センスはいつ生まれるのか
何気に私たちは言うが、
このセンス、
一体どこでどう身に付けているのだろうか?
14歳までに感性が育った脳が次にすることは、
単純に多くのことを記憶することらしい。
それは、28歳までの14年間続くという。
そう考えると、受験期がこの時期と重なっているのは
実に効率的に思える
単純記憶は、多くのことを長くキープできる記憶のことだ。
しかし、単純記憶のこの時期、
私たちは多くのことを単純に記憶するだけではないらしい。
実は、センスの正体がここにある。
この膨大なばらばらの単純記憶のなかで、
脳のある装置が働く。
それは、ばらばらなに記憶された事象から
共通項を見出して、知恵やセンスを創り出しているのだ。
以前五木寛之さんのエッセイで読んだことがあるが、
ある若いお坊さんが、日々繰り返される同じ説教にうんざりし
愚痴を漏らす・・・
こんなものを聞いて何になるんですか・・・と
そうすると、師匠のお坊さんがこう答える・・・
まずは、四の五の言わず1000回聞きなさい・・・
これなど、この単純記憶と
そこから紡ぎだされるセンスのことを言っているのかもしれない。
何事も1000回すれば、そこからセンスが生まれる。
「量が質を呼ぶ」
そういうことだろう。
もうすでに1000回しているもの・・・
それは何だろう?
私はふと考えた。
なぜなら、それが私の「センス」を作っているからだ。
・・・・・
!!!
あった!
それは、
食事
トイレ
お風呂
靴の脱ぎ履き・・・
食事など、一日3回してるなら
一か月で90回、
一年もすれば軽く1000回続けている。
だから、古来
礼儀としての食事や所作を大切にせよと言われるのだ。
わたしが、14歳から28歳までの食事や日常の所作を
無意識に雑に行ったのか、それとも、意味を考え丁寧に行ったのか・・・
そこで何を話し、何を聞いてきたのか・・・
そして、どんな共通項を見つけ、何を捨ててきたのか・・・
私のセンスは、いわば、
あの時、あの場所での
何千回もの食事と所作で創り出されたものなのだ。
こう考えると、ちょっと怖い気もするが
それも私なのだからもう受け止めるしかない(笑)
[スポンサーリンク]