これから社会人になるお子様をお持ちの方へ・・・
せめて「はじめに」だけでも読んでください。

革命のファンファーレ 現代のお金と広告
『はじめに』
「やりたいことが見つからない」と言う若者が多い。
これを読んでいるあなたも、もしかしたら、その一人かもしれない。
そして、大人はあなたを指して、「ゆとり世代」だとか、「さとり世代」だとか、「草食」だとか云々かんぬん。
自分達に比べて、まるで最近の若者は"人としての能力が低い"といった扱い方をする。
ただ、
「最近の若いヤツは…」という苦言は、それこそエジプトの壁画に象形文字で書かれていたぐらいで、人類誕生時から今までずーっと言われ続けている。
もし、その言い分が正しければ、理論上、人類なんて、とっくに絶滅している。
スケールダウンを繰り返している生物が生き残るわけがない。
だけど、僕らは今日も生きている。
時代や環境に合わせて、アップデートを繰り返してきたからだ。
動物であろうと、植物であろうと、いつの世も種として優秀なのは"年下"で、これは抗いようのない自然界のルールだ。
若者世代への批判は、そのほとんどが"進化の乗り遅れ"に他ならない。
だから僕は年下を肯定するところから考えるようにしている。
そのことを踏まえた上で、正直に言うと、「やりたいことが見つからない」というのは当初まるで理解できなかった。
僕は小学2年の頃に芸人に憧れて、そのまま今まで来ちゃったので、余計に。
「なんで、やりたいことが無いの?」と思っていた。
ただ、「やりたいことが見つからない」というコトを肯定するところから考えてみると、なるほど、理解ができるようになった。
ようやく年下の背中が見えてきた。
こんなことを言うと先輩方から怒られるかもしれないけれど、僕より上の世代は、僕より下の世代ほど「職業に寿命がある」という体験をしてこなかった。
多くの大人は「職業は延々に続く」という前提で話を進めてくる。
だから、すぐに、「お前は何屋さんなんだ!?」と肩書きを付けたがる。
それに比べて、今は違う。
スマホの登場以降、職業が無くなる場面をたくさんたくさん見てきただろう?
Amazonに潰された本屋さんを見てきただろう?
「ロボットタクシー」という言葉が飛び交っている今の時代に、「タクシードライバーになりたい!」という発想にはならないだろう?
15年前は「タクシードライバーという職業が無くなるかもしれない」なんて想像もしなかった。
20年前は、日本の本屋さんが1日に1件潰れていくことなんて想像もしなかった。
明日には、どの職業が無くなっているかも分からない(これからの)時代は、副業、兼業、転職が当たり前になってくる。
上の世代の人達は、職業をたくさん掛け持つことを「結局、何がやりたいんだ!一つに決めろ!」と咎めてくるけれど、どっこい、
やりたいことを掛け持つことや、やりたいことに迷うことは、これからの時代を生き抜く術だよ。生き物が生き残ろうとして何が悪い?
今の時代に「◯◯になる!」と肩書きを1つに決め込む方が、よっぽど危険だ。
「やりたいことが見つからない」は、悪いことでも何でもない。
肩書きが猛スピードで無くなっていく時代にキチンと対応できている証拠だ。。
「アッチがダメなら、コッチだ!」と、肩書きを移動できる準備ができているわけだ。
周りはとやかく言ってくるかもしれないけれど、肩書きを一つに絞れずに肩身の狭い思いをしているあなたは大丈夫、何も間違っちゃいない。
具体例を挙げる。
僕は去年、『えんとつ町のプペル』という絵本を発表したんだけれど、この作品の制作に費やした時間は4年半だ。
これは、芸人としての収入があったから可能だったわけで、絵本作家一本で活動していたら、4年半も収入が途絶えてしまうような作品には手を出すことはできない
これまでの常識に従っていたら、生まれてこなかった作品だ。
革命のファンファーレは鳴った。
農業革命よりも、産業革命よりも、大きな革命が、よりによって僕らの時代に直撃した。
情報革命だ。
インターネットにより距離や時間が無くなった。当然、距離や時間に結びついていたいくつかの仕事も無くなる。
物の売り方が変わり、働き方が変わり、お金の意味が変わり、常識が変わり、道徳が変わっていく。超高速回転で。
そして、残念なことに、経験したことを僕らに教えてくれる存在であったハズの親や先生は、この革命を経験していない。
たとえば、あなたの親は、あなたにこんなことを言うだろう。
「好きなことをして生きていけるほど、世の中は甘くない」と。
親世代のお金は"ストレスの対価"だ。
ところがとうだ?
ストレスがかかる仕事から順にロボット化されていき、ストレスがかかる仕事がみるみる世の中からなくなっていくではないか。
自動改札機が生まれ、改札口から駅員が姿を消したような変化が、今アチコチで起こっているではないか。
好きでもない仕事は消え、好きなことしか残らなくなってきている。
ここからは、好きなことを仕事化するしか生きていけない時代だ。
彼等は、この変化を捉えていない。
彼等は、この大波の乗り越え方を知らないのだ。
したがって僕らは自分自身の手や足を使い、僕らの身の回りに起こっている変化を、学び、実践し、思い知り、対応していかなければならない。
この変化から目を背けた人間から脱落していく。
既得権益を守り始めた人間から終わりが始まる。
頑張れば報われる時代は終わり、変化をしなければ生き残れない時代に僕らは立ち会っている。
面白いじゃないか。
変化しなくても良かった世代の常識との衝突もあるだろう。
あなたが革新的な動きを見せれば、そこには確実に議論が巻き起こる。
その時、これまでの常識に根をはっている連中は、あなたの提案の本質を知ろうともせず「炎上商法」という言葉で片付けようとする。
必死になって「炎上=悪」という印象操作をし、そして、批判の声はあなたに集中する。
単純に彼等の理解が追いついていない場合もあるが、そこに発生する批判のほとんどは「変化することに対する恐れ」だ。
それならば、そんな批判は甘んじて受けようじゃないか。
変化しなければ生きていけない時代なのだから。
何が必要になり、
何が不必要になったのか?
どの職業がなくなり、
とんなことが、これから 職業となるのか?
1つずつ整理し、対応していこう。
常識のアップデートを止めてはならない。
僕は学者じゃないので体験談を話す。
この1年間の自分の活動の成功と失敗を、数字を交えて皆様にお話する。
ちょうど一年前に出版したビジネス書『魔法のコンパス ~道なき道の歩き方~』の発行部数は10万5000部。
絵本『えんとつ町のプペル』の発行部数は30万部。
オリコン2017年上半期"本"ランキングでは、児童書部門とタレント本部門の2冠を達成。
『えんとつ町のプペル』を作る際のクラウドファンディングは2度実施して、支援者数が9550人。支援額が5650万4552円。
これまでのクラウドファンディングの支援総額は国内歴代最高記録となる1億円を突破。
個展『えんとつ町のプペル展』の動員数は60万人を突破。
これだけ見れば順風満帆だが、どっこい、失敗が可視化されていないだけで、キチンと失敗もしている。
その成功や失敗には、マグレも不運も存在しない。
成功と失敗の裏にあるのは、理由と原因だけだ。
それらを見ていきながら、今後僕らは、どのように身をふっていれば時代を捉えることができるのか?
これから、僕の実験と結果と対策を全てお話しようと思う。
しばし、お付き合いください。
『革命のファンファーレ ~現代のお金と広告戦略~』より

革命のファンファーレ 現代のお金と広告
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 心と身体
tag : クラウドファンディング出版本経済を選ぶ
BOOK BEST5 世界の中にありながら 世界に属さない 吉福伸逸
「トランスパーソナル」という言葉を
はじめて日本に紹介した人です。

もうどこを読んでも膝を打つ痛快さ?と真摯さ!です。
私の大学時代の恩師がこの世代と言うこともあって
60年、70年安保時、現役の大学生だった方たちの言動は
本当にワクワクします。
例えば、「なぜセラピーをするのか」という章では・・・
『「なぜセラピーをやっているのか」、
「なぜ、自分は人を救おうとしているのか」
そういうふうにぼくは心のそこで思いながら、
何十年もセラピーをやり続けているんです。
ぼくがセラピーをやり続けているのは人を救おうなんて思っていなくて、
とても勝手で、自分の欠損を補うために必要だからやっているんです。
(中略)
人は何か思うから生きて行動し、人生を送っているのではなく、
必要性があるから生きて、こうやっているんですね。』
(中略)
『必要だからセラピーをやっているんです。
求めてセラピーをやっているわけでは全然ないんです。
それはプロのセラピストやカウンセラーとしてやっていく上では
最も大切なポイントだとぼくは思っています。
そのポイントさえ押さえておけば、
人に嫌われるセラピーができます。
なぜ人に嫌われることが大切かというと、
ぼくの考えるセラピーは、当人が絶対に認めたくないことを
認めてもらうことだからです。
「あんたがあんたのような状態で、
今ここにいるのは全部あんたのせいなんだよ」と
ぼくが言うわけです。
どんなにいやなことが自分に起こっていたとしても、その嫌なこと、
それをやっているのは社会でもなければ他人でもない、
自分自身がやりたいからそういうふうになっているんだということなんです。』
ここまで真摯なセラピストは昨今いらっしゃらないと思います。
『死のプロセスに携わったエリザベス・キュープラー・ロスは、
「求めても与えられません。必要があれば与えられます」と言いました。
それは彼女がキリスト教の信者だからです。
神という自分の投影を設置していますから、
神も集合的な、われわれの不全感の投影なんですね。
投影から出来上がった概念ですから、その場合「与えられる」と言うんですよ。
本当は与えられているのではない。自分で取っている。
けれども、キリスト教では
「必要があれば与えられます。求めてもあたえられません」と言う表現になるのです。』
要は、私たちはどんなことであれ
自分が必要と思っていることを「取って」やっているということです。
厳しいようで、優しい言葉に私には思えます。
自分の心と向き合うために何度も読み返したい本です。
BEST BOOK5 明治維新という過ち 原田伊織
日本という混合渡来人の国で、
先発隊も後発隊も、ゆるやかな和合でもって
暗黙の了解がなされていた「クニ」にもかかわらず
強制的に一つの縄で束ねられ窮屈になったか時が3箇所ある。
一つは日本書記が束ねられたとき・・・
一つは明治のご一新・・・
一つは戦後、GHQ支配が入ったとき・・・

約1300年余りの時代の中で
少しずつカオスの箇所(いのち)は削られ
何のために働くのか、
何のために生きるのかが、
少しずつ少しずつ一義的になっていく・・・
それは、労働が喜びやartから離れ、
明治に限らず、
庶民の暮らしが富国強兵を強いられることを意味する。
実際の人物とはかけ離れたといったら失礼だろうか・・・
かわいらしい女優さんやイケ面の男優さんを採用し
その時代の正当性をTVは流し続ける・・・
基地も原発も安保も
全て根は同じなのである。
「この百年以上、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、
明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じ込まされてきた。
公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、
明治維新こそは、歴史上、無条件に「正義」であり続けたのだ。
果たして、そうなのか。明治維新の実相を知った上で、
そのように確信したのか。」
歴史の嫌いな方は、
特にこの幕末から明治にかけての混乱が分けがわからないという。
それはそうで、いやな意味で「昨日の敵は今日の友」という
節操のなさが訳をわからなくさせているのだろう。
また、「正直者がバカを見る」ということわざが
地で行ってしまっている時代だからでもある。
その政府ご要人たちが作ったのが
今の学制なのだから苦笑いするほかない。
「日本人は、幕末動乱のドラマが好きである。
ところが、幕末動乱期ほどいい加減な“お話”が
「歴史」としてまかり通っている時代はなく、
虚実入り乱れて薩長土肥(薩摩・長州・土佐・肥前)の
下級武士は永年のヒーローであった。
中でも、中心は長州と薩摩であった。」
私もその公教育で育ったものである。
先日、中学2年の男の子がいった。
「先生、先生は明治維新はあったほうがよかったと思いますか?」
彼らは直感でわかるのだろう・・・脚本化されたドラマが・・・






「るろうに剣心」はジャンプに連載されているときから読んでいた。
最近では映画化されて、先日ではTVでもやっていた。
剣心の最狂の敵・志々雄真実の狂気は
この明治維新という虚構に向けられる。
今の子どもたちは、色々な角度で歴史を知ることが出来る。
大河ドラマで歴史を知った自分たちの時代に比べると実にバランスが良い。
歴史とは、勝者が書いたもの・・・
敗者の中の論理はほぼ消されていることを
私たちは忘れてはいけないだろう。
歴史の教科書もそろそろ変わるべきである。
BOOK BEST5 地球蘇生へ 白鳥哲
白鳥哲さんの活動は
ちょくちょくチェックしていました。

免疫システム、ミトコンドリア、微生物、ソマチッド・・・
宇宙の全容がわかっていないのと同様に
私たちの身体のいのちのありかも
私たちは何一つ全てを解明できていません。
だからこそ、
心の声と同様に身体の中で起きているこういった
さまざまな演者たちに心躍らされるのでしょう・・・。
今年EM菌を撒いた畑では
12月になってもトマトが採れました。
微生物のことを学び実践することは
私のような素人でさえ
本当に心躍る楽しいひと時です。
この本は、「可能性」という言葉に集約されます。






かの姫川薬石でさえしっかりとこの微生物と友だちでした。

「原核微生物の多くは
他の何百種類という微生物と同様に、
花崗岩などから自然に供給される微量なミネラルを餌にしてきました。
多種多様なミネラル群(多元素共存鉱物)が
微生物の餌になるのです。
同じ地球生命体である人間や動植物もまた、
多種多様なミネラルの恩恵にあずかって生かされています」

殺菌の時代は終わりました。
これからは、育菌です。
BOOK BEST5 日本はなぜ、「基地」と「原発」をとめられないのか 矢部宏治
根底のある大きな脈歴を知る一冊になります。

「とくに『敵国条項』のくだりを読んで、
すっかり暗い気持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。
私も最初、史実を知ったときは、かなりショックを受けました。
(中略)
特に若い読者に聞いていただきたいのですが、
70年続いた『戦後日本』という国家は、
遠からず終焉をむかえます。考えてみてください。
首相になった人間が必ず公約と反対のことをする。
すべて社会保障にあてますと約束して増税し、
大企業減税を行う。
お金がもったいないから、子どもの被爆は見て見ぬふりをする。
人類史上最悪の原発事故の責任を誰もとらず、
何の反省もせずに再稼動しようとする。
首相の独断で勝手に憲法の解釈を変える。
そんな国が、これ以上続いていくはずがありません。」










以前、宙結び随想 で
政府が私たちの暮らしに口を挟みすぎる・・・
とお話したことがあります。
私たちは「社会」を作る側であって
「社会」に翻弄されて
いのちを見失う側ではないのです。
自衛官につくことも
一介のカフェのオーナーになることも
自分がそれになりたいことが大前提のはずなのに
国がお金を盾に誘導したり
貧困を作ってから
そうせざるを得ないようにするのは
実に気持ち悪いことのような気がします。
教育の現場の端くれにいますので
国公立とはもはやいえない国立大学の学費や
大学生の奨学金(教育ローン)などの問題と
この基地、原発の問題は根っこが同じに見えます。
だから、食い入るように読みました。
「大学にいくのは自分の人生の可能性を広げるため」
といわれてきた進路指導そのものが
この5.6年で全く意味を成さないどころか
かえって足かせになっている時代なのです。
医療(保険)、農、教育・・・など、
私たちを取り巻く生業の処々で
口を挟まれるだけでなく
「誘導」されないために「草の根」として学ばざるを得ません。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、
それでもしなくてはならない。
そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、
世界によって 自分が変えられないようにするためである」 ガンディー
特に若者たちにとって、
第一次大戦後に生きたガンディーの言う学びと行動が
この日本でも大切になってきているのです。










「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、
人間の生存を出来うる限り気持ちの良いものにしようとする合意と
それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。」
渡辺京二さんは「逝きし世の面影」の中でこういいます。
(京都府出身。碩台小学校、大連一中、第五高等学校を経て、法政大学社会学部卒業。
書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。
2010年、熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授に就任。)
この本は、江戸時代末期から明治にかけて、
当時の日本人の持っていた幸福の気質が急速に変化していく様子を、
日本を訪れた外国人が残した多くの記録や文献を通して考察しているものです。
訪れた外国人も
日本についてこう述べている・・・。
チェンバレン『日本事物誌』
「日本には貧乏人はいるけれど、貧困は存在しない」
ジョルジュ・ブスケ『日本見聞記』
「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない」
まさに「逝きし日の面影」になりました。
私は、一本の草の根として、
「人間の生存を出来うる限り
気持ちの良いものにしようとする合意」を
ささやかな思いと行いの中で見出したいと思います。