ではしきりにある文として伝承等を引用している点から、その記録文書は後世では失われてしまったようである。
ここでも多岐にわたる渡来人の融合が願われています。
日本の、世界の願いだったんですね。
ちょっとじーんと来ます。
さてさて、お目当てのよもぎうどんのお店「大和屋」さんに向かいます。

尾張(物部の故郷)の金鯱!?さすが、物部氏つながりです。
看板おばちゃんにもよもぎのうどんもちゃんと出逢えました。

よもぎが全て味わえるサービスセット!

生駒山のよもぎ!

本当に緑色のよもぎうどん!

しゃれっけもたっぷり(笑)

お腹も心も人情も・・・ほっこりあったか石切さんで日が暮れました。
鋭いニャンコのお見送りも微笑ましく(笑)


「目からビーム!」
見上げれば月・・・

まだ明るい西の空には、吉兆の雲・・・

鳳凰と・・・

剣先のような天使の羽・・・

優しく、強く・・・そう生きなさい・・・
久しぶりに語り足りない神社に出逢えました。
石切さん、また来ますね。
おしまい・・・

生駒のよもぎと石切さん・・・②

たどり着いた先には驚きの鳥居が・・・!
なんと角柱です!

しかもデカイ!

山門の役割を果たす「絵馬堂」には矢と剣・・・
この神社は、古代氏族の軍事・祭事を司った
物部氏ゆかりの地に立っていますので
こういった独特の屋根になっているのだと思います。
HPによればフツノミタマノ劔と天羽々矢ということになります。

.

下り藤に「石切」の文字・・・
こちらの祭神は、物部氏の始祖、饒速日尊(にぎはやひのみこと)とその御子、可美真手命(うましまでのみこと)です。
記紀の言う様に、アマテラスに恭順の意を示したかどうかは定かではありませんが、
平安時代、社格を決めた延喜式神名帳に記載されていながら、
その階層制からはみ出る社風・気概を感じさせる地場とエネルギーです。
日本人ならきっと誰もが知っているこの映画・・・
「千と千尋の神隠し」・・・先日もTVでやっていました。

千尋がのっている龍は「ハク」のもともとの姿「白龍」・・・

彼の本名は、「饒速水小白主(ニギハヤミコハクヌシ)」・・・
かつては千尋が以前住んでいた家の近くの小川「コハク川」の主である神です。
この名前の由来は、饒速日尊(にぎはやひのみこと)ではないかと思っています。
最近は確信に近いものを感じます。
(「コハク」の謎も、現在右往左往して探しているのですが・・・

実は、石切さんの祭神がこの饒速日尊(にぎはやひのみこと)だと、
この日行ってはじめて知りました!

知ったときは、本当に(なぜか)嬉しかったです

そして、なんだか分かりませんが勇気も出ました

大和・河内に元々さまざまな氏族が土着し、定住していた・・・
それぞれの氏族をゆるい連合制で束ねていたのが饒速日尊(にぎはやひのみこと)では・・・。
後からやってきた渡来人(天津系)に土地や人民を奪われ、あるいは平和的に譲り・・・
そうして、出来上がっていったのが一極中央政権を目指す大和朝廷・・・

そう、この二人には共通点があるのです。
饒速日尊(にぎはやひのみこと)は連合制の王としての地位や領土・領民を後発の渡来人に譲り・・・
その死後は、由来や格をゆがめられ・・・
一方、ハクも神としての自らの名と記憶を奪われた・・・
宮崎駿さんはそういった古代史の経緯を知っていて「ハク」に神隠しの神話を託し描いたのでは・・・。
緩やかな調和・ハーモニーの縄文性が、
がちがちの一極制価値観に駆逐されていく哀しさ・・・
この経緯は、一人の王がどうなったこうなったという話ではありません。
租税や義務の定義が大きな転換期を向かえ、
それから1400年以上もの間、人民がそういった価値観の中で生きなければならなくなった分岐点だったわけです。
まるで今の世の中のようです。
なぜかそういう由来のある地では、必ずといっていいほどマイペースのニャンコによく会います。

ここでもたくさんのニャンコが「のんびり緩やかな縄張り意識」で悠々と暮らしていました。
ニギハヤヒの世界は、きっとこういった人々が一杯いたのではないかと思います。

絵馬堂をくぐり、振り返ると沢山のオーブ・・・
私たちがどんな世の中を作るのか、古代の人々からの温かいまなざしに見えます。

現代と古代のカオス・・・そんな予感がする石切さん・・・
いよいよ、境内へ入ります。
つづく・・・
