令和buzz323・・・食事は、見えない学力を育む
親子二代の女性とその子供さん(お孫さん)二人、
計4人の家族に出会った。
ああ、
その母親を見て、思わず私はため息が出ていた。
一時間以上はあったその食事の時間、
その母親は、片時もスマホから目を離さず、
せわしそうに、画面をスライドさせていた。
子供(孫)とお婆ちゃんには、
辛うじて会話があるようだったが、
母親は、自分が食べようとする
お目当ての料理に手を伸ばすとき以外は、
すべてスマホの画面を見ていた・・・
時に、左隣の子供は言うことを聞かないと、
店の取り皿(プラスチック製)で叩かれていた。
もう一人の子供は、
公の場としては、少し声のボリュームが大きかった。
その子は日頃、話を聞いてもらえないのだろう。
子供は、日頃、親や周りの大人が話を聞いてくれないと、
声のボリュームが大きくなりがちになる。
それでも聞いてくれない場合は、
乱暴な態度で気を引こうとする・・・
子供は、言った通りにはならない、
やった通りになる・・・
その子たちは、言うことを聞かなければ、
殴られることを普通だと勘違いし、
自分の感じたことや意見を人に話そうとする希望を諦め、
理不尽な服従と無気力な敗北感を受け入れ始める。
そうやって子供たちの心は委縮し続ける・・・
そして、わかってもらえなければ、
言葉ではなく、人を殴ってもいいと言うことを学んでしまっている。
だから、小学校の高学年、思春期になって、
思い通りにいかなければ、
男の子の場合、言葉より先に、
友達を殴るし、親も殴る・・・
言葉での関係の作り方を知らないので、
そういう破壊的、暴力的手段しか選べなくなるのだ・・・
女の子の場合は、
この歪んだ服従関係を唯一の人間関係だと錯覚し、
男性から暴力を受けることを容認し、
恐怖政治による上下関係でしか
身をおけない悲惨な交際状態になることもある。
これが虐待の根源となる。
ああ、
お節介と思いつつ、
この子供たちの先行きについて
どうしても考えざるを得なかった。
もちろん絶対に上記のような結末になるとは言えない、
言えないが・・・
「これおいしいね」
「この材料は・・・なんだろう」
「今日○○があってね」
こういった親子の雑談のなかで、
子供は教養の種をもらい受ける。
そのときは、ふーんですむことが、
思春期、青年期、大人になったとき、
意外な形で目を吹き、
見えない学力となって
見える学力の土台となる。
この親も、子供だったとき、
目の前のその親(祖母)に
そういった教養の種をもらえなかったことが、
想像できるし、それが、悲劇の始まりだろうが、
この子供たちが
小学校の高学年になったとき、
思春期を迎えたとき、
何でも話してほしい
大切なことだから聞きなさいといっても、
きっと口を開かないし、
耳を傾けてくれることはないだろう。
学力の根幹である言語、
特に語彙力の豊富さとその使用度合いは、
まちがいなく
親御さんたちが好む見える学力の根幹となる。
何よりも受けついだ教養の種が
確実に子供たちの
自己承認・自己肯定感、
そして、生きる希望になる。
点数や成績という見える学力を気にする前に、
こういった食事の時の何気ない会話と所作を
めちゃくちゃ大切にするべきだ。
特に幼少期は、それがいのちと言っていい。
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旅の食事は「夕食+α」

今回の旅は、その土地その土地の美味しいものを
お酒を楽しみながらいただく・・・
それが目的でしたので、
朝ごはんや、昼ご飯はひかえめとしていました。
というよりか、一日そんなに食べられない・・・

特に朝ご飯は、出発も早かったということもあり
ホテルではとりませんでした。
近くのコンビニで買うフルーツかおにぎりと
母が作ってくれた梅干をパクリ・・・

「梅はその日の難逃れ・・・」
映画「めがね」で出てきたこのセリフを
三重でも実践していましたが、
母が作ってくれた梅干を瓶に入れて
旅にも持っていきました。

昼は、名物がある時は別ですが、
移動時間帯が多かったため、
ほぼ食べないか、軽めでした。
そうして、夜の食事とお酒を楽しむ・・・
このスタイルがなかなかよかったんです・・・

このずんだ餅など
大きな4つも餅が入っていて、
2人で分けてもこれだけでお腹いっぱい・・・
さすがは餅文化の東北・・・
昔ほどででないにしろ、
生活のほとんどが野良仕事、力仕事だからでしょう・・・
東北の居酒屋さんは、
小鉢をいただいても
刺し盛をいただいても

スケールが大きくてけちけちしていない・・・
食文化の根底が「心置きなくふるまう」なのでしょうか・・・
海に囲まれ、名山があり、水もおいしい・・・
田は広く広く、畑で採れる野菜は豊富・・・
だから安くておいしい・・・!!

秋田の道の駅では、
ゆでたトウモロコシが130円~180円ぐらいで売っていて
これを今か今かとお客さんが待っている・・・
ちょっとした行列ができてました・・・
それが美味しいのなんのって・・・
もうりっぱなお昼ご飯でした。
わたしたちはもう、量はいらないんですよね。
美味しい地のものを少しずついただく・・・

旅という日常でない空間にほおりこまれても
からだの反応は正直です・・・
いる物はいる、欲しくない物は欲しくない・・・
こういうことができることを「幸せ」というんでしょうね。
