令和buzz286・・・脳の容量とチーム
脳の容量に関係しているらしいのです。
脳の容量が500㏄の時代は、
せいぜい5人程度だったのが、
600㏄に進化して、
30人から50人の規模になったそうです。
で、現在・・・
成人では、男性は1350〜1500グラム、
女性では1200〜1250グラムの容量です。
この大きさだと、なんと150人もの群れを作れるそうです。
この150人というのは、
人間が顔を記憶できる数らしいです。
でも現代社会を見渡すと
何やらピンときません・・・
そんな群れをつくっている場に
出くわしたことがありませんから・・・
ではどこで?
そうSNS上です。
たくさんのフォロアーを持つインフルエンサーに集まる群れは
150人どころか、けた外れの群れです。
しかし、これは
あくまでも脳だけのつながりだというのです。
ネット上の言葉や記号だけでのつながりでは、
どんなにフォロアーが多くても
どんなにコメントでやり取りしても
実際に会って、ああ居心地がいいなとか
心から会話が楽しいなーという人は
そうそういないということです。
つまり、脳では認識でき、
言葉で繋がることはできても
一緒に行動を共にした経験が
脳に積みあがって記憶されないと
いざ、会って
何かをしようとチームを組んでも
うまくいかないというのです。
それはなぜかというと
身体的につながっていないからです。
一緒に場を共有し、会話や間を楽しむ・・・
それがないのです。
わたしは、これからの時代
何よりも「場」と「共有」と
そして、「進化の期待」が大切だと思います。
➡この地球に「3つの間」が与えられたわけ(1)
進化の期待とは、そこにいると
その人といると、何となく自分が成長する予感・・・
がっちりとした勉強とか学びではなく
何となくの進化、成長・・・
そんなことを匂いでかぎ取って
ふらふらっと出向いて行ってしまう・・・
そういう場や人が大切ということです。
場と共有はよく言われることですが、
そこで感じた身体的な体感が
有機的に何かをもたらさない限り
人は、それこそSNSで事足りてしまうと
動こうとしないからです。
めんどくさい・・・
何ともバッサリと乱暴な物言いですが、
このめんどくさい場や
めんどくさい人、
めんどくさい行事は
今後どんどん必要とされないし、
孤立して行ってしまうのではないかと思うのです。
心地よい有機的な
Being(ありのまま)の共鳴・・・
もうこれしかないと思います。
4年以上も前・・・
➡こんなことを書いていました。
答え合わせをさせられる人生ではなく・・・
自然や周りの人々に感謝しながら・・・
風のように集まり・・・
陽だまりのように笑いあって・・・
そして「またね」と風のように去っていく・・・
何かを狙って集まるのではなく
その場限りの一期一会のような人生・・・
明文化したルールなどなくても労わりあい・・・
沈んでゆく夕日を、満ちようとする月を
「あー綺麗だね」と言葉のようで言葉でない・・・
互いの存在だけで確認できる力を持っていたいと思う。
そういったささやかな自分のdoingで
自分と人と自然のbeingを確認する人生でありたいと思う。
どうやら、わたしの中の風の時代は、
2012年手作り市の「宙結び」をやった時から
始まっていたようです。
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夏、夏至のころ⑤・・・三の風
その朝、わたしは髪を切りに
ある駐車場を歩いていた。
いつものハンチング帽をかぶっていた。
めったにハンチング帽が風で飛ばされることはない。
それに、多少の風はあったが、
特別、風が強い日でもなかった。
何を考えて歩いていたか
まったくおぼえていないから
たぶんぼーっと歩いていたと思う。
ふいに突風が吹き
ハンチングのつばをかすめた。
手で押さえる暇はなかった。
一瞬・・・
あっという間に5メートルほどとばされた。
「めずらしいこともあるもんだな」
その時は何気にそう思っただけだった。
が、夕方、父が亡くなったと知らせが来た。
あとからだが
亡くなった時間を知って驚いた。
ちょうど、あのハンチング帽がとばされた時
父がこん睡状態に入り
魂が肉体を離れようとしていたころだった。
父が来ていたんだ。
日頃、人さまのサインは気が付くのに
自分のことになるとすこし鈍くなる。
なかなかうまくいかないものだ(苦笑)
父は腕のいい背広の職人だったが
本当によく趣味に遊んだ人だった。
鳥
花
歴史
バイク
野球
チャップリン
噺(はなし)
・・・
みんな父に教えてもらった。
父がなくなって後、
背広の襟首につけるタグをもらってきた。

古びたその箱の中には
茶色になった新聞の切り抜きが入っていた。

その色から相当昔、父が切り抜いたものだと察しが付く。
父は洋ランのための温室を自分で作っていた。
おそらくその時のものだろう・・・
父 愛用の鳥の図鑑も譲り受けた・・・
鳥にしても歴史にしても
父はよく調べていた。
知識があったほうが遊びも数倍楽しい。
父のまめさが現れる図鑑だ。

子どもは親を選んで生まれてくるというが
もし選んだとしたら
父から人生を遊ぶことを教えてもらいに来たんだと思う。
仕事も大事だが
遊ぶこと、工夫して遊ぶこと、
そして、まじめに遊ぶこと・・・
そういうことを教えてもらったと思う。
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夏、夏至のころ④・・・ニの風
夕方、窓を開け放っていた塾の日・・・
ある生徒と二人だった。
「先生、わたしのランドセル、水色だけど
それにも意味があるの?」
(うーん)
いつものように空に視線が向く・・・
すると・・・
水、火、祭事、縄文、東北・・・
矢継ぎ早に言葉・・・
そしてその情景が出てきた・・・
夜のとばりが下りている・・・
7.8歳の子供たちが
短く刈られた草の上で円になっている。
中央には大きなたいまつ・・・
何かの祭事だ・・・
その周りを背中にたいまつを背負った子供たちが
ゆっくりとまわっている・・・
ふとその生徒の姿も見える・・・
次の瞬間、その子供の背中に火が燃え移る・・・
祭事のすぐ横、
子どもの背の丈もある草むらの横には
小川が流れている・・・
火を消そうととびこむ子供・・・
今も昔も 子供は宝・・・
そんな中で起きたあってはならぬ事故・・・
責任のすべては祭事を取り仕切る私にあった・・・
かえらぬいのち・・・
後悔と自責の念・・・
わたしは自然と涙があふれてきた・・・
「あの時は本当にごめんなさい」
気が付くと生徒に謝っていた・・・
「いいよ~」とあかるく生徒・・・
その時だ。
網戸を外すかと思うほど強い南風が吹いた・・・
まちがいない・・・
同時に顔を合わせるわたしたち・・・
ほほえんでいた・・・
無言の中、今世 互いが出会った意味が分かる・・・
出会えてよかった…
たがいに再会を祝福する安らぐ顔に変わっていった。
輪廻転生の中
人が出会う意味はひとつしかない。
いのちを祝福しあうため・・・
それ以外にはないことを知れば
今の自分が・・・
そして周りにいる人たちと何をすべきかが
おのずとわかる。
そしてわかったあとは
もう知らなかったときの自分に戻ることはなく
それ以外したくなくなる・・・
これが、二の風である。
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夏、夏至のころ③・・・いちの風
そういう意味で印象に残る風が三つある。
ある常連さんとお父さんのお話をすると
よく風でお返事をくださることがある。
先日も「居酒屋百名山」という本に出てきた
横浜、野毛の「武蔵屋」という居酒屋に話が及んだときのこと・・・。
ふと常連さんを見ると
どこか懐かしがる瞳の色をされていたので
どうされましたかとお尋ねした。
すると、父はそこにいっていたかもしれない・・・
舟に乗っていたので・・・
と続けられる。
その瞬間である・・・
ブラインドの下から抜けるように
風が訪ねてきた・・・
ああ、行っておられたようですよとわたし・・・
ずいぶん前に「宙言」でも
その方が、お父さんを亡くされたときの風が
今も思い出されるとお話しされていた。
そのときもふっと一陣の風が吹いた。
曲線で力強く
そして、ご生前の自由奔放さをあらわす風であった。
あすは、二の風・・・
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