いい時代になりました
リアルにお会いする方には
お話したことがありますが、
前会社での忘年会・・・
いまから 約 15.6年は前かと思います。
会社にその年から何やら
「顧問」という役職の方が外部から入られました。
会社のアドバイザーとして入られたんだと思います。
聞くところによると、その方は元大手市中銀行の
支店長級のお偉い方だそうです。
お年はどう見ても70は超えていらっしゃったかと思います。
忘年会では、社長専務とともに
上座に座られていました。
何か立ち居振る舞いが
横柄でエラそうな方でしたので
できれば避けたい人でしたが、
社長自ら、
校舎の校長や役職者はお酒を注ぎに行くようにと
命令が出ていましたので、
渋々行くことに・・・
で、その方の前に「失礼します」と座ろうとしたその瞬間、
(まだ座っていません)
その方がいきなり、ホントいきなりです。
「君のその服装は何だね!」と言われました。
私のその時の服装は、
綿のスラックスにシャツとべスト・・・
何といえばいいのか・・・
中性的服装です。
私は今と同じように髪の毛も
ベリーショートでした(坊主に近い)から
服装云々もそうですが
性別が不祥に見えたんだと思います。
で、続けてこう言われました。
「君は男か女か?」
いまであれば完全にセクハラ?言葉ですが、
当時はまだ許されたのでしょうか・・・
明らかに不快に思った私は
「生物学的には女ですが・・・」
と茶化して返事しました。
このジョークも見事通じず、
「なら、そんな恰好はしてはいかんだろ!」と
宣われました・・・
あきれるやら笑えるやら・・・
「古っ!」(内心)
私は返事もせず、
ビールのラベルをした向けて注いで退散しました。
こういう方は、
相手は女ならこういう態度で・・・
男ならこういう態度で・・・と
性別によって立ち居振る舞いを決める人種ですので、
私のこの性別不祥さで
自分の立ち位置がわからなくなったんだと思います。
ですからある意味八つ当たりです。
こういう人種の方に今まで何人か出会ってきましたが、
警察官とか
支店長とか
社長・専務とか
大抵は地位が上の人ですね。
それと、通り過ぎざまに
足の先から頭の先までじろりと睨むおばちゃんも・・・(笑)
中性的で、不詳で、得体がわからないと
自分の権威を保つことができないのでしょう・・・
ありのままで向き合えないのですね。
ある意味、本当に情けない人たちです。
15年前のこの出来事・・・
いまではLGBTQも普通に浸透していますので
時代がとても速く進んでいるように感じます。
男か女か・・・どうでもいいです。
それが気になる世界(会社など)というのは
どこかみんなが無理をしている世界ではないかなと思います。
自分が無理をしているから
人も許せない・・・
今の経済の仕組みそのものが、
人に無理をさせる仕組みですから
分別することによって嫌な役割を体よく強いる世界になる・・・
私が20代のころは、
学校の職員室で
女はお茶くみの世界でしたから・・・
なんだかんだと言っていい時代になっているんですね。
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tag : LGBTQ
ギャルとLGBTQ
毎年言っていることですが、
本当に早いものです。
私はと言えば、今日から大掃除三昧・・・
3日ほどかけます。
今日は、はたきと窓という窓すべてを拭きました。
それで6時間・・・
さすがに疲れます(笑)
うちは意外と窓が多いので・・・
最近の住宅は、大きな窓やガラスが少ないですよね。
でも大掃除の時は便利そうです。
大掃除の時は、決まってラジオを付けます。
一年でこんなに長い時間ラジオを聞くのは
この大掃除の時ぐらいです。
何気に聞いていたら、
いま「ギャル」がアツいとか!
知りませんでした。
厚底でルーズソックスの、あのギャルです。
なんと!
小学生でルーズソックスが流行っているのだとか!
一周廻って最先端です(笑)
もちろん私には縁遠い流行ですが、
時代ってホント面白いですね。
何が好きとかファッションとか
ホントおおらかで自由がいいですね。
私のお店の近所に
大手電力会社や市中銀行本社がありますが
リクルートの季節には、
ほぼ真っ黒のスース姿の若者たちが
大勢でゾロゾロ行列をなして歩いていくのですが、
あのリクルート姿っていつから決まってきたんでしょうね。
ご本人さん方には申し訳ないし、
仕方のないことですが、
何か不気味というか
自然でないというか・・・
きっと個性がつぶされているからなんだと思いますが
なんともやり切れない気持ちで拝見しています。
私は、中学に入る時
セーラー服になることが本当に屈辱的でして
寸法を測りに来るおじさんに
母に内緒で、学生服用にしてくださいって言ったものです。
あの感覚は「蹂躙」という言葉がぴったりです。
あの暗いリクルートスーツを着たくない人も
いっぱいいると思うんですね。
いまや性別がLGBTQと言われて久しいのに
あの服装を性別や職種で固定される感覚を
そろそろ人類は何とかした方がいいでしょうね。
フォーマルでももっといろいろな色があっていいでしょうに・・・
ちなみに、Qを表す「クイア」は、
もともと「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを
表す言葉らしいですが、
わたしなぞ、保育園からTやQだった気がいたします。
ランドセルも赤は嫌で
オレンジでした。
オレンジのランドセルから何十年と
自分の性の立ち位置・服装を
自分なりに模索してきましたから
私も一周廻って最先端かもしれません(笑)
それらが自由な今の自営でホント良かったと思います。
抑圧された性別分類から解放されるきっかけとしては
このLGBTQは良い発想かと思いますが、
もうこんな枠も気にならないぐらいに
性も服装も多様が当たり前になればいいなと思います。
服装など、管理者の自己満足ですよね。
今の子どもたちはかなりおおらかで幅広く
人権学習でよくLGBTQについて学んでも
ほぼ当たり前のように抵抗なく受け止めていますね。
そうそう、思い出しました。
私の服装について、
ちょっと笑えるエピソードがありますので明日お話いたしますね。
大掃除中は、更新が午後遅めになりますので
ご容赦ください・・・
ではまた明日に・・・
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夏、立夏のころ④・・・性とスポーツ
父と兄はよくキャッチボールをしていた。
ふたりの真ん中に立って
そのこぼれ球を走って取りに行く係を担当するのが私だった。
おそらく小学生の低学年だったと思う。
暴投や後逸をするたびに
ダーッと走っていってはボールを捕まえて
兄もしくは父に返した。
一球でも多くボールを投げたかったので、
とにかく速く走っていって
兄(父)よりもはやくボールに追いついたものだ。
ボールを投げたい一心のために
投げられるボールが手から離れる角度で
暴投かどうかを見極め始める。
そのころ、地区の子供会では
男の子はソフトボール(たしか女の子はドッヂボール)と決まっていて
ソフトボールができない私はとても悔しい思いをしたことを覚えている。
本当に悔しかった。
いまでこそ、女の子が野球やサッカーをするのが禁止されない時代になったが
その頃は、ランドセルや裁縫道具の色からスポーツ競技まで
男の子はこれ!
女の子はこれ!
ときまっていた。
(ちなみに私はオレンジのランドセルを選んだ)
昭和のあの頃はほんとすべてがそうだった。
わたしはそれが本当にいやで
中学生に上がる時も
「学ランがいい」といって
制服の採寸するおじさんを困らせたものだ。
ソフトボールにせよ、制服にせよ
その都度、同行の父母になだめられたが
いまでもアンケート欄の性別「男」「女」では
どちらにするか迷う(笑)
できれば真ん中の空欄に〇を打ちたい気分だ。
男 女
↑
ココ
いまでこそ
「ジェンダーフリー」
「LGBTQ」
などといって学校教育でもアナウンスされることが多くなったが、
わたしにとっては、そういった名称・区分もどうでもいいとさえ感じる。
ちなみに、FBの英語版では、多種多様の性別が選択できるらしい。

Agender(無性別者)
Androgyne(男性、女性の両者の性的な特徴と器官がある人)
Male to Female
Female to Male
Trans
Trans Female
Trans Male
Trans Man
Transsexsual Person
Bigender(男女両方の性的特徴・志向を持った人)
Non-binary(カテゴライズできない人)
Cis(生まれた時に診断された身体的性別と自分の性自認が一致し、それに従って生きる人:参考)
Cis Female
Cis Woman
Cis Male
Cis Man
Cisgender
Gender Fluid
Gender Nonconforming
Gender Questioning
Gender Variant
Genderqueer
Neither
Other
Neutrois
Intersex(Wikipediaによれば中間的な性)
Pan-gender(日本語にしにくい…性別を超越している人、くらいなニュアンスでしょうか)
Twi-Sprit(こちらに経緯がまとまっています)
(こちらはイケハヤさんの記事を参考にしています)
興味深い日本語概略は➡こちら
さらに、FBは新しい性の提案も受け付けているらしい。
そのうち100とか200も「性」が誕生しそうだが、
結局そうなったら「性別」ってどうでもいいということになると思う。
これまでの人生を振り返ると
かつて暗黙のルールのために、
やりたくてもできずにいた時代と
「わたしはこれがしたいからする」
「わたしという存在はこれだからこれ」と言える時代・・・
その両方を経験することで
「わたしとはなにか?」という問いが鋭くなり、
そして、ますます明確になってきた感じである。
ありがたいことだ。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体