終わる魚座、来たる魚座
「人類は滅びる」的なつぶやきに出会うことがあります。
本当にそうでしょうか?
この宇宙は自動詞です。
自分たちが滅びると思えば、確かにそうなのでしょう・・・
でも、もう少し、
私たちの意識の重要性に気が付いてもいいと思います。
その中でも、今日お話した「魚座」の I believe.は特に重要です。
すばらしい歌に触れた時、
私たちは思わず涙します。
すばらしい演劇を見た時もそうです。
私は何十年も前、
倉本聰さんの「ニングル」を見て号泣しました。
「何百年もかけて生きた木を
たった数十秒で切り倒すことをあなたがたはどう思うのか?」
確かそんな台詞だったと思うのですが、
私の中の「何か」が発動し、涙という形になりました。
私たちが流す涙は、
確かに対象はあれども、
内なる聖なるものに捧げている涙です。
自分自身を無限に癒す涙・・・
それぞ、魚座・・・
そして、その涙の先には、
それでも「理想」のために立ち上がる
壮大な強さと優しさがあるのです。
ですから、太陽魚座の人でさえ、
その太陽を生きることはなかなか難しい・・・
私たちは、それこそ何度も立ち上がらなければなりません。
I believe. の旗が何度も折れても
それでも掲げ続けなければならないのです。
2000年かけても
私たち人類は、まだ魚座を味わっていないし
経験もしていないのです。
もう一度、旗を立てよう・・・
今日はそんなライブ配信です。
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粒であり波である星、魚座
時代は、魚座から水瓶アクエリアスの時代に入るといいます。
これはプラトンの2000年周期といって
地球の地軸の首振り運動によって
黄道に沿って春分点が少しずつ西向きに移動するために、
春分点の先の宇宙が
約2000年に一度、星座を変えることを言う。
1度地軸が動くのに72年かかるというので
まあ、何と気の遠い話だ。
私たちの時間では、
一生の間に1度ほどずれるだけなので
全く気にならない。
詳しくはアクエリアスの時代と
検索をかければたくさん情報は出てくる。
72年に1度だけ動く地軸が
一つのサイン約30度動くのに2160年かかるとか
春分の太陽(春分点)が約25,800年で1周するので
25800÷12=2150年などと計算される。
それが最近、キリストの時代から数えて
2000年ぶりに魚座から水瓶座に移行中なので
アクエリアスの時代の到来というわけだ。
で、今日は冥王星が水瓶に入り・・・
春分点は、魚から水瓶へ(アクエリアスの時代)
冥王星は、山羊から水瓶へ(風の時代)
と、水瓶が強調されるというわけだ。
では、2000年ぶりに
過去のものになろうとしている魚座だが、
これが非常に語りにくい。
常に水の中に住む魚は、
外から見ている像と
実際の水中の像とは、別の場所にいる。
いわゆる水の屈折でそうなっている。
魚座はまさにこの様を表していると私は思う。
実体をつかもうとするとなく、
ないと思うとある・・・
そんな性質を管轄する星だ。
だから、宗教・芸術・外国・音楽
詩歌・治療(精神)などにあてがわれる。
石井ゆかりさんの本をもとに12星座を書き続け、
いよいよ最後を飾る魚座なので
カッコよくバーンとわかりやすく晴れやかに終わりたいのだが、
そうはいかないようだ。
石井ゆかりさんの本も
魚座の項前半は
どうもこれまでと違うトーンだ。
どうも魚座らしく水の中の魚をつかむようだ。
それは、魚座の管轄は、この「はっきりしない」だからだ。
自他の境目がない・・・。
だから、無償の愛とか許しの愛と言われた壮大なテーマだ。
この地上の価値観ではない、
経験困難な世界・・・
あらゆる境目をなくすので
生と死の境目もない・・・
しかし、自他の境目がないということは
相手も消えれば自分も消えてしまう。
生が消えれば死も消えて
「無」の世界を生きることになる。
果たしてこの地上界で
そんな壮大な生き方ができる人類がいるのか?
だから私は、
人類はいまだにこのほんとうの魚座を体験していないのではと思っている。
宗教はインチキだったし、
スピリチュアルは闇権力への貢物と化した。
霊主体従というが、
生身の人間はそうそううまくいかない。
あの世とこの世
過去と未来
あなたと私・・・の
不思議な一蓮托生を演じるのが魚座だ。
魚座は空気が読めないとよく言われる。
魚座の人を見ていると
この混乱と翻弄の中に
ご自身も生きているようにさえ見える。
なにせこの世は、ばりばり経験の星だから、
自分がなくなってしまえば
経験以前の問題である。
約束を交わすことはこの地上では
時間軸と相手という実に相対的な関係の調整を駆使する技であるが、
魚座は、この相対性が消える世界だ。
本人も気づかないほどの大きな仕組みに翻弄されるのが魚。
だから魚座の人は、
普通に周りが見えていないし、
約束を普通に忘れるし、
昨日行ったことと今日行ったことが普通に違っていることもある。
これは決して、魚座の人を責めているのではなく、
彼らはそういったあいまいな世界を漂う名人なのだ。
子どもであれば、小さい頃から落ち着きが無かったり
全く逆に宇宙人ぽく漂って、心ここにあらずでつかめなかったり・・・
その様子に、地上のこちらは驚くが、
どうも魚座の人は、粒であり波であるこの世界を
あの世から持ち込み、ずいぶんと古くから知っているようなのだ。
だけど思い出せない・・・
だから、壮大な許しの愛を目指しているようにみえるのだ。
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