冬、立冬のころ⑧・・・いのちの源
現在の場合とで、
ますますしなくなった、できなくなったことがあります。
それは、日々のアドバイスや受験指導で
「不安や恐怖をつかう」ことです。
そういうことを、ほぼしなくなりました。
「ほぼ」と書いたのは、
自分では、100%していないつもりでも
聞いた相手によっては、「不安」ととらえられることもあるだろうし、
本当に悪いことをした時は叱っていますので、
こればかりは、私一人で断定できるものではないからです。
ただ、断言できるのは、受験に関しては
ほんとうに「不安・恐怖」というものは0に近い状態で
保護者の方にも生徒にを接するようにしています。
もちろんデータがありますので、
あまりに無謀な場合はきちんとその旨を伝えます。
ただ、受験というのは、ある程度の不安が残る場合がほとんどです。
そんなときでも、「大丈夫」といつも声をかけています。
会社員のときも、他社の塾人ほど
「不安・恐怖」でむやみに生徒の尻を叩くということは
していなかったと思います。
これは、たまたま他塾の説明会や模試を受けた生徒と保護者が
その塾人からかけられた言葉を教えてくれましたので、間違いないと思います。
しかし、経験者として語りますが、
会社員として子供に接している限り、大なり小なり
どうしてもノルマやその塾人(校舎)の成績に影響しますので
本当の意味で「操作」や「不安・恐怖(脅し)」のような手法から
塾人自らが完璧に解放されることはないのだと思います。
そういった意味で、今ここで塾人として
子供たちと接する機会を与えていただいたことは
わたしにとっては実にありがたいことなのです。
文字通り、わたしのいのちも救われています。
「いのちあるものがいのちあるように」
人生の拠点がこちらに移ってから
私の最大のテーマはこちらになりました。
日々の勉強・進路・経済・医療・・・
子供が将来関わるであろう全てにおいて・・・
助言もアドバイスもすべてこのフィルターにかけるようになりました。
昨日、銚子川の映像を挙げましたが、
その映像を見ていて思ったことがあります・・・
それは、いのちが育まれる源流のようなものがあるとすれば
それは、「安心」と「多様性」なのではないかと思うのです。
これはきっと受験という人間のなりわいにも言えることではないかと・・・
(本来、受験そのものも不要ですが・・・)
たしかに、ウナギが産卵を終えたアユを食べたり、
アサヒアナハゼがビリンゴを丸呑みするシーンがありましたが、
それは「弱肉強食」という言葉ではないと思うのです。
まるで、あぶなっかしく壊れやすい生卵を持つ5本の指・・・
そうやってこの自然界、宇宙はできているのではと思うのです。
親指は短いが力がある・・・
小指は力がないが、なければ
微妙な力加減、バランスが取れない・・・
ましてや、小指がなければ、
手のひらですくうときの
独特の丸みを帯びることはない・・・

「多様性」・・・そういう言葉の方がわたしにはしっくりくるのです。
この町ではすぐに、T高、N高を目指せという大人がいますが、
それは、いのちの源流の「多様性」ということを無視しています。
それが証拠に、これだけ塾産業が活発な三重県なのに
なぜ、T高、N高などの上位進学校に行く子が
増えて増えて仕方がないという状況にならないのでしょうか・・・
それどころか、中3人口の半分にもなっていません。
子どもたちのいのちが元来
「多様性」という性質を帯びていて
自ずとそちらへ向かうからではないでしょうか・・・
自然界は、エサの藻が発生するという「安心」な場があれば
上流を目指す川アユもいれば、
下流にとどまるシオアユもいるような「多様性」を見せるのです。
また、「せめてそのぐらいの高校に行かなければ・・・」という方は、
その子が万一、その「せめて」の高校に行けなかったときの
大きな挫折感と劣等感を想像したことがあるでしょうか・・・
いのちの源流である「安心」を犠牲にしてまで、
無理な鋳型をはめる必要があるのでしょうか・・・
もう一度考えてほしいのです。
自分が選んだ道を行ってもいい・・・
親はそんな自分を認めてくれている・・・
そういった「安心」と「多様性」を許された子供は、
やがて、必然と「好奇心」というアンテナを伸ばします。
「挑戦」という言葉に置き換えてもいいです。
長良川の河口堰にせき止められたアユと
銚子川の汽水域から勇気を出して遡るアユ・・・
どちらが「いのち」なのかは
もう言わずもがなです。
子どもたちも同じです。
この「安心」と「多様性」を認められてはじめて
「好奇心」と「挑戦」という力強い旅に出かけられるのです。
「いのちあるものがいのちあるように」
わたしの塾では、日々のまなざし、助言のすべてを
そういう「自然体」の進路(受験)につなげていこうと思っています。
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冬、立冬のころ⑦・・・奇跡の清流、銚子川
三重県に住んでいることが誇りに思えた番組でした・・・

(銚子川ブルー:川がきれいすぎてカヌーが浮かんで見える)
日本には、最後の清流と言われる川がたくさんあります。
長良川、四万十川、梓川・・・
どれも美しい川ですが、ダムや生活排水で
危機にさらされている部分もあります・・・
そんな日本で
銚子川ブルー・・・
こんな身近に奇跡の川があるなんて知りませんでした・・・
特に汽水域(海水と淡水が混じるところ)のシーンは
長良川河口堰を推進した御用学者が間違っていたことを
如実に証明するシーンを見ることができます。
銚子川では、この汽水域を
ゆらゆら帯というらしいです。


(ゆらゆら帯がじわじわとさかのぼっていきます)
画像のように、満ち潮時には
このゆらゆら帯はゆっくりゆっくり川をさかのぼって行きます。
河口堰のなかった昔、長良川でも
かつてこのシーンはあったのでしょう・・・
長良川の問題では、河口堰のために
たまってしまうヘドロを憂う運動家に対して
国の御用学者たちが言います。
「海水と川の水が混ざり合って
ヘドロの部分にも酸素が行くから大丈夫」と・・・
画像を見れば一目瞭然・・・
海水と淡水は交じり合いません。
しかし、毎日起こる、自然の潮の満ち引きは
おそらく天然のろ過作用であり、酸素供給装置なのでしょう・・・
この自然の流れによって、川底まで酸素がいきわたり
多様な生物たちが生息できるのです。
堰で川の流れを止めたことで
たまってしまったヘドロと
日々の自然の流れを分断した川では、
その自然の装置が消えてしまい、
アユが住めない死の川になってしまうのです。
堰で止めることですべてが台無しになるのです。
画像でも川をさかのぼる海水の先端に乗って
アユの子どもの群れが上流へ移動する姿が映し出されています。
本当に美しいシーンです・・・

御用学者は何もわかっていないか、
嘘をついていることになります。
学者とは何ですか。
川について知らない人のことですか。
※岐阜県羽島市の漁師 大橋亮一さん(61)
この方の言葉が胸にしみわたります。
この方が、弟の修さんと残された
「長良川漁師口伝」という本もあります。
アユの生息せん川にしたのは誰や?
アユがしたか?
アユやサツキマスはせぇへんぞ。
誰がしたんや?
人間やろう。
魚捕ましに行っとりゃあ、
わたしゃあ機嫌がいいんじゃ。
川へ行って川眺めとりゃあ、
ハッハッハッや。
僕んたァ、
長良川の漁師に
生まれて
よかったなぁ
長良川の川漁師兄弟の言葉です。

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秋、霜降のころ⑥・・・円空と母
早速音叉治療も試してみた。
母は、仏になったみたいと笑っていた(笑)
胸のしこりは、小さなお椀の蓋大を一進一退・・・
あいかわらず、白血球の液体は出ているが
森昌子の歌を聞きに行ったとか
どこそこへ行ったとか言っているので
おそらく元気にしてるんだと思う。
おかげ様で本当にありがたいことだ。
いつもは木曽川の上流へ車を走らせるが
昨日は長良川の上流に行きたいというので
ぷらりと車を走らせた。
わたしも長良川薬石!?を拾いたかったし
関市小瀬の鵜飼い乗り場も見たかったので
ちょうどよかった・・・
いってみると、関市小瀬のそばには、円空館があった。

円空の一刀彫はいつ見ても心癒される・・・
父も円空仏が好きだった。
粗削りでありながら、その仏のお顔は
われわれが人生で目指す究極の表情をたたえている。
そうだ、たしかこのあたりで「入定」されたのだった。
円空は、岐阜にゆかりの地がいくつかあるが
人々の救済のために、生涯12万体の仏像を彫りながら
東の諸国を巡った(1632年~1695年)。
現在確認されている円空仏は5000体余りあるが
その半数は岐阜と愛知に存在する。
それにしても、円空は
なぜこの地を入定に選んだろうか・・・
円空の系譜の中でその答えの一片を見つけた。
「1638年 (7才) 長良川の洪水で母を亡くす・・・」
資料によると、
「自らの死期を予覚し、
元禄8年(1695年)64歳で入定。
里人に、この茂った藤を指し、
この藤の花が咲く間は、
この土の下で生きていると思えと
言い残し入定した」
とある。
藤の花に迎えに来てもらった円空・・・

この長良川の小瀬地区は、
流れが直角に西に曲がる場所・・・
円空の母がどこで亡くなったのかわからないが
もしこの流れが江戸の時代とさほど変わらないのであれば
大雨の時には、対岸の東側は洪水が起きそうなほど白波が立っていた。
円空には、この長良川が三途の川で
迎えに来る母が藤の花に見えたのか・・・
もちろん違うのかもしれない・・・
だが、そんな勝手な想像をめぐらせたながら
小丘の竹林を、ふたりてくてく歩いた円空館であった。
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秋、寒露のころ②・・・姫川薬石と長良川薬石!?
ついつい石を見るのが癖な私・・・
そこで意外なものを見つけました。
左の長良川の石です。

右は、姫川薬石です。
素人見ですが、右の姫川薬石と
模様である流紋がとても似ています。
そして、氷をのせると、
姫川薬石とほぼ同じようなスピードで溶けていきます。

左から長良川の石
中央上:プラスチックコップ
中央下:糸魚川市 市振海岸 (姫川薬石とは少し違う紋様)
右:糸魚川市 市振海岸 (姫川薬石の紋様)
溶け方も、姫川薬石類ととても似ています。
岩石の成分的にどうなのか?
上流火山の特質は似ているのか?
どちらも温泉があるがそれも似ているのか?
などを知りたくて、自分でも調べたり聞いたりしています。
結果が出たらまたご報告いたします。
それにしても氷の解け方からすると
やはり何か効能がありそうです。
石は、医師・・・特有の周波数が私たちを癒すことは間違いありません。
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秋、白露のころ⑮・・・泣きたくなったとき
世の中には色々な涙があるけれど、ひとりでいる時に泣いてしまう「涙」って、自分の限界までやってきた人にしか流せないものです。
— しいたけ. (@shiitake7919) 2018年9月19日
だから、そういう時は結果じゃなくて、「今が情けない」じゃなくて、自分を少しだけでも褒めてあげても良いんじゃないかって思います。
しいたけさんのつぶやきを見てふと思い出した。
金華山と長良川・・・
もうかれこれ30年以上も前の話。
22才の春は、いろいろな意味でしょげているときでした。
同級生の中で唯一教員採用試験に落ち、
臨時採用のためのエントリーや今後のことを考えて
悶々としていたのがこのとき・・・
きっとだれもが人生で一度や二度
この取り残されたような
なんとも言えない寂しさを
抱えたことはおありではないでしょうか。
若い頃というのはとにかく視野が狭く、
自分の非力さに対する苛立ちとあきらめを
いったいどこにしまい込めばいいのかわからなくなるときがあります。
教採に見事に落ち、一時実家に帰っていたわたしは、
こころが落ち着かなくなると必ずといっていいほど
金華山を見上げる長良川の河川敷きに車を止めて
ゆったりとうたた寝をしていました。
なんともいえず、ポカッと浮いてしまったあの時期・・・
虚無感が時折流れたあの時期、
長良川のほとりは、本当に心安らぐ陽だまりでした。
中二から抱き続けた夢の教員への道を
再確認するために、長良川で禊を受けていたのかもしれません。
今日は、母を訪ねる日・・・
ドライブがてらきっとあの長良川のそばも通ることでしょう。
敗者復活をさせるのは、人それぞれでしょうが、
私の場合は、ずっと変わらずそこにある里山や里川がそうでした。
川と山が、もう一度生かされるいのちを与えてくださいました。
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