令和buzz281・・・悩めるAI
まあ、全く畑違いの人間ですので、
認識違いでしたらご容赦ください。
この本によると、知性とは、
「 自分で考えて環境に対応し、
より良い成果を達成する能力」らしいです。
その中でも、特に私たちの生活に必要な能力、
「課題を自分で見つけて解決する能力」を
4つに分けると・・・
・動機:解決すべき課題を定める力
( 解くべき課題を見つける)
・目標設計:何が正解かを定める力
( どうなったら解けたとするかを決める)
・思考集中:考えるべきことを捉える力
( 解く上で検討すべき要素を絞る)
・発見:正解へとつながる要素を見つける力
( 課題を解く要素を見つける)
となる・・・そうです。
では、その中で現時点でAIができていることは、
何だと思いますか?
・・・・・・・・・・
それは、
発見:正解へとつながる要素を見つける力
( 課題を解く要素を見つける)
以外は、あまり実現されていないようです。
つまり、AIには、知性の中の
「課題解決の力」という狭い領域で見ても
まだまだ不十分というわけです。
2045年に、シンギュラリティ(人類全体の脳を超える)が
来るといわれていますが、
この本を読む限り、本当にそうなるか少々疑問です。
解くべき課題を定める力が弱く・・・
何をもって正解とするのかが定まらない・・・
しかも、何を考えていいのかさえも混乱している状態・・・
これはまるで、
悩みを抱えた人間が
自分軸が定まらず、
悩みのスパイラルにハマる様子とよく似ています。
つまりそれは、
AIが人生の何かに悩んだまま
納得のいく自分なりの正解を導き出せずにいて
しかも、何を捨て、何を拾えばいいかもわからずに
悩める子羊状態ということでしょうか・・・
そう考えると、逆に人間らしいというか
ちょっとほのぼのと笑えて来ます。
もちろん今のAIは、そんな哲学的な領域で
働いてもらうことを求められてはいないでしょうが・・・
今のAIが賢くなる過程では、
ビッグデータと機械学習が欠かせません。
いまでは、AIが自動で学習する
ディープラーニングも発達しています。
わたしはこのディープラーニングの段階で、
・動機:解決すべき課題を定める力
( 解くべき課題を見つける)
・目標設計:何が正解かを定める力
( どうなったら解けたとするかを決める)
・思考集中:考えるべきことを捉える力
( 解く上で検討すべき要素を絞る)
・発見:正解へとつながる要素を見つける力
( 課題を解く要素を見つける)
がなされるようになっている、と思っていましたし、
10年後にはいろいろな職業がなくなるという説も
これらがなされることで起きると思っていましたので
正直少し拍子抜けしました。
解決すべき課題や
何が正解かについては、
AI設計者があらかじめ与えていたり、
人間が学習する例と同じく
環境や与える教師データ、学習データによって
その良しあしが決まるというわけです。
つまり、
今の人間が AIに何をさせたいか?
そのためにどんな環境のデータを教育するか?
が大きなカギになるというわけです。
ということは、私たちがまず、
どんな世界を作りたいかを定義しなければ、
AIは、質悪いデータを取り込み
質の悪い世界しか作れないというわけです。
悩めるAIを救うのはやはり人間ということになる?
私はこの本を読んでそう感じました。
政府は、ムーンショット目標という実に不気味な世界を築きたいようですが、
私たちはほんとうにこんな世界を望んでいるでしょうか・・・

例えば、
「脳の制約から解放」・・・
こんな開放をされることが
私たちの喜びでしょうか・・・
???がいっぱいです。
あくまでも私たちがどんな世界で生きていきたいか?
その軸こそ大切なデータになるのではないでしょうか・・・
畑違いの私がこの本読んで感じた感想は以上です。
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genre : コンピュータ
令和buzz274・・・AIで代替できないもの
隣町まで行ってきました。
今の大会会場は、本当に素晴らしく、
ナイター設備もしっかりとした本格的な会場です。
そして何よりも、私たちが子ども時代の時より
断然技術が上がっているということです。
それはソフトボールでも感じましたし、
おそらく他のスポーツでも
同じ傾向にあるのではないかと思います。
なぜだろうと想像してみたのですが、
おそらく、TVやYouTubeをみて
真似をする機会が増えていること・・・
毎週土日が休みになって、20年近くなりますが
そのために各地でスポーツ少年団が活発化したこと・・・
そして、単純に人間の進化しているのではないかと思うのです。
野球、ソフトボールを見ていると
一球によって流れがガラッと変わる時があります。
それが意外にも審判のジャッジミス・・・
ふと、あー映像やAIがやったら
確実なのになーと思いましたが
すぐさま思いなおしました。
審判のコール、ジェスチャー、
固唾をのんで見守るその瞬間も
れっきとした演出なのだと・・・
これを映像やAIでは白けてしまうのかもしれないと・・・
スーパーに行けば自動レジが随分と浸透してきています。
そんな風に機械化した方が明らかに効率がいい場面と
どこまでも人に任せる情緒のようなものがやはりあるのなだーと。
この世に、火地風水があり、
あくまでも自分の感覚で世界をとらえる
動植物、昆虫、微生物がいる限り
人にゆだねる仕事は
やはりなくならないのではないかと思うんです。
AIが進化するスピードに
人間の進化のスピードは到底追いつけないでしょう・・・
しかし、要は領域の問題です。
今現在もAIが苦手な分野があります。
遅々として進めない領域があるのです。

「感覚」
この感覚こそ、闇権力が封じ込め
意のままにコントロールしたい領域なのだと思います。
昨今のおでこに充てる不気味な検温器、
ワクチンの接種によるナノチップ接種計画、
どう見てもわれわれの感覚を麻痺させる意図が見え見えです。
しかし、私はもう一つの懸念を感じる・・・
それは、AIと人間をまとめて管理する計画だ・・・
AIはどこまでもAIと割り切り、
そのAIが苦手な領域を人間が担う・・・
人間は一瞬AIにも届かない領域があると喜ぶ・・・
それこそ人間の活躍する領域だ!と・・・
この、一見人間とAIの協働を模索しているようだが
その人間自体を管理すれば、
この世界のすべてを管轄下におけるという算段だ・・・
支配層からすれば、
人間はIT技術を活用すればするほど
AIにビックデータという栄養を与え
人間はさらにそれを補完する役目・・・
そう目論んでいる可能性は0ではないだろう・・・
さあ、そこからどううまく逃げるのか・・・
そのヒントは、「感覚」。
芸術を生み出そうとするAIはできつつあっても
鑑賞できるAIは遠いだろう・・・
なぜなら、鑑賞に正解(データ)がないからだ。
鑑賞する初感覚・・・
データに入らない初感覚・・・
これこそが人間の唯一無二の能力なのではないだろうか・・・
なぜなら、AIは最先端のように見えて
あくまでもビッグデータという我々人類の感情・行動の歴史だからだ。
私たちが今後、
初めての歴史を生み出せるのかが鍵だ。
そう考えると、今は結構な正念場かもしれない・・・
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令和buzz150・・・AIの落とし穴
黒人男性が白人警官による拘束時に
死亡した事件に端を発する抗議デモが
激しさを増しています。
人間による偏見は
何時になってもなくなる気配がありません。
リンカーンが、
キング牧師が、
マザーテレサが・・・
いくら名言を残してくれても
学べないのが人間なのでしょうか・・・
特に、
トランプ大統領の長年の閉鎖主義と
今回のコロナの状況下で
ストレスがピークに達していた人間は
出るところまで出ないと
おさまりが付かない状況です。
実はこの人間の偏見の根は
AIに世界にも影を落としています。
2018年、あのAmazonが
AIで採用者を評価付けしたところ
「女性」という属性が入ると
評価が下がるという事態になってしまったのです。
結果、Amazonは運用中止をしたのですが、
他にも、再犯予測システムにAIを導入すると
人種差別的な事例が相次ぐといった事態にもなるそうです。
情報を学習し、
広く公平に判断をすると期待が寄せられるAIでしたが
結果は全く逆になってしまったわけです。
それはなぜか?
AIには、基本社会で蓄積された「偏り」が
そのまま持ち込まれてしまうからです。
つまり、人間の差別意識を
AIが学び取ってしまうのです。
最先端の技術と言われているAIですが、
何のことはない・・・
人間への評価に関して言えば、
私たちの不寛容をそのまま反映してしまう
なんとも情けない結果になっているというのが
現時点のAI状況なのです・・・
こういった問題(科学技術社会論)を研究されている方に
江間有沙さんという方が見えますが、
その方がこういわれています・・・
「対話を重ねていいものにする。
最先端なようでいて、
実は新しいことは何も言っていないんです。」
2020年5月22日中日新聞
もうすでに、
AIに、コロナという属性が入れると
「偏見」という結論になっていやしないだろうか・・・
だったら、私たちは、
大急ぎで寛容という心を磨かないといけない。
AIも、そういう人間のばかげた感情を
諭してくれるほど、賢くなるといいなと思うが・・・
まだまだ、人間の質にかかっていそうだ・・・
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tag : AI
十年、をちこち・・・60
人の和を利用し、もしくは、させていることが多いです。
特に3M(もてたい、儲けたい、認められたい)の領域は
とても多い気がします。
自分の足元を飛び越えて
天の時ならぬ「天の利」を声高に言うほうが
「円」が手に入りやすいためでしょうが、
そういう流れが多すぎて違和感を覚えます。
-意見には個人差があります-
「円」を「縁」と書くのが時々はやりますが、
「円」はあくまでも「円」です。
世界の金融資本家たちが作り上げた
中央銀行、民間銀行の信用創造(詐欺創造)の中で生まれた「円」です。
出回る円にすでに利子がつけられた不当な通貨です。
アンフェアーなルールの中の円です。
わたしは、まずその事実から受けとめたいです。
そして、そのうえで
「美」「やさしさ」「ユーモア」で
世間と向き合いたいと思っています。
100年後も笑いましょに!やら・・・
ほかの経済圏をつくろう!やら・・・
準備し、完成したら伝えるのでは
とうに死んでしまいますので(笑)
どんなに自分が発展途上でもやっていこうと思います。
子どもにも、大人にも伝えます。
「円」以外の経済圏をつくり、選べるようになれば・・・例えば
物々交換、贈与交換、半農半X、クラウドファンディング、ベーシックインカム、JPY以外の仮想通貨、評価経済…
※「お金の大根化運動」(笑)を伝え、できるものはひとりで実験しています。
※「お金の大根化運動」…
お金が特別で重い存在でなく、大根のように気軽のおすそ分け(循環)できる文化。「お金」でないといけないという範囲を縮小し、それ以外の価値の交換や保存、測定ができる手段を自分たちでつくること。
宙の言の葉や花結び、常連のお客さんの中にも
そのことに賛同してくださる人はたくさんいらっしゃいますが、
まず何よりも自分が居住まいをただし、
心を体にのせないと話になりません(笑)
このことを「人の和」というのです。
theme : スピリチュアルライフ
genre : 心と身体
「今の世界を良くできるのは今を生きる人達だけ」 ~’17.9月最後の宙結び随想~
みんなに共感してもらえる「共通の目標」を
政府が示すことは難しくなっている。

この言葉は 今年の5月
経済産業省若手の有志グループが出したレポートの一説です。
レポートのタイトルもすごい・・・
「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」
「生き抜くか」という言葉は 弱肉強食を思わせて
いささかふるいが 素直に力作だと思う。

一億層活躍とか
人づくり革命とか
中心的政府が作るスローガンより よほどいい。
今の時代もはや
一億層活躍ではなく 「みんなちがってみんないい」なのだ。

フィンテック、AI、シェアエコノミー
クラウドファンディング、ベーシックインカム、仮想通貨・・・
いままでの既存の、
いや既得権や中間マージンで潤っていた人たちが
本当に慌てふためいている。

おそらくこれからは・・・
政府がこういった先駆者たちに追いつく時代はもうこない気がする。
不自然な規制や不安を煽ることで その足を止めようとする
古いやり方がもう通用しなくなってきている。
それは政府だけにとどまらず
今後は病院や学校など
近代がつくり上げてきたあらゆる組織で
急速に起こってくるだろう。
これまで「これが価値があるものです」って基準を全体が共有しながら進めてこれたが、ネットの普及後に多様性あがり過ぎて価値の基準がバラバラになり、それぞれが独自に成り立つようになってきた。
— Katsuaki Sato (佐藤航陽) (@ka2aki86) 2017年9月13日
創造性の高い仕事が社会の中心になるから、親より子の方が正しいと思う。『ベスト3は、ITエンジニア・プログラマー、ゲームクリエイター、YouTuber』/「なりたい職業はユーチューバー」中高生の意識が物語る暗い未来 https://t.co/pIP9fWZpRH
— Katsuaki Sato (佐藤航陽) (@ka2aki86) 2017年9月15日
目線をずっと庶民のほうに引き寄せて考えるに
そのちがっているひとりひとりが
ふっと何かを願った場合
ゆっくりと自然に それがすすんでいくのがいい・・・

政府はもう追いつけないのだから
よいものを しっかりと 暖かく
そして、あとからゆっくり支えてくださればよい。
そして個人は不安にならなくていい。
「社会は厳しいもの」ではなく
「社会は温かいもの」なのだ。
それを信じられるかどうかだけなのだ。

個人が自分の身を守ることだけに
人生の大半の時間を費やしたり、
強制的同意の中の発達や発展など
いきぐるしくて仕方がない。
就活を続ける卒業生を見て
この息苦しさに一石を投じたくなったのが
宙結びであり、笑市であった。
「愛される市」ではなく
「こちらからすすんで愛する」市なのだ。

「愛される」は評価を気にすることである。
その評価を資本に変えるのが古い資本主義である。
あらかじめ 何かを狙って付き合ってみたり
「いいね」をねだる経済に わたしはほとほと辟易としている。

その古い資本主義に別れを告げて
自ら経済を選び 立ち上げ
自由で能動的な「なにか」を提案したかったのだ。
そして あきもせず これからも提案し続ける。

「経済は選べる」
これはわたしが尊敬する佐藤航陽さんの言葉だ。
トリクルダウン(富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)とする経済理論または経済思想)なんて待っているうちにわたしたちは死んでしまう。
そうでなく 今までにないその車輪を
いっせいのせ!で動かそう。
もちろん それぞれちがったやり方で・・・

ひとつが終わったのに
わたしの中ではもう何かが始まっている。

(夏を惜しむように ほんの数日前に咲いた睡蓮)
このまちの一隅で
わたしたちは これからも花を咲かせると思う。
わたしが生きるというすべての場面で、
そして それに賛同してくださるすべての方々とともに
これからも 咲き続けようと思う。

これまで支えていただいたすべての方々に御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
そして これからも一緒に咲き続けましょう・・・
「今の世界を良くできるのは今を生きる人達だけ」
佐藤 航陽
これからも どうぞよろしくお願いいたします。
theme : いのちあるものが いのちあるように
genre : 心と身体