令和buzz76・・・上七代、下七代
タロットアシャイングでお客様が安心した和顔で帰られ喜び・・・
塾卒業生の合格報告で喜び・・・
同じく卒業生のラインでの合格報告で喜び・・・
卒業生が就職と卒業報告をしに来てくれて喜び・・・
チャンネル登録者数が32人になって喜び・・・
自分がいったいどんな人たちに囲まれて
どんな仕事をさせていただいているのか・・・
つくづくありがたいという思いで一日を終えました・・・
幸せというのは、
何も特別なうれしい出来事があるから幸せではなく
well-beingな状態がまさに幸せとわかってはいますが、
※「ウェルビーイング」(well-being)とは、
身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを
意味する概念で、「幸福」と翻訳されることも多い言葉。
この日ばかりは、いろいろな
本当に有難い出来事に恵まれて
改めて自分がなすべきことを再確認し
心に錨を下ろす気持ちでした。

満面の笑顔を見ていて思うこと・・・
それは、長い年月、連綿と続いてきた
上七代(ご先祖様たち)の陰徳が
今の彼らに降り注いでいるということ・・・
いわゆる「上七代、下七代」です。
とても非科学的と笑われそうですが、
確かにそれはあるのです。
よい因縁であれば陰徳となり
孫ひ孫まで恩恵を受ける・・・
悪い因縁であれば、
それなりの報いと修業を受ける・・・
これはすでに科学的にも証明され始めています。
よい因縁を、さきほどのwell-beingだとすると
当然感謝の言葉が行きかっていたり
本人も周りも、心が安らいでいるということになります。
実はこの幸せの因子は、
友達の友達の友達まで伝染するというのです。
➡ウェルビーイング心理教育の意味 〜幸せは伝染する〜
一緒に住んでいない友達でも
3つの隔たりを超えていくのですから、
いつも一緒にいる家族であれば、時代を超えて
七代(子孫)まで言っても不思議ではありません。
遺伝は環境によって
ONになったりOFFになったりするわけですから、
この場合、
伝染≒遺伝と言っても差しさわりないでしょう・・・
わたしたちは、
この感謝の気持ちの威力をもっと知るべきです。
昨日のご来客の一人に
うちの塾をやめて他塾に移った親子の方が見えました。
うちの塾をいい意味での卒業として
さらに自分に合ういわゆる進学塾をお選びになったのです。
私はそういうのは大歓迎です。
なぜなら、それは子供が成長した証だからです。
おやめになる時は
「先生のおかげで作文が書けるようになり
深く考えられる子供になりました」と
わざわざご挨拶に見えました。
塾というのは電話一本で
やめることができるのにもかかわらず・・・です。
そして、昨日2年ぶりにあった彼は
からだも大きくなり立派な好青年になっていました。
合格したら先生のところにあいさつに行きたいと
言ってくれていたようです。
彼のこの行為は、
相手が私だからとかそういうことではなく
きちんと節目節目で感謝とともにピリオドを打つという
よい因果を実践した行為です。
自分が当事者なので恐縮ですが、
(単なる美談としてお話したいわけではありません)
彼のこういった行為を育てたのは紛れもなく親御さんで
彼もまた子どもにそう言った行為の大切さを教えていくでしょう・・・
それこそが七代(子孫)の幸せというものです。
昨日のこの言葉をもう一度書いておきます。
「人格と心を育ててはじめて、
知力・体力への働きかけが効果を発揮する」
お金がとか
成績がとか
そういうことを言う前に
親御さんは親御さんしか教えられない
超大切なことがあるのです。
彼の幸せな気持ちが感謝とともに私に伝染し、
私が話すことでこのブログを読まれる方に伝わり、
さらに他の方にも伝わり・・・
そうやって幸せは伝染していくのです・・・
上記の研究をしたJames Fowler氏は言います。
(あなたが顔も知らない)
「あなたの友達の友達の友達が幸せになることは、
あなたが5000ドル(約50万円)を手に入れるより
あなた自身の幸せに影響が大きい」と・・・
コロナなんかで
恐怖や不安をまき散らすより
日々幸福をまき散らしましょう・・・
あなたの日々の幸福が
大げさでなくまじめに
世界の幸福になるのですから・・・
[スポンサーリンク]
秋、処暑のころ⑭・・・玄徳の習得(8)
生而不有、
為而不恃、
長而不宰、
是謂玄徳、
生じて而も有せず、
為して而も恃まず、
長となりて而も宰たらざる、
是れを玄徳と謂う。
(老子 上編 第十章)
いろいろと訳し方はあるでしょうが、
たとえば、
「自然」は何かを所有したり、
期待したり、取り仕切ろうとはしない。
ただ、そのままに在る。
これが「玄徳」が目指す姿であり、
これは「真」の生活です。
「講老箚記 – 東洋思想・哲学・文化の研究」より
またたとえば、
自分が生み出し大切に守り育て、
花咲かせた「おもゐ」を独占せず、
自慢せず、取り仕切ろうとしないことが出来ているか。
これらを実践することで
「神秘なる徳」が醸し出されるのだ。
「まどゐ。 ~ おもゐを嗣ぎ、おもゐを纏ひ、おもゐを遣る ~ 」より
つまり・・・
自分が何かをなせる(なせた)としても声高にそれを吠えず
仮にそこから何かが生まれたとしても
それを自分のものだと敷居を立てず、
ましてや、その「先生」なんかにはならず、
それを常に心にとめて日々「生きること」に努める・・
そう私は解釈しています。
ですから、仮に「観える」自分がいたとしても
それができますからなどと人(客)を集めず
ましてや料金など受け取らず
同じように見える人(ファシリテーター)を育てるなどと講座など開かず・・・
そういうことを日々の常として
そういう「徳」を自分の人生に生じさせながら「道」とし、
自然の運行に身をゆだねる・・・
そういう運命を全うできるように
人として素朴に生きていく・・・
そういうことをいつも考えています。
文科省などは2018年度から
小学校で「道徳」の授業を教科化しましたが
(2019年度中学校も)
昨今のお役人の、「玄徳」」はもちろん
「徳」のかけらもない言動を見ていると
「道徳」を学ばなければならないのは、
小学生や中学生ではないでしょう。

(障害者雇用 国機関8割で水増し 3460人)
文科省はもちろんですが、特に、
「水増し人数が最も多かったのは国税庁で千二十二人。
国土交通省の六百三人、法務省の五百三十九人が続いた。」
には驚きました・・・。世の中もうめちゃくちゃです。
せめて言わせてください・・・
わたし、まじめに税金を納めてますけど・・・(苦笑)
わたし、まじめに法を順守しようと努めてますけど・・・(苦笑)
(最近はスピード違反もなく過ごせています)
おまけに、小中の夏休みの宿題で
「社会をよくする運動」
「人権作文」
という作文がありますが
これらを宿題にするのも彼らではなく、
永田町の面々でしょう・・・
日本の日常から「徳」「陰徳」「玄徳」の話が
絶滅危惧種のように消えてきそうですが、
めざす「道」としてこれからも
自分に、そして塾の子どもたちに伝えていきたい・・・
そう思っています。
theme : 気付き・・・そして学び
genre : 心と身体